ボージャン・クルキッチ
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はクルキッチ、第二姓(母方の姓)はペレスです。(Template:スペイン語圏の姓名) |
ボージャン・クルキッチ・ペレス(Bojan Krkić Pérez, 1990年8月28日 - )は、スペイン王国カタルーニャ州リェイダ県リニョーラ出身のサッカー選手。モントリオール・インパクト所属。ポジションはFW。ボージャンの他にボヤンとも表記されるが、出身地のカタルーニャ地方では、ボージャンという発音が最も近い。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
![]() カタルーニャ州選抜でのボージャン (2013年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ボージャン・クルキッチ・ペレス Bojan Krkić Pérez | |||||
ラテン文字 | BOJAN | |||||
セルビア語 | Бојан Кркић | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() ![]() | |||||
生年月日 | 1990年8月28日(30歳) | |||||
出身地 | リニョーラ | |||||
身長 | 170cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
![]() | |||||
ポジション | FW (CF) | |||||
背番号 | 9 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2007 |
![]() | 22 | (10) | |||
2007-2011 |
![]() | 104 | (26) | |||
2011-2013 |
![]() | 33 | (7) | |||
2012-2013 |
→![]() | 19 | (3) | |||
2013-2014 |
![]() | 0 | (0) | |||
2013-2014 |
→![]() | 24 | (4) | |||
2014-2019 |
![]() | 53 | (14) | |||
2017 |
→![]() | 11 | (1) | |||
2017-2018 |
→![]() | 13 | (0) | |||
2019- |
![]() | 8 | (3) | |||
代表歴2 | ||||||
2006-2007 |
![]() | 20 | (16) | |||
2007-2011 |
![]() | 21 | (4) | |||
2008 |
![]() | 1 | (0) | |||
2007- |
![]() | 8 | (7) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年8月7日現在。 2. 2019年10月8日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
同名の父、ボージャン・クルキッチは1980年代にレッドスター・ベオグラードでプレーしたセルビア人の元サッカー選手で、現在はFCバルセロナのスカウトを務める。母はスペイン人(カタルーニャ人)の看護師。そのためカタルーニャ代表としてもプレーする。 アルゼンチン代表でFCバルセロナ所属のリオネル・メッシとは互いの曽祖父同士が兄弟で遠縁の親戚関係にあり、三従兄弟にあたる[1]。
クラブ経歴編集
幼少のころに名門FCバルセロナに入団し、カンテラの各カテゴリの得点記録を軒並み塗り替え、バルセロナの若手有望株と期待された。特に2006年に昇格したセカンドチームであるバルセロナBではセンターフォワードのレギュラーポジションに定着し、22試合で10ゴールとジョバニ・ドス・サントスらとともにオフェンスの中心を担う活躍をみせるなど、カンテラ通算7年間(1999年~2006年)で900点以上をあげた[2]。
この活躍が評価され、2007-08シーズンからはわずか16歳にしてドス・サントスと共にトップチームへの昇格し、直後のプレシーズンマッチ第2戦のハーツ戦にて得点に絡む活躍を見せている。
リーガ・エスパニョーラでデビューを果たしたのは2007年9月16日のリーガ第3節CAオサスナ戦であり、17歳と18日という若さでのデビューとなった。また、その3日後の9月19日に行われたオリンピック・リヨン戦でUEFAチャンピオンズリーグのデビューを果たした。
そして、それから1ヵ月後の10月20日、リーガ第8節ビジャレアルCF戦で得点を挙げてクラブ最年少得点記録を更新した。この初ゴールのアシストは、それまでの記録保持者であるリオネル・メッシであった。この2007-08シーズンではリーガデビューからコンスタントに試合に出場し、リーガ10ゴールを挙げるなどトップチームに定着するに至った。これは同じく17歳でデビューしたラウル・ゴンサレスの9ゴールを抜きリーガ・エスパニョーラの新人記録となった。
なお、デビュー時点では、スペインの労働法により18歳未満とはプロ契約を結べなかった為、バルセロナとプロ契約をしていなかった。このため、マンチェスター・ユナイテッドやアーセナル、チェルシーといったイングランドのクラブがボージャンを獲得しようとしたが、本人はバルセロナを離れるつもりはないと明言し、最終的には18歳になった直後にバルセロナとプロ契約を結んだ。
2008-09シーズンから背番号を移籍したジャンルカ・ザンブロッタが付けていた11に変更した。
スペイン代表としては2008年2月のフランスの親善試合で初めて招集され、代表の最年少出場記録を塗り替えることが期待されたものの、体調を崩したため出場することはなかった。その後、2008年9月10日の2010 FIFAワールドカップ予選のアルメニア戦で代表デビューを果たした。
2010-11シーズンから背番号を移籍したズラタン・イブラヒモビッチが付けていた9に変更した。2010年12月にはFCバルセロナとの契約を2015年まで延長。契約解除金はそれまでの8000万ユーロから増額され、1億ユーロに設定された [3]。2011年3月リーガエスパニョーラ第29節ヘタフェ戦で、クラブ史上最年少でリーガ100試合出場を遂げ、「本当に素晴らしい夜だった。僕にとっても、チームにとってもこのような試合は必要だったんだ。ピッチに立てて、それもゴールを決められてうれしいよ。100試合出場だって気付いたときは、鳥肌が立ったんだ。それもバルサでの100試合出場。これまでやってきた自分の仕事を、とても誇らしく思っている。これだけ早く100試合出場を達成できたのは、サポーターのおかげだ。いつもファンから愛されていると感じてきたし、そのことが僕に戦い続ける力を与えてくれているんだ」とコメントした[4]。
2011年7月22日、出場機会を求めてルイス・エンリケ率いるASローマに1200万ユーロで移籍[5]。なお、この移籍契約には2012-13シーズン終了後にFCバルセロナが1300万ユーロで義務的買戻しを実行する条項が含まれている。 この買戻しはASローマによって阻止することは可能だが、その場合は移籍金の総額が4000万ユーロへと増額される[6]。10月1日、アタランタBC戦においてダニエレ・デ・ロッシからのアシストで移籍後初ゴールを記録した。
2012年8月30日、ASローマからACミランにレンタル移籍[7]。1シーズンのこのレンタル移籍に関して、ローマとバルセロナの間の前述の契約内容に影響は無い旨、レンタル発表時にFCバルセロナは公式サイトで伝えている[8]。
2013年7月にバルセロナへ復帰し、同月6日にアヤックスへ1年間のレンタルで加入した[9]。
2014年7月22日、ストーク・シティFCに4年契約で移籍した[10]。8月16日のアストン・ヴィラ戦でプレミアリーグデビューを果たし、11月9日のトッテナム・ホットスパー戦では初ゴールを挙げた。2015-16シーズンには前半戦終了時点で5得点を記録するなど好調さを見せ、2016年2月11日には契約を2020年まで延長した[11]。しかし翌2016-17シーズンには出場機会が減少し半年で9試合の出場に終わった。
2017年1月30日、1.FSVマインツ05に半年間の期限付き移籍で加入した[12]。
2017年8月31日、デポルティーボ・アラベスに1年間のレンタルで移籍した[13]。
2019年8月6日、ストークとの契約を解消し、退団したことを発表。[14]。同月7日にモントリオール・インパクトと契約したことが発表された[15]。
エピソード編集
個人成績編集
- 2019年8月6日現在
クラブ | シーズン | ディビジョン | リーグ | カップ | リーグカップ | UEFA | その他* | 通算 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
バルセロナB | 2006–07 | セグンダB | 22 | 10 | — | 22 | 10 | |||||||
バルセロナ | 2007–08 | プリメーラ | 31 | 10 | 8 | 1 | — | 9 | 1 | — | 48 | 12 | ||
2008-09 | 23 | 2 | 9 | 5 | — | 10 | 3 | — | 42 | 10 | ||||
2009–10 | 23 | 8 | 4 | 2 | — | 6 | 1 | 3 | 1 | 36 | 12 | |||
2010–11 | 27 | 6 | 5 | 1 | — | 3 | 0 | 2 | 0 | 37 | 7 | |||
通算 | 104 | 26 | 26 | 9 | 0 | 0 | 28 | 5 | 5 | 1 | 163 | 41 | ||
ローマ | 2011–12 | セリエA | 33 | 7 | 2 | 0 | — | 2 | 0 | — | 37 | 7 | ||
ミラン (loan) | 2012–13 | セリエA | 19 | 3 | 2 | 0 | — | 0 | 0 | 6 | 0 | 27 | 3 | |
アヤックス (loan) | 2013–14 | エールディヴィジ | 24 | 4 | 3 | 1 | — | 4 | 0 | 1 | 0 | 32 | 5 | |
ストーク | 2014-15 | プレミアリーグ | 16 | 4 | 1 | 1 | 1 | 0 | — | — | 18 | 5 | ||
2015-16 | 27 | 7 | 1 | 0 | 3 | 0 | — | — | 31 | 7 | ||||
2016-17 | 9 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | — | — | 11 | 3 | ||||
2017-18 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | — | — | 2 | 0 | ||||
2018-19 | 21 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | — | — | 23 | 1 | ||||
通算 | 74 | 15 | 3 | 1 | 8 | 0 | — | — | 85 | 16 | ||||
ストーク U-21 | 2016-17 | — | — | — | — | — | 1 | 1 | 1 | 1 | ||||
マインツ05 (loan) | 2016-17 | ブンデスリーガ | 11 | 1 | 0 | 0 | — | — | — | 11 | 1 | |||
アラベス (loan) | 2017-18 | プリメーラ | 10 | 0 | 2 | 1 | — | — | — | 12 | 1 | |||
セグンダB通算 | 22 | 10 | — | 22 | 10 | |||||||||
プリメーラ通算 | 114 | 26 | 28 | 10 | 0 | 0 | 27 | 5 | 6 | 1 | 175 | 42 | ||
セリエA通算 | 52 | 10 | 4 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 64 | 10 | ||
エールディヴィジ通算 | 24 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 32 | 5 | ||
プレミアリーグ通算 | 74 | 15 | 3 | 1 | 8 | 0 | — | 1 | 1 | 86 | 17 | |||
ブンデスリーガ通算 | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 1 | ||
総通算 | 300 | 66 | 38 | 12 | 8 | 0 | 40 | 5 | 7 | 2 | 392 | 84 |
タイトル編集
クラブ編集
- FCバルセロナ
- リーガ・エスパニョーラ:4回(2008-09, 2009-10, 2010-11)
- スペイン国王杯:1回(2008-09)
- スペインスーパーカップ:2回(2009, 2010)
- UEFAチャンピオンズリーグ:2回(2008-09, 2010-11)
- FIFAクラブワールドカップ:1回(2009)
- UEFAスーパーカップ:1回(2009)
- アヤックス
- ヨハン・クライフ・スハール 2013
- エールディヴィジ 2013-14
代表編集
- U-17スペイン代表
- U-21スペイン代表
脚注編集
出典編集
- ^ a b メッシとボージャンは親戚だった? Goal.com 2011年10月14日
- ^ “世界で輝く「○○ッチ」たち”. スポーツナビ. 2009年4月2日閲覧。
- ^ “Bojan: “I’m very happy””. FC Barcelona. 2010年12月20日閲覧。
- ^ “ボージャン:「気付いたとき、鳥肌が立った」”. Goal.com. (2011年3月21日) 2011年3月22日閲覧。
- ^ バルセロナのボージャンがローマへ、両チーム間で合意 - AFPBB.com 2011年7月22日
- ^ “Bojan, transferred to AS Roma”. FC Barcelona. 2011年7月22日閲覧。
- ^ “ボージャンのミラン移籍が正式に発表”. Goal.com. (2012年8月30日) 2012年8月30日閲覧。
- ^ “Bojan Krkic signs with AC Milan”. FC Barcelona. 2012年8月29日閲覧。
- ^ “バルセロナ、ボージャンのアヤックス行きを発表”. Goal. 2013年7月6日閲覧。
- ^ “ボージャン、ストーク行きが決定”. Goal. 2014年7月23日閲覧。
- ^ プレミアで輝くボージャン、ストークと契約延長 - Goal.com 2016年2月12日
- ^ 元バルサのボージャンがマインツ加入、ストークから半年のローン - AFPBB.com 2017年1月30日
- ^ “さすらいの元バルサFWボージャン、レンタルでアラベス移籍が決定”. サッカーキング. (2017年9月1日) 2018年4月14日閲覧。
- ^ “ボージャン、ストークとの契約を解除「力になることはできなかったけど…」”. 超ワールドサッカー (2019年8月6日). 2019年8月6日閲覧。
- ^ “ストーク退団のボージャン、新天地はMLSのモントリオールに決定!”. 超ワールドサッカー (2019年8月8日). 2019年8月8日閲覧。
関連項目編集
外部リンク編集
- Bojan Krkić website (スペイン語)
- BDFutbol profile
- National team data (スペイン語)
- ボージャン・クルキッチ - National-Football-Teams.com
- FC Barcelona profile[リンク切れ]
- Transfermarkt profile
- ボージャン・クルキッチ – FIFA主催大会成績
- Marca feature on Krkić's Barça debut (スペイン語)
- Bojan's transfer deal (スペイン語)