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仙台鉄道(せんだいてつどう)は、かつて宮城県仙台市にあった通町駅古川市の中新田駅(現在の大崎市西古川駅)を結んでいた軽便鉄道である。仙台弁接尾辞を補って「軽便っこ」との愛称で呼ばれた。

仙台鉄道
概要
現況 廃止
起終点 起点:通町駅
終点:中新田駅(現・西古川駅
駅数 20駅
運営
開業 1922年10月6日 (1922-10-06)
廃止 1960年5月1日 (1960-5-1)
所有者 仙台軌道→仙台鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 43.9 km (27.3 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
STR
仙山線
exKBHFa STR
0.0 通町
exSTR POINTERg@f STR
1937廃止
exmKRZ uexKBHFeq BHF
仙台市電
exBHF STR
0.3 北仙台
exSTR2
STR
1951休止
exSTRc1 exSTR+4 STR
exBHF STR
1.7 東照宮前
exSTR HST
東照宮 [* 1]
STR3
STRr+1
exBHF
6.8 八乙女
exBHF
7.7 七北田
exBHF
9.3 山ノ寺
exBHF
11.6 陸前大沢
exBHF
17.2 黒川小野
exBHF
18.9 富谷
exBHF
22.2 志戸田
exBHF
24.3 吉岡
exBHF
27.5 大童
exBHF
31.3 大衡
exBHF
32.8 本町
exBHF
34.2 王城寺原
exBHF
36.6 加美一ノ関
exBHF
37.4 西四竈 -1929
exBHF
38.1 四竈
exBHF
39.7 鳴瀬川
POINTERg@f exSTR
1951休止
exBHF
40.9 加美中新田
POINTERf@g exSTR
1960廃止
STR+r exSTR
陸羽東線
BHF exKBHFe
44.1 西古川

  1. ^ 当線廃止後の開設

旧名を「仙台軌道」と称し、軽便鉄道としては珍しく44キロメートル弱の長大な路線を保有していた。第二次世界大戦後の部分廃止を経て、1960年昭和35年)に全線が廃止された。

目次

路線データ編集

廃止時点のもの

  • 路線距離(営業キロ):43.9km
  • 軌間:762mm
  • 駅数:20駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし

歴史編集

現在の東北本線の前身に当たる日本鉄道明治時代中頃に宮城県まで延びた時、仙台より南側はおおむね江戸時代奥州街道に沿うように路線が敷設された。他方、仙台以北については、東北地方開発の中心的事業として推進された野蒜築港に接続するため、奥州街道を外れて仙台から北東の松島湾に向かう経路で計画されたが、建設過程で野蒜築港が頓挫したため、まずは塩釜港まで建設された[1]。日本鉄道は青森に向かってさらに路線の建設を進めたが、この時、岩切駅から分岐して利府松島を経由し、大崎地方東部の志田郡遠田郡を縦貫する東寄りのルートを採用した。そのため、仙台以北の奥州街道沿いの旧宿場町は近代的交通手段から取り残される形となった[2][3]

この仙台以北の旧宿場町を鉄道で結ぶという構想は明治時代の末から存在した。1911年(明治44年)に仙台商業会議所の八木久兵衛が宮城県知事に対して、仙台から古川を経由して小牛田に至る軽便鉄道を県費で敷設するように意見した。また1912年大正元年)、仙台や七北田富谷吉岡三本木、古川の有志が軽便鉄道期成同盟会を結成し、資本金120万円をもって、仙台、七北田、富谷、色麻中新田、古川、築館を結ぶ軽便鉄道の敷設計画を立案した。この計画は石巻線の前身の仙北軽便鉄道の発起人としても名を連ねた荒井泰治や仙台市長を務めた早川智寛等の発起人によって1913年大正2年)に国に提出されたが、1914年(大正3年)に不許可と判断された[4]

1917年(大正6年)に仙台と古川を結ぶ人車軌道の特許願いが国に提出された。発起人は、荒井泰治、坂元蔵之允、伊沢平左衛門、佐々木重兵衛、清野喜平治、松良盤植、田手喜市、小原辰三郎、但木良治、奥野七次郎、内ヶ崎文之助、岩淵文衛門、永沢泰吉で、資本金は50万円だった。これが仙台鉄道の前身に当たる仙台軌道である。この計画に対して宮城県は馬車鉄道を勧めたが、仙台軌道は人車で対応できない時に馬車に変更するとして、1918年(大正7年)に人車軌道のまま国から建設の許可を得た。しかしすぐさま人力では運行できないことが判明し、計画していた動力を蒸気機関へと変更した。実際に建設工事が始まったのは1919年(大正8年)である。しかしこの頃、物価が高騰していた影響で、軌道の敷設工事は捗らなかった。1921年(大正10年)には吉岡町などが仙台軌道に補助金を出して工事を援助した[5]。仙台軌道の本社は仙台におかれ、路線のルートは北仙台近くの通町を起点に東へ進み、東照宮から北上して八乙女、七北田を経由し、それ以北はおおよそ奥州街道の宿場町に沿うように吉岡まで続いた。計画では吉岡から古川の間に線路を敷設することになっていたが、吉岡から中新田へのルートに変更された[6]。これは、鳴瀬川への架橋経費削減や王城寺原陸軍演習場への兵員や軍事物資の輸送のためである[7]。仙台軌道の計画がなくなることになった古川は、陸羽東線がすでにあることから譲歩したのだろうと推察されている[6]。また、動力はガソリン機関車にさらに変更されたが[7]、開通後には蒸気機関も併用されることになる。

画像外部リンク
  大正末期の仙台軌道・通町駅[リンク切れ]
smtせんだい時遊map[リンク切れ]」写真)
  仙台鉄道のお別れ式
仙台市戦災復興記念館所蔵)
 
1927年(昭和2年)頃の仙台市および近郊地図。地図の上部に「仙臺軌道」が細線で図示されている。この時点では仙台市電の北仙台線は未開業で、仙台軌道の起点は通町だった。

1922年(大正11年)10月6日、仙台の通町駅[8]から七北田村の八乙女駅の間で仙台軌道は開業した。通町駅は、仙台の城下町を南北に貫く奥州街道の北の端、通町にある青葉神社の門前南東の北田町付近に置かれた。開通当時は通町駅と東照宮前駅の各々の周辺は仙台市内だったが、それ以外の軌道沿いは郡部の町村だった。仙台軌道は1923年(大正12年)に吉岡まで開通し、1928年(昭和3年)に中新田へ至って、これによって全線開通した[5]。通町と中新田の間の所要時間は約2時間20分だった[7]。この間、仙台軌道は仙台鉄道へと社名を変えた。仙台鉄道は旅客輸送のほか、などの農産物大松沢丘陵からの亜炭薪炭、加美郡色麻村の王城寺原演習場への物資や兵員輸送などに利用された[2]。しかし、開業して間も無い大正末期以降、並行道路上を走るバストラック等と競合した。また、1923年(大正12年)に通町駅と秋保石材電気軌道長町駅とをつなぐ青葉軌道が出願されたが、これは未成線のまま終わった。

1937年昭和12年)、仙台市電北仙台線が開通した。北仙台線の計画段階において仙台鉄道と仙台市電が交差することが問題になり、これについて国は立体交差を指示したが、建設費用の問題から仙台市は仙台鉄道へ平面交差を申し入れた。最終的には、仙台市が費用を負担するという事を条件に仙台鉄道の起点を通町から北仙台に移転することで両者が合意した。これによって、仙台鉄道は通町駅と北仙台駅の間が廃止になり、北仙台駅が起点になった[9]。これ以降、国鉄、仙台鉄道、仙台市電の3つの鉄軌道が集まる北仙台は、仙台の北のターミナルとなった。

戦後、沿線住民の買い出しや燃料事情悪化に伴う三本木産出の亜炭の輸送で仙台鉄道は活況を呈し、1945年(昭和20年)から1947年(昭和22年)は黒字営業だった[10]。しかしその後はバスに乗客を取られて経営が悪化した。小口輸送においても、トラックや荷役馬車が仙台への流通主体となって苦境に立たされた。さらに1947年(昭和22年)のカスリーン台風1948年(昭和23年)のアイオン台風と2度にわたる台風の被害に遭い、鉄橋や線路が流された。被害は復旧されたが、復旧費用支出により経営が著しく悪化した。1950年(昭和25年)の風水害を期に、路線の大部分である北仙台と加美中新田の間約40キロメートルを廃止し、バスに転換した。加美中新田と中新田の間は陸羽東線と中新田市街を結ぶ3キロメートル強の支線のような状態で細々と運行されたが、1960年(昭和35年)に廃線となった。

年表編集

日付は資料によって差異がある。

  • 1918年(大正7年)9月11日 軌道特許状下付(仙台市-志田郡古川町間 人車軌道[11][12]
  • 1919年大正8年)12月10日 仙台軌道設立(社長 荒井泰治)[13][14]
  • 1920年(大正9年)11月29日 原動力の蒸気をガソリンに変更申請
  • 1922年(大正11年)
    • 1月27日 軌道特許状下付(黒川郡大衡村-志田郡志田村間 動力 瓦斯倫)[15]
    • 10月6日[16] 通町 - 八乙女間開通
  • 1923年(大正12年)
  • 1925年(大正14年)2月2日[16]または6月26日[17] 加美中新田 - 中新田(後の西古川)間開通
  • 1926年(大正15年)
    • 3月11日 軌道特許失効(黒川郡大衡村-志田郡古川町間 指定ノ期間内ニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)[19]
    • 5月14日 仙台市堤通-黒川郡吉岡町間、志田郡志田村-加美郡中新田町間を地方鉄道に変更(許可)[20]
  • 1926年昭和元年)12月25日[16][17] 社名を仙台鉄道に改称
  • 1928年(昭和3年)
  • 1929年(昭和4年)
    • 9月17日 西四竈 - 加美中新田間が開通し、通町 - 加美中新田間の全線開通[16]。吉岡 - 加美中新田間を軌道から鉄道に変更[17]
    • 9月29日[16] 北仙台駅を開業
  • 1933年(昭和8年) 気動車導入(ガソリンカー。仙南温泉軌道からの中古車1両)。以後1940年(昭和15年)までに自社の客車改造気動車2両、メーカー新製気動車1両を導入
  • 1937年(昭和12年)2月[16][21] 通町 - 北仙台間廃止、起点が北仙台となる
  • 1943年(昭和18年) 山ノ寺駅付近で排煙を原因とした山火事を発生させ、洞雲寺(山ノ寺)を全焼させてしまう。
  • 1948年(昭和23年)9月 アイオン台風で甚大な被害
  • 1950年(昭和25年)
    • 8月6日 台風による風水害で北仙台 - 加美中新田間が不通
    • 12月20日 北仙台 - 加美中新田間の運輸休止を請願[22]
  • 1955年(昭和30年)10月4日 北仙台 - 加美中新田間の運輸営業廃止を申請
  • 1956年(昭和31年)3月14日[17]または4月5日[16] 北仙台 - 加美中新田間廃止
  • 1957年(昭和32年)4月1日[16] 中新田駅を西古川駅に改称
  • 1959年(昭和34年)6月15日 加美中新田 - 西古川間の運輸営業廃止を申請
  • 1960年(昭和35年)5月1日[16][17] 加美中新田 - 西古川間の運輸営業廃止、バス専業となる。仙北鉄道が経営参加、同社傘下に入る
  • 1962年(昭和37年)4月17日 仙台鉄道・古川交通・塩釜交通が合併、宮城バス(初代)設立
  • 1964年(昭和39年)4月14日 仙北鉄道・宮城バスが合併、宮城バス設立。存続会社は仙北鉄道
  • 1970年(昭和45年)10月1日 仙南交通、宮城中央バスと合併、宮城交通(初代)発足

駅一覧編集

画像外部リンク
  仙台鉄道路線図[23]
初期の停車場
通町 - 東照宮前 - 八乙女
全線開通時(1929年)
通町 - 北仙台(→社北仙台) - 東照宮前 - 八乙女 - 七北田 - 山ノ寺 - 陸前大沢 - 黒川小野 - 富谷 - 志戸田 - 吉岡 - 大童 - 大衡 - 本町 - 王城寺原 - 加美一ノ関 - 西四竈 - 四竈 - 鳴瀬川 - 加美中新田 - 中新田(→西古川)

位置など

接続路線編集

事業者名等は廃止時点のもの

輸送・収支実績編集

年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1922 6,752 42 2,186 2,516 ▲ 330
1923 58,597 272 19,613 28,015 ▲ 8,402 3,752
1924 89,902 4,757 68,204 59,890 8,314 償却金2,771 429
1925 198,271 6,848 88,223 63,183 25,040 626
1926 245,457 8,693 97,383 71,466 25,917 23,582
1927 276,251 9,478 106,584 74,697 31,887 償却金33,796 23,254
1928 264,760 8,905 104,440 72,546 31,894 地方鉄道及自動車265 雑損182 24,739
1928 41,500 1,772 13,842 9,741 4,101 軌道及自動車842 2,844
1929 284,328 8,758 95,050 69,580 25,470 社債差損金1,864軌道自動車9,781 18,320
1930 285,810 8,290 91,511 88,359 3,152 自動車2,005 雑損350 56,017 16,338
1931 193,975 9,593 66,039 54,905 11,134 自動車1,631 雑損1 56,397 27,199
1932 163,170 10,220 63,690 51,807 11,883 自動車958 雑損5,370 38,585 30,624
1933 192,991 20,103 82,575 51,797 30,778 自動車2,258 雑損29,885 36,839 33,986
1934 204,922 27,292 75,584 58,854 16,730 雑損16,523自動車366 33,735 34,349
1935 214,855 15,942 69,148 62,182 6,966 自動車92債務免除226 雑損6,453自動車8,089 31,997 30,135
1936 196,548 13,736 65,225 59,430 5,795 雑損償却金5,099自動車5,709 20,632 25,960
1937 241,862 10,119 65,254 61,516 3,738 雑損5020自動車5,747 19,089 23,334
1939 375,091 14,415
1941 614,482 9,698
1943 1,007,162 25,494
1945 1,089,777 14,153
1952 393,089 1,541 6,540,491 6,312950 227,636
1958 517千 940
  • 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道統計年報、私鉄統計年報各年度版
  • 1928年度は地方鉄道に変更したため軌道鉄道に重複計上

車両編集

開業にあたりアメリカのミルウォーキ製ガソリン機関車3両を導入する。同じ1922年に開業した五城目軌道札幌軌道と共に一般営業[24]で最初にガソリン機関車を使用した軌道となった[25]。しかし馬力がなく、チェーン切断、ギヤ切損のトラブルが続き、開業2年後に蒸気機関車を購入した。

ナローゲージの軽便鉄道としては比較的建築限界は大きく取られており、客車は当初より2軸ボギー車だった。他の762ミリメートル軌間で建設された軽便鉄道の仙南温泉軌道で導入されたが建築限界をクリアできなかった気動車を買い取ったこともある。動力もガソリン機関車を当初より採用し、後にこれの出力不足と戦時下のガソリン統制から蒸気も併用したが、戦後すぐにディーゼル機関車の導入を再開している。また戦後、この種の軽便鉄道によくあった客車の気動車化や2軸単車の新製気動車を導入したが、よく見られた単端式ではなく、両運転台式を採用するなど、車両技術面では意欲的な面があった。

機関車

客車

気動車

仙南温泉軌道より木製鋼張ボギー車1両を購入。自社の木製ボギー客車にエンジンを載せた改造車2両、丸山車両製の半鋼製2軸車1両。合計4両がすべて。

車両数の変遷編集

年度 機関車 内燃動車 客車 貨車
ガソリン 蒸気 有蓋 無蓋
1922-1924 3 5 6 6
1925 1 3 5 6 11
1926 1 4 9 5 9
1927 1 5 10 5 9
1928 1 4 14 8 13
1928-1929 6 14 8 13
1930 5 10 8 13
1931-1932 1 5 10 8 13
1933 5 1 11 9 20
1934 5 2 10 9 24
1935-1937 5 3 9 9 24
1946 - 8 2 13 13 34
1948 - 10 2 13 13 20
1950 - 9 2 9 9 39
1953 1 1 2 2 2 2
1957 1 0 2 2 2 3
  • 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版、『軽便追想』、212頁

仙台鉄道唱歌編集

鉄道唱歌替え歌で、当時の機関士が歌っていたもの[26]

  1. 仙台あとに颯爽と
    仙中線はB6の
    汽笛の音もかるやかに
    走る姿はがたがたよ
  2. 七北田すぎて野は緑
    松風吹くや大沢の
    みどりの丘の野をこえて
    富谷、志戸田と吉岡へ

黒川郡の鉄軌道構想編集

県が指定する広域行政推進地域である「広域仙台都市圏」は、旧に当てはめると黒川郡宮城郡名取郡亘理郡の4郡の全域にあたるが、1950年(昭和25年)に黒川郡内の仙台鉄道が休止(そのまま復旧せずに廃止)されて以降、広域仙台都市圏では黒川郡のみ軌道が通っていない状態が続いている。

1992年(平成4年)7月15日仙台市地下鉄南北線が泉区(1990年(平成2年)国勢調査人口:15万6356人[27])の泉中央駅へ1駅延伸したが、仙台市はさらに黒川郡との境に近い泉区泉ヶ丘まで延伸するかどうかの調査を同年度から開始した[28]。すると、仙台北部中核テクノポリス圏域である黒川郡4町村(1990年(平成2年)国勢調査人口:5万9736人[27])の首長および議長で組織する「緑の未来産業都市くろかわ建設推進協議会[29]」も、1993年(平成5年)度および1994年(平成6年)度に『「緑の未来産業都市くろかわ」新交通システム事業化計画調査』を行い[30]、かつての仙台鉄道に並走するように泉中央駅から北上して仙台北部中核工業団地[31]に至り、そこから東に向かって大郷町を経由し、さらに南下して宮城郡利府町(1990年(平成2年)国勢調査人口:1万6321人[27])のJR利府線利府駅に接続する約40kmを調査・検討した[32][33]。しかし、開業目標の2020年(平成32年)に黒川郡の人口が13万8559人まで増加すると仮定しても、最も人口が集中する富谷町(現・富谷市)の区間でさえ採算がとれないとのことで、延伸構想は棚上げされた[32][33]

2002年(平成14年)2月、黒川郡4町村が2025年(平成37年)には20万9873人まで人口が増加するとの仮定の上で、軌道を中心とした郡内の公共交通機関の将来像の報告書を公表した[32][33][34][35]。「報告書」では、最も実現性が高いとされた泉中央-泉ヶ丘-大衡の建設費が、地下鉄南北線延伸で530億円、ライトレール (LRT) 新設で468億円であり、これに大郷町や利府町(2000年(平成12年)国勢調査人口:2万9848人[27])を何らかの形でつないで循環するとした[35]。しかし、仙台市が1999年(平成11年)に「アクセス30分構想[36]」を策定し、郊外への人口集中地区 (DID) 拡大よりも都心回帰や市内の軌道沿線に人口が張り付くコンパクトシティを志向するようになり、仙台市地下鉄東西線新設とオムニバスタウン推進に傾注(参照)する中、地下鉄南北線延伸には消極的となって構想は前進しなかった[32][33]

仙台北部中核工業団地やその周辺では、2007年(平成19年)にセントラル自動車(現・トヨタ自動車東日本)が進出を表明すると、関連企業や電子機械工業の進出が次々発表された。すると黒川郡および周辺では、仙台都市圏環状自動車専用道路(ぐるっ都・仙台)の整備や、大衡ICおよび三本木PAスマートICの新設、国道4号富谷大和拡幅[37]県道大衡仙台線などの幹線道路整備が進んだ。また、富谷町が人口増により「市制検討プロジェクトチーム」を発足させた。このような経済活性化を背景に、2009年(平成21年)5月25日に開催された「緑の未来産業都市くろかわ建設推進協議会」の同年度総会で、企業の従業員の足を確保するためとして、2002年(平成14年)公表の「報告書」で示された構想の推進を各首長などが求めた[35]。しかし、宮城県も仙台市も費用対効果を疑問視して、同構想の推進に否定的な立場を崩さなかった[35]2015年(平成27年)2月8日投開票の富谷町長選挙において、泉中央駅から富谷町までのLRT設置を公約に掲げた若生裕俊が当選したが、この公約は仙台市との具体的な話し合いに基づくものではない[38][39]。なお、富谷町が2016年(平成28年)10月10日に市制施行して成立した富谷市は、宮城県内で鉄軌道線が通っていない唯一のとなっている。

黒川郡の国勢調査人口変遷[40]と目標人口[34](単位:人)
国勢調査(推計人口) 目標人口 備考
富谷市 大和町 大衡村 大郷町
1920年(大正9年) 3,645 12,960 2,912 8,225 27,742 仙台軌道運行開始期
1955年(昭和30年) 5,143 19,825 6,754 13,140 44,862 郡内の仙台鉄道廃止年
1970年(昭和45年) 4,912 18,028 5,028 10,072 38,040 黒川郡の戦後最小人口
1990年(平成2年) 24,611 18,814 5,885 10,426 59,736 バブル景気
1995年(平成7年) 30,224 22,856 6,028 10,220 69,328
2000年(平成12年) 35,909 24,410 5,992 9,768 76,079 「報告書」作成期
2005年(平成17年) 41,593 24,509 5,607 9,424 81,133 109,308
2010年(平成22年) 47,042 24,894 5,334 8,927 86,197 138,316
2015年(平成27年) 51,591 28,244 5,703 8,370 93,908 167,465 直近の国勢調査実施年
2018年10月1日 51,911 28,544 5,831 8,005 94,291 直近の推計人口
2020年(平成32年) 193,425
2025年(平成37年) 209,873
  • 現在の自治体名称および区域で人口変遷を書いた。自治体の旧称および区域変遷は該当記事参照。
  • 「目標人口」は2002年(平成14年)公表の緑の未来産業都市くろかわ建設推進協議会の報告書に拠る。
  • 黒川郡の直近のデータ:人口94,291人、面積417km²、人口密度226人/km²。(2018年10月1日、推計人口
  • 仙台市の人口変遷は、「仙台都市圏#広域行政推進地域」参照。

脚注編集

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注釈編集

出典編集

  1. ^ 殖産興業政策と野蒜築港日本貿易振興機構アジア経済研究所
  2. ^ a b 仙台鉄道[リンク切れ](仙台市中央市民センター「はっけん七北田[リンク切れ]」)
  3. ^ 『吉岡町史稿本』294頁。
  4. ^ 『大和町史』560-562頁。
  5. ^ a b 『大和町史』562-563頁。
  6. ^ a b 『吉岡町史稿本』296頁。
  7. ^ a b c 『中新田町史』246-250頁。
  8. ^ 通町駅の表記および読みに揺れがある。
  9. ^ 『仙台市史』通史編7(近代2)317頁。
  10. ^ 『仙台市史』通史編8(現代1)225-226頁。
  11. ^ 大正8年度には動力蒸気に変更『鉄道院鉄道統計資料. 大正8年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1918年9月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第29回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1922年2月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 今尾 (2008)
  17. ^ a b c d e f g h i j k 和久田 (1993)
  18. ^ 和久田『私鉄史ハンドブック』正誤表では七北田 - 富谷
  19. ^ 「軌道一部特許失効」『官報』1926年3月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 「軌道ヲ地方鉄道ニ変更許可」『官報』1926年5月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 和久田『私鉄史ハンドブック』正誤表では1937年4月26日短縮許可
  22. ^ 「運輸省告示第36号」『官報』1951年3月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ 活動報告宮城大学
  24. ^ 火気厳禁の鉱山鉄道で使用していた
  25. ^ 名取紀之『森製作所の機関車たち』ネコパブリッシング、2000年、8-9頁
  26. ^ 「宮城交通創立10周年記念乗車券 シリーズIV仙台鉄道」
  27. ^ a b c d 宮城県市町村別推計人口(月報)(宮城県)
  28. ^ 仙台市議会 … 1992年(平成4年)3月2日 1992年(平成4年)第1回定例会(第4日目)の 7:◯市長(石井亨)の発言より。
  29. ^ 緑の未来産業都市くろかわ建設推進協議会
  30. ^ 協議会の活動(緑の未来産業都市くろかわ建設推進協議会)
  31. ^ 仙台北部中核工業団地群(宮城県)
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  37. ^ 富谷大和拡幅国土交通省東北地方整備局仙台工事事務所)
  38. ^ 「地下鉄延長」実現できるの? 富谷町長の公約めぐり質疑[リンク切れ]
  39. ^ 市長記者会見(平成26年度)> 発表項目以外の質疑応答の概要(仙台市 2015年3月10日)
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参考文献編集

  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』2 東北、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790020-3
  • 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、33、35頁。
  • 私鉄史ハンドブック 正誤表』(pdf)、2010年2月。
  • 『大和町史』 大和町(宮城県)、1977年。
  • 吉田勝吉(編著) 『吉岡町史稿本』 大和町(宮城県)、1990年。
  • 中新田町史編さん委員会 『中新田町史』 中新田町、1999年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編7(近代2) 仙台市、2009年。
  • 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編8(現代1) 仙台市、2011年。

関連項目編集

外部リンク編集