なべおさみ

なべ おさみ1939年5月2日 - )は、日本コメディアン俳優タレントラジオパーソナリティ司会者放送作家著作家声優。本名、渡辺修三。妻は笹るみ子、息子はお笑い芸人で元パワーリフティング日本代表のなべやかん東京府東京市大森区(現:東京都大田区)出身。明治大学文学部卒業。

なべ おさみ
本名 渡辺 修三
ニックネーム なべちゃん
生年月日 (1939-05-02) 1939年5月2日(79歳)
出身地 日本の旗 日本
東京府東京市大森区
(現:東京都大田区
身長 161cm
言語 日本語
最終学歴 明治大学文学部演劇学専攻
師匠 ハナ肇
芸風 コント
活動時期 1960年代 -
過去の代表番組 シャボン玉ホリデー
ルックルックこんにちは
他の活動 司会者放送作家著作家声優
配偶者  笹るみ子
親族 長男(なべやかん

目次

経歴編集

  • 渋谷での不良時代に、伝説のヤクザ花形敬から、「不良は不向きだから大学へ行け」と自身の母校を勧められ1958年明治大学文学部演劇学専攻に入学。在学中から三木鶏郎門下としてラジオ台本を書いたが、コメディアン志望で、勝新太郎水原弘の付き人となり、水原の渡辺プロダクション入りを機に同時に渡辺プロに入る。芸名の由来は、なべが本名の渡辺を名乗って勝新太郎に電話をした際に、勝に渡辺プロの社長だと勘違いをさせてしまったため、勝から「お前は渡辺じゃねえ、ただのなべだ」と叱られたことから。その後、水原は渡辺プロを退社するが、なべはそのまま残り、ハナ肇の付き人となる。付き人時代から、自分の名刺を持っていて、テレビ関係者に配っていたという[1]。大学在学中の学費は渡辺プロダクションが負担した。1962年に「<お笑い三人組>における大衆の笑い」という卒論で、明大を卒業。
  • 付き人時代から、ラジオのディスクジョッキー構成作家ジャズ喫茶の司会などをこなしていたが、1964年、『シャボン玉ホリデー』でお茶の間の圧倒的な人気を獲得し、一躍スターダムにのし上がった。「シャボン玉ホリデー」での代表コントは、なべ扮する映画監督安田伸扮する助監督との掛け合いで、なべがメガホンで安田に「安田ぁーっ!」と怒鳴り散らすというもので、同番組の定番ネタとなった。大先輩の安田を相手に遠慮のない演技で、この空威張り演技の面白さは、なべの武器のひとつとなっていく。1968年松竹映画『温泉ゲリラ 大笑撃』で主演に抜擢、続けて山田洋次監督の『吹けば飛ぶよな男だが』でも主役に起用され、映画俳優としても地位を確立した。その後上記のとおり学生時代からの恩師である渡辺晋と対立してしまい、渡辺プロダクションを退社し森繁久彌の付き人を務めた後に、1978年から日本テレビワイドショールックルックこんにちは』で「女ののど自慢」の司会を担当。番組随一の人気コーナーに成長させた。
  • 明治大学替え玉受験」を起こしマスコミからバッシングを受ける。1991年、息子である「なべやかん」(当時は一般人)の明治大学入試に関する替え玉受験疑惑が持ち上がり、当初は「楽屋を訪ねて来た見知らぬ紳士から話を持ちかけられた」「特別な推薦枠が有ると言われた」などと否定していたが、最終的には「知人に話を持ちかけられた」と不正を認め謝罪。しかし、今でも推薦入学の話だと思っていたとして、替え玉であった事までは知らなかった(「世間知らずと云われるかもしれないが、世の中にはそういう話(推薦入学の話)が有るのかな、と思った」などと発言)という弁解もしている。息子の「なべやかん」の明大替え玉受験に伴って金銭の授受が有ったのではないかという疑惑について、なべ自身は頑強に否定したが、裁判では、逮捕された関係者は仲介者を通して、替え玉受験の依頼者から多額の現金を受け取っていたことも明らかになっている。この事件で明大の体育会関係者らが複数逮捕され、元相撲部監督らが実刑判決を受けた。この事を受けてなべは出演していた『ルックルックこんにちは』を降板するなど、全ての芸能活動を自粛した。これは、過去にワイドショーなどで、なべが度々「教育評論家」的な発言をしており、余りの言行不一致によりマスコミからは格好の餌食となった自業自得の面も否定出来ない。
  • その後、息子はたけし軍団に入団しなべやかんとして芸能活動をスタートさせた。これはマスコミに散々袋叩きにされ、芸能界のほとんどの"友人"が揃えて「なべ」と呼び捨てでマスコミのインタビュー等でコメントしていたのに対し、ビートたけしは変わらず「なべさんは…」とさん付けで呼び続けてくれていた事に大変感激したからだという。その他にも舟木一夫が何度も食事に誘ったりとなべに対して気を遣った。この騒動中、立川談志が結成した「シャークハンター必殺隊」になべが副隊長としての参加が決まり、やる気満々で現地入りをしたものの、現地住民から痛烈な罵声と批判を浴びてしまい、結局必殺隊としての活動が出来ずに早々と帰京した。またこの話題は各局のワイドショー番組にも取り上げられ、談志やなべらの無責任で軽率な行動に関して否定的に報じていた。
  • 上記の騒動による謹慎期間終了後、最初の仕事が『笑っていいとも!』の看板コーナー・テレフォンショッキングのゲスト出演(1992年8月12日)。この際、1年ぶりにテレビの仕事が来た事へ感謝の意を込めて、同番組ホスト役のタモリに自身がはめている腕時計を外して番組放送中にプレゼントした。
  • 1994年12月、銀座のソミドホールで本格的に芸能活動再開。応援に駆けつけた長年の友人である尾崎将司尾崎健夫尾崎直道の尾崎三兄弟の前で、発売し損ねた『母恋酒』を涙ながらに熱唱した。
  • 2001年、自動車事故を起こした。
  • その後、一時期は吉本興業に所属し、ルミネtheよしもとの新喜劇などに出演していた。
  • 各界に広い人脈を持っているとされ、溝口敦のノンフィクション『食肉の帝王』では、ハンナングループの浅田満・元会長の側近と描かれている。

人物編集

  • 世田谷区の一戸建て豪邸に居住しており、「芸能人御宅訪問」でテレビ放送された時には、たけし軍団入りと同時に自宅を離れたなべやかんも出演。その時、なべやかん所有の旧車トヨタ・スポーツ800が映っていた。

出演編集

映画編集

オリジナルビデオ編集

  • ファンキー・モンキー・ティチャー フォーエヴァー ワクワク秘密の花園の巻
  • パチプロ覇王 炎の大連チャン
  • パチンコバトル・ロワイアルII
  • 平成維新伝 群狼がゆく

ラジオ編集

テレビドラマ編集

劇場アニメ編集

テレビアニメ編集

バラエティ番組など編集

CM編集

ディスコグラフィ編集

著書編集

編著編集

  • 『やくざと芸能と 私の愛した日本人』イースト・プレス、2014年(編著)『やくざと芸能界』講談社+α文庫
  • 『ドキュメント女ののど自慢 私の人生、唄わせて!!』part 1-2 編 日本テレビ放送網 1985年

その他編集

  • 週刊少年マガジン」1972年10月号増刊に掲載された『天才バカボン』「パパ老年編」では、昭和67年6月に、なべおさみが内閣総理大臣に就任している。
  • 電電公社(現・NTT)のテレホンサービスに、木の実ナナと出演していたことがある。
  • 消費者金融「ワイド」の専属キャラクターとして登用されていたことがある(タウンページなどの広告欄にて。誌上での肩書きは「キャッシングコメンデーター」)。
  • コレクターを対象とした雑誌『月刊キュリオマガジン』(彩流社発行 フジインターナショナルミント編集)に、自身が収集する映画パンフレットを紹介する内容の「なべおさみが申す! 古版キネマパンフ考」を連載中。

脚注編集

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  1. ^ 小林信彦『日本の喜劇人』P182
  2. ^ この回は息子のなべやかんが監督・脚本を手掛けている。