伊那電気鉄道(いなでんきてつどう)は、明治から昭和にかけて存在した日本の鉄道会社電力会社である。本社は東京市麹町区丸ノ内1丁目にあった。長野県で開業した最初の私鉄で、鉄道路線は現在の東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の前身の一つである。

伊那電気鉄道
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種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
東京市麹町区丸ノ内一丁目6-1
海上ビル[1]
設立 1907年(明治40年)9月30日[1]
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業[1]
代表者 社長 桜木亮三[1]
資本金 13,151,200円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1943年4月1日現在[1]1942年3月31日まで一般電気供給事業も行っていた。
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歴史編集

木曽谷経由で建設された中央本線の誘致に失敗した伊那谷の有力者たちは自力での鉄道建設を考え、1895年(明治28年)、上伊那郡伊那富村から下伊那郡飯田町へ至る約40マイルの電気軌道の敷設を請願した。このとき国内の電気軌道はまだ京都電気鉄道が唯一であったが、松本出身で東京在住の男爵、辻新次(初代社長)に鉄道建設の協力を依頼された高木守三郎[2]が、大師電気鉄道発起人であったこと[3][4]であったことや、当時急成長を遂げていた諏訪地方の製糸工場への配電を目指して辻が初代社長に就任した諏訪電気株式会社1896年電気事業許可、のち信州電気、中部配電を経て中部電力[5][6]と配電契約を結び、受電できるようにしたことが要因とされている。

1897年2月に軌道特許状が下付されたものの、不況で株式募集は難航し、計画はいったん頓挫。中心人物であった伊原も死去した。1906年に伊原の三男、恒次が学業を終えて帰郷し九代目伊原五郎兵衛[7]を襲名した上で発起人総会を開いて株式募集を再開。諏訪電気の関連会社として[5]東京市京橋区新富町にあった同社本社内に1907年(明治40年)9月、伊那電車軌道株式会社が設立され、諏訪電気社長の辻が社長に就任した[5]

最初の開業区間は1909年辰野 - 松島(現・伊那松島)間で、軌道法による軌道(路面電車)規格であった。その後、資金を調達次第、路線の延伸工事が小刻みに繰り返され、1911年に伊那町(現・伊那市)まで開通した。

 
1914年開設の旧・伊那電車軌道砥川発電所(現・中部電力砥川発電所、諏訪郡下諏訪町
 
旧・長野電灯小黒発電所。1915年の同社買収で伊那電車軌道小黒発電所となった(現・中部電力小黒発電所、伊那市

軌道の動力電気は、両社の社長を兼ねる辻のもとで事実上一体経営が行われていた諏訪電気の落合発電所(1900年運転開始、諏訪郡下諏訪町、現・中部電力落合発電所)からの送電線で受電していたが、諏訪郡内では電力需要の急伸に諏訪電気の発電能力の整備が追いつかず、郡内の配電申し込みに満足に応じられない慢性的な需給逼迫状態に陥っていたため[8]、大口需要家である諏訪郡内の製糸業界は、郡内に直接関係を持たない事業を始めた関連会社の経営に強く関わり、需給状態が改善できないまま郡外に送電を続ける諏訪電気に対し、強い不信感を抱くようになった。

ついに1912年、諏訪郡内の製糸業界が中心となり、諏訪電気配電区域内の工場に対する安定的な配電を掲げた別の電力会社設立が計画され[8]、逓信大臣に電気供給事業経営許可を申請した[8]。ここに至って諏訪電気は、辻を諏訪電気社長から退任させて伊那電車軌道の経営を自社から切り離すことを決め[8]、伊那電車軌道に伊那地方での一般電気供給事業を行わせることにした。

伊那電車軌道は同年10月に電気事業許可を受ける一方、諏訪電気は下諏訪町砥川の水利権を伊那電車軌道に譲渡。諏訪電気落合発電所放水路の水を再利用する伊那電車軌道自前の発電所(砥川発電所、1914年運転開始、出力350kW)を整備させる[5]のと引き替えに、伊那電車軌道への配電契約を打ち切った[8]。伊那電車軌道は同年から上伊那郡中箕輪村の2地区に配電を開始したのを皮切りに、1915年に長野電灯伊那支社、1918年に飯田電灯(下伊那郡飯田町)を買収するなどして、既に諏訪電気の配電が行われていた上伊那郡伊那富村などの一部を除く伊那地方で配電区域を順次拡大した。

1919年に社名を伊那電気鉄道株式会社に改称。1923年には、全線が軌道から地方鉄道法による鉄道規格に変更し、架線電圧を600Vから1200Vに昇圧。1927年12月26日天竜峡 - 辰野間が全通した。1937年三信鉄道が全線開通すると、同鉄道を介して鳳来寺鉄道豊川鉄道に乗り入れ、吉田(豊橋駅) - 辰野間で4社直通運転を開始した。天竜峡以南は架線電圧が1500Vであったため付随車のみの直通であったが、当時の日本最長の電化直通運転であった。

電力事業では、1935年に鉄道電気証券(下伊那郡根羽村)、1937年高遠電灯(上伊那郡高遠町)、1938年に和田水力電気(下伊那郡遠山村)を買収し、伊那地方のほぼ全域と、鉄道電気証券より承継した愛知県北設楽郡上津具村下津具村を配電区域とした。1937年12月現在の発電所数は8か所で、総発電量は1万1210kW。砥川発電所を除きすべて伊那地方にあった。1938年現在の電線路長は送電線が170.3km、配電線が2039.5kmで、電灯需要家数は5万1516戸であった。

伊那電の電気供給事業開始前に諏訪電気の配電区域となっていた上伊那郡伊那富村、朝日村を除く伊那地方で伊那電の配電区域に入らなかったのは、村営電気による配電を行っていた上伊那郡中沢村、下伊那郡三穂村、および電気生産組合による配電を行っていた同郡竜丘村のほか、神稲電気(1917年買収)を引き継いだ伊那電が幹線道路沿い以外の配電申し込みに応じなかったことに反発し、村内全世帯が伊那電の電気供給を数年にわたって完全に絶つ激しい村民運動を展開し、1925年の全村一斉点灯と1933年の村営化を果たした下伊那郡上郷村の4村のみであった。

1941年配電統制令に基づき、1942年4月1日、元の諏訪電気である信州電気と中部合同電気(岐阜県)の両社が設立した中部配電(名古屋市)に電気供給事業の全資産設備を譲り渡した。残る鉄道事業についても、1943年(昭和18年)8月1日戦時買収で国有化(飯田線)されたため、全事業を失った伊那電気鉄道は解散した。

年表編集

  • 1897年(明治30年)2月27日 - 軌道特許状下付(上伊那郡伊那富村-下伊奈郡飯田町間)[9]
  • 1907年(明治40年)9月30日 - 伊那電車軌道株式会社設立(本社東京市京橋区築地)[9][10]
  • 1907年(明治40年)10月27日 - 第1期線として辰野-伊那町間、約11マイルの線路実測及び発電所の測量を開始[11]
  • 1908年(明治41年)11月 - 用地買収並びに軌道工事に着手[11]
  • 1909年(明治42年)12月28日 - 辰野-松島間開業。[11]
  • 1911年(明治44年)2月22日 - 松島-木下間開業。[11]
  • 1911年(明治44年)11月3日 - 木下-御園間開業。[11]
  • 1912年(明治45年)5月11日 - 松島-伊那町間開業。[11]
  • 1912年(明治45年)6月12日 - 軽便鉄道指定(上伊那郡伊奈町-下伊那郡飯田町間)[12]
  • 1913年(大正2年)7月20日 - 荷物運搬開始(辰野-伊那町間 1トン95銭)[11]
  • 1913年(大正2年)12月27日 - 運輸営業開始(伊奈町 - 宮田間)[13]
  • 1913年(大正2年)12月28日 - 諏訪郡下諏訪町に砥川発電所竣工、翌1914年運転開始[11]
  • 1914年(大正3年)1月1日 - 中箕輪町松島、木下両区に電燈電力供給事業を開始[11]
  • 1914年(大正3年)10月31日 - 運輸営業開始(宮田 - 赤穂間)[14]
  • 1914年(大正3年)12月26日 - 運輸営業開始(赤穂 - 伊那福岡間)[15]
  • 1915年(大正4年)6月24日 - 運輸営業開始(伊那福岡 - 伊那福岡終点間)[16]
  • 1916年(大正5年)11月21日 - 中央本線・辰野駅に乗り入れ開始。
  • 1917年(大正6年)5月26日 - 駒場水力電気[17]と神稲電気[18]を買収[19]
  • 1918年(大正7年)2月11日 - 運輸営業開始(伊那福岡終点 - 飯島間)、伊那福岡終点廃止[20]
  • 1918年(大正7年)4月 - 飯田電燈[21]と合併仮契約(9月合併終了[19]
  • 1918年(大正7年)7月23日 - 運輸営業開始(飯島 - 七久保間)[22]
  • 1918年(大正7年)12月12日 - 運輸営業開始(七久保 - 高遠原間)[23]
  • 1919年(大正8年)5月21日 - 鉄道免許状下付(上伊那郡伊那富村-同郡伊奈町間)[24]
  • 1919年(大正8年)8月20日 - 伊那電気鉄道に改称[19]
  • 1919年(大正8年)11月25日 - 長野県から30万6000円の補助を受け、辰野-伊那町間の大改修を実施[11]
  • 1920年(大正9年)11月22日 - 運輸営業開始(高遠原 - 上片桐間)[25]
  • 1921年(大正10年)6月 - 辰野 - 松島間の線路付け替え工事に着手[11]
  • 1922年(大正11年)7月13日 - 運輸営業開始(上片桐 - 伊那大島間)[26]
  • 1922年(大正11年)10月7日 - 諏訪電気鉄道に対し鉄道免許状下付(諏訪郡平野村-同郡湖南村間、諏訪郡平野村-同郡宮川村間)[27]
  • 1923年(大正12年)1月15日 - 運輸営業開始(伊那大島 - 山吹間)[28]
  • 1923年(大正12年)2月12日 - 飯田電気鉄道に対し鉄道免許状下付(下伊那郡上飯田村-同郡下川路村間)[29]
  • 1923年(大正12年)3月13日 - 運輸営業開始(山吹 - 市田間)[30]
  • 1923年(大正12年)3月16日 - 辰野 - 松島間の線路付け替え。地方鉄道へ転換[31]
  • 1923年(大正12年)3月18日 - 運輸営業開始(市田 - 元善光寺間)[32]
  • 1923年(大正12年)8月3日 - 運輸営業開始(元善光寺 - 飯田間)[33]
  • 1923年(大正12年)12月1日 - 運輸営業開始(伊那松島 - 伊奈町間)[34]
  • 1923年(大正12年)12月26日 - 軌道特許失効(上伊那郡伊那富村-同郡伊奈町間 営業廃止)[35]
  • 1924年(大正13年)7月23日 - 飯田電気鉄道所属の鉄道敷設権譲受(許可)[36]
  • 1926年(大正15年)12月17日 - 運輸営業開始(飯田 - 伊那八幡間)[37]
  • 1927年(昭和2年)2月5日 - 運輸営業開始(伊那八幡 - 毛賀間)[38]
  • 1927年(昭和2年)4月8日 - 運輸営業開始(毛賀 - 駄科間)[39]
  • 1927年(昭和2年)6月29日 - 諏訪電気鉄道を合併[40]
  • 1927年(昭和2年)11月16日 - 乗合自動車営業認可(飯田駅- 桜町駅間)翌年営業開始。
  • 1927年(昭和2年)12月26日 - 運輸営業開始(駄科 - 天龍峡間)全通開業[41]
  • 1928年(昭和3年)5月7日 - 鉄道免許失効(諏訪郡上諏訪町-同郡湖南村間、同郡平野村-同郡宮川村間 指定ノ期限内ニ工事施工認可申請を為ササルタメ)[42]
  • 1934年(昭和9年)7月21日 - 中央自動車を買収
  • 1934年(昭和9年)8月21日 - 鉄道免許取消(諏訪郡平野村岡谷-同郡上諏訪町間 指定ノ期限マテニ工事竣工セサルタメ)[43]
  • 1935年(昭和10年)7月1日 - 阿島自動車を買収
  • 1941年(昭和16年)1月18日 - 国有化が閣議決定。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 乗合自動車部門を大平自動車[44]信南交通の前身の一つ)に譲渡
  • 1942年(昭和17年)4月1日 - 配電事業を戦時統合により中部配電(中部電力の前身の一つ)に譲渡[45]
  • 1943年(昭和18年)8月1日 - 全区間が国有化[46]。伊那電気鉄道は解散。

鉄道事業編集

当時の運行形態編集

時代よっても変わるが、概ね1時間1本で1日20往復から23往復の列車が走った。各駅停車の普通列車のみで、原則として辰野 - 天竜峡間の各駅に停車した。また日中はパターンダイヤ化されており利用しやすいように工夫もなされ、1937年(昭和12年)に三信鉄道が全通すると、1日7往復の列車が豊橋駅に乗り入れ、三遠南信間の都市間輸送の一翼を担った。

駅一覧編集

1943年編集

買収直前(1943年7月31日)現在の一覧を示す。〈駅名〉は国有化時に廃止された駅。

天竜峡駅 - 伊那川路駅 - 〈開善寺前停留場〉 - 時又駅 - 駄科駅 - 毛賀駅 - 伊那八幡駅 - 下山村停留場 - 鼎駅 - 切石停留場 - 飯田駅 - 桜町停留場 - 伊那上郷駅 - 元善光寺駅 - 下市田停留場 - 市田駅 - 下平停留場 - 山吹駅 - 伊那大島駅 - 上片桐駅 - 伊那田島停留場 - 〈高遠原停留場〉 - 七久保駅 - 伊那本郷駅 - 飯島駅 - 〈伊那赤坂停留場〉 - 田切停留場 - 伊那福岡駅 - 小町屋停留場 - 赤穂駅 - 〈大田切停留場〉 - 宮田駅 - 赤木駅 - 沢渡駅 - 下島駅 - 伊那町駅 - 〈入舟停留場〉 - 伊那北駅 - 田畑駅 - 北殿駅 - 木ノ下駅 - 伊那松島駅 - 沢駅 - 羽場駅 - 南新町停留場 - 宮木停留場 - 〈西町駅〉 - 辰野駅

※赤木 - 沢渡間に音徳寺坂停留場、沢渡 - 下島間に唐木停留場、下島 - 伊那町間に小黒停留場があったが、1923年に廃止された。また大田切 - 宮田間に駒ヶ原停留場があったが、1918年に廃止された。

1923年編集

松島 - 辰野間が軌道から鉄道に変更される直前(1923年3月15日)の伊那町 - 辰野間の駅一覧。〈駅名〉は変更時に廃止された駅。

伊那町駅 - 入舟停留場 - 伊那北駅 - 〈山寺停留場〉 - 〈御園停留場〉 - 神子柴停留場 - 〈田畑停留場〉 - 〈南殿停留場〉 - 北殿駅 - 〈塩ノ井停留場〉 - 〈久保停留場〉 - 木ノ下駅 - 松島駅 - 〈追分停留場〉 - 〈大出停留場〉 - 〈沢停留場〉 - 羽場駅 - 〈神戸下停留場〉 - 〈南新町停留場〉 - 〈新町停留場〉 - 〈宮木停留場〉 - 西町駅 - 辰野駅

車両編集

昇圧前編集

伊那電気鉄道は、当初軌道として発足したことから、開業からしばらくは路面電車タイプの2軸(4輪)単車が使用された。延べで2軸電動客車14両、ボギー電動客車3両、2軸付随客車5両、2軸電動貨車6両の計28両である。

昇圧後編集

買収・国有化時の所属車を示す。電気機関車は3形式9両、電車は11形式28両が国有鉄道籍となった。これらは、買収後も私鉄時代の形式番号のまま使用されたが、電気機関車は1952年(昭和27年)に、電車は1953年(昭和28年)に国鉄形式を付与された。

電装品は基本的にゼネラル・エレクトリック社系で、電車・電気機関車共に同社の日本における提携先である芝浦製作所の製品が多用されていた。

電気機関車編集

小型のデキ1形と中型のデキ10形、デキ20形があり、いずれも重連総括制御が可能であった。

電車編集

電動車は昇圧時に用意されたもので、一部は自社の伊那松島工場で製造している。付随車は制御回路の引き通しを設けない「後付付随車」といわれるもので、常に電動車の牽引により運転される。一部は600V時代の電動車の電装を解除したものである。鋼製車はデ120形とサ400形の2形式10両のみで、残りはすべて木造車である。

  • デ100形(デハ100 - 102)→国鉄モハ1900形、クハ5910形
  • デ110形(デハ110, 111)→国鉄モハ1910形、クハ5920形
  • デ120形(デハ120 - 124)→国鉄モハ1920形
  • デ200形(デハ200 - 204)
  • サ100形(サハユニフ100 - 102)→国鉄サエ9320形 ※旧サロハユニフ100 - 102
  • サ110形(サハユニフ110)→国鉄サエ9330形→サエ9320形 ※旧サハフ312
  • サ200形(サハニフ200) ※旧サロハフ200
  • サ210形(サハニフ210) ※旧サハフ301
  • サ220形(サハニフ220) ※旧サハフ300
  • サ310形(サハフ310, 311) ※旧サハフ302,303
  • サ400形(サハニフ400 - 404)→国鉄クハ5900形、サハニ7900形

車両数の変遷編集

軌道線 鉄道線
年度 電車 貨車 機関車 電車 貨車 備考
有蓋 無蓋 有蓋 無蓋
1910 4 0 2 2
1911 4 0 2 2
1912 8 3 8 11
1913 8 9 8 17
1914 11 18 8 26 11 18 8 26 電貨5
1915 12 18 8 26 11 18 8 26 電貨5
1916 11 18 13 31 11 18 13 31 電貨5
1917 14 18 20 38 14 18 20 38 電貨5
1918 14 27 20 47 14 27 20 47 電貨6
1919 14 40 22 62 16 40 20 60 電貨6
1920 17 42 20 62 19 40 20 60 電貨6
1921 17 62 0 62 19 40 20 60
1922 17 62 0 62 19 40 20 60 電貨6
1923 17 42 20 62 6 19 40 20 60 電貨6
1924 6 30 65 20 85
1925 6 22 67 20 87
1926 6 19 39 2 41
1927 7 24 39 2 41
1928 7 24 39 2 41
1929 9 29 39 2 41
1930 9 29 39 2 41
1931 9 29 39 2 41
1932 9 29 34 7 41
1933 9 29 34 7 41
1934 9 29 31 10 41
1935 9 29 21 20 41
1936 2 29 19 22 41
1937 9 29 19 22 41
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
  • 軌道線と鉄道線に重複計上
  • 備考 電貨(電動貨物車)は鉄道線、貨車、有蓋に含まれる

電気供給事業編集

発電所一覧編集

伊那電気鉄道が運転していた水力発電所は以下の通りである[5][47]1942年4月1日現在の全稼働発電所は同日付で中部配電株式会社へ出資(譲渡)された。

発電所名 出力
(kW)
所在地・河川名 運転開始 備考
砥川 350→450 諏訪郡下諏訪町(砥川) 1914年1月 現・中部電力砥川発電所
横川 20 上伊那郡川島村(横川川) 不明 1926年7月、川島電気より譲受
1936年6月廃止許可
小黒 225→270→675 上伊那郡伊那町(小黒川) 不明 1915年10月、長野電灯より譲受
現・中部電力小黒発電所
戸台 430 上伊那郡美和村(小黒川) 不明 旧・高遠電灯小黒川発電所
1937年12月、高遠電灯より譲受
現・中部電力戸台発電所
太田切 1400 上伊那郡宮田村(太田切川ほか) 1921年4月 のち中部電力太田切発電所
現・中部電力新太田切発電所
虻川 50 下伊那郡神稲村(虻川) 不明 1917年5月、神稲電気より譲受
1935年4月廃止許可
阿知川第一 30→35 下伊那郡会地村(阿知川) 不明 旧・駒場水力電気駒場発電所
1917年5月、駒場水力電気より譲受
1936年10月廃止許可
松川第一 370→540→270 下伊那郡上飯田村(松川) 不明 1918年9月、飯田電灯より譲受
1931年8月廃止許可
松川第二 256 下伊那郡上飯田村(松川) 1919年8月 1931年8月廃止許可
松川第三 520→1040 下伊那郡上飯田村(松川) 1924年10月 現・中部電力松川第三発電所
松川第四 1800→1830→1860→2400 下伊那郡上飯田村(松川) 1930年12月 現・中部電力松川第四発電所
足浮川 14 下伊那郡河野村(足浮川) 不明 1931年1月、自家用譲受
1936年6月廃止許可
檜原川 46 下伊那郡根羽村(檜原川) 不明 1935年6月、鉄道電気証券より譲受
1946年廃止)
阿知川第二 5320 下伊那郡会地村(阿知川) 1937年10月仮使用認可) 1938年4月、中央水力へ譲渡
現・中部電力駒場発電所
池口川 46 下伊那郡和田村(池口川) 不明 1938年8月、和田水力電気より譲受
1946年廃止)

輸送・収支実績編集

軌道線
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1910 166,543 289 21,749 22,347 ▲ 598 利子1,795
1911 199,932 7,196 30,700 20,765 9,935 利子1,951
1912 325,462 35,897 80,832 35,165 45,667 利子502
1913 310,417 32,563 97,244 42,674 54,570 利子1,648
1914 296,929 20,408 90,598 51,587 39,011 電気供給8,488利子151 電気供給2,338 35
1915 239,109 20,504 87,539 36,479 51,060 電気供給104,664
県補助金6,500利子370
電気供給66,703 13
1916 376,049 26,597 110,322 49,042 61,280 161,098 73,429 19,238
1917 723,898 58,440 133,075 67,849 65,226 電気供給軽便鉄道279,893 139,284 27,270
1918 971,759 68,968 156,752 77,857 78,895 524,357 314,292 36,382
1919 485,489 34,508 201,537 101,365 100,172 806,443 548,062
1920 574,615 30,881 236,360 136,326 100,034 他事業1,024,404
新株募集超過金497,407
652,045
1921 557,629 32,340 255,716 148,147 107,569
1922 568,493 34,768 274,945 140,566 134,379
1923 396,236 17,636 191,733 103,336 88,397 他事業1,808,479
県補助金188,538
他事業1,121,571
償却金173,165
21,942
鉄道線
年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1914 143,581 9,248 46,730 8,578 38,152
1915 239,109 18,846 72,453 21,670 50,783
1916 279,132 23,344 90,965 32,077 58,888
1917 723,898 58,440 115,131 47,624 67,507
1918 971,759 68,968 178,121 83,983 94,138 受取利息438 建設費償却金1,000 43,855
1919 1,019,010 80,708 291,544 141,268 150,276 軌道電力145,998 37,461
1920 939,495 67,428 356,462 207,244 149,218 新株額面超課金497,407
軌道及電燈電力323,176
1921 1,163,650 83,772 456,735 261,041 195,694
1922 1,327,629 94,627 564,650 252,141 312,509
1923 1,980,987 90,247 803,840 343,646 460,194 電気業その他1,574,234 電気業その他
702,782
200,420
1924 2,571,903 151,653 1,472,159 509,889 962,270 電燈業509,831 雑損37,050 383,789 14,846
1925 2,527,639 171,822 1,469,768 607,179 862,589 電燈電力供給686,492 雑損36,388 394,498
1926 2,595,577 194,078 1,686,630 619,363 1,067,267 電気693,867 雑損35,150 455,428
1927 3,035,602 229,759 1,822,527 625,127 1,197,400 電気680,312 社債差損その他74,125 522,583
1928 3,652,773 261,174 2,128,301 737,576 1,390,725 電燈及自動車業574,300 社債差損金74,114 680,111
1929 3,638,597 209,061 1,963,812 699,696 1,264,116 電燈電力供給634,475 償却金31,264 715,365
1930 3,068,858 159,952 1,652,926 660,674 992,252 電気自動車業465,,775 償却金49,756 651,454
1931 2,470,910 120,015 1,261,998 515,837 746,161 自動車及電気業365,627 償却金91,687雑損61,052 684,142
1932 2,068,984 110,370 1,043,522 513,374 530,148 自動車及電気業344,437 社債差損金61,470
雑損償却金1,846156
694,902
1933 2,078,999 140,041 1,099,298 496,203 603,095 自動車電燈電力417,534 雑損償却金103,779 735,912
1934 2,059,326 152,064 1,098,270 461,834 636,436 電燈業その他139,656 社債差損金107,097
雑損償却金62,677
552,265
1935 2,148,691 192,896 1,262,857 476,909 785,948 電燈業その他323,968 社債差損金20,211
償却金87,750
424,268
1936 2,351,778 160,175 1,269,517 454,680 814,837 電燈業その他298,466 償却金雑損80,561 399,657
1937 2,486,795 177,216 1,317,161 508,108 809,053 自動車電燈業275,391 償却金35,722雑損19,370 361,344
1939 3,391,024 275,251
1941 5,342,295 356,003
1943 4,185,555 252,201
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

脚注編集

  1. ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 『人事興信録. 2版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『京浜電気鉄道株式会社沿革』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 『男爵辻新次翁』では高木守三郎と潮田伝五郎が計画を持ち込んだことになっている(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ a b c d e 寺澤安正「諏訪電気、伊那電気鉄道の創立者・辻新次」『中部のエネルギーを築いた人々』2013年3月、一般社団法人日本電気協会中部支部
  6. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治32年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 『人事興信録. 第11版(昭和12年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ a b c d e 寺澤安正「片倉製糸三代片倉兼太郎と電気事業」『中部のエネルギーを築いた人々』2011年9月、一般社団法人日本電気協会中部支部
  9. ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治42年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ a b c d e f g h i j k 『箕輪町史 自然・現代編』(箕輪町史編纂刊行委員会 1976年9月30日発行、2014年9月25日箕輪町ホームページにてWeb公開)
  12. ^ 「軽便鉄道指定」『官報』1912年6月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年1月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年11月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年1月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年8月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ a b c 『電気事業要覧. 第13回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年2月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年8月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1918年12月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1919年5月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1920年11月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  26. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年7月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  27. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1922年10月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  28. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年1月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  29. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1923年2月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  30. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年3月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  31. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年3月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  32. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年3月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  33. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年8月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  34. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年12月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  35. ^ 「軌道特許失効」『官報』1923年12月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  36. ^ 「鉄道敷設権移転」『官報』1924年7月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  37. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1926年12月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  38. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1927年2月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  39. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1927年4月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  40. ^ 『鉄道統計資料. 昭和2年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  41. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1928年1月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  42. ^ 「鉄道免許失効」『官報』1928年5月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  43. ^ 「鉄道免許取消」『官報』1934年8月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  44. ^ 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  45. ^ 電力再構成の前進 - 中外商業新報1942年4月8日 - 4月18日
  46. ^ 「鉄道省告示第204号」『官報』1943年7月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  47. ^ 『許可水力地点要覧』逓信省電気局、1931年

参考文献編集

  • 笠原香「伊那電覚え書き」『鉄道ピクトリアル』No.617
  • 中務一郎「日本民営鉄道経営史の一考察」『千葉商大論叢』第18巻3号、19巻1号
  • 『飯田線展 三遠南信を結ぶレイルロードヒストリー』桜が丘ミュージアム、2003年

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