渡辺勝 (野球)

日本の元プロ野球選手

渡辺 勝(わたなべ まさる、1993年10月14日 - )は、神奈川県横浜市港南区出身の社会人野球選手、元プロ野球選手外野手)。右投左打。

渡辺 勝
ARC九州 コーチ兼選手 #31
育成選手時代
(2016年8月12日 阪神鳴尾浜球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市港南区
生年月日 (1993-10-14) 1993年10月14日(30歳)
身長
体重
172 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2015年 育成選手ドラフト6位
初出場 2019年3月29日
最終出場 2022年7月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • ARC九州

経歴 編集

プロ入り前 編集

横浜市立丸山台中学校時代は戸塚シニアに所属し、荒川博が主宰する「荒川道場」で打撃指導を受けた[1]

東海大相模高校に進学後は、1年秋から1番で活躍。1学年先輩のエース一二三慎太大城卓三らを擁して、1年春の第82回選抜高等学校野球大会、2年夏の第92回全国高等学校野球選手権大会に出場。特に第92回全国高等学校野球選手権大会では打率.429を記録し、準優勝に貢献した。決勝戦の興南高校戦では島袋洋奨からも2安打を放っている[2]。翌年(2年春)の第83回選抜高等学校野球大会にも出場し、1番打者として打率.417と活躍。決勝の三好匠髙城俊人擁する九州国際大付属高校戦では、三好から3安打を放ち、優勝に貢献した[3]。3年夏は神奈川県大会5回戦で乙坂智近藤健介柳裕也ら擁する横浜高校に敗れた。甲子園通算成績は11試合の出場で、打率.408、49打数20安打7打点だった。同期には菅野剛士や、大学でも共にプレーする田中俊太がいる。

東海大学に進学後、1年秋から試合に出場し、14年秋と15年春はベストナインを獲得。特に15年秋は打率.391を記録し、首都大学リーグMVPにも輝いた[4]。3年時の全日本大学野球選手権大会では優勝。野球部には同期に中川皓太吉田侑樹がいる。

2015年10月22日に行われたドラフト会議中日ドラゴンズに育成6巡目で指名され、支度金200万円、年俸300万円で合意した。背番号は212

中日時代 編集

2016年は、二軍公式戦において64試合に出場し、1本塁打、21打点、8盗塁、打率.275の成績を残した[5]

2017年は、二軍公式戦において67試合に出場し、3本塁打、16打点、3盗塁、打率.228の成績だった[6]。10月9日から宮崎県で開催されたみやざきフェニックス・リーグでは、打率.324、5盗塁の好成績を挙げた[7]。さらに、11月25日から台湾で開催された2017アジアウインターベースボールリーグでは、NPBウエスタン選抜に選出された[8]

2018年は、シーズン終了後の11月18日に、球団より支配下選手として契約したことが発表された[9]。背番号は31

2019年は、初の開幕一軍入りを果たし、プロ初安打を含む4安打を記録した。

2020年は、前年に続き開幕一軍入りを果たすも、結果を残せなかったため、登録を抹消された。その後は、二軍で調子を取り戻しウエスタン・リーグ首位打者に躍り出る活躍を見せたことが買われ、平田良介が故障離脱した9月下旬に、入れ替わりで一軍へ再昇格した[10]。しかし、翌月に体幹のコンディショニング不良を発症したため自身も戦線を離脱し[11]、そのままシーズンを終えた。最終的に一軍では打率.200という結果だったが、二軍では規定打席未到達ながら打率.392、OPS.993という高水準の成績を残した。

2021年は、シーズン後半の8月13日に出場選手登録を果たし、同月17日の広島東洋カープ戦(バンテリンドーム)ではプロ入り後初となる本塁打を放った[12]。その後もシーズン終了まで一軍に帯同し、最終的には自己最多となる48試合に出場した。

2022年は、鵜飼航丞岡林勇希ら若手選手の台頭もあり、一軍では10試合の出場にとどまった。10月4日に戦力外通告を受けた[13]

中日退団後 編集

2023年3月に日本野球連盟に新規加盟したばかりのクラブチームARC九州に6月の第47回全日本クラブ野球選手権大会福岡県予選から合流し、プレーを続けている[14][15]。コーチも兼任している[16]

選手としての特徴・人物 編集

俊足巧打が魅力の外野手[17]王貞治を育てた荒川博の最後の弟子として知られ、打撃フォームは王さながらの一本足打法が特徴[18]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2019 中日 27 29 27 3 4 2 0 0 6 2 1 0 0 1 1 0 0 11 0 .148 .172 .222 .395
2020 19 16 15 6 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .200 .250 .200 .450
2021 48 134 119 13 25 2 0 2 33 11 3 3 6 0 9 0 0 25 1 .210 .266 .277 .543
2022 10 9 9 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .222 .222 .222 .444
通算:4年 104 188 170 22 34 4 0 2 44 13 4 3 6 1 11 0 0 45 1 .200 .247 .259 .506

年度別守備成績 編集



外野












2019 中日 9 3 0 0 0 1.000
2020 10 5 0 0 0 1.000
2021 40 54 0 1 0 .982
2022 2 2 0 0 0 1.000
通算 61 64 0 1 0 .985

記録 編集

初記録

背番号 編集

  • 212(2016年 - 2018年)
  • 31(2019年 - 2022年)

代表歴 編集

登場曲 編集

脚注 編集

  1. ^ 荒川博氏が“最後の弟子”渡辺勝に遺した言葉「ダメになった時が成長する時」 - スポーツニッポン、2016年12月29日
  2. ^ “東海大相模-興南”. http://www.sanspo.com/high-baseball/koshien92/score/kekka100821_1.html 2022年2月1日閲覧。 
  3. ^ “東海大相模-九州国際大付”. http://www.sanspo.com/high-baseball/senbatsu83/score/kekka110403_1.html 2022年2月1日閲覧。 
  4. ^ 中日育成ドラ6渡辺は名刺1枚で割り箸10本切る男 日刊スポーツ 2015年10月24日配信
  5. ^ 2016年度 中日ドラゴンズ 個人打撃成績(ウエスタン・リーグ)”. 日本野球機構. 2017年11月21日閲覧。
  6. ^ 2017年度 中日ドラゴンズ 個人打撃成績(ウエスタン・リーグ)”. 日本野球機構. 2017年11月21日閲覧。
  7. ^ 育成・渡辺、走れる男に成長中 打率3割2分4厘!5盗塁”. 中日スポーツ (2017年10月29日). 2017年11月21日閲覧。
  8. ^ a b 2017アジアウインターベースボールリーグ(AWB)NPBメンバー一覧”. 日本野球機構 (2017年11月17日). 2017年11月21日閲覧。
  9. ^ 契約更改のお知らせ”. 中日ドラゴンズ (2018年11月18日). 2018年11月18日閲覧。
  10. ^ “中日・平田が登録抹消 代わって2軍首位打者・渡辺が1軍登録…前日途中交代、ストレッチに加わらず”. 中日スポーツ. (2020年9月26日). https://www.chunichi.co.jp/article/127281 2021年1月9日閲覧。 
  11. ^ “中日・渡辺が登録抹消 7日に体幹の状態不良を発症”. 中日スポーツ. (2020年10月8日). https://www.chunichi.co.jp/article/134005 2021年1月9日閲覧。 
  12. ^ 【中日】プロ初本塁打の渡辺勝、30%増900万円で更改「今年以上の成績を目標に」:中日スポーツ・東京中日スポーツ”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ. 2023年2月18日閲覧。
  13. ^ 来季の契約について”. 中日ドラゴンズ (2022年10月4日). 2022年11月17日閲覧。
  14. ^ ARC九州 - 公式 -(社会人硬式野球クラブチーム) [@arc_kyushu] (2023年6月11日). "なんと、、、#渡辺勝 選手 初出場初スタメンでした!!". X(旧Twitter)より2023年6月13日閲覧
  15. ^ ARC九州 - 公式 -(社会人硬式野球クラブチーム) [@arc_kyushu] (2023年6月17日). "【選手紹介】". X(旧Twitter)より2023年6月18日閲覧
  16. ^ ARC九州(福岡)-チーム-メンバー”. 一球速報.com. OmyuTech. 2023年11月6日閲覧。
  17. ^ 【9月ファーム月間MVP】俊足巧打の外野手二人が受賞。イースタンは千葉ロッテ・髙部瑛斗、ウエスタンは中日・渡辺勝”. ベースボールチャンネル (2020年10月9日). 2022年1月31日閲覧。
  18. ^ 1本足打法 最後の弟子・中日渡辺が王貞治さん、原監督の前で東京D初アーチ「本当に打てて光栄」”. 中日スポーツ・東京中日スポーツ (2021年9月12日). 2022年1月31日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集