港区 (大阪市)

大阪市24行政区のひとつ
みなとく
港区
Osaka Seven-Seas-Mariner02n3200.jpg
海遊館に隣接する、天保山岸壁と天保山大観覧車
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
団体コード 27107-1
面積 7.86km²
総人口 81,551
推計人口、2016年10月1日)
人口密度 10,380人/km²
隣接自治体
隣接行政区
大阪市此花区西区大正区
住之江区
区の花 ヒマワリサクラ
港区役所
所在地 552-8510
大阪府大阪市港区市岡一丁目15番25号
北緯34度39分50.1秒東経135度27分38.5秒座標: 北緯34度39分50.1秒 東経135度27分38.5秒
Minato ward-office (Osaka).jpg
外部リンク 港区

港区 (大阪市)位置図

 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト
世界最大級の水族館である海遊館
弁天町駅周辺の200m級の超高層ビル群

港区(みなとく)は、大阪市を構成する24区のうちのひとつ。

目次

隣接している区編集

歴史編集

かつては淀川河口の三角州、難波八十島(なにわのやそしま)と形容された無数の小島の一画にあたる。江戸時代になると、当区域には下記の10新田が開発された(人名は開発者)。

  • 市岡新田 - 1698年元禄11年)、市岡与左衛門。
  • 湊屋新田 - 1754年宝暦4年)、湊屋吉左衛門、加賀屋甚兵衛。
  • 木屋新田 - 1757年(宝暦7年)、木屋弥平治。
  • 池山新田 - 1758年(宝暦8年)、池山新兵衛。
  • 石田新田 - 1764年明和元年)、石田三右衛門。
  • 田中新田 - 1776年安永5年)、田中又兵衛。
  • 八幡屋新田 - 1829年文政12年)、八幡屋忠兵衛。
  • 福崎新田 - 1829年(文政12年)、福崎孫四郎。1853年嘉永6年)、北福崎新田に改称。
  • 池田新田 - 1829年(文政12年)、池田正七。
  • 柴屋新田 - 1844年弘化元年)、柴屋弥四郎。1853年(嘉永6年)、南福崎新田に改称。

上記の他、安治川南岸の市街地である安治川南(のち安治川通南、南安治川通に改称)の西部も当区域に含まれていた。安治川南の所属は江戸時代には大坂天満組1869年明治2年)から大阪北大組となり、以降は北区だったが、1925年大正14年)から港区となった。

1871年(明治4年)には天保山付近に西成郡天保町が成立。1889年(明治22年)の町村制施行においては天保町は単独施行、10新田は現在の大正区西成区域に含まれている1町13新田と合併して西成郡川南村となったが、役場は天保町・川南村合同のもので、市岡新田に置かれた。

1897年(明治30年)の大阪市第一次市域拡張によって区域は全域大阪市へ編入され、同年天保山周辺において大阪港の本格的な修築(近代化)も始まった。大阪港は紆余曲折の末昭和初期に完成、港の周辺や港へ伸びる築港大道路(現・みなと通)および大阪市電築港線沿線は新興市街地・工業地帯として栄え、市岡パラダイスなどの遊園地や大阪市立運動場など多くのレジャー施設も誕生した。

港区は戦前は大阪市でも最も多い人口を抱えていたが、大阪大空襲でもっとも被害の大きな地域にもなった。戦後は地下鉄中央線や国鉄大阪環状線が通り便利になった。大阪港はその中枢機能を天保山から南港(咲洲)などに移したが、天保山周辺はウォーターフロント開発で海遊館などが誕生しレジャー地区に変貌しつつある。

町名編集

 
天保山西岸壁から眺める夕日
(左手奥に南港、左手前に中央突堤、右手に北港が見える)

マスメディア編集

交通編集

鉄道編集

 
JR弁天町駅

  JR西日本

大阪環状線
  •  弁天町駅

  大阪市営地下鉄

  中央線

バス編集

一般路線バス
空港リムジンバス
高速バス

道路編集

 
港大橋
都市高速
元有料道路
一般国道
 
みなと通(港区役所付近より東を眺める)
主要地方道
一般府道

公営渡船編集

歩行者および自転車専用で、無料。

  • 安治川
    • 天保山渡 港区築港三丁目 - 此花区桜島三丁目 日中30分毎。
  • 尻無川
    • 甚兵衛渡 大正区泉尾七丁目 - 港区福崎一丁目 日中15分毎。

教育編集

名所・旧跡・観光スポット・施設編集

 
天保山公園
 
天保山マーケットプレース
築港エリア
朝潮橋エリア
弁天町エリア

出身有名人編集

ゆかりの人物編集

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集