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明治大学和泉キャンパス

明治大学和泉キャンパス(めいじだいがくいずみキャンパス)とは、東京都杉並区永福にある明治大学のキャンパスである。

使用学部編集

法学部・商学部政治経済学部文学部・経営学部・情報コミュニケーション学部の1、2年生

歴史編集

明治大学では1923年関東大震災駿河台校舎が全焼したことから、狭隘な駿河台を離れて郊外に移転すべきだとの提案があり、理事会は小平移転を一度は決定したが、商議員会や校友会などから異論が噴出して移転断念となった。

 
和泉予科校舎絵図

その後、駿河台では記念館などの再建が進んだものの、教室の狭小問題が根本的に解決されたわけではなかったため、1930年(昭和5年)1月28日の商議員会で予科校舎の和田堀町和泉新田旧火薬庫跡地への移転を決定した[1]。同地は江戸時代から武庫司所管の「御焔硝蔵」があった場所で、維新後も陸軍省の「火薬庫敷地」として利用されていた。なお、同地の買収の際に京王電気軌道社長井上篤太郎(明大校友)の尽力があったことが知られており、1935年(昭和10年)には予科校舎の最寄り駅として明大前駅が開業している。

買収後は「和泉綜合グラウンド」として先行使用され、野球部の合宿所も駒沢から移転した。1934年(昭和9年)3月24日に予科校舎が竣工、翌月の新学期から予科の授業は始まった。その後、1939年(昭和14年)までに武道場、講堂、図書館も順次整備されていったが、戦時中には軍の徴用によって予科は再び駿河台校舎に移転することになり、1945年(昭和20年)の空襲では駿河台よりも甚大な被害を受けるという苦難にも見舞われた。

戦後は文系5学部(法・商・政経・文・経営)教養課程のキャンパスとなり、平成期に入ると新たに情報コミュニケーション学部と国際日本学部の全学年がこの地で学ぶこととなったが、中野キャンパスの開設(2013年)により国際日本学部の全学年と情報コミュニケーション学部の3、4年生は和泉を離れ、現在に至る。

年表編集

 
和泉予科校舎(1934年竣工)
 
和泉第1校舎(1988年竣工)
 
現在の和泉図書館
  • 1923年 - 関東大震災駿河台校舎が壊滅
  • 1924年 - 小平移転問題紛糾(~25年)
  • 1930年 - 和田堀町和泉新田旧火薬庫跡地を購入、和泉綜合グラウンド開設
  • 1934年 - 予科校舎竣工、「予科移転祭兼体育デー」を開催(今日の明大祭の源流)
  • 1935年 - 予科武道場(揖譲館)竣工
  • 1939年 - 予科講堂および図書館竣工
  • 1944年 - 予科校舎が東京師団経理部に徴用され、予科は駿河台に移転
  • 1945年 - 空襲により予科講堂など全焼
  • 1946年 - 予科校舎の徴用終了
  • 1951年 - 和泉第1校舎を3階建てから4階建てに増築
  • 1952年 - 法・商・政経各学部の1、2年生が和泉に移転
  • 1955年 - 和泉体育館竣工
  • 1960年 - 文・経営各学部の1、2年生が和泉に移転、和泉第2校舎および学生会館竣工、安田火災グラウンドを借用(1964年に購入)
  • 1961年 - 野球部合宿所が調布に移転
  • 1965年 - 和泉第3校舎竣工
  • 1967年 - 和泉第2学生会館竣工
  • 1982年 - 和泉厚生会館竣工
  • 1985年 - 和泉第2研究棟およびリエゾン棟竣工、和泉校舎創設50周年記念式典を挙行
  • 1987年 - 和泉図書館増築竣工
  • 1988年 - 和泉第1校舎竣工
  • 1993年 - 新第1学生会館(学生食堂、和泉の杜)竣工
  • 1996年 - 和泉総合体育館西棟竣工
  • 2004年 - 情報コミュニケーション学部設置
  • 2005年 - メディア棟竣工
  • 2008年 - 国際日本学部設置
  • 2009年 - 和泉インターナショナルハウス竣工
  • 2010年 - 和泉総合体育館東棟竣工
  • 2012年 - 和泉新図書館竣工
  • 2013年 - 国際日本学部が中野キャンパスに移転

施設編集

  • 第1校舎 - 1988年竣工、地下1階、地上5階建て
  • 第2校舎 - 1960年竣工、堀口捨己設計、地上3階(一部4階)建て。8つの大教室がある
  • 第3校舎 - 1965年竣工、地上4階建て、小教室中心で、主に語学などに使用された
  • 第4校舎(体育館) - 1955年竣工、堀口捨己設計、地上3階建て
  • メディア棟 - 2005年竣工、地下1階・地上7階建て[2]
  • リエゾン棟 - 1985年竣工、地上3階建て
  • 和泉図書館 - 現在の図書館は2012年5月に開館した地上4階建てで、1,200の閲覧席に加えて共同閲覧室、グループ学習室、各種講座用ホールやギャラリー、カフェなどを併設。
  • 第1学生会館 - 明大マート
  • 第2学生会館 - 1967年竣工、堀口捨己設計、通称新学館
  • 厚生会館 - 1982年竣工、通称新々学館
  • 総合体育館
    • 西棟 - 1996年竣工、メインホール・サブホール・卓球場・フィットネスルーム・室内プール・クライミングウォール・講義室・更衣室等を設置
    • 東棟 - 2010年竣工、多目的スポーツルーム・ゴルフ練習場・ラウンジ・ミーティングルーム・更衣室を設置
  • 和泉の杜(学生食堂) - 1993年竣工、地上3階建て[3]
  • 創造の泉 - 中庭の泉を中心にして通路が放射状に広がっている。
  • 研究棟 - 1972年竣工、地上3階建て
  • 第2研究棟 - 1985年竣工、地上2階建て
  • 創立者レリーフ - 創立130周年記念事業の一環として、2012年に設置[4]
  • 和泉インターナショナルハウス - 2009年3月竣工、地上3階建て、留学生および招聘研究者用宿舎[5]
  • グラウンド - 1964年に安田火災海上保険グラウンドを購入。なお戦時中に同グラウンドを軍事教練用に借用したこともあった[6]

アクセス編集

和泉球場編集

1930年(昭和5年)から1960年(昭和35年)まで存在した明治大学硬式野球部のグラウンド。1937年(昭和12年)春から1938年(昭和13年)秋までの六大学リーグ4連覇、「秋山・土井時代」と呼ばれる黄金期は和泉時代の出来事である。また、戦後まもなく神宮球場が占領軍に接収されていた時期には東京六大学野球の公式戦が和泉球場で行われたこともある[8]

  • 明法2回戦(1947年5月10日、明2-0法)
  • 慶立決勝戦(1948年5月1日、慶1-2立)
  • 法立1回戦(1948年5月22日、法0-1立)
  • 慶東決勝戦(1948年10月12日、慶1-0東)

明大祭編集

明大予科の和泉移転を記念して、1934年11月1日から5日間にわたって行われた「予科移転祭兼体育デー」を起源とし[9]、戦前は「予科祭」、戦後は「和泉祭」の名で慣例化されていた。

脚注編集

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  1. ^ 明治大学五十年史』 1931年、48-49頁
  2. ^ 明治大学 和泉メディア棟 2019年3月21日閲覧
  3. ^ 2.作品紹介 明治大学和泉新第一学生会館 2019年3月21日閲覧
  4. ^ 和泉キャンパスに創立者肖像 レリーフ記念碑を設置|明治大学
  5. ^ 明治大学和泉インターナショナルハウス 2019年4月14日閲覧
  6. ^ 『明治大学百年史』 第二巻、778-779頁
  7. ^ 明治大学和泉キャンパス アクセスマップ
  8. ^ 『激動の昭和スポーツ史 6 大学野球』 ベースボール・マガジン社、1989年、70-73頁
  9. ^ 『図録明治大学百年』 124頁

参考文献編集

  • 明治大学 『図録明治大学百年』 1980年
  • 明治大学百年史編纂委員会 『明治大学百年史』 全4冊、1986-1994年

関連項目編集

外部リンク編集