レキシントン (CV-2)

アメリカ合衆国海軍の航空母艦

レキシントンUSS Lexington, CV-2)は、アメリカ海軍航空母艦レキシントン級航空母艦ネームシップ[注 1]

USS レキシントン
USS Lexington (CV-2) leaving San Diego on 14 October 1941 (80-G-416362).jpg
基本情報
建造所 マサチューセッツ州クインシーフォアリバー造船所
運用者 Seal of the United States Department of the Navy.svgアメリカ海軍
艦種 巡洋戦艦航空母艦改造空母
級名 レキシントン級航空母艦
愛称
  • レディ・レックス (Lady Lex)
  • グレイ・レディ (Gray Lady)
艦歴
発注
  • 1916年(巡洋戦艦として)
  • 1922年(航空母艦として)
起工 1921年1月8日
進水 1925年10月3日
就役 1927年12月14日
最期 1942年5月24日、珊瑚海海戦にて戦没。
除籍 1942年6月24日
要目
排水量 34,067 トン
基準排水量 36,000 トン
常備排水量 41,187 トン
満載排水量 43,054 トン
総トン数 47,879 トン
全長 888 ft (271 m)
水線長 850 ft (260 m)
最大幅 106 ft (32 m)
水線幅 105 ft-5.25 in (32.1 m)
飛行甲板
  • 全長:866 ft-2 in (264 m)
  • 全幅:105 ft-11.25 in (32.28 m)
吃水
  • 満載:30 ft-4.75 in
  • 最大:33 ft-3.50 in
主缶 水管ボイラー×16基
主機 蒸気タービン×4基
出力
  • 設計:18,000 hp (13,000 kW)
  • 最大:202,973 hp (151,357 kW)[1]
推進器 ターボ・エレクトリック方式×4軸
速力 33.25 kn (61.58 km/h)
最大速力 34.59 kn (64.06 km/h)[1]
航続距離 10ノット航行時:10,000 海里 (19,000 km)
乗員 2,791名(1942年:艦船1,940名、航空851名)
兵装
搭載機 約70-80機[2](補用機含めると100機以上)[3]
レーダー CXAM対空レーダー
その他 カタパルト(新造時、のち撤去)[4]
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アメリカ海軍においてレキシントンの名を受け継いだ艦としては4隻目にあたる。「空母の女王(Queen of the Flat-tops)」[注 2]、「レディ・レックス(Lady Lex)」[6]、「グレイ・レディ(Gray Lady)」の愛称で呼ばれた。

概要編集

当初はレキシントン級巡洋戦艦として建造が開始されたが、ワシントン海軍軍縮条約に基づき巡洋戦艦としての工事は中止され、姉妹艦サラトガと共に航空母艦へと改造された[注 3][注 4]

ワシントン海軍軍縮条約下、レキシントンおよび同型艦のサラトガ (USS Saratoga, CV-3) の両艦は基準排水量33,000トンと公表されたが[注 5]、満載排水量は40,000トン以上あったという[3]。完成時には、世界最大の空母であった[注 6]

動力は蒸気タービンによって発電を行い、その電力によって電動機を駆動、それによってスクリューを駆動させて航行するターボ・エレクトリック方式(タービン・エレクトリック方式)である[10][注 7]。この方式を備えた船舶としても当時世界最大の艦船であった[注 8]

全通式一段飛行甲板や、ギャラリーデッキ構造[12]、右舷にまとめたアイランド式艦橋構造、またエンクローズド・バウなど先見性のある設計であった[13]。同世代の空母赤城加賀が試行錯誤と大改装を繰り返して太平洋戦争に臨んだのに対し[注 9]、レキシントン級は大きな改造を行うことなく第二次世界大戦に参加できた。もともとが巡洋戦艦として設計されたため空母としても速力は十分であり、大きな飛行機搭載能力と併せて世界最優秀の空母であった。ただしレキシントン級は密閉式格納庫を採用していたが[16]、アメリカ海軍通算4番目の空母レンジャーUSS Ranger, CV-4)と、同艦をさらに発展させたヨークタウン級航空母艦は開放式格納庫となっていた[12]

1936年に艦首飛行甲板の拡張、煙突上部周囲のプラットフォーム新設などの改装が行われ、1940年には対空用レーダーCXAMが装備された[17]

1941年(昭和16年)12月8日真珠湾攻撃[18]、レキシントンはミッドウェー島に航空機を輸送する任務についていた[19]。以降の太平洋戦争では、まずハワイ周辺の哨戒や作戦に従事する[20]

1942年(昭和17年)2月よりウィルソン・ブラウン提督が指揮する第11任務部隊の中核として南太平洋や珊瑚海で活動し、2月下旬のニューギニア沖海戦に参加、ラバウル航空隊と交戦する[21][22]。つづいて第17任務部隊英語版の空母ヨークタウンUSS Yorktown, CV-5)と共にラエ・サラモアへの空襲を実施した[23][24]

5月上旬、日本軍のポートモレスビー攻略作戦を阻止するため、フランク・J・フレッチャー提督の第17任務部隊(ヨークタウンほか)とオーブリー・フィッチ提督の第11任務部隊(レキシントンほか)は珊瑚海に進出する[25]珊瑚海海戦[26]5月7日、ヨークタウンとレキシントン攻撃隊は軽空母祥鳳を撃沈した[27][28]。翌8日、MO機動部隊の第五航空戦隊瑞鶴翔鶴)艦上機による空襲を受け、ヨークタウンに爆弾1発が命中、レキシントンに爆弾2発と魚雷2本が命中する[29][30]。レキシントンは応急修理に努めたが、気化燃料が爆発して大火災となり[31]、駆逐艦フェルプス英語版[32]により雷撃処分された[33]

艦歴編集

太平洋戦争以前編集

レキシントンは巡洋戦艦(CC-1)として1921年(大正10年)1月8日にマサチューセッツ州クインシーフォアリバー造船株式会社によって起工された。

 
フォアリバー造船所で建造中のレキシントン(1925年10月初旬の撮影)

ワシントン海軍軍縮条約に基づき、巡洋戦艦としての工事は中止され、1922年(大正11年)7月1日に航空母艦(CV-2)に艦種変更される。1925年(大正14年)10月3日[5]、海軍省次官セオドア・ダグラス・ロビンソン英語版の夫人によって進水した。1927年(昭和2年)12月14日[5]、初代艦長アルバート・W・マーシャル大佐の指揮下就役した。

レキシントンは太平洋艦隊に配属され、以後沈没まで所属し続けた。"レディ・レックス"とその妹の"サラ"(Lady "Lex" and Sister "Sara")と呼ばれてレキシントンは大切にされたが、対称的にサラトガの方は「そうではなかった」という[34]

慣熟訓練の後、カリフォルニア州サンペドロで1928年(昭和3年)4月7日、艦隊に合流する。サンペドロを母港としたレキシントンは西海岸で航空団と共に発着訓練、戦術演習を行い、続いてハワイカリブ海パナマ運河および東太平洋での演習に毎年参加した。1929年(昭和4年)12月16日から翌30年(昭和5年)1月16日までの間、その発電能力を活かしてタコマに電力を供給している。少雨により、同市の主要電源だった水力発電所が稼働しなかった為である。

1936年(昭和11年)に最初の改装をおこない、対空機銃を増設した[17]。また艦首の飛行甲板を拡張し、着艦制動装置を更新した[17]

1937年(昭和12年)7月1日、世界一周飛行の途中でパプアニューギニアラエからハウランド島にむかっていた冒険家アメリア・イアハート航空機が行方不明になった[35]。アメリカ政府は、アメリカ海軍および沿岸警備隊、さらに隣接した地域を委任統治している日本大日本帝国海軍の協力によってイアハートの捜索をおこなった。アメリカ海軍は空母レキシントン、戦艦コロラドUSS Colorado, BB-45)、沿岸警備隊イタスカ英語版等を派遣した[36]。当時、日本海軍は第十二戦隊(機雷敷設艦沖島、水上機母艦神威第28駆逐隊朝凪夕凪〉)により、南洋諸島の長期調査航海を実施していた[37]。神威艦載機や特務艦膠州等が捜索に参加する[38]。それぞれ1週間程度をかけて捜索したが何も見つからず、第十二戦隊の4隻は7月10日伊勢湾へ帰投した[39]7月19日に日米とも捜索を打ち切った[40]。イアハート捜索にアメリカ艦隊は割り当て量以上の燃料を消費したため、米海軍は翌年の訓練を削減された[41]

1940年(昭和15年)の改装で、CXAM-1レーダーの搭載と[42]、高角射撃式装置の更新をおこなった[17][43]。 1941年(昭和16年)になると、アメリカ海軍は迷彩塗装の体系をまとめ、レキシントンには「メジャー1」(ダークグレー系)塗装が施された[44]。船体吃水線近くをダークグレー、上部をライトグレーで塗り分け、煙突部にはオーシャングレーを塗るなど、通常の「メジャー1」とは違った塗装であった[45]。同年秋にハワイでの戦術演習に出航した。

太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将は、険悪になっていく日米情勢に呼応し、ミッドウェー島ウェーク島海兵隊の飛行機を増援として輸送することにした。空母エンタープライズUSS Enterprise, CV-6)がウェーク島に、レキシントンがミッドウェー島に派遣された[19][46]ジョン・H・ニュートン英語版少将に率いられた第12任務部隊は[47]、ミッドウェー島に18機のSB2U ビンディケーターと第231海兵飛行群の要員を輸送することになった[48]。12月5日、第12任務部隊は真珠湾を出撃した[49]。この時点でのアメリカ軍空母の艦載機定数は、戦闘機12、艦爆(偵察/爆撃)36、艦攻18であった[注 10]

太平洋戦争緒戦編集

日本軍の南雲機動部隊によって真珠湾攻撃がおこなわれた1941年(昭和16年)12月7日(日本時間12月8日[52][注 11]、レキシントン以下の第12任務部隊はミッドウェイ島の南東約420浬地点にあり、同島に向けて航行中だった[54]。レキシントンは航空機輸送任務を中止[55]、直ちに日本艦隊捜索のため偵察機を発艦させた[56]ウィルソン・ブラウン中将の旗艦インディアナポリスUSS Indianapolis, CA-35)もジョンストン島での演習を終えた帰り道だったので[54]、第12任務部隊に合流する[57]。第12任務部隊(空母レキシントン、重巡インディアナポリス、シカゴポートランドアストリアなど)はオアフ島ジョンストン島パルミラ環礁を結ぶ三角形内で敵の捜索を開始した[57]。南雲機動部隊と遭遇する機会はなく[58]、13日(日本時間14日)に真珠湾へ戻った[56]

日本軍はウェーク島攻略に失敗した第四艦隊を支援するため、南雲機動部隊から二航戦を含む別働隊を派遣していた[59][注 12]。 これに対し、太平洋艦隊司令長官代理のウィリアム・パイ中将は日本軍の攻勢に晒されているウェーク島の海兵隊を救援するため、空母機動部隊の投入を決断した[62][63]。アメリカ側は3つの任務部隊のほかに、給油艦ナチェスUSS Neches, AO–5)および水上機母艦タンジール (USS Tangier, AV-8) を加えてウェーク島に派遣した[20]。12月16日、第11任務部隊の偵察機は龍驤型航空母艦1隻を発見し、レキシントンは戦闘機7と艦爆29を発進させた[64]。これは真珠湾攻撃時にアメリカ軍が放棄して漂流中のパージ(艀)だった[64]。さらにヤルート空襲かマキン空襲を目指して作戦中の20日、第14任務部隊(サラトガ)の支援を命じられる[65]。だがパイ中将は22日に第11任務部隊(レキシントン)と第14任務部隊(サラトガ)に対し作戦中止を命じた[66][67]23日にウェーク島の海兵隊は日本軍に降伏し[65]、アメリカ側空母機動部隊は救援に失敗した[68][69]。本作戦で、空母機動部隊同士の対決は起らなかった[70]

1942年(昭和17年)1月11日(日本時間1月12日午後2時40分)[71]、日本の潜水艦伊6の雷撃によりサラトガが損傷した[22][72]。損傷修理と大改装のためサラトガは本土に回航され[73]、約5ヶ月間も戦線を離脱した[74]。なお日本はレキシントンを撃沈したと錯覚していた[75]。レキシントン型撃沈の報告は昭和天皇に奏上され、天皇も伊6の戦果を讃えた[注 13]。 大本営はレキシントン撃沈を発表して華々しく宣伝した[注 14][注 15]

沈んだはずのレキシントンは[77]、活動を続けていた。ブラウン中将が指揮する第11任務部隊はレキシントンを中枢に据え、重巡アストリアUSS Astoria, CA-34)、シカゴ (USS Chicago, CA-29) 、ミネアポリスUSS Minneapolis, CA-36)および随伴駆逐艦とともにキングマン・リーフキリスィマスィ島の間を哨戒する予定だった。しかし、1月21日午後に計画が改められ、ウィリアム・ハルゼー中将(旗艦エンタープライズ)が企図するマーシャル諸島への一撃に呼応してウェーク島を攻撃することとなった[78]。第11任務部隊はナチェスを加えて1月23日に真珠湾を出撃した[79]。しかし出撃直後にニイハウ島南方において[80]、ナチェスが伊72に撃沈される[81]。燃料不足が懸念されたことと代わりのタンカーがいなかったこともあって、第11任務部隊のウェーク島への奇襲作戦は中止された[82]。1月24日、第11任務部隊は真珠湾に帰投した[21]

1月31日、第11任務部隊はニューカレドニアへむかう輸送船団を護衛して真珠湾を出撃した[83][84]。2月1日、第11任務部隊はANZAC部隊英語版に編入された[85]。第11任務部隊が追加されたことに喜んだANZAC部隊は、ブラウン中将の進言を受け入れ、ニューブリテン島ラバウルに空襲を敢行することにした[86]。第11任務部隊(空母レキシントン、重巡インディアナポリスサンフランシスコミネアポリスペンサコーラ、駆逐艦部隊)は2月21日早朝にラバウル空襲を実施する予定であった[87]。その前日の20日に、横浜海軍航空隊九七式飛行艇に発見される[88]。レキシントン戦闘機隊は日本軍飛行艇2機(ほかに未帰還1機)を撃墜したが[89]、既に通報されていた[90][91]。まもなくラバウルから飛来した一式陸上攻撃機 17機[92]第四航空隊飛行隊長伊藤琢蔵少佐、海兵56期)の攻撃を受けた[93]。魚雷の準備が間に合わなかったため陸攻17機はすべて爆弾を装備し、戦闘機の護衛なして出撃した[94]

レキシントンはレーダーで二群にわかれたラバウル航空隊の陸攻部隊を探知、自身のF4F ワイルドキャットをむかわせた[95]。この海戦で迎撃にあたったレキシントンの戦闘機隊のうち、エドワード・J・オヘア中尉は5機撃墜が認定されて第二次世界大戦で最初のアメリカ海軍のエースとなり、後に少佐に特進した[96]。最初に一式陸攻の第二中隊9機が攻撃を開始したが、爆撃前に2機が撃墜され、爆撃後に全機撃墜された[97]。次に第一中隊8機が第11任務部隊に接近したが、爆撃前に2機が撃墜され、5機が爆撃をおこなった[98]。レキシントンに至近弾を与えたが、命中弾はなかった[98]。攻撃後、さらに1機が失われた[98]。このうち帰還不能になった陸攻2機がレキシントンに体当たりを試み、1機はレキシントンの15m手前で海面に突入した[98]。もう1機はレキシントンの手前で駆逐艦に撃墜された[98]。一連の攻撃によりラバウル航空隊は指揮官機をふくむ陸攻13機を喪失し、2機が不時着、帰投できたのは2機だけだった[99][100]。日本側は航空母艦1隻と艦型不明艦1隻を撃沈、敵飛行機6機撃墜確実、2機不確実を報じた[101]。 大本営発表では、被弾機が敵空母(レキシントン)に体当たりして撃沈したことになっている[注 16]。これは体当たりを試みた機の火焔と突入を誤認したものと思われる[98]。日本側の大本営発表と裏腹に、第11任務部隊の損害は戦闘機2機喪失だけだった[22]。だが奇襲の効果が失われ、燃料が乏しくなってラバウル空襲は中止された[103][104]。なおラバウルへ航空機輸送任務を終えたばかりの日本軍の軽空母祥鳳と駆逐艦帆風がトラック泊地南方海面で待機していたが、この時点ではレキシントンと対決しなかった[105][106]

ブラウン中将が増援を要請していたのに応えて、ニミッツ提督は[107]、空母ヨークタウンUSS Yorktown, CV-5)を中核とする第17任務部隊英語版(司令官フランク・J・フレッチャー少将)を派遣した[103]。第11任務部隊(レキシントン)と第17任務部隊(ヨークタウン)は3月6日にニューヘブリディーズ諸島近海で合流した[24][108]。空母2隻(レキシントン、ヨークタウン)を基幹とする任務部隊は、ラバウル攻撃を企図していた[109]。任務部隊が珊瑚海を西進中の3月8日、ポートモレスビー攻略の前段階として日本軍はニューギニア島東部に位置するラエサラモアに上陸した[110][111]ポートモレスビー作戦[112]。空母機動部隊は、攻撃目標をラエとサラモアに切り替えた[107]。3月10日、空母2隻(レキシントン、ヨークタウン)は攻撃隊を発進させ、またアメリカ陸軍のB-17も出撃した[113][114]。104機の艦載機による南からのオーエンスタンレー山脈を越えた攻撃は奇襲となったが、期待されたほどの戦果ではなかった[115]。それでも第六水雷戦隊(旗艦夕張)が護衛する日本軍諸艦船に大きな損害を与えた[23][注 17]。 この攻撃により日本軍のポートモレスビー攻略作戦に狂いが生じた[117]。作戦を担当する南洋部隊(第四艦隊司令長官井上成美中将)は、連合艦隊に大型空母加賀の派遣を要望する[118]。交渉と調整の結果、ポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)に軽空母祥鳳第五航空戦隊[119](司令官原忠一少将:瑞鶴翔鶴)が参加することになった[117]

3月16日、第11任務部隊(レキシントンと随伴艦)は第17任務部隊と別れ、真珠湾にむかった[120]。分離する前に、レキシントンは最新型のF4F 6機(事故で1機喪失して5機)をヨークタウンに譲り、旧型機を受け入れた[121]。事故で失われた1機は、オヘア大尉がニューギニア沖海戦で殊勲をたてた時の搭乗機だった[120]。3月26日、レキシントンは真珠湾に帰投した[122]。対空火器を強化するため、対水上艦戦闘を考慮して艦橋前後に装備していた8インチ連装砲4基(計8門)を撤去した[123]。5インチ両用砲に換装する予定であったが[121]、取り付けが間に合わず28ミリ対空機関砲を搭載した状態で珊瑚海海戦に参加した[17]。また迷彩が変更され、船体の垂直面をオーシャングレー、甲板をデッキブルーで塗装した「メジャー14」というパターンになったという[124]

珊瑚海海戦編集

 
レキシントンの被害状況

この頃、アメリカ軍は暗号解読により日本軍によるポートモレスビー占領作戦[125](MO作戦)を察知した[126][127]。日本軍は、海路によりポートモレスビーを直接占領することを企図していた[111]。太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将は日本軍のMO作戦を粉砕するため、レキシントンを中核とする第11任務部隊の新司令官にオーブリー・フィッチ少将を任命し、空母ヨークタウンと合同して珊瑚海に向かうよう命じた[128]。また重巡シカゴ (USS Chicago, CL/CA-29) がニューカレドニアヌメアから、豪州海軍ジョン・G・クレース英語版少将が指揮する重巡オーストラリアHMAS Australia, D84)と軽巡ホバートHMAS Hobart)が豪州からかけつけた[129]

4月15日、第11任務部隊(レキシントン、ミネアポリス、ニューオーリンズ、随伴駆逐艦)は真珠湾を出撃し[130]、南太平洋で行動中の第17任務部隊との合流を目指した[122]。その途中、パルミラ島F2A バッファロー戦闘機 14機を輸送した[130]。レキシントンの搭載機は、F4F×22、SBD×36(偵察飛行隊18、爆撃飛行隊18)、TBD×12であった[50]

5月1日、第11任務部隊(レキシントン)と第17任務部隊(ヨークタウン)は合流した[131][132]。先任のフレッチャー少将が両方の任務部隊を指揮する[133]。2つの任務部隊は燃料不足となっており、航行しながら補給を続けた[134]。5月3日、フレッチャー少将は日本軍がフロリダ諸島ツラギ島を占領したとの報に接した[129]4日、フレッチャー少将(ヨークタウン)はツラギにに奇襲を仕掛ける[135]。戦果は期待はずれだったものの[136]、駆逐艦菊月や特設艦艇3隻を撃沈し、敷設艦沖島や駆逐艦夕月等に小被害を与えた[137]。補給が間に合わなかったレキシントン部隊はヨークタウン隊と分離して行動していたので[138][139]、この戦闘には関与していない[140]。ツラギ空襲を終えたヨークタウン部隊は南下し、レキシントン部隊と再合流した[141]

5月6日夕暮、ポートモレスビーへ進撃する日本軍輸送船団を撃滅するため、フレッチャー提督は指揮下戦力から第17.3任務部隊[142](司令官クレース少将:重巡オーストラリア、重巡シカゴ、軽巡ホバート、駆逐艦3隻)を編成した[143]。また給油艦ネオショーUSS Neosho, AO-23)と駆逐艦シムス英語版USS Sims, DD-409)を南方に避退させた[144]5月7日朝、フレッチャー提督はクレース隊を分離し[145]、日本軍輸送船団にむけ進撃させた[146][147]。クレース隊はラバウル航空隊の一式陸攻に襲われたが、過大戦果報告と裏腹に[148]、ほとんど被害はなかった[149][150]。つづいて錯誤と幸運の末に第17任務部隊攻撃隊93機[151](レキシントン50機:艦爆28、艦攻12、艦戦10/ヨークタウン43機:艦爆25、艦攻10、艦戦8)がMO主隊6隻(第六戦隊〈青葉[注 18]加古衣笠古鷹〉、軽空母〈祥鳳〉、駆逐艦〈〉)[153]を捕捉し[154]、軽空母祥鳳に爆弾13発と魚雷7本を叩き込んで撃沈した[155][156]。一方、五航戦索敵機がネオショーを空母と誤認報告しため[157]、五航戦攻撃隊はやむを得ずネオショーとシムスを沈めた[158][注 19]。五航戦攻撃隊の薄暮攻撃を撃退したあと[161]、第17任務部隊は夜戦を検討したが、実施されなかった[162][163]

 
1942年5月8日14時30分(現地時間)に撮影されたレキシントン。日本海軍機による攻撃で魚雷2発と爆弾2発の命中弾を受けた後、VT-2とVF-2の各機が着艦完了した状態。左舷からの浸水のため、すでに艦首が沈んでいる。[164]

5月8日朝、日米双方の機動部隊は索敵機を投入してお互いを探し求めた[165]。索敵に出たレキシントンのSBDは「空母2、重巡4、駆逐艦多数、針路120度、速力20ノット」を報告した[166]。日本側も第17任務部隊を発見し、ほぼ同時に攻撃隊を発進させた[167][168]。第17任務部隊の攻撃隊計82機[169](ヨークタウン39機:艦爆24、艦攻9、艦戦6/レキシントン43機:艦爆22、艦攻12、艦戦9)[170]はMO機動部隊[注 20]を発見し、スコールに隠れた瑞鶴を見逃すと、翔鶴に攻撃を集中する[172]。レキシントン攻撃隊は悪天候で分散し、一部しか翔鶴を攻撃できなかった[173]。第17任務部隊攻撃隊は翔鶴に爆弾と魚雷多数を命中させて「撃沈」したと錯覚した[174]。レキシントン攻撃隊のTBD 12機は、翔鶴を攻撃して魚雷5本が命中したと確信した[175]。実際はヨークタウン攻撃隊により翔鶴に爆弾2発、レキシントン攻撃隊により爆弾1発が命中、爆弾計3発が命中して大破したが、命中した魚雷は1本もなかった[176]。翔鶴の艦底を潜り抜けたか、命中したが不発だったと思われる[175]。レキシントン攻撃隊はF4F 3機とSBD 3機を喪失している[177]

 
1942年5月8日17時過ぎに重巡ミネアポリスから撮影されたレキシントン。船体が左舷方向へ傾いているため、夥しい数の乗組員が右舷からの脱出を試みている。フライトデッキ上にはF4Fや主翼を折りたたんだTBDなどが見える。ハンガーデッキからの煙に隠れて見えにくいが、写真右端にはシムス級駆逐艦が救助のために寄り添っている。[178]

午前11時頃(日本時間午前9時頃)、五航戦(瑞鶴、翔鶴)から飛来した合計69機[注 21]による第17任務部隊への攻撃がはじまった[182]。重巡5隻(ニューオーリンズミネアポリスチェスターアストリアポートランド)と駆逐艦多数が各空母を護衛していた[183][184]。またレキシントンとヨークタウンは艦隊の直掩としてF4Fを配備したが、日本側航空機の速度を見誤って効果的な迎撃を行えなかった[185]。哨戒や索敵のSBDドーントレスも邀撃に加わったが、これは急降下爆撃機で零戦に空戦を挑むことを意味しており、SBDパイロットには不評だった[186]

いずれにせよ五航戦攻撃隊の空襲により、レキシントンに爆弾2発と魚雷2本が命中し、ヨークタウンに爆弾1発が命中した[187]。レキシントンでは、午前11時20分に最初の魚雷が命中した[188]。左舷前部に命中した魚雷の衝撃で2基のエレベーターは飛行甲板に上がった状態で故障し、動作しなくなった[189]。また航空燃料タンクからガソリンの漏出が始まった[190]。漏出が始まった航空用ガソリンは、気化して艦内に充満し引火する危険が高まった[191]。2発目の魚雷は同じく左舷側船体中央やや前側に命中した[192]。2発目の魚雷によりボイラー室に損害が発生し[191]、最大速力は約25ノットに低下した[189]。ほかに少なくとも2本の魚雷がレキシントンの艦底を潜りぬけていった[190]。魚雷を投下したあとの艦攻のうち、何機かは機銃掃射をして去っていった[191]

爆撃による被害は限定的で、致命的な損傷には程遠かった[193]。1発目の爆弾は左舷飛行甲板脇の5インチ対空砲の付近に命中して火災が発生、5インチ砲に配置されていた兵員全員が死亡した[190]。2発目の爆弾は煙突に命中し、付近の対空兵器の兵員を殺傷したほか、汽笛が数分間鳴りっぱなしになった[190]。他にも船体周囲に落下した至近弾により、2つの防水区画に浸水した。魚雷と至近弾での浸水被害により、レキシントンは左舷に7度傾斜した[191]。この戦闘で日本軍攻撃隊69機(零戦18、艦爆32、艦攻18)のうち、瑞鶴(艦爆2、艦攻3)、翔鶴(零戦3、艦爆7、艦攻5)が未帰還になった[194]。 日本側は5月8日の戦闘で、空母サラトガ[195]とヨークタウン[196]を撃沈、ノースカロライナ級戦艦1隻[197](戦艦ノースカロライナ)とルイスビル型重巡1隻を撃破したと発表した[注 22]

沈没編集

 
大爆発を起こしたレキシントン
1942年5月8日
 
1942年5月8日17時30分以降、総員退艦後の撮影とされるレキシントン。[199]

戦闘は約12分で終わった[191]。五航戦攻撃隊が去ったあとのレキシントンは応急修理に努め、火災を消火し、傾斜を復元し、航空作戦続行可能となった[33]。ただしエレベーターの故障により、着艦した機体を艦内に収容することは出来なかった[189]。飛行甲板での離着艦は継続された[32]。12時47分、レキシントンで最初の爆発が起きた[200]。爆発の原因は、ガソリンタンクから漏れて気化したガソリンが、発電機のスパークで引火したものと思われる[201]。この爆発で25名の乗員が死亡した[202]。消火作業や応急修理がおこなわれたが、小爆発が連続して艦内の状況は悪化、消火ホースの水圧が下がり、送電がとまり、消火剤と応急員の酸素ボンベも底をつきはじめた[203]。MO機動部隊攻撃から帰投した攻撃部隊の収容は、13時22分に開始され14時14分に終了した[32]。爆発時のレキシントンには、36機があったという[204]

14時42分、二回目の大爆発が起きた[203]。前部エレベーターから焔が吹き出し始めた[203]。15時25分、再び格納庫で大爆発が起きた[205]。駆逐艦が消火作業を手伝ったが、手のつけようがなかった[205]。火災によって前部機械室からの退避が必要となり、16時頃には喫水下の全区画からの避難が必要となった[206]。17時7分、フィッチ提督とフレデリック・C・シャーマン大佐(レキシントン艦長)は艦の放棄を決意し、総員退艦を令した[207]。重巡ミネアポリスUSS Minneapolis, CA-36)、ニューオーリンズUSS New Orleans, CL/CA-32)、駆逐艦ハムマンアンダーソン英語版モリス英語版などがレキシントンにつきそい、接舷したり付近を警戒しながら乗組員を収容した[206]。また上空で待機していたレキシントン所属の19機がヨークタウンに収容された[208]。放棄した後にすぐ沈没しなかった場合日本海軍に拿捕され鹵獲されることや、拿捕されることで艦内に残した軍事機密が漏れることを避けるために、レキシントンを自軍により撃沈する決定が下された[205]

フィッチ提督やシャーマン艦長はミネアポリスに収容された[209]。18時30分、レキシントン艦内の魚雷や爆弾が誘爆して大爆発が起きた[209]。19時15分-52分の間に駆逐艦フェルプス英語版USS Phelps, DD-360[208]はレキシントンの右舷にむけて魚雷8本を発射し、4本が起爆したようだった[209]。シャーマン艦長は「 傷ついた艦は水中に没しはじめ、まるで彼女も戦いをあきらめたくないかのように、ゆっくりと沈んでいった。軍艦旗を誇らしげにひるがえらせ、『当船は本船を放棄する』を意味する最後の旗りゅう信号をまだ桁端ではためかせながら、彼女はいつものようにレディらしく等吃水で沈んでいった 」と回想している[209]。19時56分、レキシントンは艦首を下にして転覆するような形で沈み始めた。沈没の途中で3回の大爆発が確認された[210]。戦死者は216名であったという[205]

第17任務部隊のパイロットたちは5月8日の戦闘で日本の空母2隻に命中弾を浴びせ、すくなくとも1隻を撃沈したと信じていた[211]。だが索敵機が健在の日本空母2隻を報告した[211]。第17任務部隊は南方へ避退した[33]8日の戦闘で連合軍はレキシントンを失い、ヨークタウンも損傷したが、日本軍のポートモレスビー侵攻を断念させた[212][213]。珊瑚海海戦は、連合軍側の戦略的勝利で終わった[214][215][216]。レキシントンは第二次世界大戦中の戦功で二つの従軍星章を受章した。1942年(昭和17年)6月16日、本艦を記念し、建造途中だったエセックス級航空母艦一隻が「レキシントン」 (USS Lexington, CV-16) と改名された。またレキシントン喪失の戦訓から、就役中空母や建造中空母の航空機燃料タンクの構造見直しや対策工事がおこなわれた[31]

発見編集

2018年3月5日、マイクロソフトの共同創業者で探検家ポール・アレンによって、オーストラリア東岸から約800 km、深さ約3200 mの海底でレキシントンの残骸が発見された[217][218]。当時米太平洋軍司令官を務めていたハリー・B・ハリス・ジュニアは、父親がレキシントンの生存者の一人であったことから、残骸発見に寄せて声明を発表している。

レキシントンの残骸は、船体から艦首・艦尾の各先端および艦橋が離断し、それぞれ離れて横たわっている。このように損傷は激しいものの、海中での浸食はあまりなく、搭載されていたMk 10 5インチ砲等の火器や艦載機の残骸も良好な状態を保っている[219]

出典編集

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  1. ^ アメリカ海軍の史料では、旧巡洋戦艦型(Ex-Battlecruiser Class)の表記もある[5]
  2. ^ 建造費用が高価だった事への揶揄とも[5]
  3. ^ 当初、空母改造対象はレキシントン級巡洋戦艦4番艦のレンジャー (USS Ranger,CC-4) だったが、工事中止の末に解体された[7]。またレキシントン級巡洋戦艦2番艦コンステレーション (USS Constellation,CC-2) ではなく、3番艦のサラトガ(USS Saratoga,CC-3) が空母改造対象となった。
  4. ^ 航空母艦“レキシントン Lexington”[8] 全要目{排水量33,000噸 速力34.24節 備砲20糎砲8門 12.7糎高角砲12門 搭載航空機 各種計76 起工1921年1月 竣工1927年12月 建造所 フオアリヴア造船所} 全長270.65米、幅32.30米、平均喫水7.35米。速力は實に180,000馬力で得るところの34.24節という高速力は、何と云つても廣海面を舞臺とする彼等にとつては特に重要視される大威力であらう。“サラトガ”と共に米國海軍が誇る二大航空母艦中の一であつて共に元巡洋戰艦として建造中であつたものを我が赤城、加賀同様ワシントン會議の協定により航空母艦に改造したもので米國海軍第一線用の一大航空威力である。/この艦が起工より竣工までに満7ヶ年の日子を費してゐるのは、亦我が赤城、加賀と同じく一度巡戰として計畫したものを中途に於て航母に設計替の已むなきに至つたが爲である。
  5. ^ 航空母艦“サラトガ Saratoga”[9] 全要目{排水量33,000噸 速力34.25節 備砲20糎砲8門 12.7糎高角砲12門 搭載航空機 各種計79 起工1920年9月 竣工1927年11月 建造所 ニューヨーク造船會社} 全長270.65米、幅32.30米、平均喫水7.35米。速力33節の軸馬力180,000馬力。以上の如く殆どが“レキシントン”と同要目である。尚この同型艦は共に備砲として上記の外に小砲12門を有してゐる。又ともに水上機用のカタパルト(これは碇泊中發艦させるためのものである)1基を備へてゐる。/現代海戦に於て先づその緒を切るものは兩軍艦隊の最前線に於ける空中戰闘であり、これによつて制空權を握るものが戰勝の鍵を握るとさへ云はれてゐるから航空母艦の重要性は将來益々増大するであらう。
  6. ^ ○世界最大の航空母艦 レキシントン【寫眞下】米航空母艦レキシントンは三萬三千トン(満載四萬トン)で速力三三.五ノット、乗員二千百二十二名、戰闘機、偵察兼爆撃機、爆撃機、雷撃機など八十一機を搭載し得るが非常の場合には補用機を合し百二十機を搭載出來る。その他装備として八吋砲八門、五吋高角砲十二門を備へ 一九二一年一月起工、一九二七年竣工、サラトガと共に最初は巡洋戰艦として起工されたがワシントン會議の結果航空母艦に改装されたもので現在サラトガと共に世界最大の航空母艦としてその威容を誇示していゐた。/ラングレー(寫眞左)航空母艦で排水量は一萬一千五百トン、速力十五ノットで大型飛行艇母艦として使用されてゐた[3]
  7. ^ 航空母艦“レキシントン Lexington”[11] 全要目{排水量33,000噸 速力34.24節 備砲20糎砲8門 12.7糎高角砲12門 搭載航空機 各種計76 起工1921年1月 竣工1927年12月 建造所 フオアリヴア造船所} 全長270.65米、幅32.30米、平均喫水7.35米。180,000馬力で得る34.24節という高速力は、航空母艦が必ずもたねばならぬ性能であるとしてもなまやさしい事で得られるものではない。/“サラトガ”と共に米國海軍が誇る二大航空母艦中の一であつて共に元巡洋戰艦として建造中であつたものを我が赤城、加賀同様ワシントン會議の協定により航空母艦に改造したもので竣工までに満7ヶ年の日子を費した米國海軍第一線用の一大航空兵力である。この艦が電氣推進になつてゐるのは敏速なこまかい速力變更を望むためであらう。定員1,899名(飛行将校を含む)
  8. ^ 日本海軍も興味をもち、サラトガを建造していたニューヨーク造船所に、電気推進方式の水上機母艦神威を発注したほどである[10]
  9. ^ ワシントン海軍軍縮条約と関東大震災により、建造中の天城型巡洋戦艦2番艦の「赤城」と加賀型戦艦1番艦の「加賀」が空母に改造された[14]。当初、2隻とも多段式空母だったが、近代化改装時に一段式飛行甲板となった[15]
  10. ^ 1941年(昭和16年)12月31日のレキシントン搭載機は、戦闘飛行隊(VF-2)F2A-3×19、偵察飛行隊(VS-2)SBD-2×16、爆撃飛行隊(VB-2)SBD-2/3×14、雷撃飛行隊(VT-2)TBD-1×12、このほかに多用途母艦飛行隊(F2A-3×2、SBD-3×1、TBD-1×1、J2F-1×2、SOC-3×1)を搭載した[50]。実際には1941年の段階でF2AバッファローからF4Fワイルドキャットへの更新がはじまっていた[51]
  11. ^ 第一航空艦隊司令長官南雲忠一中将が指揮する南雲機動部隊は[53]第一航空戦隊赤城加賀)、第二航空戦隊蒼龍飛龍)、第五航空戦隊瑞鶴翔鶴)、第三戦隊(比叡霧島)、第八戦隊(利根筑摩)、第一水雷戦隊、哨戒隊、補給部隊など。
  12. ^ 第八戦隊司令官阿部弘毅少将(旗艦「利根」)が率いるウェーキ島攻撃隊[60]:第八戦隊(利根、筑摩)、山口多聞少将の第二航空戦隊(蒼龍、飛龍)、第17駆逐隊(谷風浦風[61]
  13. ^ 〔 「伊六潜」ガ敵「レキシントン」型航空母艦ヲ攻撃セル情況ヲ奏上セルニ 陛下ニハ繰返シ繰返シ御嘉賞ノ御言葉ヲ賜リタリ 謹ンデ伝達ス 〕[75]
  14. ^ 【大本營發表】(一月十四日午後三時)帝國潜水艦は十二日夕刻ハワイ西方洋上において米國太平洋艦隊所属航空母艦「レキシントン」型一隻(三萬三千トン)を雷撃、魚雷二本命中を確認したるところ、敵驅逐艦の制壓をうけ潜没せるため該航空母艦の沈没を確認するに至らざりしも、潜没中二回にわたる大爆發を聴音せるをもつて同艦は沈没せること確實なるものと認む(註)潜没とは潜水艦の必要に應じ急速に潜望鏡もろとも潜航する動作をいふ[3]
  15. ^ 米空母レキシントン型を撃沈[76] 帝國潜水艦は一月十二日夕刻、ハワイ西方洋上で米國太平洋艦隊所属航空母艦レキシントン型(三萬三千トン)一隻が多數の巡洋艦、驅逐艦に護衛されて航行してゐるのを發見、嚴重な警戒陣を突破して雷撃、魚雷二本命中を確認したが敵驅逐艦の制壓をうけ潜没したので該航空母艦の沈没を確認するにいたらなかつたところ、潜没中二回にわたる大爆音を聴いたので同艦は沈没したこと確實なものと認められる旨同月十四日大本營から發表された。(中略)この航空母艦が基地を進發して來た意圖としては、ハワイ敗戰の意趣晴らしとして出來るだけの反撃をし、あはよくば日本内地を爆撃して敗殘米海軍の餘喘を内外に誇示せんとしたものか、それともジョンストン島その他海軍基地に飛行機を輸送するか、附近海面に活躍するわが艦艇を攻撃しようとしたものと想像される。しかし、いづれにしても米國内の不安、米海軍に對する非難にゐたたまらず出撃したものである。この企圖を未然に挫き三萬三千トンの巨艦を太平洋の藻屑と葬り去つたわが潜水艦の功績は實に素晴らしい。
  16. ^ 體當り機、敵空母を撃沈[102] わが海軍航空部隊は二月二十一日ニューギニア東方數百浬の洋上で敵中型新式航空母艦を含む有力な部隊を發見したので、海鷲は敵戰闘機群と猛烈な空中戰を演じつゝ急襲した。わが一部の荒鷲は壮烈な體當りをもつて機體諸共敵航空母艦を大破炎上せしめたが、同母艦はその後間もなく沈没したことが判明した。(三月七日大本營發表)なほその際軍艦一隻にも大損害を與へ、十機を撃墜したが、この攻撃がいかに猛烈なものであつたかはわが方も未歸還機九機を出したことによつても察知できるであらう。
  17. ^ 所在18隻中、沈没4隻、被害9隻、戦死130名、重軽傷245名[116]。沈没(横浜丸、天洋丸、金剛丸、第二玉丸)、中破(黄海丸、夕凪、朝凪)、小破(ちゃいな丸、夕張、追風、聖川丸、津軽、玉丸)[116]
  18. ^ MO主隊指揮官は、第六戦隊司令官五藤存知少将であった[152]
  19. ^ 駆逐艦シムスはこの攻撃で沈没したが、ネオショーはまだ浮いていた[159]。ネオショーは5月11日に生存者を収容したあと、海没処分された[160]
  20. ^ MO機動部隊指揮官は、第五戦隊司令官高木武雄中将[171]。第五戦隊(妙高羽黒)、第五航空戦隊(司令官原忠一少将:瑞鶴翔鶴)、第7駆逐隊()、第27駆逐隊(時雨白露夕暮有明)、祥鳳沈没後に合流した第六戦隊第2小隊(衣笠古鷹)。
  21. ^ 翔鶴飛行隊長高橋赫一少佐が指揮する69機[179](瑞鶴38機:零戦9、艦爆14、艦攻8/翔鶴31機:零戦9、艦爆19、艦攻10)[180][181]
  22. ^ 珊瑚海海戰[198] 帝國海軍部隊は五月六日ニューギニア島南東珊瑚海において米英聯合艦隊を發見、七日これに攻撃を加へ米戰艦カリフォルニア型(三萬二千六百噸、十四吋砲十二門)一隻を轟沈、米甲巡ポートランド型(九千トン、八吋砲九門)一隻撃沈、英戰艦ウオスパイト型(三萬六百トン、十五吋砲八門)一隻に大損害を與へ、さらに翌八日、米航空母艦サラトガ型(三萬三千トン、搭載機八十乃至九十機、戰時は百二十機は可能)一隻およびヨークタウン型(一萬千九百トン、搭載機八十、戰時百機まで可能なる最新鋭空母)一隻を撃沈したほか米戰艦ノース・カロライナ型(三萬五千トン、十六吋砲九門、一九四一年春竣工の最新鋭艦)を中破し、さらに米甲巡ルイスビル型(九千五十トン、八インチ砲九門)一隻に對し雷撃機の體当りをもってこれに大損害を與へ、二萬トン級給油艦一隻を大破、驅逐艦一隻を撃沈した。七日以來の本海戰において敵機撃墜數は九十八、わが未歸還機二十四、なほわが小型航空母艦一隻(給油艦を改造せるもの)沈没した。
    今回の敵出撃は現在アメリカ海軍としては最大限のものであることに注目しなければならない。すでに戰艦勢力に大損害を受けた彼としては空母集團攻撃には航空母艦を中心に甲級巡洋艦が加はってゐたのに今度は主力艦數隻が参加してゐる。これはニューギニア海戰で當時の空母集團が果敢なく最期を遂げたのに懲りてその編成を強化して來たものであらうが、かくのごとく敵は空母集團によるゲリラ戰法しか企圖出來なくなってゐる現在、手持の航空母艦中で最大能力をもつサラトガと最も精鋭な戰闘性能をもつヨークタウンの二隻を失ったことは大きな痛手である。/この米英聯合艦隊撃滅が豪州に與へた衝動はすこぶる大きく、首相カーチンはラジオを通じて「今次珊瑚海海戰により豪州への脅威はいよいよ切迫し、吾人はもっとも危険なる時機を迎へねばならぬであらう」と述べ、非常な恐慌を來した。

脚注編集

  1. ^ a b Anderson & Baker, p312
  2. ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 002a特別綴込付録(2)米空母航空団搭載機定数の変遷 調製=大塚好古
  3. ^ a b c d ハワイ海戰マレー沖海戰 1942, p. 33(原本42-43頁)
  4. ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 159●FMK.II型
  5. ^ a b c d 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 89.
  6. ^ 歴群ミッドウェー 1994, p. 76.
  7. ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 86.
  8. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 120原本222-223ページ(航空母艦レキシントン)
  9. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 119原本220-221ページ(航空母艦サラトガ)
  10. ^ a b 児童百科大事典(10)国防 1932, pp. 171-173(原本303-304頁)第四節 電氣推進
  11. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 105原本192-193ページ(航空母艦レキシントン)
  12. ^ a b 大内、幻の航空母艦 2006, p. 294.
  13. ^ 歴群ミッドウェー 1994, pp. 16-17瑞鶴、レキシントンとの同率比較(作図・石橋孝夫)
  14. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 71-78なぜ「赤城」と「加賀」なのか
  15. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 128-131多段式飛行甲板型航空母艦の衰退
  16. ^ 大内、幻の航空母艦 2006, p. 291.
  17. ^ a b c d e 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 90.
  18. ^ 大内、赤城・加賀 2014, pp. 227-231真珠湾攻撃
  19. ^ a b 戦史叢書10 1967, p. 27.
  20. ^ a b 戦史叢書38 1970, pp. 192a-194機動部隊による救援
  21. ^ a b 戦史叢書38 1970, p. 436a-439米機動部隊の状況
  22. ^ a b c 戦史叢書49 1971, pp. 101-102米空母機動部隊の作戦
  23. ^ a b 戦史叢書38 1970, p. 486ブラウン、フレッチャー両合同部隊のラエ、サラモア空襲
  24. ^ a b 戦史叢書49 1971, p. 128a米機動部隊の作戦
  25. ^ 日本空母戦史 1977, p. 237珊瑚海海戦地図、昭和17年5月
  26. ^ ラバウル海軍航空隊 2001, p. 61珊瑚海海戦概況図(昭和17年5月7~8日)
  27. ^ 歴群ミッドウェー 1994, pp. 78-79Facts File2/珊瑚海海戦
  28. ^ トール、真珠湾~ミッドウェイ 2013, p. 179(珊瑚海海戦 1942年5月7~8日)
  29. ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, pp. 149a-157戦時における損傷とそれによる戦訓対策
  30. ^ 歴群ミッドウェー 1994, pp. 14-15珊瑚海海戦 昭和17年5月8日/史上初の空母対空母の戦い
  31. ^ a b 歴群53、アメリカの空母 2006, pp. 155-156●航空燃料安全対策
  32. ^ a b c 日本空母戦史 1977, p. 239.
  33. ^ a b c 戦史叢書49 1971, pp. 320a-322レキシントンの沈没と米機動部隊の引き揚げ
  34. ^ トール、真珠湾~ミッドウェイ(下) 2013, p. 130.
  35. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 21-23南洋群島を舞台とする海軍作戦構想の変遷/無条約時代(昭和十二年~開戦)
  36. ^ イヤハート遭難 p.5
  37. ^ 戦史叢書38 1970, pp. 57-58第十二戦隊の基地調査/経過
  38. ^ イヤハート遭難 p.13
  39. ^ 戦史叢書38 1970, p. 58成果報告
  40. ^ イヤハート遭難p.14
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  42. ^ 歴群53、アメリカの空母 2006, p. 168.
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関連項目編集

外部リンク編集