倉敷中央病院

岡山県倉敷市にある病院

公益財団法人大原記念倉敷中央医療機構 倉敷中央病院(こうえきざいだんほうじんおおはらきねんくらしきちゅうおういりょうきこう くらしきちゅうおうびょういん)は、岡山県倉敷市美和にある公益法人の病院。発行する文書で使用する略称は倉中(くらちゅう)もしくはKCH

倉敷中央病院
情報
正式名称 公益財団法人大原記念倉敷中央医療機構倉敷中央病院
英語名称 Foundation Ohara commemoration storage charge center medical organization storage charge center hospital of public interests
前身 倉紡中央病院(くらぼうちゅうおうびょういん)
許可病床数 1172床
一般病床:1157床
精神病床:5床
感染症病床:10床
機能評価 一般500床以上:Ver5.0
付加機能評価(リハビリテーション機能)
開設者 公益財団法人大原記念倉敷中央医療機構
管理者 寺井 章人(院長)
開設年月日 1923年6月2日
所在地
710-8602
岡山県倉敷市美和一丁目1番1号
位置 北緯34度36分6秒 東経133度46分30秒 / 北緯34.60167度 東経133.77500度 / 34.60167; 133.77500
二次医療圏 県南西部
PJ 医療機関
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概要

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倉敷中央病院は、岡山県倉敷市の民間総合病院。市民の間では通称として中央(ちゅうおう)[注釈 1]倉中(くらちゅう)が用いられることがある。岡山県西部の中核的な医療機関であり、地域がん診療連携拠点病院救命救急センターおよび総合周産期母子医療センター設置病院、地域医療支援病院岡山県災害拠点病院エイズ治療拠点病院医師の卒後臨床研修指定病院でもある。

高度医療を担う急性期基幹病院を標榜していることにより、夜間は直線距離で50kmほど遠く離れた真庭市津山市など岡山県北部からの患者が救急搬送されることも少なくない。また、倉敷市中心部に公立病院はなく、市立病院的な役割も担っている。[注釈 2]

成り立ち

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設立当時から残る建物。

創立者は、当時、倉敷紡績社長で大原美術館なども設立した大原孫三郎である。彼は、石井十次岡山孤児院に運営資金を提供するなど社会問題の改善に尽力しており、病院設立もその一環であったと思われる(その他、大原社会問題研究所倉敷労働科学研究所大原農業研究所なども設立した)。

設立時の建物は患者が安心して治療に専念できるように、それまでの病院の冷たいイメージを排除するため様々な工夫がなされていた。その一つに病棟に赤レンガと赤い屋根を取り入れたデザインを採用[1]、患者や外来者が自由に利用できる温室や結核病棟の横には噴水のある中庭などもあった。2階建ての病棟には患者の負担を減らすために倉敷市内では初めてのエレベータが導入された。新しい医療技術の研究・導入にも積極的で、ユニークだったものとして喘息塔がある。これは、上空の清浄な空気を取り入れ、喘息など気管支疾患の患者に供給するための鉄塔であった。

その後、1973年昭和48年)から始まった全面的な増改築により多くの病棟が近代的な建物に変わって行き、喘息塔は水島コンビナートによる光化学スモッグのため、鉄塔程度の高度では清浄な空気とはいえなくなり、撤去されてしまった。一方、病棟の外観は旧病棟に合わせ赤い屋根に統一し、外来棟と臨床検査棟の間に設立当時のものを再現した温室が作られ、外来患者の憩いの場となっている。[2]開業当時のエレベータは若干の改造と塗装をした後、2002年平成14年)に増築された外来棟の電話ボックスとして利用されているなど、往時の面影も残されている。[3]

京都大学との関係

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大原孫三郎が病院設立に先立って、当時の京都大学総長で岡山の第三高等中学校医学部へ赴任したこともあった荒木寅三郎と基本方針を検討。その後、荒木によって京大医学部から多くの人材が派遣された。[4][5]それ以来、京大医学部とは密接な関係が続いており、現在でも京大出身の医師が多く、小笠原名誉院長や後述の光藤医師も京大出身である。

診療科

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医療技術

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病院の実績を評価する基準に手術件数があるが、多くの手術分野で中四国ではトップクラスにある。特に、光藤和明(みつどう・かずあき)が心カテーテル治療の分野では有名で、1982年昭和57年)から1万9千例以上の実績がある。以前、台湾で光藤の治療を受けた李登輝元総統が、再度診察を受けるために、2001年平成13年)4月、倉敷を訪れたことが全国ニュースで報じられ話題となった。

2016年平成28年)年間実績
手術件数:年間 12,984件(手術室29室)
新入院患者数:年間 30,694人
入院1日平均患者数 1,073人 (退院患者数を含む)
外来1日平均患者数 2,708人
救急患者数:年間 65,335人 (救急車受入数 9,465件)

院内施設

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倉敷中央看護専門学校
  • 「チアマスティ」 - 売店、レンタル店、コインランドリー。クラボウの関連会社・マスティ倉敷が運営。
  • 「温室の食堂」「温室のうどん屋」 - クラレの関連会社・倉敷国際ホテルが運営。

関連施設

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倉敷リバーサイド病院

かつての関連施設

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交通アクセス

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  • 山陽本線倉敷駅」から徒歩15分。 駅前から倉敷センター街BIOSを通り抜ける。
  • 山陽本線「倉敷駅」から、いずれも 「中央病院前」下車。
  • 瀬戸大橋線「天城線児島駅行」から、下電バス「倉敷駅行」で45分、「中央病院前」下車。
  • 瀬戸大橋線「茶屋町駅」から、下電バス「茶屋町・成人病センター線」で20分、「中央病院前」下車。
  • シャトル便 - 倉敷中央病院リバーサイドとの間でマイクロバスによるシャトル便が運行されている。倉敷中央病院の中央玄関前ロータリー南端を7:00/7:30*/9:00/11:30*/13:00/14:00*/15:00/17:15*発、倉敷中央病院リーサイドのバス停留所を7:50/9:00*/10:00/12:30*/14:00/15:00*/17:00/18:00*発の1日8往復(祝日稼働日は*の時刻のみ)。患者も利用できる(運賃は無料)。

脚注

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注釈

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  1. ^ 倉敷市には水島中央病院や児島中央病院・玉島中央病院など各地域に中央病院があるため中央の略称は狭い範囲の各地域での略称であり誤解を避けるため、中央という略称をもっぱら倉敷中央病院という意味で用いる事はない。
  2. ^ 児島地域には倉敷市立市民病院があるが、合併前の児島市が当時児島市民病院として設立したもので、倉敷市が病院を設立したことはない。

出典

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  1. ^ 「K NEWS - No.12」 "院内散歩 - 赤い屋根瓦" 財団法人倉敷中央病院 2005年平成17年)
  2. ^ 「K NEWS - No.1」 "院内散歩" 財団法人倉敷中央病院 2001年平成13年)
  3. ^ 「K NEWS - No.5」 "院内散歩 - エレベーターの電話ボックス" 財団法人倉敷中央病院 2003年平成15年)
  4. ^ 中國民報 大正十二年六月二日「倉紡中央病院開院式紀念」
  5. ^ 中國民報 大正十四年二月十七日「倉敷名所の随一 倉紡中央病院」
  6. ^ a b [1]

参考文献

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外部リンク

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