NOMOベースボールクラブ(ノモ・ベースボールクラブ)は、兵庫県豊岡市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球のクラブチームである。

NOMOベースボールクラブ
チーム名(通称) NOMOク、NOMOクラブ、NOMO Baseball Club、野茂ベースボールクラブ
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 クラブチーム
創部 2003年
チーム名の遍歴

  • NOMOベースボールクラブ (2003 - )
本拠地自治体

練習グラウンド こうのとりスタジアム兵庫県立但馬ドームなど4施設
チームカラー 青色、黒色
監督 清水信英
都市対抗野球大会
出場回数 1回
最近の出場 2005年
最高成績 初戦敗退
社会人野球日本選手権大会
出場回数 1回
最近の出場 2006年
最高成績 初戦敗退
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 6回
最近の出場 2022年
最高成績 優勝(1回)

投手としてNPB/MLBのプロ野球で活躍した野茂英雄が、メジャーリーグロサンゼルス・ドジャース時代の2003年に設立したため、チーム名に野茂の苗字をローマ字表記(NOMO)で入れている。また、当初はチームと同名の特定非営利活動法人が運営していたが、2015年に社会人野球チームでは初めての認定NPO法人へ移行した。

概要 編集

設立までの経緯 編集

1994年鉄鋼不況の影響から社会人野球チームの新日本製鐵堺が同年シーズン限りでの休部を決定(2008年に正式に廃部)。また、他の社会人野球チームでも同様の事態が相次いだため、新日本製鐵堺OBである野茂英雄は社会人球界の縮小を憂慮。若い野球選手たちに活動の場を提供すべく、2003年特定非営利活動法人を設立したうえで、新たに社会人野球チームを設立した。

堺市を本拠地に活動(2003年 - 2012年) 編集

2003年、新日本製鐵堺が使用していた堺浜野球場本拠地として、大阪府堺市で活動を開始した。

2004年、運営法人が大阪府から特定非営利活動法人として認定された。同年3月に、日本野球連盟クラブチームNOMOベースボールクラブ』として新規登録された[1]

2005年都市対抗野球阪和地区2次予選で7年連続で本戦出場を狙っていた松下電器と対戦。5-3で勝利したことによって、松下電器を予選敗退に追い込んだ。さらに、近畿予選で快進撃を続けた結果、創部から2年で都市対抗野球への初出場を決めた。企業チームの流れを汲まないクラブチームの出場は、全足利クラブ以来27年振りであった。本戦では初戦でJR東日本に1-6のスコアで敗退したが、同時に初出場を決めていた全日本クラブ野球選手権では優勝した。さらに、当時所属していた柳田殖生内野手が、NPBドラフト会議中日ドラゴンズから5巡目で指名。後に入団したため、チーム出身者から初めてのプロ野球選手が誕生した。

2006年日本選手権本戦への初出場を決めたことによって、都市対抗野球・クラブ選手権を含めた社会人野球の日本野球連盟主催3大大会すべてへの出場を果たした。社会人野球の同一チームとしては初めての快挙だったが、本戦では、初戦でホンダ熊本に1-5というスコアで敗退した。

2011年、堺浜野球場が阪神高速6号大和川線の建設用地に充てられるため同年限りで閉鎖されることから、運営法人では堺市からの本拠地移転を検討する[2]。当初は、佐賀県鳥栖市鳥栖市民球場)や[3]千葉県柏市が移転先の候補に挙がっていた[2]。しかし、鳥栖市では市長が歓迎の意向を示したものの、使用条件で折り合わず11月に移転を断念する[4]。このため、運営法人では移転先の公募に踏み切った[5]

2012年5月31日、翌2013年度から本拠地を兵庫県豊岡市へ移転することを正式に発表した[6]

豊岡市への本拠地移転後(2013年 - ) 編集

2013年1月に、豊岡市での活動を開始した[7]。移転後は、こうのとりスタジアムをメイン球場[8]に定めながら、兵庫県立但馬ドームなど市内の4施設で活動する[9]

豊岡市内に城崎温泉を擁することから、所属選手は城崎温泉旅館協同組合に加盟する旅館ホテルで働くとともに[10]、勤務先や市が提供する寮で生活するようになった。このような事情から、2015年1月に温泉街の一角で大規模な火災が発生した直後には、選手たちがボランティアで復旧作業に従事している[11]

2018年、本拠地移転後初めて(チームとしては10年振り)のクラブ選手権出場を果たした。

設立・沿革 編集

特色 編集

運営形態 編集

活動資金については、野茂英雄が大半を出資するほか、運営法人に登録した正会員・賛助会員からの会費・寄付で賄っている。また、キリンビバレッジと共同で、オリジナルデザインの自動販売機を開発。この販売機での売上および、同社から設置者に支払われる販売手数料の一部を、活動資金に充てている[12]

代表理事は、野茂および、野茂の新日本製鐵堺時代の監督・清水信英。清水は、チームの設立当初から監督も務めている。また、野茂の近鉄時代のチームメイト(金村義明光山英和佐々木修池上誠一小池秀郎)が、運営理事に名を連ねる[13]

クラブチームとして運営しているため、チームに所属する選手は、他の企業に正社員やアルバイトとして勤務。平日の夜間や週末を、チームでの練習に充てている。また、NPBで活躍する選手の輩出を設立当初から目標に掲げているため、NPB球団のスカウトへの露出が高い独立リーグや企業チームへの移籍には寛容である。

本拠地を豊岡市へ移転してからは、運営法人が兵庫県に対して、認定NPO法人としての認証を申請。その結果、2015年5月15日付で認証されたため、同県からの税制優遇措置を受けられるようになった[14]。社会人野球で活動するクラブチームの認定NPO法人化は、全国初の事例である。この認証によって、法人への賛助会費や寄付金が、日本の所得税法における寄附金控除の対象になった[15]

青少年育成活動 編集

当クラブでは、「ベースボールクリニック」を随時実施するなど、野球を通じた青少年の育成活動にも取り組んでいる。また、野茂の名を冠した少年野球大会「NOMO CUP」を毎年開催。ボーイズリーグで選抜された中学生選手のアメリカ遠征にも協力している[16]ほか、本拠地を兵庫県豊岡市へ移転してからは、同県出身の栗山巧埼玉西武ライオンズ外野手)と共に「NOMO KURIYAMA ALL STAR GAME」(小学生の軟式野球による神戸選抜チームと但馬選抜チームの対抗戦)を主催している。

その他 編集

ユニフォームのデザインは、野茂が中学生以来のファンだというガンダムがモチーフになっている。

主要大会の出場歴・最高成績 編集

主な出身プロ野球選手 編集

元プロ野球選手の競技者登録 編集

◎:現在も運営理事として在籍

かつて在籍した選手 編集

脚注・出典 編集

  1. ^ チーム情報 2004年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2017年2月24日閲覧。
  2. ^ a b NOMOクラブ大阪から移転へ…鳥栖、柏が候補”. スポニチ (2011年5月10日). 2017年2月24日閲覧。
  3. ^ 「NOMOクラブ、堺市から移転へ」毎日新聞、2011年2月23日
  4. ^ “NOMOクラブ、鳥栖市への本拠地移転を断念”. 佐賀新聞. (2011年12月2日). http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.2094881.article.html 
  5. ^ NOMOベースボールクラブが本拠地公募” (2011年12月2日). 2017年2月24日閲覧。
  6. ^ NOMOクラブ移転 城崎温泉からメジャー目指す!” (2012年6月1日). 2017年2月24日閲覧。
  7. ^ 豊岡市城崎町にて、事務所開きがおこなわれました 2013年2月11日閲覧
  8. ^ NOMOクラブ 来季、兵庫県豊岡市に本拠地移転へ” (2012年5月23日). 2017年2月24日閲覧。
  9. ^ NOMOクラブが堺市から豊岡市移転”. 日刊スポーツ (2012年5月31日). 2017年2月24日閲覧。
  10. ^ 城崎温泉 NOMOベースボールクラブの選手が働くお宿(NOMOベースボールクラブ公式サイト)
  11. ^ “【城崎温泉火災】野茂さんの野球チームが復旧支援 撤去作業で”. 産経WEST. (2015年1月13日). https://web.archive.org/web/20150308045129/http://www.sankei.com/west/news/150113/wst1501130074-n1.html 
  12. ^ NOMOベースボールクラブ自動販売機
  13. ^ NOMOベースボールクラブ 運営役員紹介
  14. ^ “「豊岡を元気に」NOMOベースボールクラブが認定NPO法人に”. 神戸新聞. (2015年5月16日). https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201505/0008030916.shtml 
  15. ^ NOMOベースボールクラブに寄付した場合の寄付金控除について
  16. ^ NOMOベースボールクラブ 青少年育成活動

関連項目 編集

外部リンク 編集