久邇宮
久邇宮(くにのみや)は、明治時代前期に、伏見宮邦家親王の第4王子・朝彦親王が創立した宮家。香淳皇后(昭和天皇后)の実家である。日本国憲法・現行皇室典範施行後も皇族であったがGHQの指令により1947年(昭和22年)10月14日皇籍離脱。
久邇宮家 | |
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家祖 |
久邇宮朝彦親王 (伏見宮邦家親王の第4王子) |
種別 | 皇族(宮家) |
出身地 | 京都(山城国) |
主な根拠地 |
東京府東京市麻布区麻布鳥居坂町 (現・東京都港区六本木) 東京府豊多摩郡渋谷町宮代 (現:東京都渋谷区広尾) |
著名な人物 |
朝彦親王 邦彦王 朝融王 良子女王(香淳皇后) |
支流、分家 |
賀陽宮 朝香宮 東久邇宮 久邇家(侯爵) 東伏見家(伯爵) 宇治家(伯爵) 龍田家(伯爵) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
系譜編集
久邇宮朝彦親王編集
初代朝彦親王は、文政7年(1824年)に誕生。初名は成憲。奈良一乗院の門主となり、親王宣下の後、出家して京都青蓮院門跡となり、天台座主を兼ね尊融入道親王と称した。文久3年(1863年)、還俗して中川宮の宮号を賜り、名を朝彦と改める。元治元年(1864年)、宮号を賀陽宮と改める。国事御用掛として孝明天皇を補佐し、天皇が嫌悪した尊王攘夷派を朝廷から追放することに努めた。そのため、明治維新後は、反政府陰謀の疑いで逮捕され、親王の身分を剥奪されて安芸広島藩に預けられた。明治3年(1870年)に伏見宮に復帰。
1875年(明治8年)に久邇宮の宮号を賜った。宮号の由来は、恭仁京にちなんだといわれている(伏見宮の当主が1代おきに「邦」の1字を偏諱としていたことによるという説もある)。その後、朝彦親王は神宮祭主として古儀復興に取り組み、1891年(明治24年)に68歳で薨去。
朝彦親王には王子女が多く、賀陽宮邦憲王、邦彦王、梨本宮守正王、多嘉王、朝香宮鳩彦王、東久邇宮稔彦王などがいる。
久邇宮邦彦王編集
2代邦彦王(くによしおう)は、1873年(明治6年)に誕生。1891年(明治24年)に父宮薨去によって、宮家を相続した。陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業し、陸軍大将にまで昇る。1899年(明治32年)に公爵島津忠義の娘俔子(ちかこ)と結婚。1928年(昭和3年)、台湾滞在中に朝鮮人テロリストによる暗殺未遂事件に遭ったがけがはなかった。1929年(昭和4年)、潰瘍性腹膜炎により56歳で薨去。
王子女には、朝融王、邦久王(1923年(大正12年)臣籍降下)、邦英王(1931年(昭和6年)臣籍降下)、良子女王(香淳皇后)、信子女王(三条西公正に嫁す)、智子女王(大谷光暢に嫁す)がいる。
多嘉王編集
邦彦王の弟多嘉王は、京都に在住し、独立した宮家を興すことも臣籍降下することも無かった。しかしながら例外的に婚姻の上一家を有しており、久邇宮本家とは独立した生活を送った。これは当初、西久邇宮を名乗る予定だったという説がある[1]。妃静子との間に3男3女を儲け、神宮祭主を務めた。1937年(昭和12年)、63歳で薨去。
久邇宮朝融王編集
3代朝融王(あさあきらおう)は、1901年(明治34年)に誕生。婚約破棄事件もあったが、1925年(大正14年)に伏見宮博恭王の娘である知子女王と結婚。1929年(昭和4年)に宮家を相続する。海軍兵学校卒業。終戦時には、海軍中将。終戦後の1947年(昭和22年)に妃知子女王が薨去。
同年、GHQの指令により10月14日皇籍離脱し久邇朝融となった。いろいろな事業に手を染めるが、戦後の荒波を受けてどれもうまくはいかなかった。1959年(昭和34年)に58歳で逝去した。
妃との間に邦昭王、正子女王、朝子女王、通子女王、英子女王、朝建王、典子女王、朝宏王の三男五女を儲ける。
系図編集
(20/23)伏見宮邦家親王 | (1)山階宮晃親王 | (2)山階宮菊麿王[2] | (3)山階宮武彦王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
(1)梨本宮守脩親王 | (1)久邇宮朝彦親王 | (1)賀陽宮邦憲王 | (2)賀陽宮恒憲王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
(2)久邇宮邦彦王 | (3)久邇宮朝融王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
(3)梨本宮守正王 | 香淳皇后 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
第125代天皇明仁 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
(21)伏見宮貞教親王 | (1)朝香宮鳩彦王 | 昭和天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
(1)東久邇宮稔彦王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
崇光天皇 | (1)栄仁親王 | (2)治仁王 | 後花園天皇 | 後土御門天皇 | 後柏原天皇 | 後奈良天皇 | 正親町天皇 | A | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(3)貞成親王 (後崇光院) | (4)貞常親王 | (5)邦高親王 | (6)貞敦親王 | (7)邦輔親王 | (8)貞康親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(9)邦房親王 | B | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
A | 誠仁親王 | 後陽成天皇 | 後水尾天皇 | 霊元天皇 | 東山天皇 | 中御門天皇 | C | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
B | (10)貞清親王 | (11)邦尚親王 | 福子内親王 | (閑院宮1)直仁親王 | D | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(12)邦道親王 | (15)貞建親王 | E | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(13)貞致親王 | (14)邦永親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
C | 桜町天皇 | 桃園天皇 | 後桃園天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(17)貞行親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
D | (閑院宮2)典仁親王 | (閑院宮3)美仁親王 | (閑院宮4)孝仁親王 | (閑院宮5)愛仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
光格天皇 | 仁孝天皇 | 孝明天皇 | 明治天皇 | 大正天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(16)邦忠親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
E | (18)邦頼親王 | (19)貞敬親王 | F | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
F | (20/23)邦家親王 | (山階宮1)晃親王 | (梨本宮2/山階宮2) 菊麿王 | (山階宮3)武彦王 (皇籍離脱) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(梨本宮1)守脩親王 | (久邇宮1)朝彦親王 | (賀陽宮1)邦憲王 | (賀陽宮2)恒憲王 (皇籍離脱) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(久邇宮2)邦彦王 | (久邇宮3)朝融王 (皇籍離脱) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(梨本宮3)守正王 (皇籍離脱) | 香淳皇后 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
多嘉王 | 第125代天皇 明仁(上皇) | 第126代天皇 徳仁(今上天皇) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(21)貞教親王 | (朝香宮)鳩彦王 (皇籍離脱) | 昭和天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(東久邇宮)稔彦王 (皇籍離脱) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小松宮彰仁親王 | (竹田宮1)恒久王 | (竹田宮2)恒徳王 (皇籍離脱) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(北白川宮2)能久親王 | (北白川宮3)成久王 | (北白川宮4)永久王 | (北白川宮5)道久王 (皇籍離脱) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
小松輝久 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(華頂宮1)博経親王 | (華頂宮2)博厚親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(北白川宮1)智成親王 | (25/華頂宮3) 博恭王 | 博義王 | (26)博明王 (皇籍離脱) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(22/24)貞愛親王 | 邦芳王 | (華頂宮4) 博忠王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(閑院宮6)載仁親王 | (閑院宮7)春仁王 (皇籍離脱) | 華頂博信 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(東伏見宮)依仁親王 | 伏見博英 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
邸宅編集
脚注編集
- ^ 朝日新聞社 鹿島茂編著『宮家の時代』P.96より
- ^ 梨本宮2代目
- ^ “重要文化財 旧久邇宮邸 (pdf)”. 聖心女子大学. 2020年6月17日閲覧。
- ^ “旧久邇宮邸(聖心女子大学) 御常御殿・小食堂”. 文化遺産オンライン. 2020年6月17日閲覧。
参考文献編集
- 浅見雅男『闘う皇族 ある宮家の三代』(角川選書、2005年) ISBN 4-04-703380-4
外部リンク編集
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