上小田中

神奈川県川崎市中原区の町名
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上小田中(かみこだなか)は、神奈川県川崎市中原区町名。現行行政町名は上小田中一丁目から上小田中七丁目で、1996年平成8年)2月13日住居表示が実施されている[5]郵便番号は211-0053[3]

上小田中
武蔵中原駅北口
武蔵中原駅北口
上小田中の位置(神奈川県内)
上小田中
上小田中
上小田中の位置
北緯35度35分11.93秒 東経139度38分8.01秒 / 北緯35.5866472度 東経139.6355583度 / 35.5866472; 139.6355583
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Kawasaki, Kanagawa.svg 川崎市
中原区
面積
 • 合計 1.436km2
人口
2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 • 合計 27,521人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
211-0053[3]
市外局番 044 (川崎MA)[4]
ナンバープレート 川崎

地理編集

中原区の北西部に位置し、南武線二ヶ領用水に挟まれる形で平地が広がっている[6]。中央部にある富士通の工場裏門あたりを境界として、北側に大ヶ谷戸(おおがいと・おおがやと[7])、南側に神地(ごうじ)という呼び名があり、平成になった今も通称や施設名として残っている[6]。中央部には富士通の工場(登記上の本店所在地)や中原区という名前の由来となった中原街道、そして南武線と中原街道の交点には武蔵中原駅があり、周辺には住宅地が広がるほか、野菜畑なども残っている[6]

上小田中は北端で高津区北見方坂戸と、北東端では二ヶ領用水を挟んで宮内小杉御殿町と、南端で今井上町今井西町と、南西端で下小田中新城中町新城上新城 と接している(特記のない町域は中原区)。

地価編集

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、上小田中6-36-13の地点で32万3000円/m2となっている。[8]

歴史編集

中世編集

「小田中」の名が史料に登場するのは1164年長寛2年)の「大江某注進状」であり、当地が藤原氏荘園であったこと、また年貢として八丈絹を納めていたことが読み取れる[6]。小田中が上下に分かれたのは戦国時代頃と見られ、1549年天文18年)に吉良頼康が泉沢寺を「上小田中宝地」へ移した記録が残るが[9]、「小田原衆所領役帳」では「小田中」となっている[10]

江戸時代編集

江戸時代の当地は、大ヶ谷戸と神地の2つに分かれていて、神地は1636年寛永13年)以降、枝村として一村のような扱いを受けていた[11]。大ヶ谷戸はもともと「大茅野」と呼ばれていたが、吉良氏の家臣である原氏が、故地の関蝉丸神社を当地に勧請し、同社の鎮座する「大谷」から名付けられたという伝承がある[6]。当地は寛永10年時点では天領であったが、幕末には一部が旗本領や寺領となっていた[10]。また、村正保期の「武蔵田園簿」で823(別に泉沢寺領が20石)、幕末の「旧高旧領取調帳」では合計844石あまりと[11]、ほぼ一定で推移していた。

近現代編集

明治時代となり、町村制の施行とともに中原村が成立すると、当地はその中心地として、村役場や銀行ができるなど栄え、またの生産も盛んとなった[10]昭和に入ると南武鉄道(現・南武線)が開通し武蔵中原駅が設置されたこと、さらには富士通信機(現・富士通)や中島飛行機の工場が設置されたことで当地は大きく姿を変えていき、また軍需産業として空襲を受けることとなった[11]

戦後には中島航空機の跡地に日本鋼管(現・JFE)の社宅が建設される[10]などの動きもあったが、二ヶ領用水の改修に合わせて中小の工場が立地する[7]など、工業地としての性格も持ち続けている。

地名の由来編集

由来は不明であるが、水田地帯であることから「田中」の名が付き、それに接頭辞の「小」が加わったとも考えられている[9]。その後、上小田中・下小田中に分かれている。

沿革編集

町域の新旧対照編集

上小田中が住居表示を施行する前のは、以下のようになっていた[12]。なお、特記のない字はその一部が現町丁に含まれている。また、上小田中字道下耕地の一部が今井上町に編入されている[12]

現町丁 住居表示実施前の字・町丁
上小田中一丁目 上小田中字上耕地、北見方字下倉耕地、宮内字西耕地
上小田中二丁目 上小田中字上耕地・字新田耕地・字稲倉戸耕地、宮内字西耕地・字西下耕地・字南耕地
上小田中三丁目 上小田中字上耕地・字稲倉戸耕地・字中耕地・字七揚耕地
上小田中四丁目 上小田中字中耕地・字七揚耕地
上小田中五丁目 上小田中字中耕地・字七揚耕地、下小田中一丁目(住居表示実施済み)
上小田中六丁目 上小田中字中耕地・字七揚耕地・字家附耕地・字道下耕地、宮内字白田耕地
上小田中七丁目 上小田中字家附耕地・字道下耕地

世帯数と人口編集

2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
上小田中一丁目 2,748世帯 5,672人
上小田中二丁目 2,636世帯 6,010人
上小田中三丁目 2,668世帯 5,788人
上小田中五丁目 1,030世帯 1,981人
上小田中六丁目 2,912世帯 5,764人
上小田中七丁目 1,080世帯 2,306人
13,074世帯 27,521人

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[13][14]

丁目 番地 小学校 中学校
上小田中一丁目 全域 川崎市立大谷戸小学校 川崎市立西中原中学校
上小田中二丁目 2番8~10号
3番1~4号
3番7~16号
6番
川崎市立宮内小学校 川崎市立宮内中学校
その他 川崎市立大谷戸小学校 川崎市立西中原中学校
上小田中三丁目 全域
上小田中四丁目 全域
上小田中五丁目 全域 川崎市立大戸小学校
上小田中六丁目 1~4、16~20番
51番16号・18号
51番22~24号
51番27〜28号
52~60番
川崎市立大谷戸小学校
47番 川崎市立宮内小学校 川崎市立宮内中学校
その他 川崎市立中原小学校
上小田中七丁目 全域

交通編集

鉄道編集

JR南武線が上小田中の南西端を通り、武蔵中原駅鎌倉車両センター中原支所が所在する。なお、北方では同線の武蔵新城駅も利用可能である。

バス編集

鷺沼駅小杉駅を結ぶバス(東急バス東山田営業所川崎市バス菅生営業所担当)や、南武沿線道路経由で小杉駅と溝口駅を結ぶバス(川崎市バス上平間営業所担当)、中原駅と小杉駅を等々力緑地経由で結ぶバス(川崎市バス上平間営業所担当)が当地を経由している。

道路編集

施設編集

 
富士通川崎工場

寺社編集

  • 泉沢寺 - 1549年天文18年)に多摩郡烏山から移された。
  • 神明社 - 明治32年に、村内の神社を合祀した[15]
  • 関神社 - 関蝉丸神社の勧請を受けた。

教育機関編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ 町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2015年10月26日). 2018年2月15日閲覧。
  2. ^ a b 町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). 2018年2月15日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月15日閲覧。
  5. ^ 区別町名一覧表”. 川崎市. 2018年2月15日閲覧。
  6. ^ a b c d e 日本地名研究所編「川崎の町名」川崎市発行、1991年、P135~137。
  7. ^ a b 川崎市(2004)、P273。
  8. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  9. ^ a b 川崎市(2004)、P271。
  10. ^ a b c d e f g 角川(1984)、P281~282。
  11. ^ a b c 川崎市(2004)、P272。
  12. ^ a b 住居表示新旧対照案内図 No.66 上小田中1, 2, 3, 4, 5, 6, 7丁目 川崎市、1996年。
  13. ^ 川崎市立小学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
  14. ^ 川崎市立中学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
  15. ^ 川崎市(2004)、P275。

参考文献編集