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内廷皇族(ないていこうぞく)とは、独立した宮家を持たない宮廷内部の皇族を指す語である。具体的には三后皇后皇太后太皇太后)・皇太子皇太子妃とその家族や未婚の皇子女、および天皇退位特例法における上皇上皇后を指す。天皇を含めて彼らが営む独立の生計を「内廷」と称することから、天皇を除いた内廷の構成員たる皇族を「内廷皇族」と呼ぶ。宮内庁では、正式には「内廷にある皇族」と呼んでおり「内廷皇族」は略称である。

内廷費編集

皇室経済法第四条
内廷費は、天皇並びに皇后、太皇太后、皇太后、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃及び内廷にあるその他の皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるものとし、別に法律で定める定額を、毎年支出するものとする。

現在の構成編集

読み 性別 生年月日 現年齢 今上天皇から
見た続柄
皇位継承順位
雅子皇后 まさこ 女性 1963年(昭和38年)12月09日 055歳 妻(配偶者)
明仁上皇 あきひと 男性 1933年(昭和35年)12月23日 085歳 父(皇父)
美智子上皇后 みちこ 女性 1934年(昭和09年)10月20日 084歳
敬宮愛子内親王 あいこ 女性 2001年(平成13年)12月01日 017歳 第1皇女子

系図編集

 
 
 
明仁上皇
 
美智子上皇后
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第126代天皇徳仁
 
雅子皇后
 
秋篠宮
文仁親王
 
黒田清子
(紀宮)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬宮
愛子内親王

内廷皇族の身位編集

  • 皇后」は夫たる天皇が崩御すると「皇太后」となり、さらにその皇太后は次代の天皇も崩御すると「太皇太后」となり終生、内廷皇族に留まる。また、離婚によって皇籍を離れることはできない。
  • 皇太子、およびその直系卑属にあたる最長男子たる親王・天皇より3親等以遠の直系卑属にあたる最長男子たる(皇太孫)」は、即位するまで内廷皇族の身分に留まる。皇太孫で、王は皇位継承に伴い直系尊属の天皇より3親等以内に入ると親王に身位が変更され、親王は父である皇太子が即位するとともに皇太子となり独立の生計・組織を有するようになるが、何も身分上は内廷皇族のままである。また、皇籍を離れることはできない。
  • 「天皇の弟・皇太子以外の天皇の男子・皇太孫以外の孫男子たる親王、および天皇より3親等以遠で皇太孫以外の孫男子たる王」は、誕生から独立して宮家を興すまで、内廷皇族の身分に留まる。
  • 皇太子妃」は皇太子との婚姻によって内廷皇族に加わる。夫たる皇太子との離婚もしくは薨去を受けての皇室会議の決定によって皇族の身分を離れない限り、内廷皇族の身分に留まる。
  • 内親王(親王の同様の女子)」および「女王(王の同様の女子)」は皇位継承資格・宮家を創設する資格ともにないため、内廷外の男性皇族との結婚又は降嫁親王妃王妃となる場合も含む)しない限り内廷皇族の身分に留まる。ただし内親王が長期間、内廷皇族の身分に留まる例はごく少ない。

内廷皇族の変遷編集

昭和 平成 令和
内廷皇族 19 25 26 27 34 35 39 40 44 64 02 05 12 13 17 01
貞明皇后
昭和天皇
香淳皇后
孝宮 和子内親王
順宮 厚子内親王
明仁(上皇)
義宮 正仁親王
清宮 貴子内親王
上皇后美智子
徳仁今上天皇
礼宮 文仁親王
紀宮 清子内親王
皇后雅子
敬宮 愛子内親王
総人数 7 6 5 4 5 6 5 4 5 6 5 4 5 4 5 4 4

内廷皇族の歴史編集

昭和時代前期編集

 
昭和16年の天皇一家。ここに写っているうち、天皇を除く全員が内廷皇族に該当する。

昭和天皇の母である貞明皇后、皇后良子(香淳皇后)と所生の皇子女たる照宮成子内親王久宮祐子内親王孝宮和子内親王順宮厚子内親王皇太子明仁親王義宮正仁親王清宮貴子内親王が内廷皇族であった。成子内親王は1943年(昭和18年)10月13日東久邇宮盛厚王との婚姻により、内廷皇族から内廷外皇族に移った(後に東久邇宮家の臣籍降下により皇族の身分を離れる)。

昭和時代後期編集

昭和天皇の内廷は大きく変化した。1950年(昭和25年)5月21日孝宮和子内親王が鷹司平通との婚姻により、皇族の身分を離れた。1951年(昭和26年)5月17日には貞明皇后が崩御した。 1952年(昭和27年)10月10日順宮厚子内親王が池田隆政との婚姻により、内廷皇族及び皇族の身分を離れ、一方で1959年(昭和34年)4月10日には正田美智子が皇太子明仁親王との婚姻により内廷皇族に加わり、1960年(昭和35年)2月23日浩宮徳仁親王が明仁親王第一男子として出生した。同年3月10日清宮貴子内親王が島津久永との婚姻により皇族の身分を離れた。1964年(昭和39年)9月30日には義宮正仁親王が津軽華子と結婚し常陸宮を興し独立する。翌1965年(昭和40年)11月30日には第二男子礼宮文仁親王が、1969年(昭和44年)4月18日には第一女子紀宮清子内親王が誕生、内廷皇族に加わった。

平成時代〈20世紀(1989年1月7日 - 2000年) 〉編集

1989年(昭和64年)1月7日、皇太子明仁親王は皇位継承に伴い、内廷皇族ではなくなった。この時点においては明仁の母である皇太后良子(香淳皇后)、皇后美智子、皇太子徳仁親王、礼宮文仁親王、紀宮清子内親王が内廷皇族であったが、1990年平成2年)6月29日に文仁親王が川嶋紀子との結婚により秋篠宮を創設し独立、1993年(平成5年)6月9日には小和田雅子が皇太子徳仁親王との婚姻により内廷皇族に加わり、2000年(平成12年)6月17日には皇太后良子が崩御に伴い内廷皇族から外れた。

平成時代〈21世紀(2001年 - 2019年4月30日)〉編集

2001年(平成13年)12月1日に敬宮愛子内親王が徳仁親王第一女子として誕生し内廷皇族に加わり、2005年(平成17年)11月15日には紀宮清子内親王が黒田慶樹との婚姻により皇族の身分を離れた。

令和時代編集

2019年(令和元年)5月1日、皇太子徳仁親王は皇位継承に伴い、内廷皇族ではなくなった。一方で前日(平成31年4月30日)まで天皇であった明仁は退位に伴い上皇となり、約30年ぶりに内廷皇族に復帰した(元内廷皇族が再び内廷皇族に復帰するのは現皇室典範では初)。また、内廷皇族から、皇太子のみならず皇位継承権を有する皇族男子も、現皇室典範の下では初めて不在となった。なお、皇后となった雅子、上皇后となった美智子は引き続き内廷皇族のままである。

関連項目編集