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今上天皇(きんじょう てんのう)は、その々における在位中の天皇を指す言葉[1]。「」の「上(上様)」の意をもって呼ばれる「今上(きんじょう)」[1][2]はそれだけでその時代における皇帝や天皇を指す語として成立したが、「天皇」と繋げれば日本独自の名称となる。「陛下へいか」と繋げて「今上陛下」と呼ぶ例は、大正時代から確認できる[3][* 1][4]

「今(現在)」とは、その時間に属する人が基準とする時の一点であり、どの時間に属する人かで「今上天皇」にあたる人物も異なる。令和という時代の「今上天皇」は徳仁という本名を持つ人物である。

目次

当代の天皇の呼称編集

 
天子摂関御影』における「今上」の用例/「康安二(康安2年)」と添え書きされたこの肖像は、北朝第4代の、後光厳天皇に比定されている。

日本語では古くは「きんしょう」とも読んだ[5]今上きんじょう[2]こんじょう[6])」という語は、古代中国の『史記秦始皇本紀に「今上知天下(...略...)」と記述の見える漢語である。 また、古代の日本ではこの熟字大和言葉で「いまのうへ」[7](現代読みで『いまのうえ』)の読みも当てたともされる。これには、先にあった大和言葉「いまのうへ」に漢字を当てて「今上」という熟字を造ったと唱える研究者があって、しかし今では、漢意からごころ)を排除しようとする国学の影響による学説と見なされている。

日本語におけるこの語「今上」は、これも日本語の「当今とうぎん」と同義である[8]また、『晋書』周馥伝に「西剋許聖上渡御后宮」という記述が見られ、天子を敬っていう「聖上せいじょう[9]は、日本に入っては結果的の同義語となる。中国古典に起源を見いだせず、『続日本紀』神護景雲2年条が初出かも知れない「主上しゅじょう、古くは『しゅしょう』とも[10]も、結果的同義語である。

一方、天皇は、文武両方でもって世界や反乱を治める偉業を累ね、死後に贈られる「諡号(おくり名)」であった。また、この制度は、大宝令を初出として公式令や義解に解説された漢土(中国)の制度の全くの摸倣であった[11][12]

日本以前の中国では、敬意を示すものについてはっきりした言い方を持たない文化があり、当代の天皇の呼称もあまり発達しなかった。しかし、平成時代において先々代の大正天皇や先代の昭和天皇と並べて表記したい場合に、「今上」もしくは「今上陛下」では言葉のすわりがよくないことと、「今上天皇」と表記すると語感から客観的な表現に感じられるため、中立を求められる表現の中で使用される頻度が高くなってきた。また美智子皇后(現・美智子上皇后)も自身の夫を「今上陛下(きんじょうへいか)」と公の場では呼んでいた。

ここまで述べてきた「今上」と「天皇」を繋げた「今上天皇」という語は、いつの頃に成立したかはっきりしないが、同じ意味での言い回しということでは、正倉院文書の北倉文書の一つ『東大寺献物帳(とうだいじけんもつちょう)』の天平勝宝8年6月21日条(西暦換算:ユリウス暦756年7月22日条、先発グレゴリオ暦756年7月26日条)後文(文)に見られる「(...略...) 後太上天皇 天皇伝賜今上 今上謹献廬舎那仏」というくだり[13][* 2]に初出と思しき例を確認できる[7]

敬称は、諸外国の国王女王などと同様に「陛下(へいか)」が使われている(皇室典範で規定)が、今上天皇陛下とは言わず、「今上陛下(きんじょうへいか)[3]」、「天皇陛下(てんのうへいか)」もしくは単に「陛下(へいか)」、「聖上(せいじょう)」、「主上(しゅじょう)」と呼ばれる。また、古い表現では「(みかど)」、「天子様(てんしさま)」と呼ばれる。

また、近代史上において治世を築いた歴代3人の天皇である明治天皇、大正天皇、昭和天皇などの呼称は、「一世一元の制」に基づいたうえで、それ自体に敬意が込められた追号であるため、昭和天皇陛下とも言わない(口頭では「昭和の天皇陛下」という言い方をすることがあるが、この場合の昭和は「昭和時代」の意であると解される。ただ、美智子上皇后は平成時代に義父にあたる昭和天皇を「先帝陛下(せんていへいか)」と公の場では呼んでいた他、「○○(元号)の天皇陛下」や明治天皇には「明治大帝陛下めいじたいていへいか」や「大帝陛下たいていへいか」などの使われ方がある)。

また、昭和天皇の崩御(死去)までの昭和期に皇太子(次期皇位継承者・皇位継承順位第1位)であった上皇明仁の天皇即位から昭和天皇の追号が正式に定まるまでの間(なお天皇が崩御した後、追号が贈られるまでは大行天皇の呼称が公式に用いられる)、報道では、「明仁陛下あきひとへいか」の表現が用いられていた。

現代的用法編集

 
2019年令和元年)5月1日に即位した今上天皇 (徳仁)
 
元号法制定時の首相、大平正芳

公的用法編集

政府などの公的機関および主要メディアなどでは、皇室典範に定められる敬称「陛下」を入れて「天皇陛下てんのうへいか」と呼称することが一般的である[* 3]一方、天皇制廃止論君主制を維持している諸外国の君主制廃止論に相当)に立つ者、基本的に敬称を避ける傾向にある学術的な世界に身を置く者は、単に「天皇てんのう」と呼称する(内閣総理大臣と同じく、肩書きでもあるため。「総理閣下そうりかっか」「首相閣下しゅしょうかっか」とは普通は言わない)か、あるいは実名を直接呼ぶことも多く[* 4]、当代の天皇を特定する場合には「今上」「当今」とだけ呼称することもある。

「○○(元号)天皇」という呼称編集

一部の出版物などにおいて、執筆および発表の時点における今上天皇に対して、「○○(元号)天皇」などという称号を用いる例が散見される。これは、敬称を用いない三人称としての用法である。

諡号ならびに追号は、制度上必ずしも元号が追号になるわけではなく、あくまで慣例である。実際、皇室典範などの関連法令はそのようなことを規定していない。そもそも明治天皇が「一世一元の詔」を発布する前は、天皇在位中の改元は、広く知らしめるべき大いなる瑞兆(実例として、霊泉の出現、彩雲の出現、朱いの出現、白いの出現)や、治世の正統性を天が否定したかのような、あるいは一からの仕切り直しを要するほどの凶事(実例として、祟り、妖星の出現[* 5]天変地異大火黒船来航)をきっかけに割と頻繁になされていたのであり、諡号が元号と同一であるのは、明治以降では明治・大正昭和の3代の天皇のみの事情である。したがって、2019年(令和元年)現在、上皇明仁の崩御後に「平成天皇」、今上天皇(徳仁)の崩御後に「令和天皇」という諡号(追号)が贈られることが確定しているわけではない[* 6]

元号法の制定時の大平正芳首相(当時)の国会答弁によれば、追号とは新しい天皇があくまで皇室内の儀式として先帝に贈るものであり[14]、法によって制定された元号に縛られずに新天皇の裁量で決めることができるという[14]

市井の用法編集

 
養老神社祭神でもある元正天皇にゆかりの菊水霊泉は、奈良時代以来、霊泉としても天皇縁由地としても大切にされてきた。

一般人が公でない場で「天皇」と呼称することもあるが、だからといってその人が必ずしも「皇室に批判的である」ということを示すものではない。

また、日本人は、“おらが村”(愛着ある自分達の地域)にゆかりのある遠い昔の天皇の話題に触れる時、敬意にも増して親しみを籠めて「天皇さん」と砕けた呼び方をすることが珍しくない。「○○天皇がお座りになった」とか、「○○天皇にお飲みいただいた湧き水だ」とか、多くの日本人にとってはただそれだけで何百年も守り伝えるに値する天皇縁由地になるし、実際に守リ伝えてきた人々にとっては、もうそこまで行けば「天皇さん」は日常に溶け込んだ存在であって、敬意が足りないのとは全く違う話である。中にはゆかりある天皇が祭神になっていることもある。を「さん」付けで呼ぶことも、広く日本では普通に見られる慣習である。

和訳編集

外国語での名称を翻訳した日本語名称としては、例えば英語で "The emperor …" という表現があることを受けて「本名()+天皇」もしくは「天皇+本名(諱)」という表現がある。有名なものを一つ挙げるならばアメリカ映画ラストエンペラー』がある。英語版での英語話者の台詞として登場する "The emperor Hirohito" は“天皇裕仁”を意味するため、和訳でも係る英語話者の台詞には「裕仁天皇」という表現があえて選択された。この映画が公開された1986年(昭和61年)当時、“天皇裕仁”にあたる人物(崩御後の昭和天皇)は今上天皇であった。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 徳富蘆花(徳富健次郎 名義)の小説『黒い眼と茶色の目』(cf. )(1914年〈大正3年〉)の「其八 突貫」の「(一)彼は東へ」に「(...略...) 敬二は教場で見る其本を懐中して校門を出で、今出川門を入り、今上陛下御誕生水の前を御苑に入つた。」という一文が見られる。
  2. ^ 本項で省略した前段も踏まえて要約すれば、「太上天皇(※聖武太上天皇)がお隠れ遊ばされたのち、今上天皇(※即位前の安倍内親王、崩御後の孝謙天皇)は、飛鳥浄御原宮藤原宮平城宮の三宮の御宇(ぎょう。御世)から伝わる御宝物を東大寺盧舎那仏(※奈良の大仏様)に献納あそばされた」旨の内容である。なお、これらの宝物は、実務上は東大寺正倉(南倉・北倉・中倉)に収蔵された。今日まで伝えられた正倉院宝物の最も重要な所蔵品群である。
  3. ^ 1947年(昭和22年)に当時の宮内省(後の一時期は宮内府、現在の宮内庁)と報道各社の間で結ばれた協定に基づく。
  4. ^ 「天皇」と呼び諱を避けることは、それ自体一定の敬意を示した表現であるため。
  5. ^ 妖星(ようせい)とは、凶兆として突如出現する不吉な星。妖霊星(ようれいぼし)ともいう。今でいう彗星流星がこれにあたる。
  6. ^ 法令等によって規定されているのは、「2019年4月30日の退位後の称号を『上皇』とし、敬称を『陛下』とする(天皇の退位等に関する皇室典範特例法第三条)」ことのみであり、かつこれは「2019年4月30日に行われる今上天皇の退位」に限定した規定である。

出典編集

  1. ^ a b 今上天皇”. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。
  2. ^ a b 今上”. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。
  3. ^ a b 今上陛下”. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。
  4. ^ 黒い眼と茶色の目 (PDF)”. 国立国会図書館デジタルコレクション(公式ウェブサイト). 国立国会図書館. 2019年6月7日閲覧。※該当文は265頁(コマ番号では 136/165)にある。
  5. ^ 今上”. 三省堂大辞林』第3版. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。
  6. ^ 今上”. 小学館『精選版 日本国語大辞典』. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。
  7. ^ a b 今上天皇”. 小学館『日本大百科全書:ニッポニカ』. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。
  8. ^ 当今”. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。
  9. ^ 聖上”. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。
  10. ^ 主上”. コトバンク. 2019年6月5日閲覧。
  11. ^ 明治政府編纂の百科事典『古事類苑』-帝王部十六-諡号 テキスト画像 明治29-大正3年(1896-1914)刊行
  12. ^ 明治政府編纂の百科事典『古事類苑』-帝王部十六-諡号 明治29-大正3年(1896-1914年)刊行
  13. ^ 山路實 (1990年(平成2年)10月31日). “『和算』第67号 (PDF)”. 公式ウェブサイト. 近畿数学史学会. 2019年6月5日閲覧。※17頁(コマ番号では9/11)。
  14. ^ a b 内閣委員会会議録14号(昭和54), p. 22.

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集