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来歴・人物編集

宮城県の出身で、東北学院大学法学部法律学科卒業後の1979年に、アナウンサーとして福島テレビへ入社。1982年から1983年までは、当時開局したばかりのテレビ大阪に、契約アナウンサーとして所属していた。

1984年東海ラジオへ移籍してからは、主にスポーツ中継の実況・リポートを担当。現在の妻は、当時の同僚(アナウンサーの小椋みどり)である。

1991年に文化放送へ移籍してからは、スポーツアナウンサーとしての活動を継続しながら、平日の生ワイド番組(『くにまるワイド ごぜんさま〜』」『吉田照美のやる気MANMAN!』など)のパーソナリティ代理に起用されることも多かった。

2007年1月から半年間スポーツ部で部長を務めた後に、同年7月からアナウンス部に復帰。この時期には、スポーツ関連以外の番組に出演していた。

2008年7月から報道制作部へ異動したことを機に、報道記者として『ニュース・パレード』に出演。2010年12月の部署再編で、報道制作部と編成局スポーツ部の統合によって誕生した編成局報道スポーツ制作部へ配属したことに伴って、2011年5月20日からプロ野球中継での実況を再開した(スポーツ部から制作部へ異動した上野智広の後任扱い)。

2016年の誕生日で文化放送の定年(60歳)に達したことから、2017年3月1日付で同局を退職。これを機に、フリーアナウンサーへ転身した。

スポーツアナウンサーとしては、ロサンゼルス・ドジャース野茂英雄によるMLBデビュー戦(1995年)からリトルリーグに至るまで、野球中継で1000以上の試合の実況を担当。日本シリーズの中継で優勝決定の瞬間を5回、NPB公式戦の中継でノーヒットノーラン達成の瞬間を4回伝えている。その一方で、野球以外にも、30以上の種目(サッカーラグビー陸上競技バレーボールバドミントンバスケットボール競馬競艇競輪駅伝マラソン相撲リュージュスケルトンボブスレーボクシング陸上競技など)で実況や取材に従事。文化放送時代の1996年には、同局からアトランタオリンピックジャパンプールに中継の実況要員として派遣されると、男子サッカーグループリーグD組第1戦のラジオ中継で「マイアミの奇跡」(日本代表ブラジル代表に1 - 0のスコアで勝利したシーン)を伝えた。文化放送を退職後の2018年に開かれた平昌オリンピックでも、J-COM向けのリュージュ・スケルトン・ボブスレー中継で実況を担当している[3]

また、フリーアナウンサーへの転身を機に、Rakuten.FM TOHOKU(地元の宮城県に東北楽天ゴールデンイーグルスが設立したコミュニティFM局)でも楽天戦中継の実況を担当してきた。2019年1月から、同局の編成・制作部長に就任。同年には楽天球団の本拠地である楽天生命パークフレッシュオールスターゲームが開かれたことから、編成・制作の統括責任者として、日本国内のコミュニティFM局としては初めての同ゲーム実況中継を実現させた[1]。その一方で、部長就任後も、楽天戦中継の実況を随時担当。Rakuten.FM TOHOKU以外のメディアでも、スポーツ中継・関連番組への出演を続けている。

現在の担当番組編集

過去の担当番組編集

文化放送からの定年退職後編集

  • スポナビライブ - サービス終了に伴い担当終了
  • 鈴木光裕のField Of Dreamsを探して(Rakuten.FM TOHOKU)
  • Night891/Day891(Rakuten.FM TOHOKU)

文化放送時代編集

東海ラジオ時代編集

テレビ大阪時代編集

  • スポーツTODAY(1982~83年) - テレビ大阪担当分の初代キャスター

補足編集

  • かつては「吉田照美のやる気MANMAN!」や野村邦丸担当の平日帯ワイド番組のピンチヒッターとして出演する機会があったが、報道制作部へ異動してからは、報道記者としての出演が多かった。
  • A&G番組への出演も時々ある(2008年4月〜9月放送の「進め!狂乱電波日記」や2009年(平成21年)6月12日放送「A&G GAMEMASTER GT-R」の特集コーナー冒頭ナレーションなど)。

脚注編集

外部リンク編集