王宮の一覧

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王宮から転送)

王宮の一覧(おうきゅうのいちらん)は、君主の居城・拠点である宮殿をまとめたものである。

この一覧は未完成です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

アジア編集

アジアは群雄割拠による動乱の歴史である。日本インド中国の各時代各地域の指導者が自らを「王」と名乗り、独自兵力を率い、自らの領地に拠点を置き、主流であった指導者を排して自らが主流となる下剋上が行われた。[要出典]

そのため、王宮に該当する建物は数多く存在する。この項目においては主流となった勢力の建物だけを扱う。

  アフガニスタン編集

  アゼルバイジャン編集

  バングラデシュ編集

  ブータン編集

  ブルネイ編集

  カンボジア編集

  中華人民共和国編集

有力人物の居所
  • ポタラ宮 - チベット仏教の指導者ダライ・ラマの宮殿

  インド編集

  インドネシア編集

王宮をクラトン英語版 (ジャワ語: ꦏꦿꦠꦺꦴꦤ꧀もしくはꦏꦼꦫꦠꦺꦴꦤ꧀)と呼ぶ。

バリ島
  • ティルタ・ガンガ
  • スマラプラ宮殿
  • ウブド王宮
  • ウジュン ウォーターパレス
  • タンパクシリン宮殿

  イラン編集

  イスラエル編集

  日本編集

天皇が一時的な外出を行う行楽や政変時には、行宮に住むこともあった。古代の宮は、柱が腐りやすい、火事など、一代で数回遷り住むこともあった。遣隋使などによって中国の文化が入ると本格的な都城を整備するようになっていった[2]

離宮など
天皇以外の政権中枢人物の居所

  ヨルダン編集

  • ラガダン宮殿

  大韓民国編集

  ラオス編集

  マレーシア編集

  モンゴル編集

  ネパール編集

  オマーン編集

  パキスタン編集

  • ラホール城 - 現地では「王の要塞」と呼ばれる。ムガル帝国の首都であった城塞都市ラホールに建てられた。ムガル帝国を打破したシク王国の王宮としても使われた。

  パレスチナ編集

  • カセル・アル・バーシャ英語版 - 13世紀半ばに建てられたガザ旧市街にある城。1階部分はマムルーク朝第5代スルターンのバイバルスの居城として建てられた。オスマン帝国時代に2階部分が増築され、パシャ(高官・貴族)のレッドワン一族の居城となったことから、レッドワン城とも呼ばれる。またナポレオンがエジプトなどの遠征の際に短期宿泊したことから、ナポレオンの要塞とも呼ばれる。

  サウジアラビア編集

  シリア編集

  タイ編集

  ベトナム編集

アフリカ編集

  エジプト編集

  エチオピア編集

  レソト編集

  • Royal Palace、Lesotho

  リビア編集

  モロッコ編集

  ナイジェリア編集

  タンザニア編集

  チュニジア編集

南北アメリカ編集

  ブラジル編集

  カナダ編集

第二次世界大戦中、イギリス中部まで侵攻された場合、王族はリバプールからカナダに逃れ事前購入したハトレー城英語版に逃避する計画だった。

  メキシコ編集

ナワトル語で宮殿は Tecpan と呼び、石(tetl)と旗(pantli)から来ている。tecpancalli は、宮殿+家である。

マヤ文明
アステカ時代
近代

  ペルー編集

オセアニア編集

  トンガ編集

  アメリカ合衆国編集

ヨーロッパ編集

王族が王権神授説によって宗教的に保護され、王族同士が血縁を結び安定して血族の王位継承を行ってきた。[要出典]

  オーストリア編集

City Photo Residence Function Link
ウィーン   シェーンブルン宮殿 ハプスブルク家の夏の離宮 [1]
  ホーフブルク宮殿 1918年までハプスブルク家の政治中枢、冬の皇居であった。現在[いつ?]は、オーストリア大統領府、美術館、コンベンション・センター [2]
  ベルヴェデーレ宮殿 オイゲン・フォン・ザヴォイエンの私宮であったが、その後、皇后マリア・テレジアの居所となった。
  ヘルメスヴィラ 皇后エリーザベトの私宮 [3]
ツィスライタニエン   ホーフブルク宮殿 チロル州。1918年まではチロル伯とハプスブルク家の住居であった。1848年革命時にウィーンから避難したハプスブルク家によって臨時の政治中枢として利用された。現在[いつ?]は美術館 [4]
  カイザーヴィラ ザルツカンマーグートフランツ・ヨーゼフ1世の秘密の隠れ家、狩猟用ロッジ
  ラクセンブルク宮殿 ニーダーエスターライヒ州。シェーンブルン宮殿と共にハプスブルク家の夏の邸宅 [5]

  ベラルーシ編集

  ベルギー編集

  ブルガリア

  チェコ

  デンマーク編集

  エストニア

  フランス編集

  ドイツ編集

  ギリシャ編集

  ハンガリー

  アイルランド

  イタリア編集

  リヒテンシュタイン

  リトアニア

  ルクセンブルク

  モナコ

  モンテネグロ編集

  オランダ編集

  ノルウェー

  ポーランド編集

  ポルトガル編集

  ルーマニア編集

  ロシア編集

  セルビア編集

  スペイン

  スウェーデン

  スロバキア

  トルコ編集

  東ローマ帝国時代
  オスマン帝国時代

  ウクライナ

  イギリス

出典編集

  1. ^ Spilsbury, Louise (2019). Ancient China. p. 20. ISBN 9781515725596. https://books.google.com/books?id=Zc9-DwAAQBAJ&dq=largest+palace+ever+built+weiyang+palace&pg=PA20 
  2. ^ 字通,デジタル大辞泉,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,百科事典マイペディア,精選版 日本国語大辞典,世界大百科事典 第2版,普及版. “皇居とは”. コトバンク. 2022年3月28日閲覧。
  3. ^ 吉野町役場 文化観光交流課 観光交流室 (2013年(平成25年)8月5日更新). “吉野朝皇居跡(よしのちょうこうきょあと)”. 公式ウェブサイト. 吉野町. 2021年(令和3年)2月16日閲覧。

関連項目編集

  • 官邸
  • 教皇宮殿
  • 帝国城塞 - 神聖ローマ帝国の皇帝たちが滞在したりした城砦の一覧(ドイツ・フランス・スイスなどに広がる)