井戸木

埼玉県上尾市の町丁
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井戸木(いどぎ)は、埼玉県上尾市にある町名。市の統計などでは大石地区で分類されている。

井戸木
井戸木の位置(埼玉県内)
井戸木
井戸木
井戸木の位置
北緯35度59分21.87秒 東経139度33分43.9秒 / 北緯35.9894083度 東経139.562194度 / 35.9894083; 139.562194
日本の旗 日本
都道府県 埼玉県
市町村 上尾市
地区 大石地区
面積
 • 合計 0.5904[1] km2
標高
21.5[2] m
人口
2017年(平成29年)10月1日現在)[3]
 • 合計 4,886人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
362-0071[4]
市外局番 048(浦和MA[5][6]
ナンバープレート 大宮
座標の場所は井戸木記念会館を示す。

現行行政地名は井戸木一丁目から四丁目。住居表示未実施地区[7]郵便番号は362-0071[4]

地理

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埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市北部の大宮台地上に位置し、桶川市と隣接する。かつては桶川市側にも大字井戸木として残っていたが地名変更により消滅している(後述)。その経緯から特に1丁目、2丁目は三方を桶川市に囲まれている。泉台中妻のほか、桶川市の若宮鴨川朝日に隣接している。地区の西端を鴨川暗渠で南に流れる。全域が市街化区域[8]で主に第一種低層住居専用地域(主要な通り沿いは第一種中高層住居専用地域第二種住居地域)に指定され、全体的に住宅地となっている。また、一部生産緑地地区として耕作地も見られる。井戸木二丁目32番地に上尾市の最高地点(標高21.5 m)がある[2]

地内に集落跡である井戸木三丁目遺跡(県遺跡番号:14-224[8])や井戸木二丁目遺跡(県遺跡番号:14-227)などがあり、土器片も発掘されている。

地価

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住宅地の地価は、2019年平成31年)の都道府県地価調査によれば、井戸木四丁目36-14外の地点で10万5000円/m2となっている[9]

歴史

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かつては江戸期より存在した武蔵国足立郡大谷に属する井戸木村で、古くは足立郡のうちの中世末期頃より見出せる伊奈荘(いなのしょう)に属したと云う[10]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では151余(田27石余、畑123石余)[11]、『元禄郷帳』や『天保郷帳』によると216石余であった。化政期の戸数は40軒余で、村の規模は東西10、南北15町余であった[12]。名前の由来はスイカズラ科の潅木であるエドノキの訛化と云われている[2][10]助郷中山道桶川宿に1694年(元禄7年)より出役し、勤高は118石てあった[13]。1759年(宝暦9年)では勤高は260石てあった。領家村の流作場入会地)からの客土用土採取に関して中分村、小泉村、小舗谷村(小敷谷)との間で取交わしていた土取協定に1826年(文政9年)より加わった[13]

1875年(明治8年)の農業産物高は『武蔵国郡村誌』によると米7.34石、陸稲20石、4.7石、大麦174.1石、小麦43.7石、大豆18.7石、栗20石、甘藷13000貫であった[14][注釈 1]

1955年1月の合併(昭和の大合併)で井戸木を含む大石村は上尾町となったが、この地域は地理的に桶川宿に近く、古くから桶川との関係が深かった。そのため桶川町に編入を希望する住民が多く、上尾町成立後も桶川町への編入を求める運動が続き、上尾派(愛郷同志会)と桶川派で対立を招くこととなった[15][16][17]。県の町村合併促進審議会の実情調査後の勧告により、桶川町側は異論はなかったが、上尾町側は難色を示した。その後上尾・桶川の両町長および両議長と県地方課長らで協議した結果、住民の意思を尊重して北部に位置する後地区の全域を翌年4月1日に桶川町に編入し[18][19]、翌日に上尾町に留まることを希望した一部の世帯を再び上尾町に編入することで決着を見ることとなった[17][18]。これにより上尾町、桶川町の両方に井戸木という地名が並立することとなった。その後桶川市大字井戸木は住居表示の実施により行政地名から消滅し、新たな町名に変更された。現在の鴨川[20]の大半、若宮[21]の一部がこれに相当する。

上尾市においてもこの地域で区画整理事業が実施されて大字井戸木は無くなったものの、地番整理などもあって従前の大字とは完全に一致するものではないが[2]、新町名に井戸木が採用され行政地名として存続することとなった。

1590年天正18年)は旗本西尾氏の知行地(後に慶長7年立藩して原市藩となる)[10]1618年元和4年)より西尾氏の移封により上知され幕府領となる。1624年寛永元年)より一部岩槻藩阿部氏領で残りは旗本柴田氏の知行地となる[10][2]1681年天和元年)より阿部氏領は上知され再び幕府領(代官支配地)となる。旗本柴田氏の知行地も1698年元禄11年)[注釈 2]より上知され再び幕府領となる[10][2]。なお、検地は1694年(元禄7年)に実施[13]1767年明和4年)より川越藩松平家領[2]1832年天保2年)より出羽山形藩領、1843年(天保13年)より幕府領となる[10]

幕末の時点では足立郡井戸木村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[注釈 3][2][22][13]

  • 1871年(明治4年)10月 - 正願寺(新義真言宗、倉田明星院末)および無量庵(黄檗宗、信州塩野村普賢寺末、1960年再建)が廃寺となる[23][13]
  • 1872年(明治5年)3月 - 大区小区制施行により第18区に属す[24][25]
  • 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
  • 1884年(明治17年)7月14日 - 連合戸長役場制により成立した小泉村連合に属す。連合戸長役場は小泉村に設置[26]
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、井戸木村を含む区域をもって大石村が成立[27]、井戸木村は大石村大字井戸木となる。
  • 1946年昭和21年)9月15日 - 地内の井戸木605番地にビグストンが操業を開始する[28]
  • 1954年(昭和29年)
    • 10月4日 - 井戸木の合併を巡って上尾派の会合中に桶川派が乱入し[注釈 4]、両派が衝突する暴行傷害事件が発生する[16]。翌日上尾町長、原市町長、大石村長は大宮警察署に出向き、取り調べを受けている11名の寛大な措置を嘆願したが、署長は暴行を働いたことは許し難く徹底的に取り締まると語った[16]
    • 10月25日 - 大字井戸木における境界変更に関する陳情書が大石村より旧上尾町の町長宛に提出する[29]
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 大石村が合併によって上尾町となり、上尾町の大字となる[30]
  • 1956年(昭和31年)
    • 4月1日 - 大字井戸木の北部に位置する字後地区の全域を桶川町に編入する[18][19]桶川町大字井戸木が成立する。これにより80世帯(または81世帯)が桶川町側に移る[18]
    • 4月2日 - 桶川町大字井戸木字後地区の一部[注釈 5]を再び上尾町に編入する。これにより13世帯が上尾町側に移る[31][18](67、8世帯は桶川町側に残留)。
  • 1958年(昭和33年)7月15日 - 上尾町が市制施行され[30]、上尾市の大字となる。
  • 1968年(昭和43年) - 住居表示の実施により桶川町大字井戸木が若宮および鴨川の一部となる。これにより桶川町大字井戸木は消滅する。
  • 1972年(昭和47年)12月26日 - 鴨川土地区画整理事業の都市計画決定[32]
  • 1974年(昭和49年)11月 - 地内に鴨川緑道が完成する[33]
  • 1979年(昭和54年)4月1日 - 大字井戸木43番地に上尾市立大石北小学校が開校する[34]。学区も上尾市立大石小学校から分離、当校に変更される[35]
  • 1985年(昭和60年)10月2日 - 鴨川土地区画整理事業の完成により地番変更を実施、大字井戸木が大字沖ノ上小泉中妻の各一部と併合して井戸木一丁目〜四丁目が成立する[36]。また、同日に大字井戸木の一部が泉台の一部となる[36]。また、同日に大字井戸木の一部が中妻(三丁目〜五丁目)の一部となる[36]。これにより大字井戸木は消滅する。
  • 1989年平成元年)5月1日 - 上尾市と桶川市との境界変更を実施、井戸木一丁目〜三丁目の一部[注釈 6]を桶川市に編入し、桶川市朝日町一丁目〜三丁目、鴨川二丁目、若宮二丁目の各一部を上尾市側に編入する[37][38]これにより該当区域に居住する2世帯6人が桶川市側に移る[39]
  • 2007年(平成19年)3月1日 - 「井戸木の延宝三年銘庚申塔」が市の登録文化財(有形民俗文化財)に指定される[40]

存在していた小字

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下記以外にも『武蔵國郡村誌』には「あての木」、『新編武蔵風土記稿』には「柿木」の記載がある[注釈 7]が、現在の場所を特定できない。また、『武蔵國郡村誌』および『新編武蔵風土記稿』の瀬戸原せどっぱらは現在の桶川市鴨川、『新編武蔵風土記稿』の上原かみっぱらは現在の原新町に属するものと思われる[2]

世帯数と人口

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2017年(平成29年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]

丁目 世帯数 人口
井戸木一丁目 447世帯 1,027人
井戸木二丁目 658世帯 1,465人
井戸木三丁目 383世帯 950人
井戸木四丁目 573世帯 1,444人
2,061世帯 4,886人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[42]

丁目 番地 小学校 中学校
井戸木一丁目 全域 上尾市立大石北小学校 上尾市立大石中学校
井戸木二丁目 全域
井戸木三丁目 全域
井戸木四丁目 全域

交通

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地域内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅はJR東日本高崎線桶川駅であるが井戸木四丁目36-14外の地点よりおよそ1.7 km[9]離れている。

道路

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地区内に国道および主要地方道・一般県道は通っていない。なお、地区の西側付近を埼玉県道57号さいたま鴻巣線が通るが、その路線名称を県道66号井戸木中野林浦和線[注釈 11]としていた時期があった。

  • 若宮中妻線[8](並木通り)
  • 中妻井戸木線(浅間通り)
  • 井戸木町谷線(富士見通り[注釈 12]) - 井戸木二丁目交差点の東西方向の通り。
  • 朝日ヤナギ通り - 桶川市側の愛称。朝日交差点の東西方向の通りで、上尾市側は特に愛称はなく、路線番号で上尾市道20884号および20942号[8]としている。

バス

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地区内には路線バスが無く、コミュニティバスのみの運行となっている。なお、過去に丸建自動車(現丸建つばさ交通)のけんちゃんバスが運行され、地内に「井戸木1丁目」、「井戸木2丁目」、「井戸木3丁目」、「井戸木記念会館前」バス停留所が設置されている時期があった[44]

上尾市コミュニティバス「ぐるっとくん[45]
  • 大石桶川線
  • 大石領家北上尾線
地区内は「井戸木記念会館南」、「井戸木記念会館」、「井戸木二丁目」、「井戸木郵便局前」、「井戸木三丁目」バス停留所が設置されている。

※ 桶川市内循環バス「べにばなGO」も地区内を通るが、バス停留所は設置されていない[46]

地域

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かつては村社の雷電社[47]や鎮守の浅間社のほか日枝社や山王社や荒神社などがあったが[2]、地内に神社は存在しない。旧大石村で村内にある神社の合祀が1907年(明治40年)に行われたためである[48]。合祀先は小泉の氷川神社で、合祀後は八合神社に改称された[47]。 また、「井戸木の延宝三年銘庚申塔」が井戸木一丁目の井戸木共同墓地内にある[40]

町内会

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公園

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  • 井戸木公園(街区公園[50]) - 指定緊急避難場所(地震・洪水)に指定[51]
  • 山王公園(街区公園) - 指定緊急避難場所(地震・洪水)に指定[51]。2018年3月に廃止され、民間に払い下げられる予定であったが、2022年3月現在も存続している[52]。かつて山王社があった場所。
  • 新田公園(街区公園) - 指定緊急避難場所(地震・洪水)に指定[51]
  • 地蔵公園(街区公園) - 指定緊急避難場所(地震・洪水)に指定[51]
  • 東公園(街区公園) - 指定緊急避難場所(地震・洪水)に指定[51]
  • 東第二公園
  • 井戸木広場
  • 鴨川緑道(都市緑地[50]

施設

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かつては地内にビグストン[1](テープレコーダーやカーステレオなどを製造する企業)の本社および工場があった[28]

脚注

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注釈

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  1. ^ その他、清酒150石[14]
  2. ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 435頁では元禄期と記されている。
  3. ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
  4. ^ 『わがまち 上尾を知ろう 上尾の戦中・戦後の姿』 172頁では、愛郷同志会の会合に桶川町合併派が押し寄せたと記されている。
  5. ^ 大字井戸木の470-2、470-4、470-5、471-1、472-1、472-3、473-1、474〜478、480-1〜480-3、481-1〜481-3、482-1、482-2-2、482-5〜482-15、483、484、485-1、485-2、486〜496、497-1、497-2、498、536、551、552の区域とそれに付随する街路[18]が該当する。
  6. ^ 井戸木一丁目1-1、1-7〜1-9、2-1〜2-3、6-7、6-18〜6-21、28-1〜28-5、29、30、31-1〜31-5、100-1、100-2、100-6、100-10、100-37〜100-40、井戸木二丁目27-12、46、47-1〜47-4、100-33、100-39、100-40、100-44、100-58〜100-60、井戸木三丁目26、27-1〜27-4までが対象。
  7. ^ 新編武蔵風土記稿に 記述のある小名は、瀬戸原、杉村、上原、柿木[41]
  8. ^ 『武蔵國郡村誌』では東原・割廻とも。
  9. ^ 『武蔵國郡村誌』では前通・下道とも。
  10. ^ 『武蔵國郡村誌』では谷通やどおりとも。
  11. ^ 1960年9月1日「平方桶川線」(路線番号226号)より改称[43]
  12. ^ 「富士見通り」は桶川市側の愛称。

出典

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  1. ^ 統計あげお 平成30年版 第1章 土地・気象”. 上尾市役所. p. 2 (2019年5月30日). 2020年5月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 433-441頁。
  3. ^ a b 町丁大字別人口表”. 上尾市役所 (2017年10月6日). 2017年10月6日閲覧。
  4. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月6日閲覧。
  5. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  6. ^ 単位料金区域別市外局番等一覧表”. NTT東日本. 2020年5月23日閲覧。
  7. ^ 住居表示に関する届け出”. 上尾市役所 (2017年12月28日). 2019年2月25日閲覧。
  8. ^ a b c d 都市計画図がご覧になれます。 - 上尾市役所(2014年9月5日).2020年5月10日閲覧。
  9. ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査.2019年3月22日閲覧。
  10. ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 112-113頁。
  11. ^ 東京市『東京市史稿. 市街篇第六附錄』東京市、1928年、82-83頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3450753/47 
  12. ^ 新編武蔵風土記稿 井戸木村.
  13. ^ a b c d e 『日本歴史地名大系 第11巻』 273頁。
  14. ^ a b 『上尾百年史』 250-254頁。
  15. ^ 『上尾市史 第七巻 通史編(下)』 449-454頁。
  16. ^ a b c 『上尾市史 第五巻 資料編5 近代・現代2』 223-225頁。
  17. ^ a b 『わがまち 上尾を知ろう 上尾の戦中・戦後の姿』 171-173頁。
  18. ^ a b c d e f 『上尾百年史』 210、218頁。
  19. ^ a b 町の境界変更 昭和31年3月31日 総理府告示第144号”. 桶川市役所 (1956年3月31日). 2018年10月16日閲覧。
  20. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 281頁。
  21. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 901-902頁。
  22. ^ 『上尾百年史』 25頁。
  23. ^ 『上尾百年史』 610-615頁。
  24. ^ 『上尾百年史』 26-30頁。
  25. ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』 117-123頁。
  26. ^ 『上尾百年史』 98-116頁。
  27. ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 155頁。
  28. ^ a b 『上尾百年史』 321頁。
  29. ^ 『上尾百年史』 194頁。
  30. ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1421頁。
  31. ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5 近代・現代2』 164-165頁。
  32. ^ 上尾市の土地区画整理事業”. 上尾市役所 (2018年4月1日). 2019年6月3日閲覧。
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  34. ^ 学校の沿革”. 上尾市役所. 2007年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月3日閲覧。
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  36. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 増補 5頁。
  37. ^ 市の境界変更 昭和62年9月26日 自治省告示第139号”. 桶川市役所 (1989年4月27日). 2019年6月8日閲覧。
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  39. ^ 統計あげお 平成30年版 第1章 土地・気象” (PDF). 上尾市役所. p. 4 (2019年5月30日). 2019年6月3日閲覧。
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  41. ^ 蘆田伊人編 編「巻ノ147 足立郡ノ13 井戸木村」『大日本地誌体系』 第11巻 新編武蔵國風土記稿7、雄山閣、1929年8月、337頁。NDLJP:1214877/175 
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  43. ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 557-558頁。
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  47. ^ a b 『上尾百年史』 604-609頁
  48. ^ 広報広聴課「上尾歴史散歩309 神社の動向 - 明治後期の神社合祀 -」『広報あげお平成28年12月号』第993号、上尾市役所、2016年12月、35頁。 
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  50. ^ a b 上尾の都市計画 2019 8 資料編”. 上尾市役所. p. 46 (2020年1月14日). 2020年6月9日閲覧。
  51. ^ a b c d e f 指定緊急避難場所・指定避難所・福祉避難所”. 上尾市役所 (2022年2月14日). 2022年5月7日閲覧。
  52. ^ ストリートビュー - google. 2022年5月7日確認。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104 
  • 『日本歴史地名大系 第11巻(埼玉県の地名)』平凡社、1993年11月1日。ISBN 4582490115 
  • 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市役所、1998年3月31日。 
  • 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第七巻 通史編(下)』上尾市役所、2001年3月30日。 
  • 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市役所、1997年3月31日。 
  • 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。 
  • 上尾の戦中・戦後を知り記録する会 編『わがまち 上尾を知ろう 上尾の戦中・戦後の姿 増補改訂版』三恵社、2019年10月30日、193-202頁。ISBN 978-4-86693-133-3 
  • 「井戸木村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/50 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

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外部リンク

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