リー・モーガン英語: Edward Lee Morgan, 1938年7月10日 - 1972年2月19日[1])は、ジャズトランペット奏者。アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ[1]

リー・モーガン
出生名 Edward Lee Morgan[1]
生誕 (1938-07-10) 1938年7月10日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没 (1972-02-19) 1972年2月19日(33歳没)
ジャンル ハード・バップジャズビバップジャズ・ロック
職業 トランペット奏者、作曲家
担当楽器 トランペットフリューゲルホルン
活動期間 1956年-1972年
レーベル ブルー・ノート
共同作業者 アート・ブレイキー
リー・モーガン

来歴

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ブルー・ノート・レーベルの代表的トランペッターである。1956年ディジー・ガレスピー楽団(1956年10月–1958年2月)に在籍し、その年には早くもブルー・ノートから『インディード!』でデビューし、その艶やかで伸びのある輝かしい演奏スタイルから天才トランペッター・クリフォード・ブラウンの再来とも呼ばれた。1957年3月24日に録音されたアルバム『リー・モーガン Vol. 3英語版』の中の「アイ・リメンバー・クリフォード英語版」の演奏で高い評価を得た。

1958年以降はアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズにも所属し、トランペット奏者として、また一部の曲の作曲を手がけた。この時代の演奏では「モーニン[2]などが知られている。

リー・モーガンのアルバムで特に有名なのは、1963年12月21日にレコーディングされてブルー・ノート・レーベルから発表された『ザ・サイドワインダー』で、ビルボードLPチャートで25位まで上昇した[1]。これは、当時のジャズ界では空前のヒット作であった[3]。シングルのジャズ・ロック曲「ザ・サイドワインダー」は、8ビートジャズにいち早く取り入れた楽曲の1つで、人気曲でもある。

1972年2月18日、リー・モーガンはニューヨークにあったジャズ・クラブ「スラッグス英語版」でライブ演奏をしていたが、その2ステージ目と3ステージ目の合間の休憩時間に、年上の愛人(内縁の妻)ヘレン・モア (英語: Helen More) に拳銃で撃たれ、ただちに病院に移送されたが、ほぼ即死状態だった[4]。33歳没。

2016年、この殺害事件の真相に迫ったドキュメンタリー映画私が殺したリー・モーガン英語版』が製作・公開され、同作は2017年に日本公開された[5]

ディスコグラフィ(リーダー作)

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タイトル 録音年 レーベル
インディード! 1956年 ブルー・ノート
イントロデューシング・リー・モーガン 1956年 サヴォイ
リー・モーガン Vol. 2英語版(a.k.a. Lee Morgan Sextet) 1956年 ブルー・ノート
ディジー・アトモスフェア英語版 1957年 スペシャルティ
リー・モーガン Vol. 3英語版 1957年 ブルー・ノート
シティ・ライツ 1957年 ブルー・ノート
ザ・クッカー 1957年 ブルー・ノート
キャンディ 1958年 ブルー・ノート
ペッキン・タイム英語版 1958年 ブルー・ノート
ヒアズ・リー・モーガン英語版 1960年 ヴィージェイ
リー・ウェイ英語版 1960年 ブルー・ノート
エクスプービデント英語版 1960年 ヴィージェイ
テイク・トゥエルヴ 1962年 ジャズランド
ザ・サイドワインダー 1963年 ブルー・ノート
サーチ・フォー・ザ・ニュー・ランド 1964年 ブルー・ノート
トム・キャット英語版 1964年 (発表 1980年) ブルー・ノート
ザ・ランプローラー 1965年 ブルー・ノート
ザ・ジゴロ 1965年 ブルー・ノート
コーンブレッド英語版 1965年 ブルー・ノート
インフィニティ英語版 1965年 (発表 1981年) ブルー・ノート
デライトフリー英語版 1966年 ブルー・ノート
カリスマ 1966年 ブルー・ノート
ザ・ラジャー英語版 1966年 (発表 1985年) ブルー・ノート
ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド英語版(Standards) 1967年 (発表 1998年) ブルー・ノート
ソニック・ブーム英語版 1967年 (発表 1979年) ブルー・ノート
ザ・プロクラスティネイター英語版 1967年/1969年 (発表 1978年) ブルー・ノート
ザ・シックスス・センス英語版 1967年 ブルー・ノート
タル 1968年 (発表 1980年) ブルー・ノート
キャランバ!英語版 1968年 ブルー・ノート
ザ・サイドワインダーLIVE英語版 1970年 ブルー・ノート
リー・モーガン・ラスト・アルバム(The Last Session) 1971年 ブルー・ノート

参加アルバム

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1956年録音

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1957年録音

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1958年録音

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1959年録音

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1960年録音

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1961年録音

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1963年録音

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1964年録音

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1965年録音

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1966年録音

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1967年録音

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1968年録音

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1969年録音

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1970年録音

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1971年録音

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1972年録音

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共演者

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c d Huey, Steve. “Lee Morgan Biography, Songs & Albums”. AllMusic. 2022年2月3日閲覧。
  2. ^ 「ソバ屋の出前が口ずさんだ」というのは、虚偽の噂話だった
  3. ^ ヒットしすぎたために、弱小レーベルのブルーノートは、いったん倒産してしまった
  4. ^ R.S. MURTHI - The Lady Who Shot Lee Morgan by Larry Reni Thomas”. Web.archive.org. 7 August 2021閲覧。
  5. ^ 映画 私が殺したリー・モーガン”. allcinema. Stingray. 2022年2月13日閲覧。

外部リンク

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参考文献

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  • ジャズ批評編集部編 編『JAZZトランペット』松坂〈ジャズ批評ブックス〉、2001年、172-173頁。ISBN 491555709X 
  • ジャズ批評編集部編 編『決定版ブルーノート・ブック 〜史上最強のジャズ・レーベルのすべて〜』松坂〈ジャズ批評ブックス〉、1999年、117,119,125,134,135,141,167,227,233,262,267,276,299,311,322,343頁。ISBN 4915557014 
  • 『永久保存版ジャズ・ジャイアンツ大事典 Swing Journal 1997年6月臨時増刊』スイングジャーナル社、1997年、239頁。
  • 『季刊 ジャズ批評 No.87』ジャズ批評社、1996年、151-189頁。