王宮の一覧

ウィキメディアの一覧記事
王宮から転送)

王宮の一覧(おうきゅうのいちらん)は、君主の居城・拠点である宮殿をまとめたものである。

この一覧は未完成です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

アジア 編集

アジアは群雄割拠による動乱の歴史である。日本インド中国の各時代各地域の指導者が自らを「王」と名乗り、独自兵力を率い、自らの領地に拠点を置き、主流であった指導者を排して自らが主流となる下剋上が行われた。[要出典]

そのため、王宮に該当する建物は数多く存在する。この項目においては主流となった勢力の建物だけを扱う。

  アフガニスタン 編集

  アゼルバイジャン 編集

  バングラデシュ 編集

  ブータン 編集

  ブルネイ 編集

  カンボジア 編集

  中華人民共和国 編集

有力人物の居所
  • ポタラ宮 - チベット仏教の指導者ダライ・ラマの宮殿

  インド 編集

  インドネシア 編集

王宮をクラトン英語版 (ジャワ語: ꦏꦿꦠꦺꦴꦤ꧀もしくはꦏꦼꦫꦠꦺꦴꦤ꧀)と呼ぶ。

バリ島
  • ティルタ・ガンガ
  • スマラプラ宮殿
  • ウブド王宮
  • ウジュン ウォーターパレス
  • タンパクシリン宮殿

  イラン 編集

  イスラエル 編集

  日本 編集

天皇が一時的な外出を行う行楽や政変時には、行宮に住むこともあった。古代の宮は、柱が腐りやすい、火事など、一代で数回遷り住むこともあった。遣隋使などによって中国の文化が入ると本格的な都城を整備するようになっていった[2]

離宮など
天皇以外の政権中枢人物の居所

  ヨルダン 編集

  • ラガダン宮殿

  大韓民国 編集

  ラオス 編集

  マレーシア 編集

  モンゴル 編集

  ネパール 編集

  オマーン 編集

  パキスタン 編集

  • ラホール城 - 現地では「王の要塞」と呼ばれる。ムガル帝国の首都であった城塞都市ラホールに建てられた。ムガル帝国を打破したシク王国の王宮としても使われた。

  パレスチナ 編集

  • カセル・アル・バーシャ英語版 - 13世紀半ばに建てられたガザ旧市街にある城。1階部分はマムルーク朝第5代スルターンのバイバルスの居城として建てられた。オスマン帝国時代に2階部分が増築され、パシャ(高官・貴族)のレッドワン一族の居城となったことから、レッドワン城とも呼ばれる。またナポレオンがエジプトなどの遠征の際に短期宿泊したことから、ナポレオンの要塞とも呼ばれる。

  サウジアラビア 編集

  シリア 編集

  タイ 編集

  ベトナム 編集

アフリカ 編集

  エジプト 編集

  エチオピア 編集

  レソト 編集

  • Royal Palace、Lesotho

  リビア 編集

  モロッコ 編集

  ナイジェリア 編集

  タンザニア 編集

  チュニジア 編集

南北アメリカ 編集

  ブラジル 編集

  カナダ 編集

第二次世界大戦中、イギリス中部まで侵攻された場合、王族はリバプールからカナダに逃れ事前購入したハトレー城英語版に逃避する計画だった。

  メキシコ 編集

ナワトル語で宮殿は Tecpan と呼び、石(tetl)と旗(pantli)から来ている。tecpancalli は、宮殿+家である。

マヤ文明
アステカ時代
近代

  ペルー 編集

オセアニア 編集

  トンガ 編集

  アメリカ合衆国 編集

ヨーロッパ 編集

王族が王権神授説によって宗教的に保護され、王族同士が血縁を結び安定して血族の王位継承を行ってきた。[要出典]

  オーストリア 編集

City Photo Residence Function Link
ウィーン   シェーンブルン宮殿 ハプスブルク家の夏の離宮 [1]
  ホーフブルク宮殿 1918年までハプスブルク家の政治中枢、冬の皇居であった。現在[いつ?]は、オーストリア大統領府、美術館、コンベンション・センター [2]
  ベルヴェデーレ宮殿 オイゲン・フォン・ザヴォイエンの私宮であったが、その後、皇后マリア・テレジアの居所となった。
  ヘルメスヴィラ 皇后エリーザベトの私宮 [3]
ツィスライタニエン   ホーフブルク宮殿 チロル州。1918年まではチロル伯とハプスブルク家の住居であった。1848年革命時にウィーンから避難したハプスブルク家によって臨時の政治中枢として利用された。現在[いつ?]は美術館 [4]
  カイザーヴィラ ザルツカンマーグートフランツ・ヨーゼフ1世の秘密の隠れ家、狩猟用ロッジ
  ラクセンブルク宮殿 ニーダーエスターライヒ州。シェーンブルン宮殿と共にハプスブルク家の夏の邸宅 [5]

  ベラルーシ 編集

  ベルギー 編集

  ブルガリア

  チェコ

  デンマーク 編集

  エストニア

  フランス 編集

  ドイツ 編集

  ギリシャ 編集

  ハンガリー

  アイルランド

  イタリア 編集

 
カゼルタ宮殿

  リヒテンシュタイン

  リトアニア

  ルクセンブルク

  モナコ

  モンテネグロ 編集

  オランダ 編集

  ノルウェー

  ポーランド 編集

  ポルトガル 編集

  ルーマニア 編集

  ロシア 編集

  セルビア 編集

  スペイン

  スウェーデン

  スロバキア

  トルコ 編集

  東ローマ帝国時代
  オスマン帝国時代

  ウクライナ

  イギリス

出典 編集

  1. ^ Spilsbury, Louise (2019). Ancient China. p. 20. ISBN 9781515725596. https://books.google.com/books?id=Zc9-DwAAQBAJ&dq=largest+palace+ever+built+weiyang+palace&pg=PA20 
  2. ^ 字通,デジタル大辞泉,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,百科事典マイペディア,精選版 日本国語大辞典,世界大百科事典 第2版,普及版. “皇居とは”. コトバンク. 2022年3月28日閲覧。
  3. ^ 吉野町役場 文化観光交流課 観光交流室 (2013年(平成25年)8月5日更新). “吉野朝皇居跡(よしのちょうこうきょあと)”. 公式ウェブサイト. 吉野町. 2021年(令和3年)2月16日閲覧。

関連項目 編集

  • 官邸
  • 教皇宮殿
  • 帝国城塞 - 神聖ローマ帝国の皇帝たちが滞在したりした城砦の一覧(ドイツ・フランス・スイスなどに広がる)