大澤哲三

日本の映画美術監督

大澤 哲三おおさわ てつぞう1946年昭和21年〉[出典 1]11月26日[出典 2] - 2010年10月10日[出典 3])は、日本映画の特殊美術監督[3]。最終所属はマーブリング・ファインアーツ日本映画美術監督協会会員[8]多摩芸術学園芸能美術科中退[5]大沢哲三名義で活動していたこともある[2][9]

経歴 編集

中華人民共和国北京市にミシン工場を経営している父親の次男として生まれる[2]。終戦後、ギリギリのタイミングで復員船に乗り込み母親の実家の大阪府大阪市に移り住む[2]。プロフィールでは大阪出身と記述している[出典 4]

1967年春に円谷プロダクションと契約し、操演助手として『快獣ブースカ』を担当[7][3]成田亨池谷仙克に師事し、『ウルトラセブン』で特撮美術助手、『怪奇大作戦』では美術助手(本編と特撮を兼任)を務める[出典 5]1971年、助手として参加していた『帰ってきたウルトラマン』の第18・19話の特殊美術を一時的に現場を離脱した高橋昭彦に代わって手掛けた後、『ミラーマン』で特殊美術デザイナーに昇格[出典 6][注釈 1]。1974年の『ウルトラマンレオ』では怪獣デザインのほとんどを手掛けた[7][注釈 2]

創立時のコダイグループ(現:株式会社コダイ)にも参加しており、実相寺昭雄の監督作品の『無常』(1970年ATG)『曼荼羅』(1971年、ATG)で美術助手を担当していた[11]

1975年、フリーとなる[1]。1970年代後半からは『ミラーマン』などの円谷作品で一緒に仕事をした矢島信男の誘いで矢島の主催する特撮研究所の中心的な美術スタッフになり[2]、1980年代半ばまでのほとんどの特撮研究所の作品[注釈 3]に特撮美術デザイナーとして参加[10][3]

その後、美術制作会社マーブリング・ファインアーツに入社[出典 7]。『帝都物語』『ガンヘッド』などを手がけたのち、平成ゴジラシリーズ(vsシリーズ)の『ゴジラvsビオランテ』から『ゴジラvsデストロイア』の全作品、平成モスラ三部作に特撮美術のチーフデザイナーとして参加した[出典 8]

その後はウルトラシリーズ劇場版や超星神シリーズなどの東宝作品で活動[12][3]

2010年10月10日、死去。63歳没。劇場作品『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』が遺作となり[13][7][3]、スタッフロールの後に、追悼のテロップが表示された。特撮雑誌『宇宙船』vol.131にて追悼特集が組まれ、多くの関係者が大澤を悼むコメントを寄せている[14]

作風 編集

大澤はカメラのアングル上の死角になる部分の特撮セットのミニチュアを省略することで効率化することを得意としていた[2][12]。この大澤の手法は、矢島信男の合理的な撮影方法に影響されたものである[15]。この手法は「(大澤の)飾りこみのマジック」と評されることもあった[16]。『ウルトラマン』などを手掛けた成田亨のパースがディフォルメしたものであるのに対し、自身の手法は「立体のコラージュ」と称している[17]。あるいは円谷英二の時代が「作る美術」だったのに対し、自身の考え方は「飾りの美術」であるとしている[17]

アクマイザー3』(1975年)では、ベニヤ板に乗せた寒天カポック製の氷山で大海原を表現し、プロデューサーを驚かせたという逸話もある[17]

特技監督の川北紘一は、大澤についてバランス感覚に長けたデザイナーであったと評しており、セットの省略のほか、ロングショットで距離感を感じさせるパースや、セットの小ささを感じさせない格納庫のこだわりなども特徴であると述べている[10]

大澤が手がけた時期の平成ゴジラシリーズ(vsシリーズ)の内容は登場怪獣やメカが多く、怪獣も多数の場所に出現するという盛りだくさんな内容であったが、前述の大澤の手法によってこそ、こうした内容の映像化が可能だったとする関係者の証言がある[18]。大澤自身は、平成ゴジラシリーズを手掛けた川北組では設計段階で予算の話がついて完璧に納得して始まるということはなく、見切り発車で始めることがほとんどであったといい、通常の映画美術はクランクインするころには設計やデザインを終えているところが、川北組ではクランクインしてからが大変であったと述べている[19]

ミニチュアとCGとの違いについて、想定外の壊れ方をするかどうかであるといい、CGは人が頭の中で考えた画にしかならないのに対し、様々な要因で異なる画が撮れるところにミニチュア特撮の面白さがあると語っている[4]

主な参加作品 編集

テレビ 編集

本編 編集

特殊技術 編集

映画 編集

本編 編集

本編・特撮兼任 編集

特殊技術 編集

キャラクター・メカデザイン 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 資料によっては、『帰ってきたウルトラマン』を特殊美術デザイナーとしてのデビュー作としている[2]
  2. ^ a b 一部のデザイン画には「かんの」というサインが記されていることから本編美術の菅野幸光によるものとされていたが、一部書籍で菅野は怪獣デザインには携わっていないとしており、大澤の助手を務めた木目憲悟は絵のタッチなどからそのいくつかは大澤によるものであると証言している[7][3]。また、「かんの」というサインが入っているものの、大澤によるものではないものもあったという[3]
  3. ^ スーパー戦隊シリーズメタルヒーローシリーズ、『宇宙からのメッセージ』『里見八犬伝』など。
  4. ^ ノンクレジット。
  5. ^ 本編美術も兼任。
  6. ^ 第41話に登場する怪獣テロリンガのデザインは、書籍『ミラーマン大全』のインタビューにて大澤哲三が自身の手によるものと発言しており[20]、これが通説とされていたが[21]米谷佳晃は自著の中で自身が手掛けたものとしておりデザイン画や詳細な解説も掲載している[22][7][3]
  7. ^ 『ミラーマン大全』のインタビューでは、テロリンガ以外に各話に登場するインベーダーの宇宙船と第10話の重力マシン、第15話のジャバラ、第18話のアロザのデザインを手がけたと発言している[20]が、アロザはテロリンガと同様に米谷の担当によるものである[3]
  8. ^ 書籍『大人のウルトラマン大図鑑 第二期ウルトラマンシリーズ編』では第41話と第42話に登場するババラスとオネストキングは大澤によるものと記載しているが[21]、米谷は自著の中でラフ画を提示したものとしており、現存するデザイン画は当時の美術スタッフが米谷のラフ画を彩色加工したものと述べている[24][3]
  9. ^ a b c d e デザイン画が掲載[26]

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ゴジラ大百科 1990, p. 100, 「ゴジラ・スタッフ名鑑」、最新ゴジラ大百科 1991, p. 97, 「ゴジラスタッフ名鑑」
  2. ^ a b c d e f g h i 平成ゴジラ大全 2003, pp. 104–105, 「破之壱『ゴジラVSビオランテ』 特殊美術・大沢哲三」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 豪怪奔放 2021, p. 122, 「第1章 ウルトラマン 1971-1974 検証:栄光の怪獣王国、狂乱のデザイン史―ウルトラマン第二期 編― 07 ウルトラマン第二期シリーズ終焉で王道に回帰した、大澤哲三の仕事とその流儀 DESIGNER 大澤哲三」
  4. ^ a b c d e f 平成ゴジラクロニクル 2009, pp. 242–243, 「第7章 平成ゴジラシリーズを作った男たち 大澤哲三」
  5. ^ a b DVD『シルバー仮面フォトニクル2』 2015年12月18日発売 発売元-デジタルウルトラプロジェクト DUPJ-137 pp.84-85 「コダイグループ資料冊子」
  6. ^ マーブリング・ファインアーツ お知らせ(2011年1月4日時点のアーカイブ
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 鶯谷五郎「70's円谷怪獣リスペクト検証 栄光の怪獣王国、狂乱のデザイン史 [第13回]第二期ウルトラマンシリーズの終焉で王道に回帰 簡にして要を得るデザインに滲む大澤哲三の流儀」『宇宙船』vol.166(AUTUMN 2019.秋)、ホビージャパン、2019年10月1日、82-84頁、ISBN 978-4-7986-2032-9 
  8. ^ 「大決戦!超ウルトラ8兄弟」公式サイト:スタッフ(美術監督 大澤哲三)
  9. ^ 豪怪奔放 2021, p. 127, 「第2章 銀河連邦 1971-1973 ミラーマン」.
  10. ^ a b c d 平成ゴジラパーフェクション 2012, p. 103, 「平成ゴジラの特撮1 特殊美術」
  11. ^ 宇宙船 2011, p. 126, 「〔追悼〕美術監督・大澤哲三さん」
  12. ^ a b 平成ゴジラパーフェクション 2012, p. 150, 「平成ゴジラバーニング・コラム NO.014 追悼・平成ゴジラの特撮を支えたスタッフたち」
  13. ^ 『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』劇場パンフレットより。
  14. ^ 宇宙船 2011, p. 126-129, 「〔追悼〕美術監督・大澤哲三さん」
  15. ^ 大全 2004, p. 270.
  16. ^ 大全 2004, p. 61.
  17. ^ a b c 平成ゴジラ大全 2003, pp. 190–191, 「破之参 『ゴジラVSモスラ』 どう作るかではなく、どう飾るか」
  18. ^ 宇宙船 2011, p. 129, 「〔追悼〕美術監督・大澤哲三さん」
  19. ^ 東宝SF特撮映画シリーズ7 1993, pp. 137–143, 「特撮スタッフ座談会」
  20. ^ a b 大全 2004, p. 269.
  21. ^ a b 大人の 2014, p. 108.
  22. ^ 米谷佳晃 2014, pp. 9、68.
  23. ^ 大全 2004, p. 136.
  24. ^ 米谷佳晃 2014, p. 3.
  25. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj 豪怪奔放 2021, pp. 82–103, 「第1章 ウルトラマン 1971-1974 ウルトラマンレオ」
  26. ^ てれびくん編集部 編「怪獣造型」『ウルトラ戦士特撮大全集』小学館〈てれびくんデラックス〉、1989年11月10日、41頁。ISBN 4-09-101421-6 
  27. ^ a b 『ウルトラマンレオ LD-BOX』解説書にデザイン画が掲載
  28. ^ 平成ゴジラクロニクル 2009, p. 29, 「第1章 すべては、ここから始まった 1989 ゴジラvsビオランテ デザインワークス」

出典(リンク) 編集

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集