南海6000系電車

南海電気鉄道が保有する通勤形直流電車

南海6000系電車(なんかい6000けいでんしゃ)とは、南海電気鉄道高野線で運用されている一般車両(通勤形電車)の一系列。1962年昭和37年)に登場し、同年12月25日に営業運転を開始した[1]

南海6000系電車
Nankai-Series6000-6902.jpg
南海6000系電車 6011F
(2018年7月16日 住吉東 - 沢ノ町間)
基本情報
製造所 東急車輛製造
製造年 1962年 - 1969年
製造数 72両
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V架空電車線方式
最高運転速度 100 km/h
設計最高速度 120 km/h
※100 km/h
起動加速度 2.5 km/h/s
減速度(常用) 3.7 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
全長 20,725 mm
全幅 2,744 mm
全高 4,160 mm
車体 ステンレス鋼
台車

S型ミンデン式ダイレクトマウント空気ばね台車
FS-392C・FS-092A

ミンデンドイツ式ベローズ式空気ばね台車
FS-355
(軸箱梁式パイオニアIII形台車※)
(TS-702・TS-702T※)
主電動機 直流直巻電動機
MB-3072-B 375V
主電動機出力 145 kW
駆動方式 WN駆動方式
歯車比 5.31 (85:16)
編成出力 580 kW(2両編成)
1,160 kW(4両編成)
制御装置 超多段式バーニア抵抗制御方式
VMC-HTB-20AN
制動装置 電磁直通ブレーキ
発電ブレーキ併用、抑速ブレーキ付き)
保安装置 南海型ATS
備考 ※は更新前のデータ
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貫通扉窓が大型の6000系初期車[注 1] 6001F
帝塚山 - 岸里玉出間)
6000系 車内

本記事ではなんば方先頭車の車両番号(車号)+F(Formation=編成の略)を編成名として表記する。

概要編集

南海の4扉通勤車としては初の高性能車である。高野線では「大運転」と称する平坦区間と山岳区間の直通運転に対応した15 m2扉車体の561形1251形、17 m2扉車体の21001系・21201系が使用されていたが、1960年代から平坦区間では沿線の住宅開発が進み通勤客が急増し、これらの車両では輸送力不足となっていた。このため高野線の平坦区間である難波 - 三日市町間に南海本線と同様の山岳区間に対応しない20 m4扉車体の通勤形電車を投入し、輸送力を向上させることになった。

本系列登場時、南海電鉄の架線電圧は600 Vであり、本系列は600 V対応の電装品を搭載して製作されたが、1,500 Vへの昇圧が決定した1965年(昭和40年)以降の新製車は600 Vと1,500 Vの双方に対応する複電圧車となり、さらに1966年(昭和41年)以降の新製車は輸送需要も高まりつつある時期とも重なり4両編成とされた(この時の編成はMc+Tc+T+Mc)[2]。また初期車も4両編成化されており、このために登場当初は先頭車だった車両を中間に組み込んだ編成が存在する。初期車は1972年(昭和47年)に複電圧仕様に改造され、1973年(昭和48年)10月の昇圧を迎えている。

車両概説編集

車体編集

東急車輛製造アメリカバッド社ライセンス供与を受け、日本で初めて開発したオールステンレス車体を採用した。東急車輛製のオールステンレス車としては同じ1962年(昭和37年)に、その嚆矢となる東京急行電鉄(現・東急[注 2]7000系電車、続いて京王帝都電鉄(現・京王電鉄3000系が登場しているが、この2系列は18 m級3扉車であったのに対し、同年12月に登場した本系列は初めての20 m級車体となった。側扉は片開き式で、2018年(平成30年)12月現在、南海の特急専用車両以外の現行車両では唯一の存在である。南海本線で運用されていた7000系は、本系列の普通鋼製車体バージョンである。ステンレス車体は事故などで損傷した際の修繕が難しかったため、6000系以後も踏切の比較的少ない高野線はステンレス車、南海本線は鋼製車というパターンが9000系の投入まで続くこととなった[注 3]

機器類編集

起動加速度はM・T同数編成で2.5 km/h/s、2M1T編成で3.4 km/h/sである。主電動機三菱電機製MB-3072-A(後・B)で、出力は600 V時115 kW / 1,600 rpm、1,500 V時145 kW / 2,000 rpm、1962年(昭和37年)当時の狭軌電車用電動機としては最強クラスのモーターである。1,500 V時の定格速度は60 km/hで、通勤車としては高い上に弱界磁制御を30%まで行う。駆動装置はWNドライブブレーキ方式は発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ (HSC-D) 、台車は米バッド社の技術の下、製造元の東急車輛製造が改良し軽量化を図った軸箱梁式のパイオニアIII(東急車輛製造製TS-702、付随台車はTS-702[T])型で、軸箱外側に露出したディスクブレーキローターが特徴である。制御方式は抵抗制御だが、日立製作所製超多段(バーニア)制御器(形式:VMC-HTB-20AN)を採用し、スムーズな加速を実現している。

編成構成編集

登場当初は難波方からモハ6001形(Mc、制御電動車)+サハ6801形(T、付随車)+モハ6001形 (Mc) の3両編成であった。

1次車
  • 6001-6801-6002(1962年12月1日竣工)
2次車
  • 6003-6802-6004(1963年8月21日竣工)
  • 6005-6803-6006(1963年9月3日竣工)
  • 6007-6804-6008(1963年9月3日竣工)
3次車
  • 6009+6010I-6901(1964年12月14日竣工)

3次車は同じ3両編成でもモハ6001形 (Mc) +モハ6001形 (Mc) +クハ6901形(Tc、制御車)の構成に変更されている[3]

4次車
  • 6010II・6902・6012(1966年3月4日竣工)
  • 6013-6903+6014(1966年3月4日竣工)

4次車は3両編成の構成が再度変更され、モハ6001形 (Mc) +クハ6901形 (Tc) +モハ6001形 (Mc) で編成。3次車についてもこの編成に変更することに伴い、下り方に運転台をもつ6010が改めて製造され、3次車として製造された6010は6011に改番された[4]

5次車
  • 6805・6806・6807(1966年8月31日竣工)
  • 6015-6904+6808-6016(1966年10月14日竣工)
  • 6017-6905+6809-6018(1966年10月14日竣工)

1966年(昭和41年)10月以降の新製車はMc-Tc+T+Mcの4両編成に変更されている。

6次車
  • 6019-6810-6020(1967年9月20日竣工)
  • 6021-6811-6022(1967年9月20日竣工)
  • 6023-6906+6812-6024(1967年10月18日竣工)
  • 6025-6907+6813-6026(1967年10月18日竣工)
7次車
  • 6027-6908+6814-6028(1968年3月18日竣工)
  • 6909・6910・6911(1968年9月14日竣工)
  • 6029-6912+6815-6030(1968年9月9日竣工)
  • 6031-6913+6816-6032(1968年11月1日竣工)
  • 6033-6914+6817-6034(1968年11月1日竣工)
  • 6035-6915+6818-6036(1968年11月5日竣工)
  • 6819・6820・6821(1969年7月23日竣工)

改造工事編集

クハ6901形奇数番号車の方向転換編集

1969年(昭和44年)に6000系の製造が終了したが、この時点での6000系はMc+T+T+Mcの編成が3本、Mc+Tc+T+Mcの編成が15本であった。1971年(昭和46年)に高野線で6両運転を開始するにあたり、後者の編成の形では6両を組む際に効率が悪くなることからこの編成を前者の形の4両編成と2両編成に組み替えることにした。これに合わせて、増結編成を確保するためクハ6901形の奇数番号車を1970年(昭和45年)から1973年(昭和48年)にかけて国鉄竜華操車場に依頼して方向転換を行った。製造当初はすべて下り方に運転台があったクハ6901形だが、この方向転換により奇数番号車は上り方、偶数番号車は下り方に運転台がある形となった。これにより、6000系はMc+T+T+Mcの編成が10本、Mc+T+Tc+Mcの編成が1本、Mc+TcとTc+Mcの編成が各7本ずつに再編された[5]

なお、組成変更前は以下の構成であった。

  • 6001-6801-6819-6002
  • 6003-6802-6820-6004
  • 6005-6803-6821-6006
  • 6007-6909+6804-6008
  • 6009-6901+6805-6010
  • 6011-6902+6806-6012
  • 6013-6903+6807-6014
  • 6015-6904+6808-6016
  • 6017-6905+6809-6018
  • 6019-6910+6810-6020
  • 6021-6911+6811-6022
  • 6023-6906+6812-6024
  • 6025-6907+6813-6026
  • 6027-6908+6814-6028
  • 6029-6912+6815-6030
  • 6031-6913+6816-6032
  • 6033-6914+6817-6034
  • 6035-6915+6818-6036

複線化対策工事・長編成化対策工事編集

三日市町 - 橋本間の複線化工事を実施し、完成した際に橋本駅まで20 m車を入線させることが決定したが、紀見峠を越える急勾配区間で抑速制動を使用するため、電動車に設置していた電動発電機 (MG) を隣の制御車・付随車に移し、その空いたスペースに電動車の抵抗器を増設する工事が1976年(昭和51年)から1981年(昭和56年)にかけて実施された。

長編成化により増解結の頻度が高くなったことから増解結作業の効率化を図るため、1980年(昭和55年)から1982年(昭和57年)にかけて、非冷房のままそれまでのNCB-II型密着自動連結器に代えて、CSD-90型回り子式密着連結器電気連結器とを一体化した全自動密着連結器に取り替えられた。

一部の車両では複線化対策工事と長編成化対策工事が同時に施工されている。

なお、6013F・6029F・6035Fの3編成12両には、方向幕の設置工事が複線化対策工事と同時に行われたが、電気連結器設置と同時に方向幕はあまり使用されなくなった。以後更新までは方向幕を余白状態として、他の編成と同様に方向板を掲げて運用されていた。

更新工事編集

1985年(昭和60年)より車体更新と、冷房改造を実施することになった。本系列のパイオニアIII台車では冷房を搭載した分の車重増加に対応できないため、住友金属工業製S型ミンデン台車への更新も同時に行うこととした。

施工は、初期に東急車輛で更新された一部を除き南海車両が担当している。

台車更新では、60両分の台車を新製のS型ミンデン台車(住友金属工業製FS-392C、付随台車は092A)とし、一部の付随車12両分の台車は更新後経年が浅かった10000系によって置き換えられた旧1000系廃車発生品であるM車(電動車)用だったミンデンドイツ式台車(形式:FS-355)を装着した。

この改造により、当時パイオニアIII台車だった6100系との併結は不可能になったが[注 4]、S型ミンデン台車装着の6200系との併結は可能となった。後述する6100系のS型ミンデン台車装着改造車である6300系との併結も可能である。また、パイオニアIII台車の撤去に伴い、バッド社とのライセンス契約を示すプレートが車内から外されている(これは後述の6300系も同様である)。この際、台車の問題により更新済みの編成と更新前の編成の間で併結が不可能となり、全編成の更新が完了するまでこの状況が続いた。また、T車(付随車)に関しては機器配置が変更されたため更新後はサハ6801形をサハ6601形に改番した(改番内容は#編成表を参照)。同時にラッシュ時の乗客のドアへの挟み込みに備えて、客用扉の再開閉スイッチの追加、および既に設置していた6013F・6029F・6035F以外の編成に前面と側面の方向幕設置も行われた(先行して設置した6013F・6029F・6035Fについても方向幕の使用を再開した)。

前述の方向転換後も唯一固定編成の中間に組成されていたクハ6901形6901号車はこの改造と同時に運転台を撤去し、サハ6601形6610(6009F4両編成の3号車)として現在に至っている[6]。現在は6610の乗務員室の車掌台側が立席スペースになっている。これ以外の6000系は更新時の車号改番は行われなかった。

また、更新後に検査を行ったところ、車体の腐食がほとんど見受けられなかったため、その後もVVVFインバータ制御化も検討されたが、全車が更新を終えていたため計画は立ち消えとなった。

2020年(令和2年)春ごろから高野線・泉北線内にて車内自動放送の取扱いが開始された。本形式は同年秋ごろより南海本線の7100系と同等の業務用タブレット設置台を設けることで車内自動放送に対応した。その際、乗務員室助手席側の座席を撤去し、装置を設置する改造を施している。

置き換え編集

近年増加するインバウンド需要に向けた旅客案内設備対応のため、南海は2018年(平成30年)に、新型車両を高野線に導入して本系列を順次代替する計画を公表した[7][8]。しかし、車齢が50年を越えているにもかかわらず、登場から1両も廃車や転属がなかった事例は、大手私鉄においては非常に珍しい[9]

2021年(令和3年)7月現在、6000系全72両のうち30両が廃車となっている。

大井川鐵道6000系編集

廃車となった車両のうち、6905F(6905-6016、2両編成)が2020年(令和2年)7月に大井川鐵道へ譲渡された。同月7日に6016の、同14日に、同14日に6905の載線作業が新金谷駅構外側線で行われた。保安装置の取り付け等を行い[10]2022年(令和4年)3月15日付で竣工[11]したが、同年4月現在も運用を開始していない。

2021年(令和3年)3月20日21日に開催された「SLフェスタin新金谷」にて、入線後初のお披露目が行われた[12]

編成表編集

括弧内は改番前の車号。

4両編成
← 難波
橋本 →
形式 モハ6001

(Mc1)

サハ6601

(T1)

サハ6601

(T2)

モハ6001

(Mc2)

更新修理・
冷房化改造[13]
廃車日 備考
車号 6001 6601
(6801)
6602
(6819)
6002 1986年3月31日
6003 6603
(6802)
6604
(6820)
6004 1985年7月23日 2022年2月23日[14]
6005 6605
(6803)
6606
(6821)
6006 1987年3月5日
6007 6607
(6804)
6608
(6810)
6008 1986年12月19日 2021年2月13日[15]
6009 6609
(6805)
6610
(6901)
6010 1988年7月29日 2019年12月6日[16] 中間改造車組込
6013 6611
(6806)
6612
(6807)
6014 1986年6月10日 2021年2月6日[15]
6017 6613
(6808)
6614
(6809)
6018 1988年11月4日 2019年11月8日[16]
6023 6615
(6811)
6616
(6812)
6024 1987年8月13日
6025 6617
(6813)
6618
(6814)
6026 1989年5月24日 2020年1月12日[16]
6029 6619
(6815)
6620
(6816)
6030 1987年11月12日 2022年3月26日[14]
6035 6621
(6817)
6622
(6818)
6036 1988年12月20日 2019年10月18日[16]
2両編成
←難波    橋本・和泉中央→
形式 モハ6001

(Mc1)

クハ6901

(Tc)

更新修理・
冷房化改造[13]
廃車日 備考
車号 6011 6902 1986年11月4日 2020年12月23日[15]
6015 6904 1987年3月20日 2020年12月23日[15]
6019 6910 1989年2月9日
6021 6906 1989年8月22日
6027 6908 1987年9月28日
6031 6912 1988年3月7日
6033 6914 1989年6月12日
形式 クハ6901

(Tc)

モハ6001

(Mc2)

更新修理・
冷房化改造[13]
廃車 備考
車号 6903 6012 1986年8月20日
6905 6016 1986年2月17日 2019年12月6日[16] 大井川鐵道に譲渡
6907 6028 1987年12月18日
6909 6020 1985年8月13日
6911 6022 1987年6月26日 2022年3月19日[14]
6913 6032 1988年6月15日
6915 6034 1987年6月5日 2022年3月19日[14]

運用編集

製造当初は高野線難波 - 三日市町間で使用されていたが、1984年(昭和59年)3月11日のダイヤ改正で林間田園都市駅まで20 m車が入線可能となり、また1992年(平成2年)11月10日のダイヤ改正では橋本駅まで20 m車が入線可能となったため、現在では難波 - 橋本間と泉北高速鉄道線で使用される。

2005年(平成17年)10月16日ダイヤ改正以後は運用の効率化を図るために、橋本以北では中型車の2000系ズームカー運用を減少させたこともあり、運用数が多くなっている。従来ラッシュ時に2000系で運用されていた列車を6000系列などの大型車に置き換えることで、混雑緩和が図られている。また同ダイヤ改正では乗客減のほか、全体的に20 m車両の運用の増加により車両不足となったため、昼間時の各停の一部に4両編成が十数年ぶりに復活したほか、平日朝の泉北高速鉄道線直通区間急行準急に見られる10両編成から6000系列が撤退し南海車両による10両編成列車が消滅した(泉北高速鉄道線の10両編成列車も2013年7月19日をもって消滅している)。8連の運用もどちらかというと泉北の車両で運転されることが多い。なお、各駅停車の4連運用は従来6000系・6300系に限定されていたが6200系VVVF更新車も使われるようになった。 一方で急行・区間急行はラッシュ時を中心に8連での運用が多い。各駅停車も泉北高速線内完結や、河内長野 - 橋本間で運用するものは8連で運転される列車がある。

南海では車両故障時の冗長性の確保を重視しているため、6000系の4両固定組成(編成内にMGが1台しかない)は組成単独では使用されない(かつては6200系の4両固定組成も、編成内に制御器とCPが1台しかないために単独運用、更に4両組成に別の2両組成が1編成しか併結しない場合の6両編成運用を避けていたが、4両固定組成の全車VVVF制御化でこの制限は解除された)。また千代田検車区の配線の関係で6両固定編成や4両固定編成と2両固定編成を連結するときは2両固定編成が必ず下り方になる。6000・6200・6300系は相互に連結可能なので混結は珍しくないが、組み合わせ方にはかなり制約がある。また、6000各系列(元8200系の、6200系50番台も含む)の4両組成と、6両組成には全編成、難波方から4両目となる4号車には「女性専用車」のステッカーが貼られている。このため、平日朝ラッシュの8両編成の急行と区間急行で運用される場合、4号車が「女性専用車」となる。ただし8両編成でも、準急行・各駅停車では実施していない。

1985年(昭和60年)6月16日のダイヤ改正までは汐見橋線での運用があった。また1995年(平成7年)8月31日まで橋本駅の最長編成が4両編成であったため、三日市町駅での増解結作業を行う運用も存在していた。いずれも6000系・6100系限定での運用だった。

南海本線には1960年代後半に海水浴シーズンの臨時急行で入線したことがある[17]

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈 編集

  1. ^ 初期車は6001F - 6007Fの4編成が該当する。2021年(令和3年)11月より6001号車の貫通扉窓は小型のものに交換されていたが、2022年(令和4年)1月から大型のものに再び交換されている。
  2. ^ なお、同社の鉄道事業は東急電鉄として分社化されている。
  3. ^ 1970年代半ばまでは、南海本線の高架区間は難波駅から天王寺支線との合流地点(天下茶屋駅の北側)までしかなく、地平を走行する区間がほとんどだったためである。
  4. ^ パイオニア台車と他の台車との相性の問題により、低速時の浮き上がり脱線の危険性があるため、1973年(昭和48年)に小田急電鉄4000形の脱線事故が2回発生した事を重く見た南海では、パイオニア台車装備の車両とそうでない車両の連結を禁止している。

出典編集

  1. ^ 『鉄道ピクトリアル』1963年3月号 p.32
  2. ^ 「私鉄車両めぐり」『鉄道ピクトリアル』1979年10月臨時増刊号、電気車研究会、1979年、 152 - 153頁。
  3. ^ 藤井信夫 『車両発達史シリーズ 6 南海電気鉄道 下巻』関西鉄道研究会、1998年12月、57頁。 
  4. ^ 藤井信夫 『車両発達史シリーズ 6 南海電気鉄道 下巻』関西鉄道研究会、1998年12月、57 - 58頁。 
  5. ^ 「私鉄車両めぐり」『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号、電気車研究会、1995年、 228頁。
  6. ^ 「私鉄車両めぐり」『鉄道ピクトリアル』1995年12月臨時増刊号、電気車研究会、1995年、 229頁。
  7. ^ 「南海グループ経営ビジョン2027」及び新中期経営計画「共創136計画」について (PDF) - 南海電気鉄道 2018年2月28日
  8. ^ 南海、高野線に新車両投入 訪日客を取り込み - 日本経済新聞 電子版 2018年5月18日
  9. ^ 南海電車の「さびない鉄人」地球150周 来年600万キロ達成へ - 産経新聞ニュース大阪 2015年4月11日
  10. ^ 大井川鐵道が南海6000系を購入、14系・12系客車の動向も気になる - マイナビニュース 2020年7月18日
  11. ^ 『私鉄車両編成表2022』交通新聞社、2022年、205頁。 
  12. ^ 南海6000系がお披露目! 大井川鐵道「2021 SLフェスタ in 新金谷」 - 鉄道ホビダス 2021年3月20日
  13. ^ a b c 「南海電気鉄道 車両履歴表」『鉄道ピクトリアル』2008年8月臨時増刊号、電気車研究会、2008年、 279 - 280頁。
  14. ^ a b c d 「2021年度 民営鉄道車両動向」『鉄道ピクトリアル』2022年10月号、電気車研究会、2022年、 156頁。
  15. ^ a b c d 「2020年度 民営鉄道車両動向」『鉄道ピクトリアル』2021年10月号、電気車研究会、2021年、 138頁。
  16. ^ a b c d e 「2019年度 民営鉄道車両動向」『鉄道ピクトリアル』2020年10月号、電気車研究会、2020年、 156 - 157頁。
  17. ^ 藤井信夫 『車両発達史シリーズ 6 南海電気鉄道 下巻』関西鉄道研究会、1998年12月、67頁。 

関連項目編集