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画像提供依頼:写真・デザイン図の画像提供をお願いします。2017年11月

591系電車(591けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1970年(昭和45年)に試作した高速試験用の交流直流両用電車である。

曲線区間の高速化を目指し、自然振り子式車体傾斜車両試験車として製作されたものである。営業用に準じた形式称号を称するが、純然たる試験車であり、営業運転に使用されたことはない。

目次

製造の背景編集

国鉄では在来線特急列車のスピードアップを図り[注釈 1]、コロなどで支えた車体を遠心力により傾斜させる自然振り子式を用いた車両の研究開発を進め、その試作車として川崎重工業により製造された。

当初、新幹線網完成までの在来線における超特急、特に東北本線上野駅 - 仙台駅間への投入が主目的に開発されていたため[1]、低重心が求められる自然振り子式車両であるが、交直流電車として製造された。

構造編集

製造当時の構造編集

低重心化と軽量化のため車体をアルミニウム合金製とした3車体4台車の連接構造で、形式はクモハ591形と称し、Mc1 - M2 - Mc3の3車体で1両という扱いであった(形式称号はM2に標記)。

車体長は両端の先頭車が14,150mm、中間車が10,500mm、全長は44,900mmであった。振り子構造が乗務員に与える影響を比較検討するため前面形状は両端で全く異なり、一端 (Mc1) のデザインは後の201系205系に類似した[注釈 2](ただし窓周りは黒色処理されていない)前面非貫通の異型2枚窓低運転台で、もう一端 (Mc3) は当時の583系に似た非貫通の高運転台(愛称表示器部が凸となっており多少流線型をしている)といった構造であった。

なお愛称表示器の表示は「振子車 クモハ591」「高速 クモハ591」「曲線高速」「試運転 川崎重工」などいくつかの種類があった。

走行に必要な機器は後述するようにMc1・Mc3の床下に集約搭載されており、中間のM2には便所が設置され、同車体の床下には冷房機、汚物処理装置、水タンクが搭載された。

台車は、いずれも動力台車とされ、Mc1の運転台側がDT94、Mc3の運転台側がDT95、中間の連接台車がDT96と称した。これらの台車は軌道への横圧軽減対策として移動心皿方式と自己操舵方式の二種が、曲線での乗心地改善のための車体傾斜機構にはリンク式とコロ式が採用されている。DT94は横圧軽減対策として移動心皿方式を採用し、油圧リンクにより遠心力を分散する方式で、車体傾斜機構はリンク式である。これに対しDT95は横圧軽減対策はDT94と同様の移動心皿方式であるものの、中心ピンを抜いて移動させる方式で、車体傾斜機構はコロ式でコロへの荷重を減らしてスムーズに作動させるための特殊な空気バネによっても車体を支える方式である。また連接台車のDT96は、横圧軽減対策としてZリンクを介して車体の変移を台車に伝え、車軸を転向させる自己操舵方式を採用しており、この機構こそは本系列で連接構造が採用された主因であった。なお、車体傾斜機構はDT95と同じコロ式である。レール面上からの振り子中心高さは2,100mm、車体の最大傾斜角は6°とした。

制御器は二種が併用された。力行時に抵抗制御のみを行うCS42がMc3に、力行時に抵抗制御を行うのはCS42と同様であるが高速制御時と制動時にサイリスタによるチョッパ制御(界磁チョッパ制御)を行うCS41がMc1に搭載されている。主変圧器は容量1,155kVAのTM19、主整流器はシリコン整流器のRS40でMc3に搭載された。

また制御器に合わせて主電動機も二種が併用され、CS42にはMT59X直流直巻電動機4基がDT95とM2-Mc3間のDT96に、CS41にはMT58X直流複巻電動機4基がDT94とMc1-M2間のDT96に、それぞれ装架された。駆動装置は中空軸平行カルダン駆動で歯数比は共通で4.05となっており、電動機定格回転数は2,385rpm、公称定格速度は95.4㎞/hと高速運転を重視した特性である。

ブレーキ方式は発電ブレーキを常用することとされ、CS42とMT59Xの組合せでは、4基の電動機をそれぞれ独立した主抵抗器につなぎ、4群の発電ブレーキ回路を構成している。そのため、1基の電動機で滑走が発生しても電流の低下を検知して個別に再粘着可能であった。これに対し、CS41とMT58Xの組合せでは、界磁チョッパ制御により発電ブレーキを作動させるため、再粘着制御は界磁電流を絞り込むことにより行なわれる。本系列は交直流電車であり、交流区間での電力回生ブレーキ構成には複雑な回路付加が必要であったため、自重増大を嫌って電力回生ブレーキの搭載が見送られている。また発電ブレーキ常用を前提として設計されたため、空気ブレーキは補助的なものとされ、機器の軽量化を目的として機関車客車貨車が採用するのと同系のCLE電磁自動空気ブレーキが採用された。キハ181系気動車と同じ方式である。

パンタグラフは、下枠交差式のPS905がM2とMc3に装備されたが、M2のものは自然振り子作用時に、車体の傾きによる位置・姿勢の変化をキャンセルし、空気圧により機械的に軌道の直上に保持する機構が備えられている。この時点でMc3の固定方式でも問題はないと考えられていたが、比較のために両方式が採用されたものである。

冷房装置はMc1・Mc3の床下にAU33Xが、M2の床下にAU34Xがそれぞれ搭載された。

塗装は当時の特急形電車と同様に、クリーム4号地に窓周りを色(赤2号)とされた。Mc3の塗装は後に登場した183系485系の高運転台型でも採用された。Mc1は前面にまで赤帯が巻かれている。営業運転に供する車両ではないが、側部には電動式の行先表示器が設置され、室内の一部には軽合金製の簡易リクライニングシート(R50)が設置されていた。

2両固定編成への改造編集

試験の結果、中間のDT96の操舵装置を作動させた場合に、先頭台車の横圧を増加させる不具合が見つかり、また操舵装置による顕著な効果も表れなかった[2]ため、操舵台車の試験が中止されることとなった。そのため連接構造を採用する意義がなくなり、1971年に通常のボギー構造の2両固定編成への改造が郡山工場で施工された。改造内容は中間車体(M2)を外し、連接部に装着されていたDT96を自己操舵機構の撤去の上で両端車体(Mc1・Mc3)の旧連接台車心皿位置[注釈 3]に1基ずつ装着し、同時にMc1・Mc3の連結面寄りに長さ3,175mmの普通鋼製車体を外側から鋼板を当ててボルト止めで接合[注釈 4]して車体を延長、搭載機器を再編の上でMM'ユニット化するというものであった。これにより、連接車3両編成から車体長19,775mmのボギー車2両編成となった。

この改造により、低運転台車 (Mc1) がクモハ591形 (Mc) 、高運転台車 (Mc3) がクモハ590形 (M'c) となった。

試験編集

落成後は1970年(昭和45年)3月27日に公式試運転を実施し、仙台運転所に配置された[1]

その後は東北本線で試験を実施し[1]、前述の自己操舵台車を除いて良好な試験結果を得た。しかし、1971年(昭和46年)に東北新幹線の建設が決定したこともあって、その後は奥羽本線羽越本線、さらには鹿児島本線等を転々とすることになる。

最終的に、1973年(昭和48年)の電化が決定された中央本線塩尻駅 - 名古屋駅間の通称・中央西線)・篠ノ井線に車体傾斜式の量産車を投入するため、長野運転所に転属して信越本線で試験を続けることとなった。そして本系列における試験結果を反映し、1973年に日本初の営業用車体傾斜車両(自然振り子式)である381系が実用化されることとなる。しかし、本系列で良好な結果を得た4系統独立発電ブレーキ制御は、効果を十分に発揮するためには全電動車方式が要求され、変電所の増強などコスト面で過大となること、複巻電動機を使用した界磁チョッパ制御は回路が複雑であることから、いずれの方式も実用化は見送られ、最高運転速度130km/hでの営業運転も放棄された。パンタグラフの移動機構や、移動心皿方式台車の採用も見送られている。結局、本系列で試験された本体機構のうち、381系に反映されたのはコロ式の振り子装置程度であったが、むしろ車内に少数設置された簡易リクライニングシートの方が、381系をはじめその後の国鉄特急形車両に多数導入される結果となった。

国鉄では、キハ391系で明らかとなった問題点を解決し、より実車に近い試験を実施するために本系列をガスタービン試験車に改造することを計画した。1973年のプランでは、クモハ591-1の床下に川崎重工業KGR1400 (1,100ps/19,000rpm) ガスタービンを搭載し、床上に電源装置、機関冷却装置を取り付ける計画で、駆動機関は機械式であった。1975年には、クモハ590-1を電気式ガスタービン車に改造する提案がなされ、ホバークラフト用の川崎重工業KTF25B (1,730PS/14,500rpm) を床上に搭載し、1977年(昭和52年)までに完成させる予定であったが、いずれの案も実現には至らなかった。

試験終了後は長い間岡谷駅構内に留置されていたが、1980年(昭和55年)3月26日付で廃車され、車体はキハ391系のように保存されることもなく同年秋頃に長野工場で2両とも解体された。なお、DT96のうち1台は解体を免れ、大阪市港区交通科学博物館で展示されていたが、同館の閉館後の行方は不明。

量産化の構想編集

前述のように本系列としての量産は実現しなかったが、国鉄の島隆が示した量産化された場合の編成は、試作車のような3車体の連節車を複数ユニット連結し、これにボギー車の食堂車1両を加えて1編成とする構想となっていた[1]

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 当時、日本における車体傾斜車両は小田急電鉄三菱電機強制車体傾斜式車両を試験した前例があったが、実用化に至らなかった。
  2. ^ 実際に、左右非対称のデザインが201系に取り入れられている。
  3. ^ このため2両とも台車心皿中心間隔は改造後も連接車時代と同じ14,130mmのまま変更されていない。
  4. ^ 改造当時の技術ではアルミ合金製車体の溶接による切り継ぎが難しく、この手法が選択された。なお、この手法は本系列の量産系列にあたり同様にアルミ合金製車体を採用する381系でもグリーン車の先頭車化改造の際に利用されている。

出典編集

  1. ^ a b c d 島隆 (1970年7月). “高速試験電車クモハ591の完成と今後の進め方” (PDF). JREA (日本鉄道技術協会) 13 (7): pp.19-22 .
  2. ^ 江田和孝 (1972年3月). “振子電車クモハ591のその後” (PDF). JREA (日本鉄道技術協会) 15 (3): pp.32-37 .

参考文献編集