谷幹一

日本の俳優・コメディアン

谷 幹一(たに かんいち、1932年11月21日 - 2007年6月25日[1])は、日本俳優コメディアン東京都出身。本名は西村 昌明(にしむら まさあき)。「タニカン」の愛称で親しまれた[1]

たに かんいち
谷 幹一
本名 西村 昌明(にしむら まさあき)
別名義 谷昌明
生年月日 (1932-11-21) 1932年11月21日
没年月日 (2007-06-25) 2007年6月25日(74歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京府
死没地 日本の旗 日本 東京都
職業 コメディアン俳優
活動期間 1950年 - 2007年
主な作品
月光仮面』『白い巨塔
ザ・スーパーガール』『江戸を斬る
大岡越前』『翔んでる!平賀源内
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来歴・人物 編集

1950年都立農芸高校を中退後、新宿ムーランルージュ新宿座に最後の研究生として入る[1]

ムーランルージュの解散後、劇団東京喜劇での地方巡演の後、浅草フランス座渥美清関敬六と出会い、共に下積み時代を過ごす。葛飾区青戸の自宅には渥美や関が頻繁に訪問し[2]、谷の義母が振る舞うカレーライスを好んで食べていた[3]。後年、渥美は「あの味だけは忘れられない。もう一度食いたいねえ」と懐かしがったという[3]

戦前の役者谷幹一に似ていると言われたことから芸名を谷昌明から谷幹一に改める[1]

1958年にテレビ映画『月光仮面』で探偵助手の袋五郎八を演じて人気を博す[1]

翌年には渥美、関と3人でスリーポケッツを結成。解散後は本格的に役者として活動するようになり、TBS月曜夜8時の時代劇ナショナル劇場』枠では常連で多く出演した。その他、ひらけ!ポンキッキのお兄さん役も務めた。

2000年から日本喜劇人協会副会長として、会長の大村崑を補佐したが、晩年は病気がちで作品出演は多くなかった。2006年8月に亡くなった関敬六の後を追う様に、2007年6月25日、脳出血のため東京都新宿区の病院で死去した。74歳没。法名は、安藝院釋昌幹。墓所は文京区長源寺

人物 編集

妻は浅草フランス座の座長も務めた女優の玉川みどり[4]

出演 編集

テレビドラマ 編集

(1969年、フジテレビ / 東映

映画 編集

テレビアニメ 編集

人形劇 編集

バラエティ他 編集

CM 編集

  • パチンコ百万弗 - 90年代、山梨県甲府市北口にあったパチンコ店。

その他 編集

  • タニカンののぞき眼鏡(1981年、桃園書房)- 著書
  • 大岡越前のお年寄りの交通安全(1999年、東映教育映像部)- 出目の勘太、町内会会長(二役)。交通安全教育作品

演じた俳優 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 谷 幹一』 - コトバンク
  2. ^ 『渥美清 わがフーテン人生』
  3. ^ a b 『拝啓 渥美清様』
  4. ^ 石橋春海「制作現場 「月光仮面」1 あのとき私は 浅井清(元宣弘社制作進行)」『伝説の昭和特撮ヒーロー 宣弘社全仕事』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2014年7月9日、10頁。ISBN 978-4-7747-5934-0 

関連項目 編集

外部リンク 編集