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A・B・ディック社が1887年に発売を開始した「ミメオグラフ」。謄写器(スクリーン付き木枠)、鉄筆、ヤスリ板、原紙、修正液、インク、ローラーなど一式を木箱に収めたセットで販売し、日本の堀井謄写堂(ホリイ)など各国の後発メーカーもこの商品スタイルを模倣した(A・B・ディック社広告、1889年
1900年ごろ、北ベルゲン郡教育委員会で使用されていたミメオグラフのセット一式(ノルウェーライカンゲル市
最後に使用した時の原紙が版胴に張り付いたまま保存されている最初期のゲステットナー社製シクロスタイル輪転謄写機(ベルギー・ヘンドリック・コンサイエンス遺産図書館)
第二次世界大戦中にレジスタンスが地下新聞などの発行に使用していた輪転謄写機やタイプライター(ベルギー・国立レジスタンス博物館)
1967年発売開始のロネオ865型電動輪転謄写機(左端、南アフリカ国立文化歴史博物館)
レックスロータリー1050型電動輪転謄写機(1971年)。末期の輪転謄写機はトレイを収納すると箱形になるスタイルが一般的だった。ポーランド自主管理労組「連帯」1980年代に使用したもの。(グダニスク造船所BHPホール)
日本では謄写ファックスが普及する20世紀後半まで、19世紀のミメオグラフ登場時と同じ手書き製版が主流だった。1987年まで製造販売されたホリイの「ミリアグラフ」(旧木沢小学校校舎展示、長野県

謄写版(とうしゃばん、英語:Mimeograph)は、印刷方法の1つ。孔版印刷の1種である。日本では俗にガリ版(がりばん)ともいう。

目次

歴史編集

欧米でヘクトグラフ(コンニャク版1869年開発)やオフセット印刷(1875年開発)などの新しい印刷技術が次々と生み出されていたさなかの1874年、ロンドンに留学中のイタリア人法学生、エウジェニオ・デ・ズッカート(Eugenio de Zuccato)が考案し商業化された「パピログラフ」(Papyrograph)が謄写版の始まりとされる[1][2][3]。パピログラフは、ニスを塗った紙に腐食性のインクを用いたペンで描画することで製版を行うもので、ズッカートはさらにタイプライターを用いて同様の原理で製版する技術について、1895年に米国特許を取得した[4]

米国の発明家、トーマス・エジソン1875年、「エレクトリック・ペン」を使用する製版印刷技術「オートグラフィック印刷」(Autographic Printing)を開発した[5]。これは湿式電池を電源として駆動するペンの先端から、毎秒50往復の速度で射出される針によってワックスを塗布した原紙を穿孔して製版するものであった。

ミメオグラフ編集

さらにエジソンは1880年、電源を要するエレクトリック・ペンに代わる新しいオートグラフィック印刷技法として、原紙(stencil paper)を細かく溝を切った金属のヤスリ板(finely grooved steel plate)の上に置き、鉄筆(smooth pointed steel stylus)で筆記して製版する謄写版印刷技法を考案し、同年2月17日付で米国特許(US patent 224665)を取得した[6]

鉄筆とヤスリ板を用いたこの謄写版に適したワックス原紙は1884年、アルバート・ブレイク・ディック(Albert Blake Dick)によって開発された。ディックが米国・シカゴで経営するA・B・ディック社は、エジソンと製造販売のライセンス契約を結んだ上で「ミメオグラフ」(Mimeograph)と命名して商標を登録。1887年から製造販売を開始した[7][8]

ミメオグラフは鉄筆やヤスリ板、印刷用の木枠付きスクリーン(謄写器)、ローラー、インク、原紙、原紙用修正液など印刷に必要な資器材一式を木箱に収めたセットで[3]、鉄筆製版用、タイプライター製版用、鉄筆・タイプライター兼用のラインナップを用意し、謄写版の完成形となった。累計出荷台数は1892年には8万セット、1899年には20万セットを超えて[3]「ミメオ」は国内外で急速に普及し、謄写版印刷を示す一般名詞ともなった。

シクロスタイルと輪転謄写機編集

一方、英国ではハンガリー出身のデイビット・ゲステットナー(David Gestetner)が1881年、「シクロスタイル・ホイール・ペン」(Cyclostyle wheel pen)を考案して特許を取得した[3]

ペン先には1インチあたり140個(140dpi)相当の細かい歯を持つ微小な鉄製の歯車を取りつけていて、金属板上にセットされた木枠に挟んで固定したワックス原紙に微細な穴を穿孔して製版したのち、謄写器の木枠に原紙をセットしインクローラーを用いてインクを圧着印刷するもので[3]、製版器具の違いを除けばミメオグラフとほぼ同様の謄写版印刷技法である。

ゲステットナーは器具に改良を加えた「ネオ・シクロスタイル」の製造販売を1884年に始め[3]1890年代後半まで、木箱に用品一式を収めたミメオグラフに類似したセット形式で発売した[3]

さらに1891年、製版した原紙を巻き付けたシルクスクリーン付きの版胴(ドラム)と、印刷用紙を原紙に圧着させる圧胴を回転させて印刷する、世界初の謄写版用輪転印刷機(輪転謄写機)の発売を開始した。当初は単胴であったが、版胴を交換しながら印刷を繰り返すことで多色印刷も可能であった。まもなく版胴を複胴とした2色印刷機も開発した。

謄写版の普及発展と衰退編集

A・Bディック社のミメオグラフとゲステットナーの輪転謄写機によって、これまで多額の資本投下による本格的な印刷設備の整備が不可欠であった高速印刷が、低コストで簡便に行えるようになり、類似した印刷器具を製造販売する後発業者が続出。謄写版は代表的な軽印刷技術として世界中に普及した。1917年ロシア革命における革命運動家の活動に大きく寄与した[9]ほか、第二次世界大戦中の欧州戦線ではレジスタンスによる地下新聞の発行にも活躍した。

日本では、1893年にA・B・ディック社の地元で開催されたシカゴ万博を視察した堀井新治郎が、翌1894年1月、A・B・ディック社製ミメオグラフに倣って製作した自作の印刷用品セットに「謄写版」と命名し、自身の発明品とうたって発表。「ミリアグラフ」(Myriagraph)の商品名で同年7月から販売した。

製版技術は大きく変化した。1887年のミメオグラフ発売当初は鉄筆とヤスリ板を用いた手書き製版からスタートしたが、欧米では筆記器具として広く普及していたタイプライターで原紙を打刻する製版手法がまもなく主流となり、輪転謄写機と組み合わせて一般に多用された。

また、第二次世界大戦後に普及したボールペンを鉄筆代わりに用いて簡便に製版する「ボールペン原紙」や、紙原稿を赤外線で反射投影して感熱紙に複写する米国3Mの感熱複写機「サーモファックス」(Thermofax、1950年発売開始)などを使用し、熱によって原紙のワックスを溶解して製版する感熱製版も出現。1956年にはファクシミリ技術を応用し、ドラムに巻き付けた紙原稿を光センサーで読み取って電気信号に変換し、別のドラムに巻き付けた原紙を針で穿孔して製版する電子謄写製版機(electrostencil machine)が登場した[10]

謄写製版機はのち、針に代わって、カーボンブラックを混ぜて導電性を持たせた塩化ビニル製または紙製の「電子謄写原紙」に放電し、電気スパークによって穿孔製版する放電式の電子謄写製版機「謄写ファックス」(謄写ファクシミリ)が1970年代にかけて普及した[11]

日本では、和文タイプライターによる謄写印刷(タイプ印刷)が、印刷業を除き一般ではほとんど行われなかったことから、欧米と異なり20世紀後半に入っても、なお19世紀のミメオグラフ登場時と同じスタイルである手書き製版・手刷りの「ガリ版」による印刷が主流であった。こうした状況の中、紙に鉛筆やペンなどで筆記したものや既存印刷物を貼り合わせたりした版下がそのまま即座に製版でき、製版技能が問われることもない謄写ファックス印刷は、企業や官公庁、学校などに一気に普及。ゲステットナーのほか、レックスロータリー(Rex Rotary)、ゲーハー(Geha)、ロネオ(Roneo)などの輪転謄写機メーカーによる電動輪転謄写機とともに広く用いられた。

謄写版は1960年代後半から、事務用PPC複写機の普及に伴い、スピリット複写機など他の軽印刷技術や感熱複写機とともに衰退したが、PPC複写機の普及が比較的遅かった日本では1980年代半ばまで、国内で特異に普及していたジアゾ複写機とともに、主に謄写ファックス印刷の形で用いられ続けた。

現在ではデジタル化によって、サーマルヘッドによる感熱製版から輪転印刷までの機能を1台の機体にまとめ、PPC複写機並みの簡便な操作で印刷できるようにした日本メーカーの「リソグラフ」(理想科学工業製)や「デュープリンター」(デュプロ製)が謄写版の技術を継承している。

原理編集

パラフィン、樹脂、ワセリン等の混合物を塗り乾かした薄葉紙、あるいは可塑性ニトロセルロースのワックスを浸潤させた不織紙などで作られた「ロウ紙(ロウ原紙)」と呼ばれる原紙(stencil)を、専用の金属製あるいはプラスチック製のヤスリ板(鑢盤、textured backing plate)の上に載せ、先の尖った棒やヘラ状の金属を木の軸に固定した鉄筆(stylus)で強く押し付けることで製版する。鉄筆でヤスリに押しつけられた原紙のワックスは、ヤスリ目の形に削られてインクが透過する微細な穴を構成する。

放電式製版機においては、ヤスリ目の代わりに放電により同様の微細な穴を形成させる。またタイプライターで直接原紙に打刻することで、活字による鮮明な版を作る手法も一般的に行われた。

原紙の上に目の細かい網を取り付けた木枠(謄写器)を置き、インクを付けたローラーまたはスキージを木枠内で移動させて圧着させるか、輪転機のインクを充填した版胴に原紙を巻き付け、圧力をかけながら回転させることで、インクが原紙の穴を透過して紙に転写される。ヤスリ板上の原紙に鉄筆を走らせる際の擬音から、日本では謄写版を「ガリ版」と俗称した。製版作業は「原紙を切る」(cutting a stencil)あるいは「ガリを切る」などと呼ばれた。

初期のインクはラノリンを主体につくられたが、のちにターキーレッドオイルを使用した水中油滴エマルジョンが主体となった。版の耐久度は、薄い金属箔を用いた特殊な原紙を除いて比較的低く、一般的に数百枚程度の印刷で、線に囲まれた文字内の小さな「島」部分(a、b、d、e、gなど)の原紙ワックス部分が剥落するなどして印刷品質が突然極度に低下し、事実上印刷不能となる。

主要メーカー編集

アメリカ編集

  • A・B・ディック(A.B.Dick) - アルバート・ブレイク・ディックが1883年、製材所としてシカゴに開業した後、すぐに事務用品製造販売業に転換。エジソンとのライセンス契約のもと、ミメオグラフおよび鉄筆や原紙など謄写版印刷関連用品を供給し、20世紀における米国を代表する印刷・事務用品メーカーの1社に成長した。ミメオグラフ販売開始の1887年には謄写版用のモデル0平台謄写機を発売し、1901年には輪転謄写機「ロータリー・ミメオグラフ」を発売。同社製ミメオグラフは内田洋行が代理店契約を結び日本にも輸入された。1926年イリノイ州ナイルズに本社移転。謄写版に並行してより簡便なスピリット複写機の製造販売も手がけたほか、オフセット印刷機も数多く製造販売し、特にABディック350型および同360型オフセット印刷機は、ITEKグラフィックス製プレート製版機との組み合わせで1960年代から1980年代にかけての米国の軽印刷業界に好んで用いられるベストセラーとなった。のち英国の電器メーカー子会社を経てナショナル・エレクトリック・シグナリング・カンパニー(NESCO)の地域事業会社となり、2004年に清算。1970年代半ばに社長を務め1977年に退任したジョン・ステットソンは、1979年まで第12代米空軍長官を務めた。

イギリス編集

  • ゲステットナー(Gestetner) - 1881年にシクロスタイルを考案したデイビット・ゲステットナーが"Gestetner Cyclograph Company"としてロンドンに設立。1906年にはロンドン北部のトッテナム・ヘイルにゲステットナー工場を開設。1891年の輪転謄写機開発以降、数多くの輪転謄写機を製造販売し、各国に供給する国際サービス網を確立した。1990年代まで従業員数千人の規模を維持し、153カ国で活動した。工業デザイナーの草分けとして知られるレイモンド・ローウィがデザインした、ゲステットナー66型輪転謄写機は同社の輪転謄写機を代表する製品となり、現在大英博物館に収蔵されている。1995年、グループ中心企業のインターナショナル・ゲステットナー社がリコー子会社となり、レックスロータリーなどとともにNRG Group PLCに統合された。2007年にRicoh Europeに改称。欧州、北アフリカ、中東を営業エリアとしてリコーが製造するリコー、ゲステットナー、レックスロータリー、サビン、ラニエールなどの各ブランドのプリンター・複写機製品を販売している。
  • ロネオ(Roneo) - ゲステットナー社の社員でネオ・シクロスタイル製品の北米営業担当だったオーガストス・デイビット・クラバー(Augustus David Klaber)が独立して1893年、ネオスタイル社(Neostyle Company)として米国ニューヨークで創業した。1898年に輪転謄写機の製造販売を開始。まもなくゲステットナー社との間で商標権を巡って争いとなり[12]、"Rotary Neostyle"を略したロネオ(Roneo)に改称した。1907年、英国ロンドンのラムフォードに新工場を建設。「ロネオ」はミメオグラフとならんで謄写版の代名詞となる世界的な謄写機メーカーに成長した。ラムフォード工場は1962年にノーフォーク州ノリッジに移転するまで、数多くの手動および電動の輪転謄写機を製造。また第一次世界大戦中の英国軍向け弾薬製造や、豪華客船クイーン・メリー号およびクイーン・エリザベス号の内部防火扉の製造も手がけた。1966年ヴィッカースエンジニアリンググループ傘下に入ったのち、1980年以降は仏アルカテル子会社となり、1990年ごろまでロネオブランドのPPC複写機を製造した[13]

デンマーク編集

  • レックスロータリー(Rex-Rotary) - 1925年創業。手動および電動の輪転謄写機メーカーとしてゲステットナーなどとならび日本など各国に製品を供給した。のちインターナショナル・ゲステットナー社傘下に入った。1995年リコーによるゲステットナー買収にともないリコー子会社となり、NRG Group PLCに統合された。

日本編集

  • ホリイ(堀井謄写堂、のちホリイ株式会社、2002年倒産)
  • 昭和謄写堂(現・株式会社ショーワ)
  • ホース(林商店、のちテクノハヤシ株式会社)
  • 萬古(VANCO、現・バンコ株式会社)
  • プラス(現・プラス株式会社
  • サカタ(阪田産業、現・サカタインクス株式会社
  • ヴィナス(現・女神インキ工業株式会社)
  • ライオン(現・ライオン事務器株式会社
  • 富士(松井謄写版製作所)
  • シャチ(大島鑢製作所、のち大島工業株式会社、2017年廃業)- 謄写版用ヤスリ板メーカー
  • 理想社(現・理想科学工業株式会社)- 謄写版用インキメーカー
  • 四国謄写堂(現・株式会社四国わがみ)- 謄写版原紙メーカー

脚注編集

  1. ^ David Owen (2008) Copies in Seconds, page 42, Simon & Schuster, Google book preview
  2. ^ 1878: Library Journal 3:390 Advertisement via Google Books
  3. ^ a b c d e f g "Antique Copying Machines" Early Office Museum
  4. ^ Eugenic de Zuccato (1895) Patent US548116 Improvement for stencils from typewriting
  5. ^ http://edison.rutgers.edu/patents/00180857.PDF
  6. ^ http://edison.rutgers.edu/patents/00224665.PDF
  7. ^ http://edison.rutgers.edu/NamesSearch/SingleDoc.php3?DocId=CA035A
  8. ^ http://edison.rutgers.edu/NamesSearch/SingleDoc.php3?DocId=LB024149
  9. ^ ウラジーミル・ボンチ・ブルエーヴィッチ(Бонч-Бруевич, В. Д.)「ロシア初のミメオグラフ(Первый русский мимеограф)」 『プロレタリア革命(Пролетарская революция)第二巻』、1921年。
  10. ^ 「探検!デジタル印刷機 vol.2」『子供の科学』2015年10月号p.32、株式会社誠文堂新光社
  11. ^ 謄写ファックス 「印刷用語集」、一般社団法人 日本印刷産業連合会
  12. ^ In Re Neostyle Manufacturing Company, Ld.'s,TradeMark. "The Reports of Patent, Design and Trade Mark Cases" Vol.XX.,No. 12.,pp.329-336, The Intellectual Property Office, UK, 1903.
  13. ^ Heritage: Roneo, Roneo, wherefore art thou Roneo? Romford Revorder, 26 May 2018.

関連文献編集

関連項目編集

外部リンク編集