イモラ・サーキット

アウトドローモ[1]・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ[2] (: Autodromo Internazionale Enzo e Dino Ferrari) は、イタリアイモラ市にあるサーキット。別名イモラ・サーキット (Imola Circuit) 。

Autodromo Internazionale "Enzo e Dino Ferrari"
(Imola)
Autodromo aerea poster.jpg
所在地イタリア・イモラ
標準時GMT +1
座標北緯44度20分28秒 東経11度42分48秒 / 北緯44.34111度 東経11.71333度 / 44.34111; 11.71333座標: 北緯44度20分28秒 東経11度42分48秒 / 北緯44.34111度 東経11.71333度 / 44.34111; 11.71333
主なイベントSBK, WTCC, サンマリノグランプリ
Current circuit (2007-present) Imola 2009.svg
路面アスファルト
コース長4.909 km (3.050 mi)
コーナー数17
レコードタイム1:13.609 (フィンランドの旗 バルテリ・ボッタス, メルセデス, 2020年, フォーミュラ1)
Previous layout (1995-2006) Imola.svg
路面アスファルト
コース長4.959 km (3.132 mi)
コーナー数17
レコードタイム1:20.411 (ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ, フェラーリ, 2004年, フォーミュラ1)
Second layout (1981-1994) Circuit Imola 1992.png
路面アスファルト
コース長4.933 km (3.065 mi)
コーナー数23
レコードタイム1:24.335 (イギリスの旗 デイモン・ヒル, ウィリアムズ-ルノー, 1994, フォーミュラ1)

フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリとその息子のアルフレード・フェラーリを記念してつけられた。当初は「アウトドローモ・ディーノ・フェラーリ」 (Autodromo Dino Ferrari) という名称だったが、1989年、エンツォ・フェラーリの死去に伴い、現在の名称になった。

歴史編集

 
2007年3月のイモラホームストレートとピット跡
 
2008年4月15日のイモラ。ピットとコースに改修が加えられた

イモラ・サーキットは全長5,017mの高速コースとして造られた。F1をはじめとするグランプリレースを開催するサーキットとしては、ブラジルのサンパウロにあるインテルラゴス・サーキットと同じく反時計回りで周回するサーキットである。ホームストレートの海抜は41m。北側にイモラ市街地があり、サンテルノ川を隔ててレーシングコースがある。サーキットの内側には陸上競技場がある他、南側の丘にはぶどう畑が広がり、この一帯はDOCワイン「コッリ・ディモラ」で知られる。

1953年に開催されたオートバイレースが、初のレースイベントだった。1973年にはヴァリアンテ・バッサ、1974年にヴァリアンテ・アルタの2つのシケインが追加された。1981年にはアックエ・ミネラーリにもシケインが追加され、このレイアウトが1994年まで使用された。

F1のレースは1979年のシーズン終了後に非選手権戦として初開催された。1980年以降は選手権戦となり、1980年はイタリアGP1981年から2006年までサンマリノGPとして開催された。

1994年サンマリノGPでは大事故が多発し3名のドライバーが死傷し、その後コースレイアウトが変更された。タンブレロコーナーとヴィルヌーブコーナーは高速コーナーからシケインへと改修されたが、最終コーナー手前のヴァリアンテ・バッサの進入が緩やかになり、アックエ・ミネラーリのシケインは撤去された。これらの改修で平均速度は下がったが、元々コース幅が非常に狭い事もあり、以前と比べ追い抜きのしにくいコースとなってしまった。

2007年より、狭く老朽化したピットの改修工事に入った。それに伴いヴァリアンテ・バッサが撤去され、リヴァッツァからタンブレロまでをゆるいコーナーでつないだ形状とした。この変更でホームストレートが長くなった。これらの改修により、より高速のコースレイアウトになった。ただし、F1は同年から1国1開催を重視することになり、さらに改修の遅れやレース開催費の値上げの影響を受けたため開催されなくなった。2011年FIAからテスト走行のみ可能なグレード1TからF1の開催に必要なグレード1への変更が承認され[3]2020年現在もグレード1を維持している[4]

2015年にはジロ・デ・イタリア第11ステージ(5月20日)のフィニッシュとしてイモラ・サーキットが採用された。ジロ・デ・イタリアでの周回コースはイモラ・サーキットをそのまま使用するのではなく、途中ヴァリアンテ・アルタからレーシングコースを離れ一般公道に入り、サーキット南側の「トレ・モンティ」の丘を経由しリヴァッツァの出口より再びレーシングコースに戻る特設コースが採用された。ヴァリアンテ・アルタから一般公道に入る地点から周回コースを3周半し、ホームストレートにフィニッシュするこの特設コースで、イルヌール・ザカリンがステージ優勝を飾っている。

モンツァ・サーキットでのイタリアGPの開催契約が切れる2016年には、バーニー・エクレストンが翌年以降の開催地としてイモラを挙げたが[5]、モンツァとの契約延長が決まったため実現しなかった[6]新型コロナウイルス感染症の拡大により開催できなくなったレースが多数発生した2020年には、イタリアでの2戦目の開催地として名乗りを上げた[4]結果、第13戦エミリア・ロマーニャGPの開催が決定した[7]

FIAの承認を受けた2021年のスケジュールでは本レースは記載されなかったが[8]新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、シーズン序盤に開催予定であったオーストラリアグランプリ中国グランプリの延期が決まり、第2戦として前年に引き続き開催が決定した[9]

コースレイアウト編集

 
1994年と1995年開幕前のコースレイアウト比較図
 
4輪(上)と2輪(下)のコースレイアウト(2010年)

基本的には短い直線とシケインを組み合わせたストップ・アンド・ゴータイプのサーキットである。シケインの縁石を乗り越える部分が多い、またその縁石はかなりきつい角度になっているため、サスペンションセッティングがコース攻略の鍵となる。

ホームストレートから左に緩やかなカーブを描き、左・右・左と切り返すタンブレロ (Tamburello) を通過する。かつてはアクセル全開で通過する超高速コーナーであったが、1987年ネルソン・ピケが初日の予選中にクラッシュ、1989年にはゲルハルト・ベルガーがレース中にクラッシュしマシンが炎上、そして1992年にはウイリアムズリカルド・パトレーゼがテスト中にクラッシュし首を負傷するなど、テクノロジーの進化により危険なコーナーへと変貌していった。そして1994年アイルトン・セナが決勝レース中にクラッシュ、死亡するに至る。

これらのクラッシュは全てタンブレロを直進してコンクリート壁に激突するという共通点を持っていた。この種のリスクに対しては、コンクリート壁を後退させてランオフエリアを拡大するか、コンクリート壁の前にタイヤバリアを敷設するなどの対応が考えられるが、このコーナーのすぐ外側にはサンテルノ川が流れており、ランオフエリアのスペースを拡大することができず、タイヤバリアの敷設にしても衝突時の飛散のリスクを考慮すると、やはりコースとの距離が絶対的に不足しており、採用することができなかった。そこで高速コーナーを廃止し、1995年からは内側に切り込むシケイン状のコーナーに姿を変えた。

タンブレロを立ち上がると、直線を挟んで再びシケインのヴィルヌーブ (Curva Villeneuve) を通過する。ここも以前は緩やかに右にカーブするコーナーで、1980年のイタリアGPジル・ヴィルヌーヴが高速クラッシュを演じたことから命名された。1994年サンマリノGPの予選2日目でのローランド・ラッツェンバーガーの死亡事故を受けて、タンブレロと同じくシケインに改修された。

ヴィルヌーブに続いて、低速ヘアピンコーナーのトサ (Tosa) を廻り込む。タンブレロとヴィルヌーブが高速コーナーだった頃は、ここでのブレーキング勝負が見所となった。トサから先のコースは、土地の起伏を利用したアップダウンが続く。丘を上り、ピラテッラ (Piratella) を過ぎると下りとなり、窪地にある複合コーナーのアックエ・ミネラーリ (Acque Minerali[10]) を通過する。上り坂の先にあるシケインヴァリアンテ・アルタ (Variante Alta) は、縁石を使って直線的にカットする。

ダブル左回りのリヴァッツァ (Rivazza) は、エントリー部分が下り坂でブレーキングが難しい。ピット前のヴァリアンテ・バッサ (Variante Bassa) は入口(右・左)と出口(左・右)のふたつのシケインで構成されていたが、1995年以降は出口のみとなり、ピット改修後は2輪レースで使用される。

データ編集

  • 公式オープン:
  • 総工費:
  • 所在地:イタリア、イモラ市
  • 運営:
  • 総面積:??
  • 収容観客数:??
  • コース1周:4.933km
  • 最長直線距離:?? km
  • カーブ数:17(右:7、左:10)
  • カーブ:最小半径 ?? m

レコード編集

悪夢の1994年編集

1994年にこの地で開催されたサンマリノGPでは、2件の死亡事故を含め大きなクラッシュが多発した。

金曜日のフリー走行において、ジョーダンルーベンス・バリチェロがヴァリアンテ・バッサでコースアウト、縁石で跳ね上がったマシンはタイヤバリアに乗り上げ横転した。バリチェロは鼻骨を骨折したものの幸い命に別状はなかったが、これが悪夢の端緒となった。

土曜日午後の予選、シムテックローランド・ラッツェンバーガーがヴィルヌーヴ・コーナーを通過する際にマシンのフロントウイングが脱落し、306km/hでコントロールを失いコンクリート壁に激突、マシンは惰性でトサ・コーナーまで飛ばされるという大クラッシュが起こった。この事故によりラッツェンバーガーは死亡、モノコックに穴が開き、ラッツェンバーガーの上半身が外に露出するほどの衝撃であった。F1レースウィークにおいては1982年リカルド・パレッティ以来、テストを含めると1986年ブラバムエリオ・デ・アンジェリス以来の死者を出してしまった。

さらにラッツェンバーガーのための26番グリッドが空席のままスタートしたレースだったが、スタートに失敗したJ.J.レートベネトンペドロ・ラミーロータスが追突した。壊れたパーツが観客席まで飛散し、観客数名が怪我を負った。このクラッシュによりセーフティカーが入った。セーフティカーの先導が解かれた1周後にウィリアムズアイルトン・セナのクラッシュが発生した。

救急ヘリが直接コースに着陸という異常事態の中、救命措置が行われた。セナが病院に搬送された(レース終了後、セナは死亡した)後、レースは再開したがアクシデントはとどまらず、途中ピットインしたミケーレ・アルボレートのリヤタイヤが外れ、ピットロードを跳ね回った。このタイヤの直撃により、ロータスやフェラーリのピットクルーが重傷を負う事態となった。

ラルースチームのクルーのミスにより、赤旗提示中にエリック・コマスのマシンがピットアウトし[11]セナの事故現場(クラッシュしたマシンと作業中の多くのマーシャルや医療スタッフがいた)までレーシングスピードで走ってしまうトラブルも起きた。

何かに呪われたようなこの週末はそれまでの『F1安全神話』を完全に崩壊させ、新たな安全確保への規格の構築へと繋がっていった。

注釈編集

  1. ^ "Autodromo"のイタリア語のアクセントを考慮すると「アウトードロモ」と表記するのが正しいが、「アウトドローモ」とする日本語表記が一般に流布している。
  2. ^ アウトドローモ (Autodromo) は、イタリア語で自動車競技場を指す。アクセントを考慮すると「アウトードロモ」と表記するのが正しいが、「アウトドローモ」とする日本語表記が一般に流布している。
  3. ^ 最高グレードを得てF1復帰を狙うイモラ”. ESPN F1 (2011年9月5日). 2020年6月15日閲覧。
  4. ^ a b イモラ・サーキットがイタリアでの2戦目開催に名乗り。F1ライセンス更新を発表”. autosport web (2020年6月14日). 2020年6月15日閲覧。
  5. ^ イモラとエクレストンがイタリアGP開催の合意”. ESPN F1 (2016年7月18日). 2020年6月15日閲覧。
  6. ^ モンツァが3年の契約延長へ”. ESPN F1 (2016年9月2日). 2020年6月15日閲覧。
  7. ^ F1ポルトガルGPが24年ぶり復活!アルガルベサーキットでの第12戦開催が正式決定”. 中日スポーツ (2020年7月25日). 2020年7月23日閲覧。
  8. ^ FIA、2021年F1カレンダーを承認。史上最多23戦が予定も3戦が未確定、日本GPは10月10日”. autosport web (2020年12月17日). 2021年4月17日閲覧。
  9. ^ F1、2021年シーズンの改訂版カレンダーを発表。開幕戦はバーレーンで3月28日に開催”. autosport web (2021年1月12日). 2021年4月17日閲覧。
  10. ^ アックエ・ミネラーリとはイタリア語で「ミネラルウォーター」の意。
  11. ^ 赤旗提示中のピットアウトは禁止

関連項目編集

外部リンク編集