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二木島町

三重県熊野市の地名
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二木島町(にぎしまちょう)は、三重県熊野市町名[WEB 5]。「二喜島」や「二鬼島」という表記が用いられていた時期もある[1]

二木島町
二木島駅
二木島町の位置(三重県内)
二木島町
二木島町
二木島町の位置
北緯33度56分25.3秒 東経136度10分52.2秒 / 北緯33.940361度 東経136.181167度 / 33.940361; 136.181167
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Mie Prefecture.svg 三重県
市町村 Flag of Kumano Mie.JPG 熊野市
地区 荒坂地区
町名制定 1954年(昭和29年)11月3日
面積
 • 合計 7.007543588km2
標高
14m
人口
2019年(令和元年)10月1日現在)[WEB 2]
 • 合計 244人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
519-4204[WEB 3]
市外局番 0597(熊野MA[WEB 4]
ナンバープレート 三重
※座標・標高は熊野市役所荒坂出張所(二木島町560‑3)付近

漁業林業が町の主要な産業である[2]。陸路と海路の要所として発展してきた歴史から、一里塚などの史跡が残る[3]

地理編集

熊野市東部に位置し、東部は二木島湾に面する[4]。北部は山に囲まれ、山を越えると尾鷲市に至る。中心集落は二木島町の中央部にあり、JR紀勢本線国道311号が通っている[3]

  • 河川:逢川
  • 海洋:二木島湾、熊野灘
  • 岬:牟婁崎

北は尾鷲市曽根町、東は熊野市甫母町(ほぼちょう)・二木島里町、南は熊野市遊木町(ゆきちょう)、西は熊野市新鹿町(あたしかちょう)と接する。

二木島湾の空中写真。奥深い入江の西端(画像左)が二木島町地区中心部である。
1976年撮影の4枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

逢川編集

逢川(あいかわ)は二木島町の中央部を流れる河川[5]。河川の名は、伊勢神宮熊野権現が出会った地であることに由来するという[5]大化2年(646年)には、逢川を志摩国紀伊国国境に定めたという説がある[5]

三重県立熊野古道センターによれば、逢川は清流であり、流域にはシダ植物が自生する[WEB 6]。逢川の水質は以下の通り[WEB 7][6]

調査年度 pH BOD SS DO 大腸菌群
2008年(平成20年)度 6.8 0.5mg/L未満 0.5mg/L未満 8.9mg/L 1,700個/dL
2013年(平成25年)度 6.7 0.5mg/L未満 0.5mg/L未満 9.7mg/L 310個/dL

歴史編集

近代まで編集

海岸では縄文時代弥生時代古墳時代、さらにそれ以降の複合的な遺跡が見つかっている[7]江戸時代には、紀伊国牟婁郡木本組に属し、二木島浦として紀州藩の配下にあった[7]。『慶長高目録』では「二木島組」に属するとされた[7]寛文年間(1661年 - 1672年)頃まで二木島里浦(現・熊野市二木島里町)とは同一の村であったが、この頃に二木島里浦が二木島浦から分離した[7]。『紀伊続風土記』によれば、各家は船を保有し漁業を主業としていたという[5]

当時は熊野灘を行き交う航路の寄港地として栄え[8]、『日本航路細見記』は「二木島は上下の大みなと也」と記し、『全国湊くらべ』は二木島港を西前頭四四枚目に格付けした[5]船乗りを相手とした遊女も出現した[5]。また捕鯨が行われ、鯨の供養塔の建立や藩主・徳川重倫の鯨突取り漁法観覧が行われた[7]

明治時代には、1876年(明治9年)の二木島浦小学校(現・熊野市立荒坂小学校)開校、1899年(明治32年)の荒坂銀行開業、1901年(明治34年)の郵便局開局など近代化が進んだ[7]。また1889年(明治22年)の町村制施行時には、荒坂村の1大字となり、村役場が設置された[7]1907年(明治40年)には捕鯨会社が設立され、当初は年間113頭を捕獲したが、年々減少し末期には5頭のみとなり、1915年(大正4年)に営業を終了した[7]1944年(昭和19年)12月7日、昭和東南海地震が発生、7度の津波が二木島浦を襲い、5人が犠牲となった[9]

現代編集

1954年(昭和29年)、昭和の大合併により熊野市が発足し、二木島浦は「二木島町」に改称した[7]1959年(昭和34年)7月15日国鉄紀勢本線が二木島町内を通るようになり、二木島駅が設置された[10]。鉄道開通前の二木島町は、熊野市街の木本町へ行くのに巡航船で2時間、路線バスで1時間かかっていたが、鉄道開通後は30分で行けるようになり、開通前夜には住民が提灯行列鉄道唱歌替え歌合唱して祝した[10]

1980年(昭和55年)1月31日手斧猟銃で親族10人を殺傷し、犯人が自殺する熊野一族7人殺害事件が発生した[11]。ちょうど当時二木島町に近い熊野市新鹿町(あたしかちょう)に住んでいた中上健次は、事件を報じる新聞週刊誌を追いかけ、『熊野集』において以下のように記している[12]

その事件は自分がいままで書いて来た小説の顕現化だとも思ったし、私小説で何度も書いた主人公の暴発が成就したものだという思いもつもった。ノートを取り、ひりつく気持のうちに小説に仕立てようと何度も試みた。実際何もかも符丁が合い過ぎていた。

その後、中上は柳町光男監督の映画作品『火まつり』(1985年公開)のシナリオを手掛け、この事件を題材とし、作品の舞台も二木島町とした[13]。さらに映画公開後すぐに小説化に取り組み、『文學界』で連載された後、1987年(昭和62年)に文藝春秋から単行本が出版された[14]

1983年(昭和58年)12月21日、二木島駅が無人駅となる[15]。2011年(平成23年)3月26日、町内にある荒坂小学校の休校式が児童6人と住民約100人の出席の下、開催された[16]。最盛期の1960年代には児童数400人に達し、2つの分校も有していたが、末期の7年間の在校生は1桁であった[16]

沿革編集

町名の由来編集

諸説ある。

  • 神武天皇熊野の荒坂津で丹敷戸畔(にしきとべ)を殺したという『日本書紀』に記載のある故事に由来する(『紀伊続風土記』説)[7]。この説では荒坂津(あらさかのつ)を二木島に比定しているが、度会郡大紀町錦に比定する説もある[5]
  • 波が穏やかな湾に臨むことから、「和島」(にぎしま)・「凪島」(なぎしま)と呼ばれたことに由来する(『新くまの風土記』説)[7]

町名の変遷編集

実施後町名 実施年月日 実施区分 実施前大字
二木島町 1954年(昭和29年)11月3日 地名改称 二木島浦

世帯数と人口編集

2019年(令和元年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]

町丁 世帯数 人口
二木島町 149世帯 244人

人口の変遷編集

1889年以降の人口の推移。なお、1995年以後は国勢調査による推移。

1889年(明治22年) 818人 [7]
1980年(昭和55年) 814人 [7]
1990年(平成2年) 620人 [17]
1995年(平成7年) 540人 [18]
2000年(平成12年) 441人 [19]
2005年(平成17年) 348人 [20]
2010年(平成22年) 288人 [21]
2015年(平成27年) 246人 [22]

世帯数の変遷編集

江戸時代・1889年以降の世帯数の推移。なお、1995年以後は国勢調査による推移。

江戸時代 157戸 [7]
1889年(明治22年) 191戸 [7]
1980年(昭和55年) 261世帯 [3]
1990年(平成2年) 231世帯 [17]
1995年(平成7年) 213世帯 [18]
2000年(平成12年) 195世帯 [19]
2005年(平成17年) 170世帯 [20]
2010年(平成22年) 151世帯 [21]
2015年(平成27年) 133世帯 [22]

学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[WEB 8]

番・番地等 小学校 中学校
全域 熊野市立新鹿小学校 熊野市立新鹿中学校

荒坂小学校は2011年(平成23年)3月31日に休校となり、翌月から遊木小学校(ゆきしょうがっこう)に通学することになった[16]が、遊木小学校も2013年(平成25年)3月31日に休校となり2013年4月以降、新鹿小学校(あたしかしょうがっこう)へ通学することになった[23]。また荒坂中学校も2014年(平成26年)3月31日をもって休校となり、2014年4月以降、新鹿中学校(あたしかちゅうがっこう)へ通学することになった[24]

荒坂小学校・荒坂中学校ともに、二木島町にある[25]2012年(平成24年)現在、荒坂中学校の全校生徒は11人である[8]

生活編集

災害対策と医療編集

二木島町では、過去に何度も津波の被害を受けており、東南海地震が発生した場合、震災発生後13分後に19.16mの津波が襲来するという三重県の予測がある[26]。想定通りの高さの津波が押し寄せた場合、避難所に指定されている荒坂中学校でも危険だと朝日新聞は報じている[27]。2011年(平成23年)12月の夜間に行われた避難訓練では高台を通る国道までの避難に30分かかり、高齢の住民からは「もう無理」との声も聞かれた[27]

また災害発生時の孤立が懸念されており、実際に1998年(平成10年)と2001年(平成13年)には国道311号が土砂崩れで寸断され、住民が孤立してしまった[28]

こうした中、二木島町にある1980年(昭和55年)開設の「熊野市立荒坂診療所」では災害医療に備えてさまざまな準備を行っている[WEB 9]。勤務する唯一の医師は、災害に備えて小型船を所有し、自前で担架を購入、無線資格を取得して孤立対策をとっている[WEB 9]

二木島祭編集

二木島祭(にぎしままつり)は、二木島湾でかつて行われていた祭り[29]。湾岸の室古神社と阿古師神社の祭りであり、両神社の関船による競漕が祭りの中心であった[29]。2010年(平成22年)11月3日の開催を最後に担い手不足からおよそ300年続いた祭りの歴史は途絶えた[29]

観光編集

二木島町は熊野古道伊勢路が通っており、町内の二木島峠を訪れる観光客は、紀伊山地の霊場と参詣道世界文化遺産の指定を受けてから5年が経過した2009年(平成21年)には3 - 5倍にも増加した[30]

2012年(平成24年)の末には、荒坂中学校の教諭の勧めにより全校生徒11人で「荒坂イレブン」が結成された[8]。荒坂イレブンは「地域と密着。過疎から脱却。」を掲げ、郷土史家から史跡について学ぶなどして観光ガイドを行っている[8]。住民による熊野古道の語り部も存在する[10]

熊野古道以外の観光としては二木島沖での釣り[WEB 10]ダイビングがある[WEB 11]

交通編集

鉄道開通前まで、熊野市街の木本町まで巡航船が運行されていた[10]。また、1998年(平成10年)6月22日に国道311号が崩落した際には、同年7月31日まで熊野市と三重県が二木島町と甫母町(ほぼちょう)の間で臨時の渡し船を運航した[31]

鉄道
東海旅客鉄道紀勢本線二木島駅
路線バス
熊野市自主運行バス二木島峠口バス停
  • 潮風かほる熊野古道線 二木島駅前
  • 潮風かほる熊野古道線 三交南紀
乗合タクシー
  • 海岸部乗合タクシー(予約制)[WEB 12]
道路

施設編集

  • 熊野市役所荒坂出張所
  • 熊野市立荒坂小学校
  • 熊野市立荒坂中学校
  • 熊野市立荒坂診療所
  • 二木島郵便局
  • 熊野警察署二木島駐在所
  • 伊勢農業協同組合荒坂店
  • 熊野漁業協同組合二木島支所
  • 二木島漁村センター
  • 荒坂公民館二木島分館
  • 川口家旅館
  • 民宿中村屋

史跡編集

熊野古道が通っており、多くの文化財が残されている[8]

海福山最明寺編集

曹洞宗仏教寺院で、二木島町・二木島里町の氏寺[5]本尊阿弥陀如来立像[5]。近世には、近海で遭難病死などした水夫がここに葬られた[5]。本堂は1994年(平成6年)3月9日三重県の有形文化財(建造物)[WEB 14]、所蔵する「絹本著色釈迦涅槃図 附 貞享四年銘箱」(けんぽんちゃくしょくしゃかねはんず つけたり じょうきょうよねんめいはこ)は2010年(平成22年)3月11日三重県の有形文化財(絵画)に指定された[WEB 15]

出身者編集

その他編集

日本郵便編集

脚注編集

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WEB編集

  1. ^ 三重県熊野市の町丁・字一覧” (日本語). 人口統計ラボ. 2019年8月21日閲覧。
  2. ^ a b 熊野市町別総世帯数・総人口数・面積(令和元年10月1日現在)” (日本語). 熊野市 (2019年10月1日). 2019年10月11日閲覧。
  3. ^ a b 二木島町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 熊野市役所"統計情報"平成25年12月1日現在(2013年12月9日閲覧。)
  6. ^ 平成20年3月16日(日) 熊野古道講座 逢川の源流とシダを訪ねて を開催しました”. 三重県立熊野古道センター (2008年3月16日). 2013年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月15日閲覧。
  7. ^ 平成20年度調査結果 - 熊野市”. 熊野市役所 (2008年). 2013年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月15日閲覧。
  8. ^ 熊野市就学規則”. 熊野市 (2018年4月1日). 2019年8月21日閲覧。
  9. ^ a b c 小柳悠志 (2011年12月18日). “三重の病院〈78〉 荒坂診療所 熊野市二木島 - つなごう医療 中日メディカルサイト”. 2013年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月15日閲覧。
  10. ^ マルヒサ渡船 | 釣果情報”. 釣りビジョン. 2013年12月15日閲覧。
  11. ^ マル松潜水CLUB・松本 行史”. 東紀州ほっとネット くまどこ. 東紀州ITコミュニティ. 2013年12月15日閲覧。
  12. ^ 海岸部乗合タクシーが運行開始します!”. 熊野市. 2017年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月21日閲覧。
  13. ^ 三重県教育委員会事務局社会教育・文化財保護課. “みんなで、守ろう!活かそう!三重の文化財/情報データベース/鯨の供養塔”. 2013年12月14日閲覧。
  14. ^ 三重県教育委員会事務局社会教育・文化財保護課. “みんなで、守ろう!活かそう!三重の文化財/情報データベース/最明寺本堂”. 2013年12月14日閲覧。
  15. ^ 三重県教育委員会事務局社会教育・文化財保護課. “みんなで、守ろう!活かそう!三重の文化財/情報データベース/絹本著色釈迦涅槃図 附 貞享四年銘箱”. 2013年12月14日閲覧。
  16. ^ 郵便番号簿 2018年度版 (PDF)” (日本語). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。

出典・文献編集

  1. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 819.
  2. ^ 守安(2011):18ページ
  3. ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1205.
  4. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 819-820,1205.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 平凡社地方資料センター 1983, p. 938.
  6. ^ 平成25年度調査結果 - 熊野市”. 熊野市役所 (2013年). 2013年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月15日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 820.
  8. ^ a b c d e 小柳悠志「生徒が観光ガイド 熊野・荒坂中 地域活性化に一役」中日新聞2013年5月4日付朝刊、広域三重志摩牟婁12ページ
  9. ^ 百合草健二"大津波、6歳の記憶 東南海地震を体験、本執筆 熊野の鈴木さん「被害、最小限に」"朝日新聞2007年9月1日付朝刊、三重版31ページ
  10. ^ a b c d 信原一貴「鉄路の夢、分岐点」朝日新聞2009年7月6日付朝刊、三重版23ページ
  11. ^ 「一族七人殺し自殺 三重県熊野 猟銃・オノで次々 酒飲み、子の病を苦? 3人負傷」朝日新聞1980年2月1日付朝刊、1ページ
  12. ^ 守安(2011):22 - 23ページ
  13. ^ 守安(2011):18, 24ページ
  14. ^ 守安(2011):25ページ
  15. ^ 「天王寺鉄管局、紀勢線と参宮線の駅業務を大幅削減へ」日本経済新聞1983年6月29日付、地方経済面中部7ページ
  16. ^ a b c 百合草健二「休校式―楽しい思い出胸に 熊野の荒坂小で 町民100人も参加」朝日新聞2011年3月27日付朝刊、熊野版21ページ
  17. ^ a b 熊野市役所"町別世帯数および人口"「統計情報(旧熊野市)」(2013年12月9日閲覧。)
  18. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (日本語). 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  19. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (日本語). 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  20. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (日本語). 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  21. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (日本語). 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  22. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (日本語). 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  23. ^ 百合草健二「さよなら熊野・遊木小 住民150人とともに休校式 創立134年の歴史に幕」朝日新聞2013年3月24日付朝刊、三重版31ページ
  24. ^ "創立67年、学びやとお別れ 熊野・荒坂中休校「歴史は心の中に"朝日新聞2014年3月24日付朝刊、三重版27ページ
  25. ^ 熊野市"熊野市立学校条例"(2013年12月9日閲覧。)
  26. ^ 「震災13分で19メートル津波 熊野・二木島 高齢化の壁、具体策を 内閣府WG最終報告」朝日新聞2012年7月19日付朝刊、熊野版33ページ
  27. ^ a b "津波想定「これほどとは」 田原20メートル 尾鷲24.5メートル 自治体「堤防では限界」 南海トラフ地震"朝日新聞2012年4月1日付朝刊、名古屋本社版社会面35ページ
  28. ^ 百合草健二「へき地医療に挑む」朝日新聞2010年8月15日付朝刊、三重版23ページ
  29. ^ a b c 百合草健二「300余年連綿、関船競漕が幕 熊野の二木島祭」朝日新聞2010年11月4日付朝刊、熊野版21ページ
  30. ^ 「熊野古道来訪者 初の20万人突破 前年比34.8%増」朝日新聞2010年4月25日付朝刊、三重版27ページ
  31. ^ 野田一郎"「交通過疎地」なお深刻 孤立1カ月、熊野市の甫母・須野町"朝日新聞1998年8月6日付朝刊、熊野版21ページ

参考文献編集

  • 角川日本地名大辞典 24 三重県』「角川日本地名大辞典」編纂委員会、角川書店、1983年6月8日(日本語)。ISBN 4-04-001240-2
  • 『「三重県の地名」日本歴史地名大系24』平凡社地方資料センター、平凡社、1983年5月20日(日本語)。ISBN 4-58-249024-7
  • 守安敏久(2011)"中上健次『火まつり』―映画から小説へ―"宇都宮大学教育学部紀要.61:17-28.

関連項目編集

外部リンク編集