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三島 海雲(みしま かいうん、1878年〈明治11年〉7月2日 - 1974年〈昭和49年〉12月28日)は、明治大正昭和時代の日本実業家カルピス株式会社創業者、ほか)。

みしま かいうん
三島 海雲
Mishima Kaiun.jpg
光琳『食品工業』5月上旬号(1965)より
生誕 1878年7月2日
日本の旗 大阪府豊島郡萱野村(現・箕面市萱野)
死没 (1974-12-28) 1974年12月28日(96歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校
職業 カルピス創業者

目次

略歴編集

特色編集

  • 海雲はマーケティング活動にも秀でていた。「カルピス」という特色ある商品名の考案、「初恋の味」というキャッチフレーズの採用のほか、有名な黒人マークは今でいう国際コンペで募集されたものである。また、関東大震災時に善意から無料でカルピスを配給したこともカルピスの知名度向上に貢献した。1920年に動物愛護会とのタイアップによる伝書鳩レース、1926年には日比谷公園での囲碁大会など、今でいうところの企業広告、PR活動を展開した。
  • 「カルピス」の商品名はサンスクリット語の仏教用語が語源である。このように海雲の生涯の根底には仏教精神、仏教哲学があり、学生の頃より、「国利民福」(国の利益と人々の利益)を旨としていた。

思想編集

  • 「『お釈迦様は、一切の行動の効果を有するものは唯私欲を離れし、根本より生ずる』といわれた。私が今日あるのは先達、友人、知己、国民大衆の方々のカルピスに対する惜しみない声援によるものである。したがって得られた財物は1人三島海雲のものではない。あげて社会にお返しすべきだ。」「本財団の基本金はきわめて僅少である。しかし、創設者三島海雲の現有全財産を注入したものである。その狙うところは、私欲を忘れて公益に資する大乗精神の普及に在る。広野に播かれた一粒の麦になりたいのである。」(三島海雲記念財団設立趣意書より)
  • 「人の短を道(い)うなかれ、己の長を説くなかれ。人に施しては慎んで、念(おも)うなかれ。施を受けては慎んで、忘るるなかれ(後略)」、「私が若人に望むことは、“私心を離れよ。そして大志を持て”ということである。」(講演会にて)
  • 「人間は正直であらねばならない。売る品物も正直でなくてはならない。ハチミツを通じて健康を売るのだから、いいものを正直に正しく売りなさい」(三島食品工業での戒め)
  • 著書に「初恋50年」(歴史をつくる人々9. ダイヤモンド社)。『長寿の日常記』(のち『私の履歴書 経済人.10』 各日本経済新聞社、2004年復刻)がある。
  • また<カルピス文化叢書>で東洋史学者の 矢野仁一小島祐馬桑原隲蔵羽田亨を講演録を再刊するなど東洋文化興隆に晩年力を入れた。

関連文献編集

評伝編集

  • 後藤文顕『カルピス創業者 三島海雲の企業コミュニケーション戦略』(学術出版会「学術叢書」、2011年)
  • 山川徹『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館、2018年)

関連項目編集

外部リンク編集


先代:
(新設)
カルピス製造/カルピス食品工業社長
初代:1917年 - 1950年
次代:
國分勘兵衛
先代:
國分勘兵衛
カルピス食品工業社長
第3代:1956年 - 1970年
次代:
土倉冨士雄