ルパート・キーガンRupert Keegan1955年2月26日 - )は、イギリスエセックス出身の元レーシングドライバーフォーミュラ1に1977年から1982年にかけて参戦していた[1]。1976年のイギリス・フォーミュラ3選手権チャンピオン。

ルパート・キーガン
キーガンがドライブしたヘスケス 308E。
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
出身地 同・エセックス州サウスエンド=オン=シー
生年月日 (1955-02-26) 1955年2月26日(69歳)
F1での経歴
活動時期 19771978, 1980, 1982
過去の所属チーム '77 ヘスケス
'78 サーティース
'80 RAM
'82 マーチ
出走回数 37 (25スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1977年スペイングランプリ
最終戦 1982年ラスベガスグランプリ
英国F1経歴
活動時期 1979
レース数 13
タイトル 1
優勝回数 5
表彰台(3位以内)回数 6
通算獲得ポイント 65
ポールポジション 5
ファステストラップ 4
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経歴 編集

1977年、ヘスケスからF1世界選手権へデビュー。同年の最高位はオーストリアGPの7位で、結果的にF1キャリアのベストリザルトであった。

1978年はサーティースへ移籍するも完走は1戦のみと低調で、シーズン終了を待たずしてチームを離脱する。

1979年は世界選手権から離れ、イギリス国内の英国F1選手権に参戦。シリーズチャンピオンを獲得する。

1980年は世界選手権のシーズン半ばにRAMから復帰するも入賞は叶わなかった。

1982年、マーチ・グランプリからシーズン終盤の5戦に参戦。フランスGP限りで離脱したヨッヘン・マスの後任であった。同チームはRAMの実質的な後継であり、1970~92年にかけて断続的に参戦したマーチ・エンジニアリングとは別組織のプライベイトチームである。チームの規模は当時のF1で最も小さく[2][3]、完走は最終戦のラスベガスGPのみで、トップから3周遅れの12位を記録した。これがキーガンにとって最後のF1出走であった。

レース戦績 編集

F1世界選手権 編集

チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1977 ヘスケス 308E ARG BRA RSA USW ESP
Ret
MON
12
BEL
Ret
SWE
13
FRA
10
GBR
Ret
GER
Ret
AUT
7
NED
Ret
ITA
9
USA
8
CAN
Ret
JPN NC 0
1978 サーティース TS19 ARG
Ret
BRA
Ret
RSA
Ret
USW
DNS
MON
Ret
BEL
DNQ
NC 0
TS20 ESP
11
SWE
DNQ
FRA
Ret
GBR
DNQ
GER
DNQ
AUT
DNQ
NED
DNS
ITA USA CAN
1980 RAM FW07 ARG BRA RSA USW BEL MON FRA GBR
11
GER
DNQ
AUT
15
NED
DNQ
ITA
11
CAN
DNQ
USA
9
NC 0
1982 マーチ・グランプリ 821 RSA BRA USW SMR BEL MON DET CAN NED GBR FRA GER
DNQ
AUT
Ret
SUI
Ret
ITA
DNQ
CPL
12
NC 0

英国F1選手権 編集

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 順位 ポイント
1979 C. W. Clowes Racing Arrows A1 Ford Cosworth DFV 3.0 V8 ZOL OUL
11
BRH
Ret
MAL
1
SNE
1
THR
Ret
ZAN
NC
DON
1
OUL
Ret
NOG MAL
Ret
BRH
DNS
THR
1
SNE
1
SIL
2
1st 65

脚注 編集

  1. ^ F1 DataWeb : 戦績:R.キーガン”. f1-data.jp. 2020年12月12日閲覧。
  2. ^ RAMレーシングのスタッフは総勢25名で、最小のF1チームであった。
  3. ^ Ian Bamsey: The 1000 bhp Grand Prix Cars, 1988 (G.T. Foulis & Co. Ltd), ISBN 978-0854296170, S. 99.

外部リンク 編集