ソマリランド
- ソマリランド共和国
- Jamhuuriyadda Soomaaliland(ソマリ語)
جمهورية صومالي لاند(アラビア語)
Republic of Somaliland (英語) -
(国旗) (国章) - 国の標語:لا إله إلا الله محمد رسول الله
(アラビア語: アッラーフの他に神はなし。ムハンマドはアッラーフの使徒である。) - 国歌:平和万歳
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公用語 ソマリ語、アラビア語、英語[1] 首都 ハルゲイサ 最大の都市 ハルゲイサ - 政府
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大統領 ムセ・ビヒ・アブディ 副大統領 アブディラフマン・サイリシ 下院議長 バシェ・モハメド・ファラー - 面積
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総計 176,120[2]km2(???位)推定 水面積率 ごく僅か - 人口
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総計(2015年) 4,033,691[2]人(???位)推定 人口密度 22.9人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(xxxx年) xxx,xxxソマリランド・シリング - GDP(MER)
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合計(xxxx年) xxx,xxxドル(???位) 1人あたり xxxドル - GDP(PPP)
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合計(2012年) 25億7300万[3]ドル(???位) 1人あたり 675[3]ドル - 独立
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ソマリアから 1991年5月24日 独立承認 未承認
通貨 ソマリランド・シリング(SLSH)国際非公式 時間帯 UTC +3(DST:無し)EAT ISO 3166-1 不明 ccTLD 無し 国際電話番号 252(ソマリアと共通)
ソマリランド共和国(ソマリランドきょうわこく、ソマリ語: Jamhuuriyadda Soomaaliland、英語: Republic of Somaliland)は、アフリカ大陸東端のアフリカの角に位置する共和制を取る国家である。旧イギリス領ソマリランドを領土とする。1991年のソマリアからの分離・再独立宣言後、実質的に独立国家として機能しているが、国際的に国家の承認はされていない。通称ソマリランド(ソマリ語: Soomaaliland、英語: Somaliland)。
歴史編集
紀元前編集
紀元前5000年頃の作とされる洞窟壁画がラース・ゲールに存在する。
植民地時代編集
ソマリランドは元来「ソマリ人の地」という意味で、ソマリ人が居住するアフリカ大陸東端地域をそう呼んでいた。この地域は19世紀末~20世紀初頭のアフリカ分割により、イギリス・フランス・イタリア・エチオピア帝国に分割された。
現在のソマリランドの国土は、1887年にイギリス帝国の保護領となり、1905年に植民地化されイギリス領ソマリランドとなった。
ソマリア共和国編集
イギリス領ソマリランドは1960年6月26日にソマリランド国(英語: State of Somaliland)として独立した。ただしこれは同年7月1日に予定されたイタリア信託統治領ソマリアの独立を見越して同地域との統合を目的とした措置で、この独立は5日間だけであった。そして予定通り7月1日に両地域は統合され、「ソマリア共和国」が発足した。ところがモガディシオの中央政府は南部出身者が主導権を掌握し、南部優遇の経済政策などを推し進めた結果、北部地域ではソマリア中央政府および南部地域への反感が強くなり、ソマリアからの分離独立を求める声も高まっていった。
分離再独立編集
1991年1月にモハメド・シアド・バーレによる政権が崩壊した後、それまでの南部優遇政策と混迷を極めるソマリア情勢に失望したイサック主体のソマリ国民運動(SNM)は、1991年5月に旧イギリス領ソマリランド地域の分離・再独立を宣言し、新生ソマリランド共和国を発足させた。見方を変えると、1960年に5日だけ出現して消滅したソマリランド国が31年ぶりに復活したことになり、ソマリランド政府も「独立を回復した」という立場をとっている。
初代大統領にはSNM議長のアブドゥラフマン・アリ・トゥールが就任し、その後1993年5月の選挙で第2代大統領にイブラヒム・エガルが選出された。エガルは2002年に在任中に死去し、副大統領だったダヒル・リヤレ・カヒンが大統領に昇格した。翌年の大統領選挙でカヒンが当選した。2005年10月に下院の議会選挙が行われ、3党が82議席を争った。その結果、カヒン政権の与党統一人民民主党が33議席を獲得して第1党になり、次いで平和統一開発党(クルミエ) (Peace, Unity, and Development Party) が28議席、正義開発党 (For Justice and Development) が21議席を獲得した。
2009年に大統領選挙を実施する予定だったが、選挙人名簿の不備を理由に政府は延期を重ね、8月に選挙人名簿無しのまま選挙戦が始まった。これに対し、野党が反発。野党が優勢な下院は大統領選を再考する決議を採択した。2009年8月29日、野党が優勢なソマリランド下院を、大統領の命を受けたソマリランド軍が武力で制圧。議員は議場に入れない状態となった。イギリス・アフリカ連合・エチオピアが仲裁に乗り出した。
2010年6月26日に大統領選挙が行われ、現地の選挙管理委員会は最大野党クルミエ党首のアフメド・モハンマド・シランヨの当選を発表した[4]。任期は5年。
国際関係編集
ソマリランド側はソマリア暫定連邦政府(後に正式な政府に改編)に対して激しく反発しており、ソマリアとの再統合は、もはや不可能な情勢になっている。現地住民の中でもソマリランドとソマリアは全く別の国であるという認識が強いようで、ソマリアと比べて治安も格段に安定しているソマリランドに誇りを持っている住民が多いという[要出典]。
隣国のエチオピアとは連絡事務所を置くなど比較的緊密な関係を保持し、政治的には安定している[5]。しかし、エチオピアを含め諸外国やアフリカ連合は、ソマリランドを国家承認はしていない。
同じくソマリアからの分離を宣言したプントランドとは国境紛争を抱えている。プントランドはソマリランド共和国と違い、ソマリア連邦政府への参加(要はソマリアに合流する)を表明しており、方針上対立している。また、ソマリランド東部(プントランド側から見れば北西部)はプントランド・ソマリランド紛争も起きており、そこで独立宣言をする地域が出るなど、政情が安定しない結果となっている。
現在ソマリランド共和国は旧英領ソマリランドの西半部を支配しているが、北東のマーヒル地域はソマリアへの帰属を2007年7月に主張、南東のスール州は2003年からプントランドが支配し、さらに西端のアウダル地区にも分離の動きがある。2007年10月にソマリランド軍がスール州都を武力攻撃し、占拠した。2008年にソマリランド軍が東部の町サナーグを攻撃し、マーヒルとプントランドの民兵を駆逐した。
外交編集
現在のソマリランド外務大臣はサアド・アリ・シレ(Dr. Saad Ali Shire)で、2015年10月に就任した[6]。
ソマリランドを正式に国家承認している国家は中華民国(台湾)しかないが、10カ国に駐在員事務所を持っているほか、3カ国の在外公館が首都ハルゲイサにある。
事務所編集
- エチオピア・首都アディスアベバ(連絡事務所)
- ジブチ・首都ジブチ市(事務所)
- ケニア・首都ナイロビ(連絡事務所)
- 南アフリカ共和国・行政首都プレトリア(駐在員事務所)
- アメリカ合衆国・首都ワシントンD.C.(駐在員事務所)
- フランス・首都パリ(事務所)
- イタリア・トリノ(駐在員事務所)
- スウェーデン・首都ストックホルム(駐在員事務所)
- イギリス・首都ロンドン(駐在員事務所)
- 台湾・台北(ソマリランド代表処):(駐在員事務所)
在ソマリランド外国公館編集
政治編集
ソマリランド議会は二院制。上院は82人の「長老」から成る。元々は「国民和解のための大会議(ボロマ会議、ボラマ会議)」と呼ばれ、民兵の武装解除に尽力したため "Peace maker" と言われている。
ソマリランドの憲法の第9条第2項により政党は3つまでしか存在を認められておらず、政党は3つしか存在しない。
政情混乱が続くソマリア本土に対し比較的安定した民主主義が行われているとされる[7]。
治安編集
ソマリア本土よりは治安が守られているという報告もあるが、日本の外務省は「ソマリアではソマリランド(ソマリア北部)を含む全土にわたって治安が極めて不安定であり,渡航者がテロに巻き込まれる可能性や誘拐の被害に遭う可能性が非常に高い状況」とし[8]、危険レベル4「退避してください。渡航は止めてください。(退避勧告)」を出している[9]。2003年には国境なき医師団の医師が殺害される事件が発生している他、2005年には民間人と警察との間で銃撃戦が行われたり、アル・カーイダ戦闘員が逮捕されたりもしている[10]。
地方行政区分編集
地理編集
ソマリランドはアフリカの角の北西部にある。西にジブチ、南にエチオピア、東にプントランドと接する。北のアデン湾に沿って740 kmの海岸線を持つ。気候は乾燥と湿潤が混ざっている。良港を持つベルベラでは47.7 ℃を記録したこともある一方で、北東の町エリガボでは最低気温マイナス3.3度を記録したこともある。
北東部は山岳地域で標高900 mから2100 m程度、西のアウダル地区は肥沃な平地で海には島・サンゴ礁・マングローブが見られ、中央部トグディール地区は半砂漠で多少の緑地がある。エリガボの北10 kmにはアデン湾を見下ろす断崖があり、ネズの林が続く。断崖の高さは2000 mで、エリガボから海へ下る道がある。この近くにソマリランドの最高地点(2416 m)がある。
緑に恵まれたサバンナ地帯では動物が繁殖し、ソマリランド固有種もいる。特徴的な動物としてはクーズーをはじめとする各種のレイヨウ、野豚、ソマリノロバ(アフリカノロバの亜種)、イボイノシシ、ヒツジ(ソマリ羊と呼ばれる)、ヤギ、ラクダ、ライオン、チーターなどが見られ、またブラオにはカラカルの世界最大の生息地があることが知られている。その他、鳥類や魚類にも多くの種類が見られる。
経済編集
ソマリアと比べて政治の安定性はあり、経済も機能しているが、国際的には最貧国の1つとされる。それでも通貨ソマリランド・シリングは、ソマリアの通貨ソマリア・シリングより価値が高い。主要産業は畜産業(特に荷役や食用のラクダ)など第1次産業がほとんどだが、良港ベルベラを抱えることもあり、海上交通の要衝としても注目される。また、このベルベラ港はエチオピアの輸出・輸入港としても機能している。
天然資源としては石油・天然ガス・鉛・石灰・金などの埋蔵が確認されているものの、本格的な採掘はされていない。さらに、独立が承認されていないことからアフリカ連合などの国際機関からの資金援助を受けることができない状態である。
モンティ・マンフォードの2010年のレポートによると、ソマリランドでは現金があまり信用されておらず、キャッシュカードやATMが普及していないためキャッシュレス化が進んでおり、モバイルバンキングが盛んであるという。ソマリランド国内ではモバイルバンキングキャリアが競争を繰り広げており、広く利用されている。また、世界各地のソマリランド離散民は、ダハブシルのような海外送金業者を使用してソマリランドにアメリカ合衆国ドル(米ドル)を送金しており、ソマリランドの人々は世界各地の代理店および支店を通じて入金されてから5分以内に米ドルを引き出すことができる[11]。
現地を走る車の99%は日本車であるという[12]。またダーロ航空が、ジブチ・ドバイ・ジェッダ・アディスアベバに就航している。
国民編集
民族編集
住民はソマリ人。ソマリ人は5大氏族(ラハンウェインをディジルとミリフレに分けた場合は6大氏族)に分かれるが、ソマリランドの主要氏族はイサックで、ソマリア南部の主要氏族ハウィエとは異なる。なおイッサはジブチ(旧フランス領ソマリ)で多数派を占めているほか、エチオピアにも居住している氏族であるが、イサックとは名前は似ているものの実際には無関係であり、氏族で言えばディル氏族に属する。
言語編集
大多数の国民は2つの公用語である、ソマリ語かアラビア語を話す。イスラム教の必修技能であるアラビア語の教育は学校で義務的に行われ、国中のモスクでも使用される。また英語も学校で話され、教育されている。
ソマリ語は、クシ語派の、エチオピア、ソマリア、ジブチ、ケニアなどで話されている低地東部クシ語群に属している。最も広く使われているソマリアの方言は共通ソマリ語である。言語の才覚は、ソマリ社会で非常に重要とされている。求婚者、戦士、聖職者、政治家などの能力は、その雄弁さによって大きく左右される。
イギリス領ソマリランドの時代には、英語が、学校や政府で支配的だった。そのため政府や民間企業の重要なポストが、ほんの一部の英語使用層によって占められることになる。言語的には均質性の高い地域であるにもかかわらず、社会の一部の人々にしか親しまれていない外国語の支配に基づいて社会・経済の発展を図ることは、大きな社会問題となった。
1972年にソマリア政府がラテン文字表記によるソマリ語の公的な使用を必須とし、言語による障害は大きく改善することになった。
宗教編集
ほぼ全ての国民がイスラム教スンナ派であり、イスラム教は国教となっている。イスラム教以前のアニミズムの痕跡はソマリランドにも認められるが、イスラム教はソマリランド社会の中心的な規範となっている。
イギリス統治時代には、カトリックによる布教が行われた。
教育編集
税所篤快が尽力して、米倉誠一郎が学長を務める起業家育成に特化したソマリランド初の大学院 Japan-Somaliland Open University が2014年11月に開校したが[13]、治安が悪く日本政府および家族から止められたため失敗に終わった[14]。
脚注編集
- ^ Somaliland Republic : Country Profile Archived 2012年2月12日, at WebCite
- ^ a b “Political Handbook of the World 2016-2017”. 2017年9月15日閲覧。
- ^ a b Somaliland Central Statistics Development. Somaliland GDP Report 2012-2017 Accessed 15 May 2020.
- ^ 「大統領」に野党党首 独立宣言のソマリランド外務省 海外安全ホームページ
- ^ Section II: Somaliland Archived 2010年12月10日, at the Wayback Machine.. International Council on Security and Development、2010-9-24閲覧。
- ^ “SOMALILAND:Ministry Of Foreign Affairs all Staff Members Welcomed New Appointed Minister Dr.Saad Ali shire”. Somaliland Nation News. (2015年10月30日) 2018年9月3日閲覧。
- ^ 謎の独立国家ソマリランド高野秀行著日本経済新聞2013年4月10日付
- ^ ソマリア - 海外安全ホームページ: テロ・誘拐情勢
- ^ ソマリア - 海外安全ホームページ: 危険・スポット・広域情報
- ^ 外務省 海外安全ホームページ
- ^ ちっぽけなソマリランドは、世界初のキャッシュレス社会になれるか? - TechCrunch
- ^ NHK「アフリカ」プロジェクト『アフリカ21世紀――内戦・越境・隔離の果てに』日本放送出版協会、2002年、81ページ。ISBN 4-14-080693-1
- ^ “東アフリカの未承認国家「ソマリランド」で大学院を作った25歳の日本人”. (2014年12月30日) 2015年1月18日閲覧。
- ^ 教育界の「お騒がせ男」が受験サプリに加入した理由
参考文献編集
- 松本仁一 『カラシニコフ I』 朝日文庫、2008年7月。ISBN 4-02-261574-5、ISBN-13: 978-4-02-261574-9。
- 高野秀行 『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』 本の雑誌社、2013年2月。ISBN 978-4-86011-238-7。
関連項目編集
外部リンク編集
- ソマリランド政府公式サイト (英語)
- ソマリランド - Facebook (英語)
- ソマリランド (@Somalilandgovt) - Twitter (英語)
- ソマリランド共和国憲法 - Somalilandlaw.com (英語)