ソフト・マシーン
ソフト・マシーン(Soft Machine)は、イングランド出身のプログレッシヴ・ロック、ジャズ・ロック・バンド。
ソフト・マシーン Soft Machine | |
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![]() ノルウェー・オスロ公演(2018年9月) | |
基本情報 | |
別名 | ソフツ |
出身地 |
![]() ケント州カンタベリー |
ジャンル |
カンタベリー・ロック プログレッシブ・ロック サイケデリック・ロック ジャズ・ロック フュージョン ミニマル・ミュージック |
活動期間 |
1966年 - 1984年 2015年 - 現在 |
レーベル |
Probe/ABCレコード CBSレコード コロムビア・レコード ハーヴェスト・レコード EMI Dyad Records |
共同作業者 |
ソフト・ヒープ ソフト・ヘッド ソフト・ウェア ソフト・ワークス ソフト・マシーン・レガシー ソフト・マウンテン |
公式サイト | softmachine.org |
メンバー |
ジョン・マーシャル (Ds) ジョン・エサリッジ (G) ロイ・バビントン (B) セオ・トラヴィス (Sax) |
旧メンバー |
デヴィッド・アレン (G/Vo) ケヴィン・エアーズ (B/Vo) マイク・ラトリッジ (Key) ロバート・ワイアット (Ds/Vo) ヒュー・ホッパー (B/Sax) エルトン・ディーン (Sax/Key) カール・ジェンキンス (Sax/Key) アラン・ホールズワース (G) ほか 別記参照 |
「ワイルド・フラワーズ」を始祖とし、同じ枝分かれした「キャラヴァン」と共にカンタベリー・ミュージックの礎を築いたグループとして知られる。メンバーの出入りに伴い、サイケ/プログレ/ジャズ/フュージョンと音楽性も多様に変化していった。
概要・略歴編集
バンド結成までの経緯編集
オーストラリア生まれの世界を放浪するヒッピー、デヴィッド・アレンは、パリに渡った際にビート文学の巨匠、ウィリアム・バロウズと出会う。彼とラジオの仕事などを行っていた当時に顔見知りとなったのがブリストル生まれのロバート・ワイアットである。彼がロンドンに渡った時にワイアットの母の営む下宿に住んだりもしていた。そんな彼に影響を受けたワイアットを始めとする仲間達に、ワイアットとは学生時代からの仲で当時はオックスフォード大学に在学していたカンタベリー生まれのマイク・ラトリッジも合流し、一つのサークルが形成されていく。この頃にアレンとワイアットに加え、ワイアットやラトリッジと学生時代から交流のあったブライアン・ホッパーの弟、ヒュー・ホッパーとトリオを組んでライブを行ったこともあった。トリオが短期で終了した後、アレンはヨーロッパ各地を巡り歩き、その中でケヴィン・エアーズや後に伴侶ともなるジリ・スマイスとの交流を深めていく。残りのメンバーは後にキャラヴァンとしてデビューする面々(リチャード・コフラン、パイ・ヘイスティングス、リチャード・シンクレア)と共にワイルド・フラワーズというバンドを結成し活動する。そして1966年の夏、カンタベリーに戻ったアレン(ベース、ボーカル)を中心に、エアーズ(リズム・ギター、ボーカル)、ワイアット(ドラム、ボーカル)、ラリー・ノーラン(ギター)の4人でミスター・ヘッドというバンドが結成され、ラトリッジが合流した後にバンド名を変更した。
ラトリッジがパリのバロウズに電話をかけ直接使用許可を貰ってつけたその名は、「ソフト・マシーン」。バロウズの著書に同名のタイトルがあり、ソフト・マシーン(柔らかな機械)とは女性型アンドロイドのことを指していると思われる。ラトリッジはこれにインスパイアされたらしい。なお、ノーランは最初期に行われた数回のギグで脱退した。
サイケデリック・ロック期(1966年 - 1969年)編集
4人組で本格始動したバンドは、ロンドンのUFOクラブを根城にヨーロッパ各地で精力的に演奏活動を行いつつ独自の音楽を模索していく[1]。その音楽のかたちは、いわゆるサイケデリック・ポップとも呼べるものだった。ロンドンのサイケデリック・シーンで注目を浴びるようになった彼等は同じくUFOクラブを中心に活動していたピンク・フロイドやジミ・ヘンドリックスらとも交流を持つようになり、ステージを共にすることもあった。1967年、パリ公演からの帰途、アレンが麻薬所持などのトラブルによりイギリスへの入国許可が下りずそのまま脱退(彼はそのままパリに留まり、スマイスと共に後にゴングへと発展するプロジェクトを立ち上げる)。
この後、3人となったメンバーはギターを補充せずキーボード・トリオとして活動する。アレンの抜けた穴を埋めるためであろうか、ラトリッジのかねてからのジャズ志向のためか、この頃から彼の弾くオルガンの音をファズをかけて歪ませるようになる。この音色がいわゆるサイケデリックに分類されていた彼等の当時の音楽に、モノクロームな色彩を与えるようになる。これがカンタベリー系と呼ばれる音楽の一つの指標ともなっていく。3人は、ジミ・ヘンドリックスのアメリカ長期ツアーに帯同。ツアー途中の1968年、ニューヨークにてデビュー・アルバム『ソフト・マシーン』を制作する。この頃のステージで、後にポリスのメンバーとなるギタリスト、アンディ・サマーズをアレンの代役に起用している。デビュー・アルバムは評判が良く、レーベルは次回作の制作を打診するが、当のメンバーは余りにも長期にわたったツアーに疲れ果て、バンドはほとんど解散状態にあった。そんな状況に嫌気のさしたエアーズは、地中海に浮かぶバレアレス諸島のイビサ島へと移住して脱退する[2]。
活動再開を期したメンバーは、ヒュー・ホッパーを新しいベーシストに加えトリオ編成となり、1969年にセカンド・アルバム『ヴォリューム2』を制作(ホッパーの兄、ブライアンもホーン奏者としてアルバムに参加)。ジャズ志向が強く、実験音楽などにも造詣の深いアヴァンギャルドな感性の持ち主・ホッパーの加入により、バンドはアレン=エアーズ主導時代のサイケ・ポップ路線から、ホッパー=ラトリッジ主導のジャズ・ロック路線へと変革を遂げていく。
ジャズ・ロック期(1970年 - 1972年)編集
独自のジャズ・ロックを模索する中で、リード楽器としてホーンを必要としたバンドは、当時キース・ティペット・グループ (KTG)に在籍していたエルトン・ディーン (アルト・サックス、サクセロ)と出会う。彼を筆頭にKTGのメンバー5人 (ジミー・ヘイスティングス、マーク・チャリグ、ラブ・スポール、ニック・エヴァンス、リン・ドブソン)が参加。バンドは一気に大所帯の8人編成となり、1970年に3枚目のアルバム『3』を制作。しかし、経済面の問題で最終的にバンドに残ったのはディーン一人となり、バンドはカルテット編成に落ち着く。そして1971年、4枚目のアルバム『4』制作 (このアルバムの1曲目に収録された「Teeth」にてダブルベースを弾いたロイ・バビントンも、後に正式なベーシストとしてバンドに加入する事になる)。ディーンの影響でバンドの音楽性は更にジャズ色を強めて行くことになるが、それと引き換えに、元々アレンの影響が強くエピキュリアン的な感性を持っていたワイアットは、徐々にシリアスなジャズへと向かっていくバンドの中で存在感を弱めていく。彼のボーカル曲も『3』に収録された「Moon in June」にて最後となり、バンドは完全にインストゥルメンタル・グループ化。ワイアットの居場所はますます狭められることとなり、彼はこの年のうちに脱退した (その直後に自らのバンド、マッチング・モウルを立ち上げアルバムを制作)。
後任のドラマーにはディーンのバンド・メイト、フィル・ハワードが参加し、5枚目のアルバム『5』の制作を開始する。しかし、この頃からより先鋭的なフリー・ジャズ化を志向するディーン&ハワードと、予め展開を決めた上でのジャズ・ロックを志向するホッパー&ラトリッジとの間に齟齬が生じるようになる。その結果、ハワードはアルバム制作期間中にバンドを脱退。次のドラマーとしてイアン・カーの率いるジャズ・ロック・バンド、ニュークリアスからジョン・マーシャルが加入し、アルバムは完成する。そしてアルバム完成と時を同じくして、自ら率いるバンドでの活動を優先するためにディーンも脱退する。『3』の発表された1970年から『5』発表の1972年までのこの時期に録音された様々な音源が発掘され日の目を見ている現状からも、バンドの最盛期をこの期間とする見解を持つファンは多い。
ジャズ・フュージョン期(1973年 - 1984年)編集
脱退したディーンに代わって、マーシャルと同じニュークリアスから加入したのがカール・ジェンキンス (オーボエ、サックス、キーボード)である。ディーンのフリー・ジャズ的かつスポンテイニアスなインプロヴィゼーションとは異なり、ジェンキンスのプレイはスコアとアンサンブルを大事にしたものであり、その影響でバンドの音楽性は洗練された都会的な雰囲気を覗かせるようになる。また、彼のペンになる曲はミニマル・ミュージックの影響からかリズムやフレーズの反復を多用、幻想的な音像をも提示するようになる。フリー・ジャズへの接近著しかったディーン時代に比べ、平易なジャズ・ロックへと向かってジェンキンスがイニシアティヴを持つようになっていく。ラトリッジはこの変化に即応するが、アヴァンギャルド志向のホッパーには物足りなかったようで、彼は1973年の『6』制作終了後に脱退する。
後任のベーシストに『4』にてゲストとしてダブルベースを演奏したこれも元ニュークリアスのロイ・バビントンがつく。ここに於いてオリジナル・メンバーはラトリッジ一人、残りを全員元ニュークリアス組が占めることになり、この4人編成で『6』と同じく1973年に『7』を制作・発表。この時点に於いてはラトリッジの提示する従来のジャズ・ロックと、ジェンキンスの提示するミニマリズムとが拮抗・均衡して、独特の質感を持った音世界が提示されていた。また、ここから従来のオルガン、電子ピアノだけでなくシンセサイザーが導入されたこともバンドの音の質的変化を促した。
そして、1975年に発表された『収束』に於いて、バンドはアレン脱退以来のギタリスト、アラン・ホールズワース (ニュークリアス、テンペスト)を加える。このホールズワースのギターによってバンドはフュージョンへの路線を進む。ファズ・オルガンよりも更に強力な音を持つリード奏者が入ったことも加わって、今度はラトリッジが居場所をなくしていき脱退。ここに於いてオリジナル・メンバーは完全に姿を消し、バンドは元ニュークリアス人脈によって乗っ取られた形になる。
ラトリッジ脱退を境にバンドは更にフュージョン路線を邁進。アルバム1枚のみで脱退したホールズワースに代わり、元ダリル・ウェイズ・ウルフのギタリスト、ジョン・エサリッジをメンバーに迎える。また、ホーン奏者としてアラン・ウェイクマン(イエスのリック・ウェイクマンの従兄弟)を加え、ジェンキンスはキーボード専任となる。この編成で1976年にバンドとしては実質ラストとなるスタジオ・アルバム『ソフツ』を制作・発表する[3]。ジェンキンス流ジャズ・ロックの決定版とも呼べる後期の名作とも評価された。
しかしその後、バビントンが脱退。ブランドXのパーシー・ジョーンズが一時在籍したが、程なくアラン・ゴーウェンのバンド、ギルガメッシュからスティーヴ・クックが正式加入。ヴァイオリニストのリック・サンダースをメンバーに加えて行われた1977年のパリ公演を収録し、これまでのジャズ・ロックやフュージョンを更に超越し、半ばテクノにまで接近した感も抱かせるライブ・アルバム『アライヴ・アンド・ウェル(ライヴ・イン・パリ)』を発表した段階(1978年)で、バンドとしてのソフト・マシーンは実質的に終わっていた。
その3年後、1981年に発表されたラスト・アルバム『ランド・オブ・コケイン』に於いては、バンドのメンバーはジェンキンスとマーシャルの二人だけのユニット状態となっており、その他のパートは全員ゲスト参加という編成で制作されている。ジャズ系のプレイヤーを多数ゲストとして起用した豪華な内容のイージーリスニング・アルバムとなった。(ソフト・マシーン名義ながら、実質的ジェンキンスのソロ・プロジェクト)そして1984年を最後に活動が途絶える。
- ソフト・ヒープ / ソフト・ヘッド
その後のソフト・マシーン関連の活動(1985年 - 1998年)編集
ソフト・マシーンとしての活動がなくなった時期に、複数の旧メンバーが参加した活動として下記のものがある。
- アディエマス
- ブレインヴィル
ソフト・ウェア - ソフト・ワークス - ソフト・マシーン・レガシー(1999年 - 2015年)編集
1999年、エルトン・ディーン、ヒュー・ホッパー、ジョン・マーシャルの旧メンバーにキース・ティペットを加えた4人でプロジェクト「ソフト・ウェア (Soft Ware)」を開始。2002年まで活動する。
2003年には、キース・ティペットからアラン・ホールズワースに交代し、新たに「ソフト・ワークス (Soft Works)」を結成。同年にアルバム『アブラカダブラ』を発表し、来日公演も実現。それに伴い、日本のインディ・レーベル「God Mountain」を主宰するホッピー神山と吉田達也らでコラボした、「ソフト・マウンテン (Soft Mountain)」名義によるセッションも行った。
その後、ホールズワースが脱退し、旧メンバーのジョン・エサリッジが加入。2004年からバンド名を「ソフト・マシーン・レガシー (Soft Machine Legacy)」と改名し、ライブを中心に活動を展開した[4]。
2006年2月8日、エルトン・ディーンが死去。セオ・トラヴィスを新メンバーに迎えて活動を継続したが、さらなる2009年6月7日にヒュー・ホッパーが死去したことで活動が休止。その後、旧メンバーのロイ・バビントンを迎えてライブ活動を再開。
ソフト・マシーンの名跡を再興(2015年 - 現在)編集
2015年末、ソフト・マシーン・レガシーは、オリジナルの「ソフト・マシーン」名義に復帰しての活動に移行する[6]。
2018年、ソフト・マシーン名義では38年振りとなる11thアルバム『ヒドゥン・ディテールズ -隠された真実-』を発表[7]。同7月よりワールド・ツアーを開始し、来日公演も開催。このツアーをもって、バビントンとマーシャルは引退を表明した[8]。
2020年、エサリッジ、トラヴィス、バビントン、ニック・フランス(マーシャルの代役)というメンバーによるソフト・マシーンが、ケンブリッジ・ジャズ・フェスティバルに参加[9]。
メンバー編集
※2018年時点
現ラインナップ編集
- ジョン・マーシャル (John Marshall) - ドラムス (1971年 – 1984年、2015年 – )
- ジョン・エサリッジ (John Etheridge) - ギター (1975年 – 1978年、2015年 – )
- ロイ・バビントン (Roy Babbington) - ベース (1973年 – 1976年、2015年 – )
- セオ・トラヴィス (Theo Travis) - サクソフォーン、フルート、キーボード (2015年 – )
旧メンバー編集
- デヴィッド・アレン (Daevid Allen) – ギター、ボーカル (1966年 – 1967年) ※2015年死去[10]
- ケヴィン・エアーズ (Kevin Ayers) – ベース、ボーカル (1966年 – 1968年) ※2013年死去[11]
- マイク・ラトリッジ (Mike Ratledge) – キーボード (1966年 – 1968年、1969年 – 1976年)
- ロバート・ワイアット (Robert Wyatt) – ドラムス、ボーカル (1966年 – 1968年、1969年 – 1971年)
- ラリー・ナウリン (Larry Nowlin) – ギター (1966年)
- アンディ・サマーズ (Andy Summers) – ギター(1968年)
- ヒュー・ホッパー (Hugh Hopper) – ベース、サクソフォーン、ギター (1968年 – 1973年) ※2009年死去
- エルトン・ディーン (Elton Dean) – サクソフォーン、キーボード (1969年 – 1972年) ※2006年死去
- リン・ドブソン (Lyn Dobson) – フルート、キーボード (1969年 – 1970年)
- マーク・チャリグ (Mark Charig) – コルネット (1969年)
- ニック・エヴァンス (Nick Evans) – トロンボーン (1969年)
- フィル・ハワード (Phil Howard) – ドラムス (1971年)
- カール・ジェンキンス (Karl Jenkins) – サクソフォーン、キーボード (1972年 – 1984年)
- アラン・ホールズワース (Allan Holdsworth) – ギター (1973年 – 1975年) ※2017年死去[12]
- アラン・ウェイクマン (Alan Wakeman) – サクソフォーン (1976年)
- レイ・ウォーレイ (Ray Warleigh) – サクソフォーン (1976年) ※2015年死去
- リック・サンダース (Ric Sanders) – ヴァイオリン (1976年 – 1978年)
- パーシー・ジョーンズ (Percy Jones) – ベース (1976年 – 1977年)
- スティーヴ・クック (Steve Cook) – ベース (1977年 – 1978年)
派生グループ編集
ソフト・ヒープ / ソフト・ヘッド編集
- ヒュー・ホッパー (Hugh Hopper) – ベース、サクソフォーン、ギター (1978年 – 1979年) ※2009年死去
- エルトン・ディーン (Elton Dean) – サクソフォーン、キーボード (1978年 – 1982年) ※2006年死去
- アラン・ゴーウェン (Alan Gowen) – キーボード (1978年 – 1981年) ※1981年死去
- ピップ・パイル (Pip Pyle) – ドラムス (1978年)
- デイヴ・シーン (Dave Sheen) – ドラムス (1978年 – 1982年)
- ジョン・グリーヴス (John Greaves) – ベース (1979年 – 1982年)
- マーク・ヒウィンズ (Mark Hewins) – ギター (1981年 – 1982年)
ソフト・ウェア / ソフト・ワークス / ソフト・マシーン・レガシー編集
- ヒュー・ホッパー (Hugh Hopper) – ベース、サクソフォーン、ギター (1999年 – 2009年) ※2009年死去
- エルトン・ディーン (Elton Dean) – サクソフォーン、キーボード (1999年 – 2006年) ※2006年死去
- ジョン・マーシャル (John Marshall) – ドラムス (1999年 – 2015年)
- キース・ティペット (Keith Tippett) – キーボード (1999年 – 2002年) ※2020年死去
- アラン・ホールズワース (Allan Holdsworth) – ギター (2002年 – 2004年) ※2017年死去
- セオ・トラヴィス (Theo Travis) – サクソフォーン、フルート、キーボード (2006年 – 2015年)
- ロイ・バビントン (Roy Babbington) – ベース (2009年 – 2015年)
ソフト・マウンテン編集
ディスコグラフィ編集
オリジナル・アルバム編集
- 『ソフト・マシーン』 - The Soft Machine(1968年) ※旧邦題『アート・ロックの彗星』
- 『ヴォリューム2』 - Volume Two(1969年)
- 『3』 - Third(1970年)
- 『4』 - Fourth(1971年) ※旧邦題『フォース』
- 『5』 - Fifth(1972年)
- 『6』 - Six(1973年)
- 『7』 - Seven(1973年)
- 『収束』 - Bundles(1975年) ※旧邦題『バンドルズ』
- 『ソフツ』 - Softs(1976年)
- 『ランド・オブ・コケイン』 - Land of Cockayne(1981年)
- 『ヒドゥン・ディテールズ -隠された真実-』 - Hidden Details(2018年)
ライブ・アルバム編集
- 『アライヴ・アンド・ウェル(ライヴ・イン・パリ)』 - Alive & Well: Recorded in Paris(1978年) ※1977年7月収録
- 『ライブ・アット・ザ・プロムス』 - Live at the Proms 1970(1988年) ※1970年8月収録
- 『ライヴ・イン・コンサート 71』 - Soft Machine & Heavy Friends - BBC In Concert(1993年) ※1971年3月収録
- 『ソフト・ステージ』 - Soft Stage - BBC In Concert 1972(1994年) ※1972年6月収録
- 『ライヴ・アット・ザ・パラディーソ』 - Live At The Paradiso 1969(1996年) ※1969年3月収録
- 『ヴァーチャリー』 - Virtually(1998年) ※1971年3月収録
- 『ノイゼット』 - Noisette(2000年) ※1970年1月収録
- 『バックワーズ』 - Backwards(2002年) ※1969年11月・1970年5月収録
- 『フェイスリフト』 - Facelift(2002年) ※1970年4月収録
- 『ライヴ・イン・ソーホー』 - Somewhere in Soho(2004年) ※1970年4月収録
- 『ブレダ・リアクター 1970』 - Breda Reactor(2005年) ※1970年1月収録
- 『ブリティッシュ・ツアー‘75』 - British Tour ´75(2005年) ※1975年10月収録
- 『ミドル・アース・マスターズ』 - Middle Earth Masters(2006年) ※1967年9月-1968年5月収録
- 『グライズ』 - Grides(2006年) ※1970年10月収録
- 『流浪の世界-「収束」ライヴ 1975』 - Floating World Live(2006年) ※1975年1月収録。旧邦題『フローティング・ワールド・ライヴ』
- 『ドロップ-「5」ライヴ 1971』 - Drop(2008年) ※1971年11月収録
- 『ライヴ・イン・パリ 1972』 - Live in Paris(2008年) ※1972年5月収録
- 『ライヴ・イン・ノルウェー 1971』 - Live at Henie Onstad Art Centre 1971(2009年) ※1971年2月収録
- 『ジャズ・ワークショップ コンサート・イン・ハンブルグ』 - NDR Jazz Workshop Hamburg, Germany(2010年) ※1973年5月収録
- 『ライヴ・イン・スイス 1974』 - Switzerland 74(2015年) ※1974年7月収録
コンピレーション・アルバム編集
- Jet Propelled Photographs(1972年) ※1967年・オリジナル・ラインナップによるデモ
- Triple Echo(1977年) ※ベスト盤
- The Peel Sessions(1990年) ※1967年から1971年の録音
- 『ラバー・リフ』 - Rubber Riff(1994年) ※1976年・ジェンキンス作曲によるTV用録音
- 『スペースド』 - Spaced(1996年) ※1969年録音
- 『ターンズ・オン(1)』 - Turns On Volume 1(2001年) ※1967年4月から12月の雑多な録音
- 『ターンズ・オン(2)』 - Turns On Volume 2(2001年) ※1967年11月から1968年8月の雑多な録音
- 『BBC・ラディオ1967-71』 - BBC Radio 1967-1971(2003年)
- 『BBC・ラディオ1971-74』 - BBC Radio 1971-1974(2003年)
派生グループ作品編集
ソフト・ヒープ / ソフト・ヘッド編集
オリジナル・アルバム
- 『ソフト・ヒープ』 - Soft Heap(1979年)
ライブ / コンピレーション
- 『ローグ・エレメント』 - Rogue Element(1978年) ※ソフト・ヘッド名義
- A Veritable Centaur(1996年)
- 『アルデンテ』 - Al Dente(2008年)
ソフト・ワークス / ソフト・マシーン・レガシー編集
オリジナル・アルバム
- 『アブラカダブラ』 - Abracadabra(2003年) ※ソフト・ワークス名義
- 『ソフト・マシーン・レガシー』 - Soft Machine Legacy(2006年)
- 『スティーム』 - Steam(2007年)
- 『バーデン・オブ・プルーフ』 - Burden of Proof(2013年)
ライブ・アルバム
- 『ライヴ・イン・ザーンダム2005』 - Live in Zaandam(2005年)
- Live at the New Morning(2006年)
- 『ライヴ・アドヴェンチャーズ 2010』 - Live Adventures(2010年)
ソフト・マウンテン編集
セッション・アルバム
- 『ソフト・マウンテン』 - Soft Mountain(2006年) ※2003年収録
脚注編集
- ^ ソフト・マシーンの『Volume Two』はカンタベリー派の礎を築いたスリリングな名作 - okmusic UP's
- ^ ソフト・マシーンの初期作2タイトルがリマスター盤化 - CDjournal
- ^ ソフト・マシーン後期の名作『Softs』がリマスター復刻 - CDjournal
- ^ ソフト・マシーンの派生バンド“ソフト・マシーン・レガシー(Soft Machine Legacy)”が2015年3月に来日公演を開催! - ストレンジ・デイズ
- ^ ソフト・マシーン・レガシーが来日公演を2015年3月に開催 - amass
- ^ 新生ソフト・マシーンが2016年に英国ツアーを開催、ソフト・マシーン・レガシーが改名 - amass
- ^ “ソフト・マシーン(Soft Machine)、38年振りのアルバム『Hidden Details(ヒドゥン・ディテールズ~隠された真実~)』が国内盤でリリース”. TOWER RECORDS (2018年8月17日). 2018年8月24日閲覧。
- ^ “間近で目撃する“1つの終焉” 日本では最後になったソフト・マシーンの超絶パフォーマンスを記憶に刻み込む真夏の宵”. billboard-JAPAN (2018年7月29日). 2018年8月24日閲覧。
- ^ “Watch Soft Machine live from the Cambridge Jazz Festival tonight”. Prog (2020年11月29日). 2020年11月29日閲覧。
- ^ ソフト・マシーン/ゴングのデイヴィッド・アレン、死去 - BARKS
- ^ ソフト・マシーンの元メンバー、ケヴィン・エアーズが68歳で死去 - TOWER RECORDS
- ^ アラン・ホールズワースの訃報を受けて多くのミュージシャンが追悼の意を表明 - NME JAPAN