高野秀行 (棋士)
髙野 秀行(たかの ひでゆき、1972年6月15日 - )は、将棋棋士。中原誠十六世名人門下。棋士番号は226。神奈川県横浜市出身。棋風は居飛車本格派[1]。既婚[2][3]。
高野秀行 六段 | |
---|---|
名前 | 高野秀行 |
生年月日 | 1972年6月15日(52歳) |
プロ入り年月日 | 1998年4月1日(25歳) |
棋士番号 | 226 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 中原誠十六世名人 |
段位 | 六段 |
棋士DB | 高野秀行 |
2024年10月4日現在 |
棋歴
編集7歳の頃、父から教わり将棋を始める[4][5]。その後、日本将棋連盟相模原支部長の内田昭吉の自宅教室で、鈴木大介、北浜健介、勝又清和、佐藤紳哉らとともに腕を磨く[6]。1983年、11歳の頃、4歳上の勝又が中学生名人戦で優勝して奨励会入りしたのを機に、プロを志す[6]。
1984年12月、中原誠(当時十段・王座)の弟子となり関東奨励会に6級で入会。同期には深浦康市、瀬川晶司ら。
プロ入りまでの道は平坦ではなく、入会から6か月後の1985年6月に7級に降級。1986年3月にやっと6級復帰。2級から1級、初段から二段には、それぞれ1年9か月かかる。一方で、5級から4級には2か月、二段から三段には4か月というラッシュがあった。
三段リーグでは、初参加から9期目の第22回三段リーグで、前半を5勝4敗で折り返した後に粘り13勝5敗・1位の成績を収め、四段昇段が決定。入会から13年にしてプロ入りを果たす(1998年4月1日付)。
2000年、第50回NHK杯戦の予選を3連勝で通過。本戦1回戦で井上慶太を破る。
第16期(2003年度)竜王戦6組で優勝し、本戦進出、5組初昇級。2003年度の勝率は0.6944(25勝11敗)で全棋士中9位であった。
第30期(2004年度)棋王戦で本戦進出。予選決勝では渡辺明(この年に初の竜王位)に勝った。同年、第17期竜王戦5組昇級者決定戦(敗者復活戦)で、勝てば4組初昇級という一番で宮田敦史に敗れる。
2005年、第24回朝日オープン将棋選手権で本戦進出。1回戦で師匠の中原に敗れる。
2005年に行われた瀬川晶司プロ編入試験の試験官(対局者)を当初発表されていた熊坂学四段(段位は当時)に代わり務める。交代について髙野は、「不手際で、せっかく進めてきたイベントに支障が出るのを防ぎたかった」と語っている[7]。2005年11月6日、瀬川は髙野に勝ち、プロ入りを決めた。
2007年、第57回NHK杯戦で本戦出場。第66期(2007年度)順位戦C級2組で8勝2敗・3位の成績を挙げ、プロ入りから10年でC級1組へ初昇級。過去にも8勝2敗が2度あったが上がれず、三度目の正直となった。
第34期(2008年度)棋王戦で本戦進出。本戦2回戦で高橋道雄を破る。
人物
編集- 「秀行」という名前は、囲碁が好きな父親が、囲碁棋士の藤沢秀行名誉棋聖にあやかってつけた[6]。
- 竜王戦などで観戦記の執筆を担当することがある。
- 1999年8月に行われた若手棋士指導対局会「グローイング・アップ'99」の発起人の一人でありリーダー格[6]。
- 上述のプロ編入試験では、過熱したファンから高野宅へ「負けろ」と書かれた手紙が送りつけられる等の嫌がらせが発生した。一時は試験官を降りることも考えたが、最終的にはメンタル面を整理し対局に臨んでいる[10]。
- 次世代の育成に早くから関心を持っており普及にも熱心。2008年から「経堂こども将棋教室」を主催[11]。地域密着をモットーに子どもたちへの指導を行っている。
- 2015年、國學院大學で開講した「将棋と日本文化」の講師を担当[12][13]。2017年には東京理科大学[14]や明治大学[15]でも将棋に関する講座を担当。
- 2017年8月8日に入籍したことを連盟ホームページで発表[2]。
- 春風亭昇太と交流があり、10年以上の飲み友である。[16]
- 2016年に中学2年でプロ入りした藤井聡太がデビュー戦から無敗連勝で話題になっていた当時、「性能の良いマシンが参戦すると聞き、フェラーリやベンツを想像していたらジェット機が来たという感じ」と評していた。その藤井とは2019年度の第78期順位戦C級1組9回戦で対戦し、藤井が勝利してB級2組昇級を決めている[17]。
- 同姓同名のノンフィクション作家が将棋棋士と間違えられたエピソードをTwitterで明かした際、「大変ご迷惑をおかけしました」とリツイートしている[18][19]。
- 2021年、岡部敬史、さくらはな。との共著『「初段になれるかな」大会議』 (扶桑社新書)が、将棋ペンクラブ大賞技術部門・優秀賞を受賞した。
昇段履歴
編集昇段規定は、将棋の段級 を参照。
主な成績
編集在籍クラス
編集開始 年度 |
順位戦 出典[20]
|
竜王戦 出典[21]
| ||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
|||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1998 | 57 | C246 | 5-5 | 12 | 6組 | -- | 4-2 | |||||||||||
1999 | 58 | C227 | 7-3 | 13 | 6組 | -- | 3-2 | |||||||||||
2000 | 59 | C206 | 5-5 | 14 | 6組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2001 | 60 | C219 | 8-2 | 15 | 6組 | -- | 6-2 | |||||||||||
2002 | 61 | C204 | 5-5 | 16 | 6組 | 0-1 | 5-0 | |||||||||||
2003 | 62 | C217 | 8-2 | 17 | 5組 | -- | 5-2 | |||||||||||
2004 | 63 | C206 | 5-5 | 18 | 5組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2005 | 64 | C224 | 6-4 | 19 | 5組 | -- | 3-2 | |||||||||||
2006 | 65 | C215 | 5-5 | 20 | 5組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2007 | 66 | C214 | 8-2 | 21 | 5組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2008 | 67 | C125 | 3-7 | 22 | 5組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2009 | 68 | C130 | 4-6 | 23 | 5組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2010 | 69 | C123 | 4-6 | 24 | 5組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2011 | 70 | C123 | 5-5 | 25 | 5組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2012 | 71 | C119 | 6-4 | 26 | 5組 | -- | 3-2 | |||||||||||
2013 | 72 | C114 | 4-6 | 27 | 5組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2014 | 73 | C123 | 4-6 | 28 | 5組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2015 | 74 | C121 | 4-6 | 29 | 5組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2016 | 75 | C125 | 3-7 | 30 | 5組 | -- | 0-3 | |||||||||||
2017 | 76 | C132 | 5-5 | 31 | 6組 | -- | 3-2 | |||||||||||
2018 | 77 | C120 | 3-7 | 32 | 6組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2019 | 78 | C130 | 7-3 | 33 | 6組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2020 | 79 | C108 | 1-9 | 34 | 6組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2021 | 80 | C135 | 4-6 | 35 | 6組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2022 | 81 | C127 | 3-7 | 36 | 6組 | -- | 3-2 | |||||||||||
2023 | 82 | C201x | 2-8 | 37 | 6組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2024 | 83 | C246* | 38 | 6組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
著書
編集- 高野秀行『これにて良し? 四間飛車vs急戦定跡再点検』毎日コミュニケーションズ、1999年9月。ISBN 4-8399-0233-X。
- 高野秀行『これで簡単形勢判断』毎日コミュニケーションズ、2001年9月。ISBN 4-8399-0595-9。
- 高野秀行『四間飛車がわかる本』浅川書房、2008年7月。ISBN 4-8613-7021-3。
- 高野秀行 監修 編『マンガでわかる! 楽しい子ども将棋入門』ナツメ社、2018年7月9日。ISBN 978-481636496-9。
- 高野秀行『こどもをぐんぐん伸ばす「将棋思考」 - 「負けました」が心を強くする』ワニブックス〈ワニプラス〉、2018/11/9 ISBN 978-484709728-7。
- 高野秀行、岡部敬史、さくらはな。『将棋「初段になれるかな」会議』扶桑社〈扶桑社新書 293〉。ISBN 978-459408126-3。
- 将棋「観る将になれるかな」会議 高野秀行 (著), 岡部敬史(著), さくらはな。(著) 扶桑社新書 2019/6/30
- 将棋の駒はなぜ歩が金になるの? 高野秀行(著) 少年写真新聞社(ちしきのもり) 2019/9/13
- 将棋[初段になれるかな]大会議 高野秀行 (著), 岡部敬史(著), さくらはな。(著) 扶桑社新書 2020/9/23
- あの棋士はどれだけすごいの?会議 高野秀行 (著), 岡部敬史(著), さくらはな。(著) 扶桑社新書 2022/7/2
脚注
編集- ^ “高野秀行六段のコラム一覧”. 将棋コラム. 日本将棋連盟. 2020年8月8日閲覧。
- ^ a b “高野秀行六段が結婚|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2020年12月22日閲覧。
- ^ 岡部 敬史. “「ジェット機に乗って楽しく旅ができた」藤井聡太七段に敗れた棋士の“充実感” | 観る将棋、読む将棋”. 文春オンライン. 2020年12月22日閲覧。
- ^ 『平成10年版 将棋年鑑』、日本将棋連盟、1998年、NCID BA83056913。
- ^ 事務局 (2009年9月27日). “日本将棋連盟の高野 秀行様にインタビューいたしました。”. 日本大好きプロジェクト. 2020年11月2日閲覧。
- ^ a b c d 「2000年1月号付録」『将棋世界』、日本将棋連盟、2000年。
- ^ 「感想戦後の感想」『将棋世界』第10号、将棋世界、2007年10月。
- ^ a b 『高野秀行五段が六段に昇段(2月22日付)|将棋ニュース|日本将棋連盟』2011年2月23日。
- ^ a b 『高野秀行六段が七段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟』2024年10月4日。
- ^ 『瀬川晶司はなぜプロ棋士になれたのか』河出書房新社。
- ^ “経堂こども将棋教室が再開1カ月 鎮守の森そばのアトリエで”. 経堂経済新聞. 2020年8月4日閲覧。
- ^ “「和と心・技・体(将棋と日本文化)」開講”. 國學院大學 取材日誌. 2020年11月2日閲覧。
- ^ “國學院大學で教養総合科目「将棋と日本文化」が開講|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2020年11月2日閲覧。
- ^ “プロ棋士・女流棋士から学ぶ将棋 「考える力」を鍛えよう 高野 秀行_公開講座/大学公開講座のセカンドアカデミー”. second-academy.com. 2020年11月2日閲覧。
- ^ “2017年秋 明治大学・東京富士大学にて将棋の授業を開講|イベント|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2020年11月2日閲覧。
- ^ “昇太さんの飲み仲間!愛される棋士 高野秀行六段!!”. 高田文夫のラジオビバリー昼ズ. ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93 (2020年4月1日). 2020年8月4日閲覧。
- ^ 「ジェット機に乗って楽しく旅ができた」藤井聡太七段に敗れた棋士の“充実感”高野秀行六段に後日談インタビュー - 岡部敬史(文春オンライン 2020年2月16日)
- ^ 高野秀行(@daruma1021)によるtwitterへの投稿(2022年7月26日)
- ^ 高野秀行(@daruma1021)によるtwitterへの投稿(2022年7月27日)
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。
関連項目
編集外部リンク
編集- 日本将棋連盟プロフィール
- 髙野 秀行 (@takanomugi) - X(旧Twitter)