メインメニューを開く

代田 (世田谷区)

東京都世田谷区の町名

地理編集

世田谷区の北部に位置し、同区北沢地域に属する。北で大原、東で北沢代沢、南で若林、西で松原羽根木梅丘と接する。北沢川が地区南部を西から東に流れるが暗渠化されている。地形は北沢川に向かって下る傾向があるが、北端の六丁目には南北に長い窪地があり、東西それぞれに上がる傾向も見られる。

若林、世田谷との結びつきの強い一丁目、代田八幡宮、世田谷代田駅がある二丁目、三丁目、羽根木公園があり、梅丘、松原との結びつきの強い四丁目、北沢との結びつきの強い五丁目、六丁目と様々な側面を持ち、区域内の一体としての印象は希薄さが見られる。

環状7号線、梅丘通りに沿った路線商業地、下北沢駅に近い近隣商業地などの商業地の他に共同住宅地、戸建住宅地等が混在している。

河川編集

地価編集

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、代田2-23-16の地点で65万1000円/m2となっている。

歴史編集

戦国時代末期に後北条氏の滅亡の際に、北条方の吉良氏の家臣であった齋田氏が、現在の一〜三丁目付近に土着し開墾したのが始まりともいわれ、その後も開墾を進め、範囲を広げていった。元々、荏原郡に属し、現在の代沢の一部、大原をも含む範囲を指す概念であり、下北沢村の元々の中心部(現在の代沢三丁目、五丁目付近)を東西から挟み込むような形であった。

その後、甲州街道に接する大原が独自の発展をし、世田谷区への編入などを経て、住居表示の実施、飛地の整理で、羽根木の飛地(現在の羽根木公園付近)の編入、逆に飛地であった下代田等が代沢に編入されて現在の形となった[4]

旧版地図等によると、小田急線、井の頭線、現在の環状7号線の開通を契機に世田谷代田駅、新代田駅周辺を中心に宅地化が進んでいった。宅地化の進む頃、世田谷代田-新代田に車両搬出入用の線路(代田連絡線)が一時敷設されたことがあるが、その痕跡が特段残っていないことからも宅地化の急速さが窺える。

精神科医で詩人の斎藤茂吉1947年昭和22年)、代田に転入、3年後に新宿区大京町に移るまでをこの地で暮らした[5]

地名の由来編集

地名は、巨人伝説に由来するという説がある。昔この辺りには大きな窪地があったが、それが想像上の巨人「ダイダラボッチ」の歩いた足跡だ、というものである。 柳田國男は著書『ダイダラ坊の足跡』(1927年昭和2年))の中で、「代田村」の名の由来について次のように考察している。

ダイタの橋[6]から東南へ五六町、その頃はまだ畠中であつた道路の左手に接して、長さ約百間もあるかと思ふ右片足の跡が一つ、爪先あがりに土深く踏みつけてある、と言つてもよいやうな窪地があった。内側は竹と杉若木の混植で、水が流れると見えて中央が薬研[7]になつて居り、踵のところまで下るとわづかな平地に、小さな堂が建つてその傍に湧き水の池があつた。即ちもう人は忘れたかも知れないが、村の名のダイタは確かにこの足跡に基いたものである。

世帯数と人口編集

2019年(令和元年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
代田一丁目 2,268世帯 3,916人
代田二丁目 2,073世帯 3,521人
代田三丁目 3,143世帯 5,364人
代田四丁目 2,280世帯 3,859人
代田五丁目 2,029世帯 3,180人
代田六丁目 2,125世帯 3,406人
13,918世帯 23,246人

小・中学校の学区編集

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]

丁目 番地 小学校 中学校
代田一丁目 全域 世田谷区立代沢小学校 世田谷区立富士中学校
代田二丁目 全域 世田谷区立代田小学校
代田三丁目 全域 世田谷区立山崎小学校 世田谷区立世田谷中学校
代田四丁目 全域 世田谷区立代田小学校 世田谷区立梅丘中学校
代田五丁目 1~30番
その他 世田谷区立下北沢小学校 世田谷区立北沢中学校
代田六丁目 1~16番
その他 世田谷区立梅丘中学校

交通編集

鉄道の駅は、小田急小田原線世田谷代田駅京王井の頭線新代田駅が設置されている(京王線代田橋駅大原に所在)。道路は環七通りが南北に通り、梅丘通りが東西に通る。

施設編集

出身・ゆかりのある人物編集

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ a b c 世田谷区の町丁別人口と世帯数”. 世田谷区 (2019年9月3日). 2019年9月29日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月27日閲覧。
  4. ^ 『ふるさと世田谷を語る』世田谷区
  5. ^ 「斉藤茂吉略年譜」 財団法人 斎藤茂吉記念館
  6. ^ 代田橋=現在の代田橋駅の北西で甲州街道玉川上水を越えていた橋。
  7. ^ 薬研のような形、つまり小さなV字谷を成していたということ。
  8. ^ 通学区域”. 世田谷区 (2018年4月1日). 2019年9月29日閲覧。
  9. ^ a b 『東京府市名誉録』荏原郡之部(世田ヶ谷町)33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月24日閲覧。
  10. ^ a b 『日本紳士録 第38版』東京サの部354頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月24日閲覧。
  11. ^ a b c 『日本紳士録 第40版』東京サの部253頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月19日閲覧。
  12. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』附録 全国多額納税者 東京府 京都府6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年3月10日閲覧。
  13. ^ a b c 『日本紳士録 第36版』東京スの部409-411頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年8月24日閲覧。

参考文献編集

  • 篠田皇民『東京府市名誉録』東京人事調査所、1925年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第36版』交詢社、1932年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第38版』交詢社、1934年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第40版』交詢社、1936年。

関連項目編集