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イノチェンティ・ミニInnocenti Mini )は、1974年にレイランド・イノチェンティ(Leyland Innocenti )が市場に導入したボディをベルトーネがデザインし直したミニの3ドア・ハッチバック版の乗用車である。1980年頃に5ドアの試作車が開発されたが、これが生産に入ることはなかった。1976年にイノチェンティがデ・トマソに買収されるとダイハツ工業が供給する直列3気筒エンジンを搭載するようになり、改良を重ねられて1993年まで生産は続けられた。

目次

ブリティッシュ・レイランド時代編集

イノチェンティ・ミニ 90 / 120
イノチェンティ・ミニ デ・トマソ
イノチェンティ・ミニ
イノチェンティ・ミニ デ・トマソ
フェイスリフト後のイノチェンティ 90L mkII
製造国   イタリア
販売期間 1974年 - 1982年
デザイン ヌッチオ・ベルトーネ[1]
ボディタイプ 3ドア・ハッチバック
エンジン 998 cc BMC Aシリーズ L4
1,275 cc BMC Aシリーズ L4[1]
駆動方式 FF
変速機 4速MT
全長 3,120–3,170mm (122.8–124.8in)[1]
全幅 1,500 mm (59.1 in)[1]
全高 1,365 mm (53.7 in)[1]
ホイールベース 2,040 mm (80.3 in)[1]
車両重量 730 kg (1,610 lb) (approx)[1]
生産工場 イタリア ミラノ[1]
-自動車のスペック表-

ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)傘下でイノチェンティは、ミニに新しいボディを着せたミニ 90Lと120Lとして知られるモデルを開発し、1974年のトリノ・モーターショー(Turin Auto Show )で発表した[2]。ベルトーネがデザインした新型のミニは当初、出力43 bhp (32 kW; 44 PS) 998 cc Aシリーズ エンジン(A-series )を搭載した90Lと出力20 bhp (15 kW)増しの1,275 ccエンジンを搭載した120Lの2モデルが用意された。このエンジンの出力は、後に各々49 bhp (37 kW; 50 PS)と65 bhp (48 kW; 66 PS)に増強された。イギリス生まれのミニという点ではイノチェンティは、非常に飛び跳ねがちな乗り心地と引き換えに優れた操縦性を持つラバー・コーン・サスペンションをそのまま引き継いでいた。レイランド製エンジンを搭載した全てのイノチェンティ・ミニは4速マニュアルトランスミッション(MT)を備えていた。

ベルトーネがデザインした新型のミニによりオリジナルのイギリス本国のミニを代替するという計画さえあったが、これは実現しなかった。この新型ミニが発表されて一年も経たずしてBLMCは破産し、1976年5月にイノチェンティはデ・トマソとGEPIに売却され、国営となったブリティッシュ・レイランド株式の5%分を保有し続けた。この新しい親会社は、それまでの社名を「ヌォーヴァ・イノチェンティ」(Nuova Innocenti:新イノチェンティ)と改名したが、実質的には何の変更も施さずにこの車の生産を続行した[3]

デ・トマソ編集

1976年のトリノ・モーターショーでスポーティなイノチェンティ・ミニ デ・トマソが初めて発表された。1977年初めには、90/120のクロームめっき製に替わってプラスチック成形のバンパー、埋め込み式フォグランプボンネット上のエアスクープ、スポーティな外観に仕上げられたアルミホイールならびにオーバーフェンダーを備えた量産型が生産開始された。エンジン出力は初期では71 bhp (53 kW; 72 PS)であったが、徐々に向上して1978年には74 bhp (55 kW; 75 PS)となった[4]

ミッレ編集

1980年フェイスリフトを施され装備を充実した「ミニ ミッレ」(Mini Mille )が登場した。プラスチック成形バンパー、後傾したヘッドライトとデザインし直されたテールライトを備えた「ミッレ」(1000の意)は、ほとんどの市場で排気量の大きな120と取って代わった。全長は2インチ(約5 cm)延長されていた。1981年モデルで"90 LS II"、1982年モデルで"90 SL"も市場に導入された[3]。しかし1982年にはデ・トマソとBLの間の取引は終了した。これはヨーロッパ大陸内の多くの市場で競合車となる相手にエンジンを供給することにBLが嫌気をさしていたといったような産業政策上の理由が背景にあり、イノチェンティ・ミニを完全に再設計する決断に迫られた[5]。数多くのテストの後で最終的にこの車にはダイハツ工業製の直列3気筒エンジンとその他様々な機械部品が取り付けられることになった。数年前のアルファロメオ日産自動車アルナでの合弁事業により日本企業に対する政治的な抵抗は小さいものとなっており、デ・トマソは政治的に困難な状況に直面することはなかった[6]

ダイハツ時代編集

イノチェンティ・ミニトレ/990/650
イノチェンティ・ターボ デ・トマソ
イノチェンティ・スモール 500
製造国   イタリア
販売期間 1982年 - 1993年
デザイン ヌッチオ・ベルトーネ[1]
ボディタイプ 3ドア・ハッチバック
エンジン 548 cc ダイハツ EB L3
617 cc ダイハツ AD L2
659 cc ダイハツ EF L3
993 cc ダイハツ CB22 L3
993 cc ダイハツ CB-DT/CB60/61 ターボ L3
993 cc ダイハツ CL10 ディーゼル L3
駆動方式 FF
変速機 5速MT、2速セミAT
全長 3,135–3,375mm (123–133in)[2]
全幅 1,515–1,530mm (60–60in)[2]
全高 1,340–1,380mm (53–54in)[2]
ホイールベース 2,045–2,205mm (81–87in)[2]
車両重量 638–740kg (1,410–1,630lb)[2][7]
-自動車のスペック表-

1982年4月、エンジンがダイハツ製に変更されたのと同時にミニのオリジナルのラバー・サスペンションがより一般的で快適な自社開発のサスペンションである前輪にマクファーソン・ストラット、後輪には下側のウィッシュボーンに板バネを利用したものに変更された[8]。新型エンジン搭載車であることを区別するためにこの車は「イノチェンティ トレ・チンドリ」(Innocenti Tre Cilindri :イノチェンティ 3気筒)又は単純に「トレ」("Tre":3)と改称された。新しいエンジンとサスペンションにより車重は約55 kg (121 lb)の増加を招いていた[6]。この新しいイノチェンティ車の外観上の変更点はバッジとチンスポイラーのみであり、前モデルとの区別はほとんどできなかった。1984年には「ミニトレ」(Minitre 、"Mini 3"と表記されることもあり)と改称された。新しい部品のほとんどはダイハツ・シャレードからの直接の流用品であった。それまでBLの現地関連会社で運営されていたヨーロッパ各国への輸出は、中止されるか全般的に低下していった。ミニトレは最初の1、2年はフランスベルギースイスへ限定的に輸出された。1983年ドイツのダイハツ車輸入ディーラーのヴァルター・ハーゲン(Walter Hagen )は、数年間中断していたドイツでのイノチェンティ車の販売を引き受けた[9]。在庫が払拭するまでレイランド製エンジンを搭載した旧型の販売は継続されていた。新モデルが登場したにもかかわらず生産台数は1981年の2万3,187台から翌年の2万1,646台、1983年の1万3.688台と徐々に減少していった。初年度生産分は全てダイハツ製エンジン搭載車であった[10][11]1984年に車の信頼性を回復したことで販売数は増大した。

スポーティなターボチャージャー付モデルは別としてミニトレは元々シングル・キャブレター付の出力52 PS (38 kW) ガソリンエンジンを搭載し、S、SL、SEという3つのグレードが用意されていた[7]。4気筒エンジン車では4速マニュアルトランスミッション(MT)が使用されていたが、この車には通常5速MTが取り付けられ、後には「マティック」(Matic )として2速セミオートマチックトランスミッション(セミAT)搭載車も選択できるようになった。これはダイハツ自身が幾つかの市場で「ダイマティック」(Daimatic )として導入していたものと同一の変速機であった。マニュアルトランスミッションと同一サイズのマティックのトランスミッションは、トルクコンバータと従来通りのフロアシフトで選択される2種類のギア比を持つ遊星歯車機構を備えていた[12]

ダイハツ製の動力系統はイギリス製と比べてかなり高価格であったが、アレハンドロ・デ・トマソは保証期間内のクレーム率が低かったことから採算は取れたと語った。1984年にデ・トマソは日本製エンジン搭載のミニはBL製エンジンの場合と比べて70%も保証期間内の修理が減少したと述べた。そこで直面した最大の問題は、高品質なエンジンのお陰でイノチェンティのサービス網が余剰人員を抱えることになってしまったことであった[6]。正直な話、このサービス人員の過剰は生産数の漸減(1970年代末の4万台から1980年代半ばの1984/1985年にかけての減少)に起因していた可能性もあり、デ・トマソは主要な競合他社であるフィアットよりも高級で趣味性の高い車を提供することでこの状況を改善しようとした[13]

この3気筒車(2気筒車の幾つかも同様に)は1993年まで生産が続いた。このモデルでは出力37 PS (27 kW)の1 L ディーゼルエンジン版も選択することができ、外装も内装も通常のミニトレと同一に見えた。導入された頃のこのエンジンは世界最小の乗用車用ディーゼルエンジンというだけでなく量産されている自然吸気のディーゼルエンジンの中でも最高出力を誇るものでもあったため、驚くほど活発に走行して見せた[14]。この車を導入したこともありイノチェンティの生産量は採算分岐点である年産約2万台を超え、ミニディーゼルは出荷する端から売れた[15]。ディーゼルの売れ行きはガソリン・モデルの販売をほとんど損なうことなく、予想されていた20%を大きく上回る全生産数の30%を占めた[6]

1986年トリノで全長を延ばした990が発表された。このモデルはホイールベースを16 cm (6 in)延長し、自然吸気のガソリンエンジンと1 Lディーゼルエンジンが選択できた[2]。より有用な後部座席が追加されたことで990は、幾分の空力改善に役立つなだらかな傾斜の前面ガラスも手に入れていた[16]。上手くバランスがとられたデザインにより、ドア窓の桟が取り去られていることやドアミラーの位置が前進していることに気付かなければロングホイールベース版を見分けることは困難であった。荷室空間も280 L (9.9 cu ft)から295 L (10.4 cu ft)へ増加していた[17]1982年コーチビルダーEmboミニ・トラベラーの長いシャーシを利用して990のコンセプトカーを製作した[18]。ターボ版を除いてショートホイールベースの1 Lモデルは1987年7月で生産中止となった。990はSLと充実装備のSEが選択できた。

後期生産型、ロングホイールベースの「スモール 990 セリエ・スペチアーレ」
イノチェンティ・スモール500

650/500編集

「ミニドゥエ」("Minidue"、"ミニ 2"の意)の噂は時々上がっていたが、そのほとんどは当時デ・トマソの所有企業であったモト・グッツィ製の650 cc V型2気筒エンジンを搭載することを期待したものであった[6]。このエンジンを搭載した試作車が数台製作されたが、オートバイ用エンジンを自動車に適合するように仕立てる作業の結果は不首尾に終わり[19]、その代替策としてイノチェンティはダイハツ製エンジンを選び出した。1984年11月のトリノ・モーターショーで発表された2気筒、ショートストロークの617 ccエンジンを搭載した"ミニ 650"は、充実装備の"SE"も選択できた[20]。650には左右非対称で銀塗装のフロントグリルが与えられる一方でSEは独自の3分割ホイールハブキャップを備えていた。31 PS (23 kW)とそれほど高出力でもなかったが、この2気筒エンジンは2本のバランスシャフトの恩恵で驚くほど滑らかに回った[21]。650のダッシュボードも特徴あるもので、グローブボックスには蓋がないといったようなスパルタンさであった。車体後部ではテールライトの間にあった反射板が黒い樹脂製部品に替えられていた[21]

"650"は、550 cc(1990年後期からは660 cc)エンジン搭載の"ミニ 500"により代替された。これらのエンジンは全てシャレードではなく、より小型のダイハツ・クォーレに使用されていたものであった。550 ccエンジン搭載のイノチェンティ・500(L又は豪華装備のLS)は1987年11月に初めて披露されたが、これはダイハツが旧態化した2気筒エンジンの生産を中止したためにエンジンの供給を絶たれた650の後継モデルという位置づけであった[22]キャブレター付の500は出力31 PS (23 kW)/6,400 rpmを発生し、最高速度は116 km/h (72 mph)に達した。イタリア国外ではフランスでもこの車はかなり居住性に劣るフィアット・126と同じ課税馬力(Tax horsepower )3CVの枠に入ることから一定の人気を博した[16]

スモール編集

1990年フィアットがイノチェンティを買収すると、この車は「イノチェンティ・スモール」(Innocenti Small )と改称されてディーゼル、マティック、ターボ デ・トマソは廃止された[23]。1990年11月に多少のフェイスリフトを含む改良が施された[24]一方で、1990年3月に日本軽自動車規格が660 ccに拡大されたことを受けてダイハツが迅速にEB型エンジン(EB engine)を排気量の幾分大きなEF型へ更新したことで小排気量の500のエンジンは659 cc版に更新された。出力は全く同値であったが、トルクは42 N·m (31 lb·ft)/4,000 rpmから49 N·m (36 lb·ft)/3,400 rpmへ向上したことで柔軟性が増して最高速度も120 km/h (75 mph)へと僅かに向上していた[24]。燃料消費率も幾らか向上していた[n 1]1991年7月に990の豪華版「セリエ・スペレチアーレ」(Serie Speciale )が導入され、カンヴァスルーフ付も選択できた[24]。990 セリエ・スペレチアーレの内装はミッソーニ(Missoni )によるアルカンターラ製であった。

1992年にイノチェンティ・スモールの双方に燃料噴射装置触媒付きのモデルが設定され市場に導入された。これらのモデルでは出力と最高速度が僅かに低下(表を参照)していた。最後に開発されたのは、ロングホイールベースの"990" 用ボディに小排気量エンジンを搭載した1993年の「スモール 500 SE」(Small 500 SE )であった。生産は1993年3月31日に終了したが、販売は翌年まで続けられた。ダイハツはそれより数ヶ月前に自社の製品に3気筒のCB型エンジンを使用するのを止めていたが、おそらくこれは偶然の一致である。

ターボ デ・トマソ編集

エンジンがダイハツ製に変更されると出力72 PS (53 kW)のターボチャージャー付993 cc 3気筒エンジンを搭載した新しいデ・トマソ版が1983年12月に発表され、イタリアでの販売は翌月から開始された[26]。このエンジンは2バルブ版であり、シャレード GTtiに使用されていたかなり高出力のマルチバルブ版はイノチェンティ車には搭載されなかった。後傾したヘッドライト、新しいバンパー、スカート、アロイホイール付160/65 SR315(TRXタイヤを履くために延ばされたフェンダーを備えるボディも新しくされた。スポーティなハンドルは革巻きであった。最初のモデルにはイタリアで開発された自然吸気のCB22エンジン(CB-DTと呼ばれた)にIHI製RHB5ターボチャージャーを取り付けたCB22と同一の9.1:1の圧縮比を持つエンジンが搭載された。この最初のエンジンでは回転数6,200 rpmで最大出力を発生した[27]1984年後期にこのエンジンは全てをダイハツ側で開発されたCB60型エンジンに代替された[26]。より小型のIHI製RHB32ターボチャージャー(CB-DTの0.37 barに対して0.5 barの過給圧)とより適切な8:1の圧縮比を持つCB60型エンジンは、回転数5,700 rpmで最大出力を発生した[2]。初期型のエンジンが回転数3,500 rpm以下では実力は発揮できていなかったという問題点を抱えていたが、この小型のターボチャージャーは立ち上がりが早かったことから低速域での扱いやすさも向上していた[28]

1988年7月にエンジンがCB61型に更新された。このエンジンではそれまでエンジンルーム内で赤塗装が施されていたカバー類が灰色に変更されていた。カナダ(とスイス)市場向けにはキャブレター付CB60型エンジンが搭載された。このエンジンは68 PS (50 kW)/5,500 rpmと出力が多少落ちていた[29]1990年にフィアットがイノチェンティを買収すると、ターボ デ・トマソはディーゼル、「マティック」とともに廃止された[23]

輸出編集

イノチェンティ デ・トマソは1984年からインカカーズ(Incacars Inc )によりカナダへ持ち込まれたが、信頼性に関する問題で販売数は初年度の2,000台から1986年前期の僅か196台へと激減した[30]。CB60型エンジンの触媒付モデル以外のカナダ向けのデ・トマソも特徴の有る長方形のサイドマーカー・ライトを装着していた。

諸元編集

ダイハツ製エンジン搭載のイノチェンティ・ミニ シリーズ(斜字体はテスト結果でありメーカー発表値ではない)
小排気量
エンジン版 
エンジン 排気量
(cc)
燃料供給
方式
出力 トルク 最高速度 0-100
(km/h)
ホイールベース 全長 全幅 全高 車両重量 変速機 生産年
PS kW @ rpm Nm lbft @ rpm km/h mph mm (in) kg lb
ミニ 650, SE "AD" SOHC L2 617 単装
キャブ
31 23 5,700 45 33 3,500 118 73 29.8[20] 2,045
(80.5)
3,160
(124.4)
1,520
(59.8)
1,375
(54.1)
665 1,466 5MT 1984–1987
500 L/LS
スモール 500 L/LS
"EB" SOHC L3 548 31 23 6,400 42 31 4,000 116 72 3,212
(126.5)
1,380
(54.3)
650 1,433 1987–1990
"EF" 659 31 23 6,400 49 36 3,400 120 75 27.4 660 1,455 1990–1993
スモール 500 L/LS (Cat.) 燃料噴射 30 22 6,600 46 34 3,200 118 73 1992–1993
スモール 500 SE (Cat.) 2,206
(86.9)
3,375
(132.9)
1,375
(54.1)
1993
1-リッター版
3 チンドリ/ミニトレ, SE, SE スペチアーレ "CB22" SOHC L3 993 ツインバレル
キャブ
52 38 5,600 74 55 3,200 145 90 17.4 2,045
(80.5)
3,160
(124.4)
1,520
(59.8)
1,380
(54.3)
638 1,407 5MT 1982–1986
5,800 71 52 3,600 675 1,488 1986–1987
ミニマティック, SE 5,600 74 55 3,200 140 87 690 1,521 2AT 1984–1986
990 SE/SL
(スモール) 990 SE/SL
"CB23" 5,600 78 58 3,200 145 90 16.2 2,206
(86.9)
3,375
(132.9)
1,375
(54.1)
695 1,532 5MT 1986–1988
53 39 5,750 78 58 3,500 147 91 715 1,576 1988–1993
スモール 990 SE (Cat.) 燃料噴射 50 37 5,800 74 55 3,300 16.6 1992–1993
990 マティック ツインバレル
キャブ
52 38 5,800 71 52 3,600 140 87 24.4 715 1,576 2AT 1986–1988
53 39 5,750 78 58 3,500 1988–1990
ターボ
デ・トマソ
ターボ
デ・トマソ
"CB-DT" SOHC L3 993 ターボ,
連装キャブ
72 53 6,200 95 70 4,400 165 103 10.8 2,045
(80.5)
3,135
(123.4)
1,530
(60.2)
1,380
(54.3)
670 1,477 5MT 1983–1984
"CB60" 5,700 104 77 3,500 162 101 710 1,565 1984–1988
"CB61" 5,800 108 80 3,400 158 98 1988–1990
ターボ
デ・トマソ (Cat.)
"CB60" 68 50 5,500 106 78 3,200 158 98 1984–1987
ディーゼル
ミニディーゼル, SE "CL10" SOHC L3 993 ディーゼル 37 27 4,600 60 44 3,450 125 78 24.8 2,045
(80.5)
3,160
(123.4)
1,520
(59.8)
1,380
(54.3)
710 1,565 5MT 1984–1985
61 45 3,000 685 1,510 1985–1987
990 ディーゼル SE, SL 2,206
(86.9)
3,375
(132.9)
1,375
(54.1)
740 1,631 1986–1988
"CL11" 4,800 60 44 3,200 1988–1990

脚注編集

  1. ^ 90 km/h定速走行時5.5 L/100 kmと都市部走行時6.6 L/100 km。排気量が大きなモデルは各々5.3と6.5 L/100 km。[24][25]

出典編集

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  28. ^ Matteucci, Marco (March 1985). “Tutte Minime, Tutte col Turbo [All Minuscule, All Turbocharged]” (Italian). Auto Capitale: 22. http://www.detomasobybertone.com/img/autocapital85/3.jpg. 
  29. ^ Automobil Revue 1987, pp. 109, 328
  30. ^ “Innocenti car distributor moves head office to B.C.”. The Montreal Gazette. (1986年8月22日). http://news.google.com/newspapers?id=0lkiAAAAIBAJ&sjid=W6gFAAAAIBAJ&dq=innocenti-de-tomaso&pg=986%2C924459 2011年12月15日閲覧。 

外部リンク編集