CSK (企業)

かつて存在した、日本のシステムエンジニアリング企業

株式会社CSK(シーエスケイ、英語: CSK CORPORATION)は、かつて存在した独立系システムエンジニアリング企業。日本の情報システム産業のリーディングカンパニーであった。東証1部上場企業(証券コード:9737番)。

株式会社CSK
CSK CORPORATION
本社(CSK青山ビル)
種類 株式会社
市場情報
東証1部 9737
1982年6月17日 - 2011年9月28日
略称 CSK
本社所在地 日本の旗 日本
107-0062
東京都港区南青山2-26-1 CSK青山ビル
設立 1968年昭和43年)10月7日
業種 情報・通信業
事業内容 システムエンジニアリング
代表者 中西毅(代表取締役社長)
資本金 732億25百万円(2009年3月31日現在)
発行済株式総数 8029万0414株
(2009年3月31日現在)
売上高 単体137億92百万円
連結2060億99百万円
(2009年3月期)
営業利益 連結△1230億66百万円
(2009年3月期)
純利益 単体1521億90百万円
連結△1615億29百万円
(2009年3月期)
純資産 単体130億54百万円
連結252億47百万円
(2009年3月31日現在)
総資産 単独2350億68百万円
連結3639億31百万円
(2009年3月31日現在)
従業員数 単独186名、連結10,756名
(2009年3月31日現在)
決算期 3月
主要株主 日本マスタートラスト信託銀行 5.76%
日本トラスティ・サービス信託銀行 5.00%
CSKグループ社員持株会 4.65%
(2009年3月31日現在)
主要子会社 主な関係会社の項を参照
関係する人物 大川功(CSK創業者)
湯川英一(株式会社クオカード代表取締役会長、元・株式会社セガ専務執行役員)
有賀貞一(元副社長)
外部リンク http://www.csk.com/
特記事項:合併前の会社概要
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2011年(平成23年)10月1日SCSK(旧社名:住商情報システム)に吸収合併された。

概要 編集

創業者は大川功(おおかわ いさお)。「CSK」とは、創業時の商号であるコンピューターサービス株式会社の英訳表記「Computer Service Kabushiki-Kaisha」の略。本業はコンピュータシステムの開発会社である。

社是は、「サービスこそ我が社の命なり」とし、社会への奉仕活動を第一の経営方針とした。

2005年(平成17年)10月ホールディングス体制に移行したこともあり、システム開発・アウトソーシング・金融サービスを軸とした企業体質は安定期に入っていたかに見えた。しかし急激な金融サービス事業、とくに不動産投資事業への資本集中が2008年(平成20年)以降のサブプライムローン破綻、リーマンショックなどの経済環境悪化の影響も受け、グループ全体を窮地に追いやることとなった。

結果的に、グループの不動産証券化事業の不振で巨額の評価損が発生し、その影響から経営を立て直すために、2009年(平成21年)9月30日に、ACA株式会社(旧・アント・コーポレートアドバイザリー)から資本増強を受けるとともに、不動産投資事業のコントロールタワーであったCSKファイナンスなどの金融サービス事業を担う子会社を次々と譲渡・売却、グループから切り離す。同時に、取引銀行4行からの借り入れを、株式化(デット・エクイティ・スワップ)および長期借入債務に借り換えを行うこととなった。

沿革 編集

  • 1968年(昭和43年)10月7日 - 大阪淀屋橋コンピューターサービス株式会社設立。
  • 1977年(昭和52年)8月 - 本社を大阪から東京都新宿区へ移転。
  • 1980年(昭和55年)9月 - 株式を店頭銘柄として日本証券業協会(東京地区)に登録。
  • 1982年(昭和57年)6月 - 東京証券取引所第2部に株式上場。
  • 1983年(昭和58年)8月 - NASDAQに株式を登録。
  • 1984年(昭和59年)4月 - 株式会社セガ・エンタープライゼス(現・株式会社セガ)に資本・経営参加。
  • 1985年(昭和60年)3月 - 東京証券取引所第1部に株式上場。
  • 1987年(昭和62年)1月 - 商号を株式会社シーエスケイに変更。グループ売上1兆円を目指した。
  • 2001年(平成13年)3月 - 創業者・大川功 逝去(享年74)。
  • 2002年(平成14年)5月 - 千葉県印西市に「eサービスデータセンター」を設立。
  • 2003年(平成15年)4月 - 本社中枢機能を含む自社ビルを青山・梅窓院近くに建設。
  • 2004年(平成16年)
    • 1月 - 商号の登記上の表記を株式会社CSKに変更。
    • 4月 - CSKネットワークシステムズ株式会社を合併。 コスモ証券株式会社を連結子会社化。
  • 2005年(平成17年)
    • 9月 - NASDAQ市場上場廃止。
    • 10月 - 純粋持株会社となり、CSKホールディングスに社名変更。システムエンジニアリング事業を株式会社CSKシステムズに分割。
  • 2006年(平成18年)
  • 2007年(平成19年)
    • 1月 - 地方金融機関による証券事業参入・開始をシステム等からサポートすることを目的としてCSK-RB証券株式会社を設立。
    • 2月9日付け日本経済新聞(朝刊)によれば、2009年(平成21年)の株券電子化を控え、富裕層顧客の流出を防ぎたい地方銀行等のニーズを取り込み、情報サービス事業の収益拡大につなげるのが、会社設立の背景にあるとされている。
    • 5月 - ISAO(イサオ)株式会社を完全子会社化。
    • 6月15日 - CSKグリーンサービス、東京グリーンシステムズ、CSK-ISが中心となった研究開発・障害者雇用を二本柱とした複合研究施設「CSK多摩センター」が多摩市山王に竣工。胡蝶蘭の栽培や独立・公正をうたったシンクタンクの研究棟などを有し、CSKの本体事業以外の「社会貢献」を体現した施設となっている。
    • 7月1日 - CSKシステムズ、CSKネットワークシステムズ、CSKフィールドサービスそれぞれを、より機能集中、各事業分野のコンパクト化による意思決定スピードの短縮化などを狙いとして、CSKシステムズ、CSK-ITマネジメント、CSKシステムズ西日本、CSKシステムズ中部、CSKアドミニストレーションサービス(既存三社のスタッフ機能を受け持つ)それぞれに会社分割・合併した。
  • 2009年(平成21年)9月 - グループ内再編成について、産業再生法の適用を認定。
  • 2010年(平成22年)
    • 3月 - CSKシステムズにCSKシステムズ西日本、CSKシステムズ中部を統合合併、地域密着とした当初の事業形態を見直すこととなった。
    • 4月 - 完全子会社であるコスモ証券の全株を岩井証券に売却する。ISAOの事業を豊田通商子会社に事業譲渡。
    • 10月 - 純粋持株会社制を解消。CSK-ITマネジメント、CSKシステムズを吸収合併し、株式会社CSKに商号変更。
  • 2011年(平成23年)2月24日 - 住友商事が株式公開買い付けでCSKを子会社化することを発表。住商情報システム(SCS)が吸収合併して新会社『SCSK』を設立。9月28日付けで上場廃止。住商情報システムが存続会社である。

歴代社長 編集

氏名 在任期間 出身
1 大川功 1968年 - 1996年 早稲田大学
2 福島吉治 1996年 - 2000年 滋賀大学経済学部
3 青園雅紘 2000年 - 2003年 滋賀大学経済学部
4 林由修 2003年 - 2005年 立命館大学理工学部
5 広瀬省三 2005年 - 2005年 東海大学工学部
6 福山義人 2005年 - 2009年 慶應義塾大学商学部
7 中西毅 2009年 - 2011年 京都コンピュータ学院

経営悪化経緯 編集

事業規模を急拡大させると同時に、創業者の大川は外部から人材を次々とスカウトしてきた。その1人が青園雅紘氏。福井県出身。滋賀大学経済学部を卒業して野村證券に入社。営業畑を歩き実績を上げ、42歳の若さで取締役に昇格。CSKの旧本社に近い新宿野村ビル支店の支店長を務めていた当時、大川と知り合った。

青園氏は豪胆な性格で知られ、そこに大川が目をつけてスカウト。95年野村證券常務を最後にCSK副社長に移った。社長に就任するのは2000年6月(その3年後に会長就任)。翌年の01年3月、大川が亡くなり、血を血で洗うような権力闘争に突き進む。青園氏のCSKでの歩みは抗争の歴史であった。

大川は、インターネット時代のコンテンツ企業を標榜し、セガ・エンタープライゼス(現・セガ)やベルシステム24、亜土電子工業(現・MAGねっとホールディングス)、アスキー(現・メディアリーヴス)などを傘下に収めた。

権力を握った青園氏は、大川がグループ傘下入りさせた企業群を切り離した。消費者を対象にした事業はグループから外し、企業間取引に事業を集中するというのが、その理由だ。これを大川路線の否定と受け取ったグループ会社の経営者や幹部社員は猛反発。大川は創業者としてのカリスマ性で求心力を維持できたが、スカウトされてトップに就いた青園氏は資本の論理で迫ったから、社内は一触即発の危機的状況に至った。

青園氏に公然と叛旗を翻したのがコールセンターのベルシステム24の園山征夫社長。島根県出身。慶応大学経済学部を卒業し、三和銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。米ニューメキシコ大学経営大学院へ留学した後、転職、失業を経験。大川にスカウトされて、84年にCSKに入社。経営不振にあったベル24の再建ために派遣され、87年8月に社長に就任した。

大川が他界後、個性の強い青園氏は野村人脈でCSKを固め、同年齢の園山氏とはことごとく対立。園山氏はベル24の社長を解任される前に、CSK離脱の挙に出た。世にいう「ベルシステム24事件」である。

2004年7月に開かれたベル24の取締役会で、日興コーディアルグループを引受先とする第三者割当増資を決議。電光石火のクーデターで、ベル24はCSKグループから離脱し、日興グループ入りを果した。

「こんなことが許されるのであれば、日本の資本主義はいったいどうなってしまうのか」。ベル24の社外取締役で、筆頭株主でありながら、蚊帳の外に置かれたCSKの青園雅紘会長は怒りをあらわにしたが、後の祭りだった。

青園雅紘会長が目指した、脱本業の失敗

セガなどグループ企業を切り離した青園氏が拡充したのが、自分の得意分野である金融サービス事業。コスモ証券を買収したのを始め、ベンチャーキャピタルや不動産証券化を収益の柱にした。07年3月期は金融サービス事業が情報サービス事業を上回る営業利益を稼ぎ出した。

しかし、08年3月期はコスモ証券の不振が響いて金融サービス事業の営業利益が半減。続いて09年3月期にはリーマン・ショックの影響もあり、金融サービス事業で不動産証券化ビジネスの失敗により1500億円を超える巨額な赤字を出して失速。青園氏の脱本業は失敗に終わった。金融や不動産が儲かるということで、本業である情報サービスを疎かにしたツケであった。かくして会長の青園氏は引責辞任に追い込まれた。 - NetIB-NEWS より引用 -

主な関係会社 編集

連結子会社 編集

過去のグループ会社 編集

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ 当初、2011年(平成23年)のGW以降に合併予定だったが震災の影響でシステムや雇用・人事面等の問題で延期となった。

外部リンク 編集