三沢 淳(みさわ じゅん、1952年10月1日 - )は、島根県浜田市出身の元プロ野球選手投手)・解説者政治家。元衆議院議員

三沢 淳
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 島根県浜田市
生年月日 (1952-10-01) 1952年10月1日(68歳)
身長
体重
182 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1970年 ドラフト3位
初出場 1972年4月16日
最終出場 1986年8月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴編集

浜田市立第一中学校で野球を始め、野球部の1年後輩に梨田昌孝がいた。江津工では3年次の1970年に春夏連続で甲子園出場を果たし、いずれも江津工は初出場であった。春の選抜では2回戦(初戦)で北陽高に敗れ、夏の選手権では初戦で鹿児島商工を破り2回戦に進出するが、東邦水谷啓昭に抑えられ敗退。同年のドラフト中日ドラゴンズから3位指名を受けるが、交渉権を保留したまま1971年新日鉄広畑へ入社。同年の都市対抗では住友金属から補強された山中正竹を毎試合リリーフして勝ち上がり、決勝でも丸善石油を降して優勝し、小野賞を受賞。他のチームメートに佐々木恭介一塁手がいた。同年の第9回アジア野球選手権大会野球日本代表にも選出され準優勝貢献、1971年シーズン後に中日へ入団。アンダースローからのシュートを武器に内野ゴロで打たせて取るのが持ち味で、1973年から1975年に3年連続2桁勝利を挙げるなど、長年主力投手として活躍。シュートを得意とするだけに与死球も多く、1974年1976年の2度もリーグ最多与死球を記録。左打ちの打撃も得意でたびたび好打を見せ、1974年には11勝を挙げて20年ぶりのリーグ優勝に貢献し、ロッテとの日本シリーズでは2試合にリリーフとして登板。1979年6月8日巨人戦(ナゴヤ)では9回2死から柳田真宏に安打を打たれてノーヒットノーランを逃したが、この時点では0-0であり、裏の攻撃で中日が1点取りサヨナラ勝ちした。中日在籍中は松本幸行と仲が良かったが、松本は1980年阪急へ移籍。1981年4月4日の巨人戦(後楽園)では開幕投手を務め、プロ初打席の原辰徳をセカンドフライに討ち取った。1982年4月22日の巨人戦(平和台)では中畑清にプロ入り初のサヨナラ3ラン本塁打を打たれたが、同年には8勝してリーグ優勝に貢献。しかし翌年以降は故障と不振が重なり1984年オフに日本ハムファイターズに金銭トレードで移籍。プロ入りして初めてリリーフ専任になり好成績は挙げてたものの移籍先でも故障が付きまとい、1986年限りで現役を引退。

引退後は日本テレビ中京テレビ東海ラジオ解説者、中日スポーツ評論家(1987年 - 1995年)を務めた。現在は春日井商業高校にてコーチを務めている。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1972 中日 33 7 0 0 0 3 5 -- -- .375 306 75.2 58 13 19 1 6 44 0 0 36 31 3.67 1.02
1973 45 9 4 1 0 10 8 -- -- .556 531 137.0 103 13 34 3 6 87 0 1 45 39 2.56 1.00
1974 45 27 7 3 1 11 9 0 -- .550 822 200.2 169 30 55 5 12 90 1 1 97 77 3.45 1.12
1975 38 30 3 2 0 13 7 0 -- .650 748 185.0 163 18 44 5 9 89 0 1 74 66 3.21 1.12
1976 43 33 1 1 0 9 12 1 -- .429 797 176.2 229 34 54 10 12 74 2 2 110 105 5.34 1.60
1977 25 9 0 0 0 4 4 1 -- .500 282 64.2 64 16 22 0 5 49 0 0 38 37 5.12 1.33
1978 55 22 3 1 0 12 9 1 -- .571 789 187.2 185 28 58 4 6 90 2 0 80 71 3.40 1.29
1979 45 28 7 4 1 13 11 0 -- .542 864 203.0 226 28 53 3 9 97 2 0 95 84 3.72 1.37
1980 37 22 4 0 0 8 12 0 -- .400 661 153.2 156 16 52 5 4 81 0 0 78 70 4.09 1.35
1981 37 24 4 0 0 7 10 2 -- .412 685 163.2 159 17 49 9 1 69 0 0 70 61 3.35 1.27
1982 30 25 2 0 1 8 7 0 -- .533 634 144.0 164 14 46 8 5 74 0 1 69 57 3.56 1.46
1983 22 13 1 0 0 4 8 0 -- .333 375 82.2 114 12 20 1 1 39 0 0 59 53 5.77 1.62
1984 30 4 0 0 0 3 3 1 -- .500 192 42.1 52 4 22 4 1 16 1 0 33 28 5.95 1.75
1985 日本ハム 15 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 139 35.0 26 2 12 1 1 12 0 0 9 8 2.06 1.09
1986 5 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 35 8.2 7 0 2 0 0 3 0 0 1 1 1.04 1.04
通算:15年 505 253 36 12 3 107 106 6 -- .502 7860 1860.1 1875 245 542 59 78 914 8 6 894 788 3.81 1.30
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録編集

初記録
  • 初登板・初勝利:1972年4月16日、対読売ジャイアンツ2回戦(中日スタヂアム)、7回表に4番手で救援登板、1回無失点
  • 初奪三振:同上、7回表に森昌彦から
  • 初先発:1972年5月18日、対読売ジャイアンツ8回戦(後楽園球場)、6回3失点で敗戦投手
  • 初先発勝利・初完投勝利:1973年4月28日、対読売ジャイアンツ2回戦(中日スタヂアム)、9回3失点
  • 初完封勝利:1973年9月27日、対大洋ホエールズ19回戦(下関市営球場
  • 初セーブ:1976年10月11日、対広島東洋カープ22回戦(ナゴヤ球場)、7回表に2番手で救援登板・完了、3回無失点
節目の記録
その他の記録

背番号編集

  • 11 (1972年 - 1984年)
  • 21 (1985年 - 1986年)

政治家としての経歴編集

三沢 淳
みさわ じゅん
生年月日 (1952-10-01) 1952年10月1日(68歳)
出生地   日本 島根県浜田市
出身校 島根県立江津工業高等学校
所属政党新進党→)
自由党→)
(保守党→)
保守新党

選挙区 愛知4区
当選回数 1回
在任期間 1996年10月21日 - 2000年6月2日
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1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙に、新進党公認で愛知4区から出馬し、自民党公認の元民社党委員長・塚本三郎を破って、衆議院議員に初当選(比例区に単独立候補した元旧公明党委員長石田幸四郎から地盤を継承した。公明党支持者の組織票の愛知県内の地盤を継承した事になる)。

衆議院内閣委員会理事、青少年特別委員会理事、行政改革特別委員、災害対策特別委員を務める。1999年には国旗国歌法の成立に尽力、更に訪米を控えMLBシカゴ・カブスの公式戦で始球式を務める予定が入っていた小渕恵三首相に、東大野球部捕手を務めた藤井裕久共々ピッチングを指導した。

小沢自由党を経て、2000年保守党の結党に参加し中心的に活動した。同年の第42回衆議院議員総選挙で愛知4区に出馬。現役時代から兄貴分と慕った星野仙一の支援を受け善戦したが牧義夫に敗れ落選した。2001年第19回参議院議員通常選挙比例区にかつて参院議員を務めたアントニオ猪木の支援も受けて出馬するが、再び落選。2003年第43回衆議院議員総選挙には、保守新党公認で愛知6区に国替えし草川昭三の後継者として出馬したが、三度落選した。以降選挙には立候補していない。

1996年の総選挙で初当選した米津等史は、前出の原辰徳と東海大学政経学部同級生である。

過去のテレビ出演編集

関連項目編集