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レキシントン (CV-2)

アメリカ合衆国海軍の航空母艦
USS Lexington(CV-2)
艦歴
発注 1916年(巡洋戦艦として)
1922年(航空母艦として)
起工 1921年1月8日
進水 1925年10月3日
就役 1927年12月14日
その後 珊瑚海海戦1942年5月8日沈没
除籍 1942年6月24日
性能諸元(1942年)
排水量 建造:34,067 t
基準:36,000 t
常備:41,187 t
満載:43,054 t
最大:47,879 t
長さ 全長:888 ft(270.66 m)
水線長:850 ft(259.08 m)
全幅:106 ft(32.30 m)
水線幅:105 ft-5.25 in(32.1 m)
吃水 満載:30 ft-4.75 in
最大:33 ft-3.50 in
飛行甲板 全長:866 ft-2 in(264 m)
全幅:105 ft-11.25 in(32.28 m)
機関 ターボ・エレクトリック方式 4軸推進
蒸気タービン 4基
180,000馬力(設計)
202,973馬力(1928年)[1]
ボイラー 16基
速力 33.25ノット(設計)
34.59ノット(1928年)[1]
航続距離 10ノット/10,000海里(設計)
11ノット/10,950海里
15ノット/9,490海里
乗員 2,791名(1942年:艦船1,940名、航空851名)
兵装 5インチ 単装砲 12基
1.1インチ 4連装機関砲 12基
20 mm 単装機関砲 22基
12.7 mm 機関銃 24挺
搭載機 78機
エレベーター 2基

レキシントンUSS Lexington, CV-2)は、アメリカ海軍航空母艦レキシントン級航空母艦のネームシップ。

アメリカ海軍においてレキシントンの名を受け継いだ艦としては4隻目にあたる。「グレイ・レディ(Gray Lady)」「レディ・レックス(Lady Lex)」の愛称で呼ばれた。

概要編集

当初はレキシントン級巡洋戦艦として建造が開始されたが、ワシントン海軍軍縮条約に基づき巡洋戦艦としての工事は中止され、航空母艦へと改造された。

ワシントン海軍軍縮条約下、レキシントンおよび同型艦のサラトガ (USS Saratoga, CV-3) の両艦は基準排水量33,000トンと公表されたが、満載排水量は40,000トン以上あったという。完成時には世界最大の空母であった。

動力は蒸気タービンによって発電を行い、その電力によって電動機を駆動、それによってスクリューを駆動させて航行するターボ・エレクトリック方式(タービン・エレクトリック方式)で、この方式を備えた船舶としても当時世界最大の艦船であった。

全通式一段飛行甲板やアイランド式艦橋構造、またエンクローズド・バウなど先見性のある設計で、この後大きな改造を行うこともなく大戦に参加できた。もともとが巡洋戦艦として設計されたため空母としても速力は十分であり、大きな飛行機搭載能力と併せて世界最優秀の空母であった。ただし、その後のアメリカ空母と異なって格納庫は密閉構造となっていた[要出典]

1936年に艦首飛行甲板の拡張、煙突上部周囲のプラットフォーム新設などの改装が行われ、1940年には対空用レーダーが装備された。

艦歴編集

レキシントンは巡洋戦艦(CC-1)として1921年1月8日にマサチューセッツ州クインシーフォアリバー造船株式会社によって起工された。

 
フォアリバー造船所で建造中のレキシントン(1925年10月初旬の撮影)

ワシントン海軍軍縮条約に基づき、巡洋戦艦としての工事は中止され、1922年7月1日に航空母艦(CV-2)に艦種変更され、1925年10月3日に海軍省次官セオドア・ダグラス・ロビンソンの夫人によって進水した。1927年12月14日に初代艦長アルバート・W・マーシャル大佐の指揮下就役した。

レキシントンは太平洋艦隊に配属され、以後沈没まで所属し続けた。慣熟訓練の後、カリフォルニア州サンペドロで1928年4月7日艦隊に合流する。サンペドロを母港としたレキシントンは西海岸で航空団と共に発着訓練、戦術演習を行い、続いてハワイカリブ海パナマ運河および東太平洋での演習に毎年参加した。1929年12月16日から翌30年1月16日までの間、その発電能力を活かしてタコマに電力を供給している(少雨により同市の主要電源だった水力発電所が稼働しなかった)。1941年秋にハワイでの戦術演習に出航した。

日本軍による真珠湾攻撃がおこなわれた1941年12月7日、レキシントンは第12任務部隊に所属し海兵隊の航空機を真珠湾からミッドウェイへ輸送中であった。レキシントンは直ちに日本艦隊捜索のため偵察機を発艦させた。午前半ばにはオアフ南西の探索を行なう重巡洋艦インディアナポリス(USS Indianapolis, CA-35)と空母エンタープライズ(USS Enterprise, CV-6)の任務部隊と合流するため南へ向かったが、日本艦隊を発見できなかった。12月13日に真珠湾に帰港した。

1942年1月11日、レキシントンはウィルソン・ブラウン中将が指揮する第11任務部隊の旗艦として真珠湾を出撃した。2月16日、第11任務部隊はニューブリテン島ラバウルの攻撃へ向かった。21日に攻撃予定であったがその前日の20日に2波にわたる日本軍機の攻撃を受けた(ニューギニア沖海戦)。この海戦で迎撃にあたったレキシントンの戦闘機隊のうち、エドワード・J・オヘア中尉は5機撃墜が認定されて第二次世界大戦で最初のアメリカ海軍のエースとなり、後に少佐に特進した[2]。ラバウル攻撃はこの海戦の結果断念された。3月6日に部隊は空母ヨークタウンを旗艦とする第17任務部隊英語版と合流し、3月10日に両空母の攻撃隊はオーエンスタンレー山脈を超えてサラモアラエを攻撃した(ラエ・サラモアへの空襲)。3月26日にレキシントンは真珠湾に帰投した。 対空火器を強化するため8インチ砲を撤去して5インチ両用砲に換装する予定であったが、取り付けが間に合わず28ミリ対空機関砲を搭載した状態で珊瑚海海戦に参加した。

珊瑚海海戦編集

珊瑚海海戦では5月7日に僚艦の空母ヨークタウン(USS Yorktown, CV-5)の艦載機と共同で日本空母祥鳳を撃沈し、翌日には同翔鶴に損害を与えたが、自らも日本軍艦載機の攻撃で魚雷2本、爆弾2発を受けた。

11時5分から日本軍航空機の攻撃が始まった。

 
レキシントンの被害状況

最初の左舷前部に命中した魚雷の衝撃で2基のエレベーターは飛行甲板に上がった状態で故障し動作しなくなった。また航空燃料タンクからガソリンの漏出が始まった。2発目の魚雷は同じく左舷側船体中央やや前側に命中した。2発目の魚雷によりボイラー室に損害が発生し、最大速力は24.5ノットに低下した。

1発目の爆弾は左舷飛行甲板脇の5インチ対空砲の付近に命中し5インチ砲に配置されていた兵員全員が死亡した。2発目の爆弾は煙突に命中し、付近の対空兵器の兵員を殺傷した。他にも船体周囲に落下した至近弾により、2つの防水区画に浸水した。1本目の魚雷によって漏出が始まった航空用ガソリンは、気化して艦内に充満し引火する危険が高まった。

 
大爆発を起こしたレキシントン
1942年5月8日

12時47分に最初の爆発が起きた。この爆発で25名の乗員が死亡した。飛行甲板での離着艦は継続され、日本艦隊への攻撃部隊の収容は13時22分に開始され14時14分に終了した。14時42分、格納庫で深刻な大爆発が起こった。前部エレベーターが30センチ吹きあがり、艦の前半部が停電した。フレッチャー少将はレキシントンを支援するために3隻の駆逐艦を派遣したが、15時25分、再び格納庫で大爆発が起き水圧が失われた。火災によって前部機械室からの退避が必要となり、16時頃には喫水下の全区画からの避難が必要となった。

このためレキシントンは完全に航行不能となり漂流を始めた。負傷者の避難が優先して行われその後総員退去した。17時7分に、放棄した後にすぐ沈没しなかった場合日本海軍に拿捕され鹵獲されることや、拿捕されることで艦内に残した軍事機密が漏れることを避けるために、レキシントンを自軍により撃沈する決定が下された。

沈没編集

19時15分-52分の間に駆逐艦フェルプス英語版から5発の魚雷がレキシントンに向けて発射された。

 
総員退去後、炎上しながら沈没するレキシントン

19時56分、レキシントンは艦首を下にして転覆するような形で沈み始めた。沈没の途中で三回の大爆発が確認された[3]

レキシントンは第二次世界大戦中の戦功で二つの従軍星章を受章した。1942年6月16日、本艦を記念し、建造途中だったエセックス級航空母艦一隻が「レキシントン」と改名された。

発見編集

2018年3月5日、マイクロソフトの共同創業者で探検家ポール・アレンによって、オーストラリア東岸から約800 km、深さ約3200 mの海底でレキシントンの残骸が発見された[4][5]。当時米太平洋軍司令官を務めていたハリー・B・ハリス・ジュニアは、父親がレキシントンの生存者の一人であったことから、残骸発見に寄せて声明を発表している。

レキシントンの残骸は、船体から艦首・艦尾の各先端および艦橋が離断し、それぞれ離れて横たわっている。このように損傷は激しいものの、海中での浸食はあまりなく、搭載されていたMk 10 5インチ砲等の火器や艦載機の残骸も良好な状態を保っている[6]

脚注編集

  1. ^ a b Anderson & Baker, p312
  2. ^ 佐藤暢彦『一式陸攻戦史 海軍陸上攻撃機の誕生から終焉まで』潮書房光人新社、2019年、ISBN 978-4-7698-3103-7、183ページ
  3. ^ The Death of a Lady: The USS Lexington (CV-2) at the Battle of the Coral Sea, Part I: The Log” (英語). 2019年8月24日閲覧。
  4. ^ “VIDEO: Billionaire Paul Allen Finds Lost World War II Carrier USS Lexington”. USNI News. (2018年3月5日). https://news.usni.org/2018/03/05/video-billionaire-paul-allen-finds-lost-world-war-ii-carrier-uss-lexington 
  5. ^ “旧日本軍が撃沈の米空母、豪州沖で残骸を発見”. CNN. (2018年3月6日). https://www.cnn.co.jp/fringe/35115671.html 
  6. ^ The Wreck of the USS Lexington, an Ongoing Analysis” (英語). 2019年8月24日閲覧。


参考文献編集

  • Anderson, Richard M.; Baker, Arthur D. III (1977). “CV-2 Lex and CV-3 Sara”. Warship International (Toledo, OH: International Naval Research Organization) XIV (4): 291–328. ISSN 0043-0374. 

関連項目編集

外部リンク編集