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チャールズ・ウェイド・バークレーCharles Wade Barkley1963年2月20日 - )はアメリカ合衆国アラバマ州リーズ出身のバスケットボール選手。

チャールズ・バークレー
Charles Barkley
Charles Barkley at East Carolina University.jpg
引退
役職 TNT解説者
殿堂 バスケットボール殿堂
永久欠番 シクサーズ  34  サンズ  34 
ポジション(現役時) PF
背番号(現役時) 34, 32, 4
身長(現役時) 198 cm (6 ft 6 in)
体重(現役時) 120 kg (265 lb)
足のサイズ 34.0cm
基本情報
本名 Charles Wade Barkley
愛称 空飛ぶ冷蔵庫(小山)、Sir Charles
ラテン文字 Charles Barkley
誕生日 (1963-02-20) 1963年2月20日(56歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州リーズ
出身 オーバーン大学
ドラフト 1984年5位 
選手経歴
1984-1992
1992-1996
1996-2000
フィラデルフィア・76ers
フェニックス・サンズ
ヒューストン・ロケッツ
受賞歴
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 1992, 1996
 
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
1992 バルセロナ バスケットボール
1996 アトランタ バスケットボール

NBAで16シーズンプレーした。1992年バルセロナオリンピック1996年アトランタオリンピックの金メダリスト。2006年バスケットボール殿堂入り。

「チャールズ・バークリー」と表記されることもある。

NBA史上、(生涯)通算得点20,000P、通算リバウンド数10,000R、通算アシスト数4,000Aを超えた5人の選手の一人[1]。インサイドを完全に支配できた、NBA史上最高のパワーフォワードと謳われている。公称身長198cm(実際は193-195cm程度と自認)ながら、非常に体重(横幅)のある選手であった。その巨体に見合わぬ、高い運動能力と技術を有していた。大変な毒舌家であり、歯に衣着せぬ物言いでも有名。コートの内外にかかわらず、話題に欠けることのない人物。愛称は「空飛ぶ冷蔵庫(小山)」「サー・チャールズ

目次

経歴編集

学生時代編集

オーバーン大学でプレイしていた頃に頭角を表し始める。この頃には既に身長にしては体重があり、それをからかう記者などもいた。跳躍力と体重を活かしたリバウンドを持ち味に評価を高め、ついには1984年オリンピック代表候補となるが、最終的には選考から漏れている。

NBA編集

フィラデルフィア・セブンティシクサーズ編集

1984年のNBAドラフトで、フィラデルフィア・セブンティシクサーズより全体5位で指名を受ける。キャリア初期は体重コントロールが出来ず、走ることが苦しかったと語っているが、ウェイトトレーニングをして、身体ができてからトップレベルでやれる自信がついたと話す通り、プレーもどんどん向上していった。Dr.Jこと ジュリアス・アービングモーゼス・マローンら歴史に残る名選手に囲まれながらも、バークレーは次第に存在感を示すようになり、1987年にはオールスター戦出場を果たす。

個人成績はリーグ屈指のスター選手にふさわしいものになっていたが、チーム成績は降下していき、バークリーはチームのフロントに不満を持つようになる。1992年ドリームチームの一員として金メダルを獲得した後[2][3]、自ら志願したトレードによりフェニックス・サンズへと移籍した。

フェニックス・サンズ編集

新チームに移ったそのシーズン、リーグ屈指のPGケビン・ジョンソンとバークリー、セドリック・セバロスら将来を嘱望される若手、またダン・マーリーらベテランがうまく噛み合い、サンズはブルズをも上回るリーグ最高の62勝20敗という成績を上げ、バークリーはMVPを受賞。NBAファイナルに進出、マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズと対戦。しかしチームは、ホームゲームで全敗したことが大きく響き、シリーズはブルズの4勝2敗の勝利で終わり、バークリーは悲願の優勝を逃す。

この次期以降、バークリーは怪我がちになり欠場が増えるようになり、また同じくチームの柱であったケビン・ジョンソンダニー・マニングといった他のオールスター級の選手が軒並み怪我を起こし、サンズは唯一ダン・マーリーだけが安定して出続ける満身創痍のチームとなりブルズに対抗できるスター軍団と目されていたにもかかわらず、結果を残す事が出来ずに二度とNBAファイナルへの進出はならず、バークレーとチームオーナー、ジェリー・コランジェロの間の確執が表面化した。

ヒューストン・ロケッツ編集

1996年、バークリーは優勝できる新天地を求めヒューストン・ロケッツに移籍。アキーム・オラジュワンクライド・ドレクスラーといった当時を代表する選手をチームメートに得る。しかしNBAファイナル進出はならず、1998年にドレクスラーは引退。翌シーズンは入れ替わりにスコッティ・ピッペンが加入するもののまたもやファイナル進出は果たせなかった。1999年12月8日の古巣フィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦で左膝の腱断裂という全治6か月の重傷を負い、その翌日にシーズン限りでの引退を発表した。その際、数年前にコート内外での態度に対して苦言を呈し、舌戦を繰り広げていたアレン・アイバーソンも引退会見に駆けつけ、労を労った。その後、怪我を負いコートから担ぎ出される姿で終わりたくないとの思いからリハビリを開始。見事に最終戦に間に合わせ、わずか6分間であるが出場し、リバウンド、ゴールも記録した。

引退後編集

引退後はTNTコメンテーターの仕事をしている。現役時代には映画『ホットショット』でビル・レインビアとともにカメオ出演し、また『スペース・ジャム』ではマイケル・ジョーダンらと共演した。

1996年NBA創設50周年を記念して選出された「50年の歴史で偉大な50人の選手」の1人。10年後の2006年にはバスケットボール殿堂に迎え入れられた。2001年、バークリーがフィラデルフィア・セブンティシクサーズで使用していた背番号34が同チームで永久欠番となり、2004年フェニックス・サンズでも使用していた背番号34も、永久欠番に認定されている。

時折彼がアラバマ州知事選に出馬するとの噂がのぼり、その度バークリー自身はそれを否定してきたが、2006年には2010年の知事選出馬に意欲を見せた。バークリーは従来共和党支持を明言していたが、2010年の知事選に出る場合には民主党からの出馬になると述べた。

個人成績編集

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ    リーグリーダー    優勝シーズン   
* Led the league

レギュラーシーズン編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1984–85 Philadelphia 82 60 28.6 .545 .167 .733 8.6 1.9 1.2 1.0 14.0
1985–86 Philadelphia 80 80 36.9 .572 .227 .685 12.8 3.9 2.2 1.6 20.0
1986–87 Philadelphia 68 62 40.3 .594 .202 .761 14.6* 4.9 1.8 1.5 23.0
1987–88 Philadelphia 80 80 39.6 .587 .280 .751 11.9 3.2 1.3 1.3 28.3
1988–89 Philadelphia 79 79 39.1 .579 .216 .753 12.5 4.1 1.6 0.9 25.8
1989–90 Philadelphia 79 79 39.1 .600 .217 .749 11.5 3.9 1.9 0.6 25.2
1990–91 Philadelphia 67 67 37.3 .570 .284 .722 10.1 4.2 1.6 0.5 27.6
1991–92 Philadelphia 75 75 38.4 .552 .234 .695 11.1 4.1 1.8 0.6 23.1
1992–93 Phoenix 76 76 37.6 .520 .305 .765 12.2 5.1 1.6 1.0 25.6
1993–94 Phoenix 65 65 35.4 .495 .270 .704 11.2 4.6 1.6 0.6 21.6
1994–95 Phoenix 68 68 35.0 .486 .338 .748 11.1 4.1 1.6 0.7 23.0
1995–96 Phoenix 71 71 37.1 .500 .280 .777 11.6 3.7 1.6 0.8 23.2
1996–97 Houston 53 53 37.9 .484 .283 .694 13.5 4.7 1.3 0.5 19.2
1997–98 Houston 68 41 33.0 .485 .214 .746 11.7 3.2 1.0 0.4 15.2
1998–99 Houston 42 40 36.3 .478 .160 .719 12.3 4.6 1.0 0.3 16.1
1999–00 Houston 20 18 31.0 .477 .231 .645 10.5 3.2 0.7 0.2 14.5
Career 1,073 1,012 36.7 .541 .266 .735 11.7 3.9 1.5 0.8 22.1
All-Star 11 7 23.2 .495 .250 .625 6.7 1.8 1.3 0.4 12.6

プレイオフ編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1985 Philadelphia 13 2 31.4 .540 .667 .733 11.1 2.0 1.8 1.2 14.9
1986 Philadelphia 12 12 41.4 .578 .067 .695 15.8 5.6 2.3 1.3 25.0
1987 Philadelphia 5 5 42.0 .573 .125 .800 12.6 2.4 0.8 1.6 24.6
1989 Philadelphia 3 3 45.0 .644 .200 .710 11.7 5.3 1.7 0.7 27.0
1990 Philadelphia 10 10 41.9 .543 .333 .602 15.5 4.3 0.8 0.7 24.7
1991 Philadelphia 8 8 40.8 .592 .100 .653 10.5 6.0 1.9 0.4 24.9
1993 Phoenix 24 24 42.8 .477 .222 .771 13.6 4.3 1.6 1.0 26.6
1994 Phoenix 10 10 42.5 .509 .350 .764 13.0 4.8 2.5 0.9 27.6
1995 Phoenix 10 10 39.0 .500 .257 .733 13.4 3.2 1.3 1.1 25.7
1996 Phoenix 4 4 41.0 .443 .250 .787 13.5 3.8 1.0 1.0 25.5
1997 Houston 16 16 37.8 .434 .289 .769 12.0 3.4 1.2 0.4 17.9
1998 Houston 4 0 21.8 .522 .000 .571 5.3 1.0 1.3 0.0 9.0
1999 Houston 4 4 39.3 .529 .286 .667 13.8 3.8 1.5 0.5 23.5
Career 123 108 39.4 .513 .255 .717 12.9 3.9 1.6 0.9 23.0

Career highs編集

Stat High Team Opponent Date
Points 47 Philadelphia 76ers at Atlanta Hawks 1988年2月9日
Points (Playoffs) 56 Phoenix Suns at Golden State Warriors 1994年5月4日
Field goals made, none missed 10—10 Philadelphia 76ers vs. San Antonio Spurs 1989年3月24日
Field goals made (Playoffs) 23 Phoenix Suns at Golden State Warriors 1994年5月4日
Field goal attempts (Playoffs) 31 Phoenix Suns at Golden State Warriors 1994年5月4日
Free throws made, none missed 15—15 Philadelphia 76ers vs. Golden State Warriors 1991年11月8日
Free throws made 22 Phoenix Suns vs. Washington Bullets 1995年12月20日
Free throw attempts 27 Phoenix Suns vs. Washington Bullets 1995年12月20日
Three-point field goals made, none missed 6—6 Philadelphia 76ers at Miami Heat 1989年2月22日
Three-point field goal attempts 11 Houston Rockets at Toronto Raptors 1996年12月2日
Rebounds 33 Houston Rockets at Phoenix Suns 1996年11月2日
Offensive rebounds 16 Philadelphia 76ers vs. New York Knicks 1987年3月4日
16 Philadelphia 76ers vs. Denver Nuggets 1987年3月20日
Defensive rebounds 25 Houston Rockets at Phoenix Suns 1996年11月2日
Assists 14 Philadelphia 76ers at Indiana Pacers 1986年11月4日
Steals (Playoffs) 7 Phoenix Suns vs. San Antonio Spurs 1993年5月13日
Steals 7 Philadelphia 76ers at New York Knicks 1987年1月27日
7 Philadelphia 76ers vs. Cleveland Cavaliers 1990年1月12日
7 Phoenix Suns at Milwaukee Bucks 1996年1月26日
Blocked shots 7 Philadelphia 76ers vs. Portland Trail Blazers 1986年11月28日
Minutes played 58 Houston Rockets vs. Los Angeles Lakers 1996年11月12日

プレイスタイル編集

NBA史上最高のパワーフォワードと謳われる存在。類稀なオリジナリティとカリスマを持ったプレイヤーとして評価を受けている。

身長198cm(実際は193-195cm)とガード並だが、常時体重115kgをオーバーする非常に大柄な選手であった。フォワードとしては低身長だったが、屈強な肉体を活かしてセンターをも圧倒。バークレーは重量級ながらも極めて高い運動能力を有しており、コート上を端から端まで高速で駆け抜けるスピード、リングの遥か上まで手が届く豊かな跳躍力を発揮した。高い運動能力と巨躯が生み出す圧力で、2メートルを超える大男たちを打ち負かした。

リーグ屈指のオールラウンダーであり、得点、パス、リバウンド、ブロックショットといったあらゆる部門において毎試合高度なパフォーマンスを魅せた。圧倒的パワー、広いウイングスパン、高い跳躍と走力を併せ持っており、パワーフォワードというポジションでありながら、ガードと並走する姿がよく見られるほど前衛を走る走力があり、なおかつパワーに恵まれていたためドリブルでそのままダンクまで持ち込むパワフルなシーンが多かった。一方トランジションの場面においても、インサイドではポストアップからのスピンムーブ、アウトサイドでも優れたクイックネスを発揮し、ミドルレンジや、時に3Pなどのロングジャンパーも使う。ボールハンドリングも巧く、自身が攻撃の起点となり敵チームの隙を突いたパス捌きでアシストも多く記録。特に有名なのが、トップポジションからバックビハインドでゴール下へアシストしたプレイで、ハイライトによく使われる。当時のパワーフォワードとしては攻撃の選択肢が幅広い希少な選手であった。

過度なハッスルプレイや奇想天外な言動、あからさまなラフプレイが引き起こした数々のトラブルから、「冷静沈着」の対極に位置する人物として認識されやすい。しかし、稀有な高いバスケットボールIQと要所で機転を利かせられるクレバーなプレイスタイルを持ち合わせているため、決して一筋縄ではいかないプレイヤーであった。

大変な毒舌家であり、ラフプレイと口の悪さでマッチアップマンを苛立たせるNBA史上屈指のトラッシュ・トーカーだったが、抜群のユーモアセンスでファンが多かった。

キャリア通算(一試合平均)、22.1得点、11.7リバウンド、3.9アシスト。

ユーモアの1例編集

  • トイレで小銭を便器に落としたとき、わざと紙幣をもトイレに落としてから小銭と紙幣を一緒に拾って

「だって、こんなはした金のために手を汚す気にならないだろ」

  • 「(沈没船が題材の映画)タイタニックを見ましたか?」とインタビューで聞かれ、

「あぁ、見たよ。ダラスデンバーに・・(全て当時の弱小チーム)」

「なぁ、神様がそんなにいいモノなら、なんでお前にジャンプ・ショットを授けてくれなかったんだろうな」

「やっと酒の飲めるヤツが入ってきたぜ」

「開幕戦の相手はキングスだろ!? じゃあ、俺が出なくても勝てるよな!?」

その他編集

  • 横幅のある体型と並外れた跳躍力から「空飛ぶ冷蔵庫」の異名を取った。
  • とんねるずの生でダラダラいかせて!!石橋貴明らとバスケットの試合をした。バークレー側が勝利する。
  • エースコックのカップラーメン「豚キムチ」のCMに出演したことがある。また、ナイキのCMではゴジラと対決したこともある。
  • 2006年5月3日ESPNのインタビューで、自身のギャンブル癖を認めると共にこれまでに1000万ドル以上を失ったと告白。金には困っていないようで止める気は全く無い様子。
  • 姚明がドラフトで指名された時、ケニー・スミスを相手に、「もし姚明が20得点出来たら、スミスの“”にキスする」という賭けをしたが、姚が20得点を記録し賭けに負けてしまう。結局、スミスが“ロバ”を用意し、それにキスすることで落着となった(尻、ロバは共に英語で“ass”)。なお、キスの模様の映像は全米に放送された。
  • マイケル・ジョーダンとはライバルでありながら親友であり、一緒にゴルフをする仲。

脚注編集

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  1. ^ nba.com, Charles Barkley Career Statistics, accessed March 7, 2007
  2. ^ Hall of Famers”. Basketball Hall of Fame. 2009年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月2日閲覧。
  3. ^ アーカイブされたコピー”. 2010年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月11日閲覧。

外部リンク編集