旦 雄二(だん ゆうじ、1952年3月24日 - )は、日本の映画監督脚本家CMディレクター映像クリエイターである。日本映画監督協会会員[1]。 『城戸賞』『ACC賞』『経産省HVC賞』受賞。別名・檀 雄二。大阪府大阪市出身。武蔵野美術大学卒業。

だん ゆうじ
旦 雄二
別名義 檀 雄二
生年月日 (1952-03-24) 1952年3月24日(72歳)
出生地 日本の旗 日本 大阪府大阪市
職業 映画監督
脚本家
CMディレクター
映像クリエイター
ジャンル 映画CM
活動期間 1975年 - 現今
公式サイト https://ameblo.jp/danchan55/
 
受賞
城戸賞
1985年助監督
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経歴 編集

大阪府大阪市生まれ。桃山学院高等学校武蔵野美術大学(美術デザイン専攻)を卒業[2]1975年昭和50年)よりフリーの映画助監督として渡辺護山本晋也中村幻児らにつく。見習いサードからセカンドを経てチーフを歴任。

1978年昭和53年)からCMに従事[3]。CMプロダクション「HAT Inc.(旧CAP)」にて制作、プロダクション・マネージャー、アシスタント・プロデューサー、CMプランナー、アシスタント・ディレクターを担当。岩本力、里見征武、屋宜博の各ディレクターに師事。先輩社員で兄弟子の市川準からCM企画と画コンテを学んだ。

1981年昭和56年)市川準・旦雄二・屋宜博の共同事務所を設立。CM企画演出事務所「BEER」のCMディレクターを務める。のちに市川準 脱退後、1986年(昭和61年)解散。

1985年(昭和60年)脚本助監督』で第11回城戸賞入選[4]

1980年代の終わりから1990年代初頭にかけてテレビCM以外の仕事も相次ぐ。映像メディア全般にわたり幅広く脚本・監督活動を展開した。

現在、東放学園映画専門学校にて演出・編集 概論、卒業制作指導、特別ゲスト講座プログラミング(編成・招聘・運営進行)および、東放学園専門学校にてCM基礎研究講座の講師を務める[5]日本映画監督協会会員[6]

人物 編集

  • 桃山学院高等学校(男子校時代)生徒自治会長を務めた(1967年~68年)。
  • 短編映画コンクール審査員を務める[7]
  • 映画シンポジウムにも登壇。

受賞 編集

  • 第11回『城戸賞』(入選) - オリジナルシナリオ『助監督』にて。主催・日本映画製作者連盟 城戸賞選考委員会
  • ACC賞』(奨励賞) - 河合塾CM『デニス・ストック ジェームズ・ディーンを撮った男』にて。主催・ACC 全日本シーエム放送連盟
  • 『経産省HVC賞(特別賞)』 - ドキュメンタリー『烈 ~津軽三味線師・高橋竹山~』にて。主催・経済産業省 HVC ハイビジョン普及支援センター

作品 編集

映画 編集

  • 『少年』(最終完成版2014年) - 企画・製作・プロデューサー・原案・脚本・監督・編集
    • 第1回監督作品[8]
    • 『ドイツ・フランクフルト ニッポン コネクション映画祭』正式招待・正式上映
    • 『スペイン・バルセロナ バルセロナ・アジア 映画祭』正式招待・特別上映
  • 『友よ、また逢おう』 - 監督・脚本

Vシネマ 編集

テレビCM 編集

全作品、企画・演出を担当

ほか多数

テレビ番組 編集

  • ドキュメンタリー『寺山修司は生きている』(NHK-BSBS-TBS放送/製作:東北新社) - 脚本監督
    • 三沢市寺山修司記念館 開館記念特別映像作品
  • ドキュメンタリー『烈~津軽三味線師・高橋竹山~』(NHK-BS放送/製作:東北新社) - 脚本監督 ※語り:檀ふみ

アイドルビデオ 編集

ミュージックビデオ 編集

ゲーム 編集

  • シミュレーション・ゲーム『バーチャルカメラマン』シリーズ - 監督
  • シミュレーション・ゲーム『バーチャフォトスタジオ』 - 監督

その他 編集

  • 大型映像『あるがままに ~The world as it is~』 - 脚本・監督
  • PR映画『高島忠夫の 危険がいっぱい』 - 脚本・監督

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集