三遊亭圓歌 (4代目)

三遊亭歌之介から転送)

4代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、1959年4月8日 - )は、日本落語家三遊亭圓歌の当代である。本名、野間のま さとし落語協会所属。故郷の鹿児島弁の落語で注目を集めている。出囃子は『二つ巴』。前名は三遊亭歌之介

4代目 三遊亭さんゆうてい 圓歌えんか
4代目 .mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}三遊亭(さんゆうてい) .mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}圓歌(えんか)
4代目三遊亭圓歌定紋「かたばみ」
本名 野間のま さとし
生年月日 (1959-04-08) 1959年4月8日(61歳)
出身地 日本の旗 日本鹿児島県肝属郡錦江町(旧:大根占町)神川字皆倉
師匠 3代目三遊亭圓歌
弟子 三遊亭天歌
三遊亭歌実
名跡 1. 三遊亭歌吾
(1978年 - 1982年)
2. 2代目三遊亭きん歌
(1982年 - 1987年)
3. 三遊亭歌之介
(1987年 - 2019年)
4. 4代目三遊亭圓歌
(2019年 -
出囃子 二ツ巴
活動期間 1978年 -
配偶者 あり
家族 1男1女
所属 落語協会
公式サイト 公式ホームページ
受賞歴
若手演芸大賞最優秀二つ目賞(1985年)
NHK新人落語コンクール入賞(1985年)

来歴・人物編集

鹿児島県肝属郡錦江町(旧:大根占町)神川字皆倉出身。末っ子で、兄と姉がいる。

小学校1年生の頃に両親が離婚し、母・ノキ子[1]に連れられて兄、姉と共に夜行列車を乗り継いで当時住んでいた京都府から鹿児島県に帰った。帰郷後、ノキ子は家計を支えるために近所のラーメン屋で働いたが、「賢(4代目)にラーメンを食べさせてあげる」と老女将の好意で御馳走になった際、「早う食もらんと(麺が)伸びるよ?」と問われた4代目がおずおずと「このラーメン代、母ちゃんの給料から…引く?」と問い返したやり取りにいたたまれなくなり、大根占に住む母(4代目曰く「大根占の婆っばん」)に頼んで3人を預かってもらった上で自身は大阪の紡績工場に出稼ぎに行った。大阪という遠方だったため、帰郷は2年に一度、その他には子供の内の誰かの卒業式と身内の不幸の際に帰郷していた。母が70の頃に「どうして指宿に行かなかったの?僕の子供の頃は宮崎、鹿児島は新婚旅行のメッカで、32歳(当時の母の年齢)の女性ならどこのホテルでも旅館でも雇ってくれたはず。指宿だったら1週間に一度会えたのに、遠すぎた大阪だったから2年に一度しか会えなかった。何で指宿行かなかったの?」と問うたら、「母ちゃん、知恵がなかったね。母ちゃん知恵が」と言って泣いていた。 冷え性に悩まされて6年生の頃まで夜尿症が治まらず、出稼ぎに出るまでは床に就く4代目を抱き込むようにして両足を温めていたノキ子が不憫に思って大阪から電気あんかを贈り与えたという逸話があり、後にこれら少年期のエピソードをまとめた自伝落語『母ちゃんのアンカ』を編み出した。

大阪市立汎愛高等学校卒業後、1978年(昭和53年)3月に3代目三遊亭圓歌に弟子入りし、前座名『三遊亭歌吾』(さんゆうてい うたご)を拝命。1982年(昭和57年)5月、二つ目に昇進に際して『三遊亭きん歌』を襲名。当時、住んでいたアパートの廊下で落語独演会を催しては家賃の滞納分を支払いながら腕を磨き、1985年(昭和60年)に若手演芸大賞最優秀二つ目賞、並びにNHK新人落語コンクール入賞。1987年(昭和62年)5月、落語協会真打昇進試験を受験して自作の新作落語『寿の春』で合格する。同年10月、18人抜きの大抜擢を受けて『三遊亭歌之介』の名で真打昇進。

1988年(昭和63年)、鹿児島県にてミニ独演会(1回30分)を1日14か所で行う。1990年(平成2年)、鹿児島県より「さつま大使」を拝命。1991年(平成3年)、国立演芸場主催花形演劇大賞で金賞を受賞する。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の際には、落語のCDを制作、売上金を全額寄付した。妻は4代目と同じ鹿児島県出身(枕崎市出身)で、娘と息子がいる。

現在、「世界の桜島に植えよう」という活動を行っている。

2018年4月22日、国立演芸場で行われた「三代目 三遊亭圓歌 一周忌追善落語会」の席上、翌2019年3月鈴本演芸場下席より4代目圓歌を襲名することが発表された。師である3代目圓歌が亡くなる前年の2016年落語協会納会で、「圓歌の名跡を歌之介に襲名させたい」との遺志が同協会長の柳亭市馬へ伝えられており、3代目が死去した2017年末の協会理事会で承認を得ていたとのことである[2]

2019年3月21日、鈴本演芸場での襲名披露に於いて三遊亭圓歌を四代目として襲名した[3]。またこれを機に出囃子を「われは海の子」から、先代と同じ「二つ巴」に変更した。

師匠の3代目圓歌が、亡くなる2年前から膝に痛みを抱えていたため、一人では用足しに行くのもままならず、飲む席では何時も横に座って用足しの際は付き添っていた。

芸風編集

着物に汗が滲むほどの熱弁で素っ頓狂な声色、大袈裟な身振り、駄洒落ブラックジョークを駆使して自作の新作落語を演じるイメージが強いが、圓歌仕込みの古典落語もこなし、スーツ姿で漫談をすることもある。

マスメディアへの露出は少ないものの、鹿児島県では年に一度、年始に必ず鹿児島弁で演じた落語会の収録映像をテレビ放映しており、販売されているCD・テープ・ビデオは鹿児島弁のものが多い。新作落語の大半は自身の体験談に多少の脚色を加えたものであり、その体験談のほとんどが少年期にまつわるものであるため、弥が上にも鹿児島弁の多用に繋がっている。

師である3代目圓歌と長く連れ添い、深く敬愛するが故に敢えてネタに用いる事が多々あり、特徴的であった小柄な体格を揶揄するものが多い。

<用例>

  • 「ウチん師匠の3代目圓歌、背が細めんけ身長146cmしか無かっどん。『落語界のピグミー族』ち言われちょっど」
  • 「伊豆旅行へ行った時、『川の流れのようないい湯だったよ。お前たちも入っといで』と言われて向こうちみたら足湯じゃったが。尊敬します。足湯に40分、肩まで浸かれるんです」
  • 「師匠の形見分けで着物をいただいた。流石は三遊亭圓歌、ええ生地のモンばっかじゃと思うたが着ちみたらどれも膝までしか無いがじゃ」

主な新作落語編集

  • お父さんのハンディ
  • 寿の春
  • 爆笑龍馬伝
  • B型人間
  • ばっばんとでんきんたま
  • 母ちゃんのアンカ

など

主な出演編集

テレビ番組編集

など

CM編集

以上、3本は鹿児島ローカルCM。

映画編集

雑誌編集

著書編集

弟子編集

二ツ目編集

廃業編集

  • 三遊亭ありがとう(現:鶴沢卯太吉)[4]
  • 三遊亭しあわせ(2014年廃業。)
  • 三遊亭うたりん

脚注編集

  1. ^ 名前は高座で明かしている。
  2. ^ 三遊亭歌之介が4代目・円歌を襲名 2019年3月から “遺言”守り2年ぶり名跡復活 - スポーツ報知 2018年4月22日
  3. ^ “4代目三遊亭圓歌、襲名披露興行が開幕「母ちゃんのアンカ」に観客大拍手”. スポーツ報知. 報知新聞社. (2019年3月21日). https://www.hochi.co.jp/entertainment/20190321-OHT1T50237.html 2019年3月21日閲覧。 
  4. ^ 研修修了者インタビュー 鶴澤卯太吉(つるさわうたきち)(平成29年3月第22期竹本研修修了)”. 国立劇場. 独立行政法人 日本芸術文化振興会 (2019年8月). 2020年6月28日閲覧。

外部リンク編集