稲葉通彦
稲葉 通彦(いなば みちひこ、1899年(明治32年)8月20日 - 1970年(昭和45年)4月16日[1])は、日本の実業家。鉄道建設興業(現在の鉄建建設)元社長[2]。
鉄道建設業協会(現在の日本建設業連合会)元会長[2]。勲四等旭日小綬章受章者。弾丸列車計画に主任技師として任命され、計画のまとめ役となった[3][4]。
経歴
編集茨城県水戸市出身。茨城県士族、奈良女子高等師範学校名誉教授の稲葉彦六の長男として生まれる[5][6]。旧制第八高等学校を経て、1923年(大正12年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、鉄道省に入省した[6]。
1925年(大正14年)鉄道技師となり、1931年(昭和6年)12月から1933年(昭和8年)8月まで欧米に留学した[6]。
1946年(昭和21年)同省を退官した。鉄道弘済会理事や中央建設業審議会委員となり、1950年(昭和25年)9月鉄道建設興業(現在の鉄建建設)副社長に就任した[6]。
1955年(昭和30年)10月、社長に就任した[6]。1967年(昭和42年)5月、会長に就任した。1968年(昭和43年)5月、相談役に就任した[6]。
人物
編集家族・親戚
編集家族
編集- 祖父・通明(生年不明)
- 茨城県士族[5]。
- 父・彦六(明治5年5月29日(1872年7月4日)生)
- 母・ぎむ(1875年(明治8年)12月16日生)
- 妻・かつろ(1904年(明治37年)2月生)
- 水戸高等女学校(現在の茨城県立水戸第二高等学校)卒業[6]。茨城県、小岩井兼光の四女[6]。
- 長男・清彦(1926年(大正15年)3月生)
- 同妻・静子(生年不明)
- 次男・信彦(1929年(昭和4年)3月生)
- 同妻・桂子(生年不明)
- 三男・智彦(1931年(昭和6年)8月生)
- 長女・邦子(1935年(昭和10年)10月10日生)
親戚
編集略系図
編集脚注
編集- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月17日閲覧。
- ^ a b “沿革”. 鉄建建設株式会社. 2024年8月17日閲覧。
- ^ a b “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月17日閲覧。
- ^ a b “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月17日閲覧。
- ^ a b c d e f “稻葉彦六 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2024年8月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月17日閲覧。
- ^ a b c “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年8月17日閲覧。
- ^ 『会社四季報:未上場会社版』1号、東洋経済新報社、1998年、82頁。
- ^ “赤松文庫について | 磐田市立図書館(静岡県)”. www.lib-iwata-shizuoka.jp. 2024年8月17日閲覧。
参考文献
編集- 人事興信録 編『人事興信録 第21版 下』人事興信所、1961年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第34版 下』人事興信所、1987年。