国際モータースポーツ協会

国際モータースポーツ協会: International Motor Sports Association)は、フロリダ州デイトナビーチに拠点を置く、米国自動車レース統括団体である。略称はIMSA(イムサ)。

国際モータースポーツ協会
International Motor Sports Association logo (2014-present).svg
The cars of the 2022 24 Hours of Daytona.jpg
2022年 デイトナ24時間レース
スポーツ スポーツカーレース
管轄地域 北米
略称 IMSA(イムサ)
創立 1969年 (53年前) (1969)
所属 ACCUS-FIA
本部所在地 フロリダ州デイトナビーチ
公式サイト
www.imsa.com
アメリカ合衆国の旗
カナダの旗

概要編集

SCCA(スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカ[1])の元常務取締役であったジョン・ビショップ[2]と彼の妻ペギー・ビショップ[3]によって、NASCARビル・フランス・シニア[4]の援助を受けて、1969年に創設された[5]

デイトナ24時間セブリング12時間をメインに据えるプロトタイプカーレースを長年主催し、アメリカの耐久レース文化を守ってきた。現在IMSAは、ユナイテッド・スポーツカー選手権を運営し、NASCARが会社の一部門として所有している[6]。またミシュラン・パイロットチャレンジ英語版IMSA・プロトタイプチャレンジ英語版のようなエントリーカテゴリなども開催している。

歴史編集

IMSA GT選手権編集

 
1969年から2013年まで使用された、IMSAのロゴ

IMSA GT選手権が発足した1971年は6戦が行われた。当初の車両規定は国際自動車連盟(FIA)で規定されていたグループ2およびグループ4同様のものであったが、やがて・GTO(排気量2.5L以上のエンジンを搭載したグランドツーリングタイプの車、文字のOの 「2.5L以上」の意味)[7]。・GTU(排気量2.5L以下のエンジンを搭載したグランドツーリングタイプの車。文字Uは「2.5L未満」の意味)・TO・TUの4つに分割された。

最初のチャンピオンは、ポルシェ・914/6 GTUのピーター・H・グレッグハーレイ・ヘイウッドだった。IMSAの初期は、ポルシェ・911 カレラRSRシボレー・コルベットが勝利することがほとんどであった。翌年キャメルが冠スポンサーとなり、シリーズは「キャメルGT」と呼ばれるようになった。

1975年に、GTOでポルシェの優位を打破するために「AAGT」(オール・アメリカン・グランドツーリング)と呼ばれる新しいカテゴリを導入した。

ターボチャージャーは、1977年の中頃までは認可されていなかったが、アル・ホルバートの優勝車であり、2つのタイトルをもたらしたシボレー・モンツァの検査の後、ポルシェのモータースポーツ部門の抗議により、認可されることとなった。1977年以前からポルシェを使用していたプライベーターは、時代遅れの911カレラRSR3.0で間に合わせなければならず、時には辛うじて勝利することもあったが、他のAAGT出場車との間で苦戦を強いられることとなった[8]

ターボ認可の結果、1978年から「GTX」(グランドツーリング・エクスペリメンタル:FIAの定めるグループ5を基にしたもの)として知られている新しい最上位のクラスはポルシェ・935が絶対的な優勢となった。その為主催者側はツインターボを禁止した。

勝利を経験したメーカーは他にマツダがある。マツダ・RX-2RX-3により幾度か成功した後に、RX-7デイトナ24時間レースで1982年から93年まで12年連続でGTUクラス優勝を飾り、1980年から1987年までGTUクラス(GTU:グランドツーリング・2リッター以下クラス)でマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。RX-7は、IMSAレースにおいて他のモデルの車よりも多く勝ち続け、1990年9月2日に100勝目を挙げ、1995年までにIMSA合計117勝という輝かしい戦績を残した[9]

また、トヨタガーニーフラップの考案者であるダン・ガーニーオール・アメリカン・レーサーズとジョイントし、1987年にセリカでGTOクラスのタイトルを獲得した。

GTPクラス編集

 
GTPのデカール (1986-1993)

1981年には、新しいプロトタイプカテゴリー、「GTP」が登場した。この車は世界耐久選手権(WEC)で導入された新しいグループC規定と類似したものであるが、2つのカテゴリの主な違いは、燃料使用総量が規制されたグループCと異なり、GTPは燃費について規制が無かったことである。レーシングドライバーのデレック・ベルは「レースファンはエコランを見に来ているのではない」と強調した[10]。他にも、GTPはガソリンタンク容量が20リッター多い120リッターであったことや、ツインターボが禁止されていたことなどがグループC(C1)と異なる。

1984年にはポルシェ・962が導入され、1985年から1987年までシリーズを支配した。この当時のIMSA-GTPシリーズには、ポルシェのほか、ザクスピード製作のフォード・プローブGTP、グループ44製作のジャガー・XJR-7、マーチ製作のBMW-GTPローラ製作のコルベットGTP(T610)、日産・GTP(T810)が参戦し、世界耐久選手権を上回る盛況を誇った。

1988年、WSPCを制覇したTWRジャガーが参戦、IMSA-GTPは益々激戦となる。しかしポルシェに代わり王座に就いたのは、エレクトラモーティブが走らせる日産・GTP ZX-Tであった。IMSA新記録の8連勝を含む参戦12戦中9勝の圧倒的強さで、ジェフ・ブラバムがドライバーズタイトルを獲得する。しかしクラシック耐久のデイトナ24時間セブリング12時間への欠場、および台数のハンデのため、メイクス部門はポルシェにタイトルを死守される。

しかし翌1989年以降3年間はジャガー、ポルシェ、トヨタからの追撃をかわし、日産がシリーズを両部門とも制覇する。

一方でトヨタは1991年終盤にイーグル・MkIIIを投入。このマシンは高い戦闘力を発揮して1992年にダブルタイトルを獲得、1993年にはデイトナ含め、出場したレース全勝でタイトルを連覇した。しかし1991年にFIAスポーツカー世界選手権F1振興を目的に軽量シャシー(ハイコストなカーボン前提)に3.5L NAエンジン化(F1参画前提)を発表、これがコストはもちろん、各メーカーのアイデンティティの象徴である自社製エンジンが使えない、ということで他のメーカー次々に撤退。もちろんIMSAにも飛び火し、1993年でGTPクラスは終焉を迎えた。

WSCクラス編集

コストの上昇とメーカー系ワークス・チームの離脱により、シリーズへの出場チームが減少したのに伴い、IMSAは1993年にWSC(ワールド・スポーツカー)と呼ばれる新プロトタイプカテゴリーを導入し、翌年よりGTPクラスおよびGTPライトクラスのクローズドボディの車両を置き換えることとした。WSC用車両はオープントップ、フラットボトムの車両で、GTP用車両がレース専用に製作されたエンジンを搭載するのに対して、量産車用のエンジンをチューニングしたものを搭載した。その後、フェラーリ・333SPライリーアンドスコット・MkⅢオールズモビル/フォード)が、1995年から1998年終わりのIMSAの終焉まで、WSCクラスの主要なマシンとなった。

1987年にビショップは心臓手術が成功した後、自分の優先事項を再考し始めた。彼はIMSA セントピーターズバーグGPの所有者であるマイクコーンと、ジェフパーカーから連絡を受けた。

1989年1月、ビショップとフランスはシリーズをコーンとパーカーに売却し、ビショップは会長を辞職した。新しいオーナーは、IMSA本部をコネチカットからタンパベイに移転した。その後コーンとパーカーはシリーズをビジネスマンのチャールズ・スレーターに売却した。

1996年、チャールズ・スレーターは組織をロベルト・ミュラー(リーボックの元CEO)とウォール街の金融業者でインディカーのチームオーナーで、スカンディアWSCチームのオーナードライバーでもあったアンディ・エバンスに売却した。エバンスはIMSAから、プロフェッショナルスポーツカーレース(PSCR)に名称を変更した。[11]

1990年代のシリーズは複数の所有権が交錯した状況、およびPSCRへの改名と、変化に富んだものとなった。

アメリカン・ル・マン・シリーズ編集

1998年、ドン・パノスル・マン24時間レースの主催者であるフランス西部自動車クラブ(ACO)と提携し、自身の所有するロード・アトランタプチ・ル・マンを開催し、1998年のIMSA GT選手権の1戦として初開催のプチ・ルマンの成功させた。1998年限りでIMSA GT選手権は終了となり、翌年から新シリーズの、アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)が開催された。ACOは、創設者のドン・パノスにル・マンの名前をライセンス供与し、ル・マンのレギュレーションに沿った車両によるシリーズを創設した。チームオーナーと経営陣からの多大な重圧を受けていたアンディ・エバンスは、PSCRを2001年にドン・パノスに売却した。[11]これにより1999年以来、PSCRによって認可されていたALMSを、パノスによる体制に固めた。パノスは組織名を再びIMSAに改名し、ALMS、スター・マツダシリーズ、パノス・GTプロシリーズの公式認可組織となった。ALMSはル・マン24時間レースに基づいた規制を使用しているが、2005年にパノス側とACOとの関係に問題が生じた。

ALMSとACOの間には関係開始以来いくつかの点において意見の相違が見られ、この紛糾もあってエントリー数が予想よりも少なくなってしまった。 これを受けてALMSは、エントリーを増加させるため、ACOの規則に適合しない車両が2005年シーズンに参戦することを、ACOの意向に反して決定した。これによりポルシェが元々プライベーター向けのカテゴリー設計だったLMP2クラスの有利さに気が付き、トップカテゴリーではなくLMP2(ポルシェ・RSスパイダー)で復帰し、総合優勝を争うマシンとして大活躍した。さらに2006年にはいくつかの新型のシャシーが参戦可能になることが告知されると、ALMSが再興するのではないかという楽観的なムードに包まれたが、結局それほど大きな効果はなく2010年を持ってポルシェはLMP2から撤退した。

グランダム・シリーズ編集

1998年からUSRRCという名でスポーツカー・クラブオブ・アメリカ(SCCA)の認可を受け、アメリカンスタイルのカーレースを維持したいと考えた競合するグループによって結成されたシリーズは、1999年で失敗に終わった。次にNASCARジム・フランスから全面的な支援を受けてグランド・アメリカン・ロードレーシング(グランダム)を設立、2000年から、ロレックス・スポーツカー・シリーズ(グランダム・シリーズ)を運営した。グランダムは初期のころは苦戦していたが、後に有名なドライバー、広大なフィールド、僅差での勝負、安価な参戦コスト、さらにはデイトナ24時間レースを擁しているなどの点から、ALMSに対する強力なライバルとして存続した。2003年導入当初のデイトナ・プロトタイプは規定上、醜いスタイルだったが改定され、コルベット・DPに代表されるアイデンティティのある美しいマシンに変貌した。またGTクラスでは北米マツダとジョイントしたスピードソースチームのRX-8が活躍。デイトナ24時間では2度のクラス優勝を勝ち取った。チャンプカーインディ・レーシング・リーグ(IRL)との分裂状態と同様に、このような分裂状態は観客数、スポンサー、マスコミの報道の劇的な減少を引き起こし、アメリカの耐久レース文化に大きな悪影響を及ぼした。

ユナイテッド・スポーツカー選手権編集

以後北米のスポーツカーレースシリーズは、ALMSとグランダム・シリーズという2つのシリーズが併存する状況が長く続いていたが、ドン・パノスジョージア州ブラゼルトンを拠点とするALMSをグランドダム・ロードレーシングに売却し、それをNASCARが直接所有し、ALMSとグランダム・シリーズの合併を支援した。2012年9月に両シリーズの主催者が2014年からシリーズを統合することで合意[12]2013年3月、「ユナイテッド・スポーツカー・レーシング」の発足を発表した[13]。同年9月には新名称が「ユナイテッド・スポーツカー・チャンピオンシップ」(以下USCC)となることが発表された[14]。IMSAはNASCARの子会社として新シリーズを主催する。

2014年はチュードル、2016年からはウェザーテック英語版がタイトルスポンサーとなっており、ユナイテッドを省いて【冠スポンサー】+スポーツカーチャンピオンシップと呼ぶのが一般的である。IMSAのLMP1とグランダムのGXクラスは廃止され、デイトナ・プロトタイプLMP2が混走するPクラスが頂点となり、IMSAのLMPC・GTクラスがそれぞれPC・GTLMクラス、IMSAのGTCとグランダムのGTが統合されGTDクラスとなった。

さらに合併に伴いドイツツーリングカー選手権(DTM)とも車両規定を統一することで合意、2015年または2016年にDTMスタイルのレースをUSCCと併催する形で開催する予定であると発表された。これにより予定されているこのレースにDTMや2014年に車両規定統合が決まっているSUPER GTのGT500クラスの車両が参戦できるようになり、最終的には3選手権のグローバル化が図られる見込みであったが、[15]のちにこれらは全て白紙撤回された。

2017年にPCクラスが廃止され、プロトタイプのPクラス(2019年よりLMP2クラスが分離)、LM-GTE車両のGTLMクラス、GT3車両のGTDクラスに分かれており、LMP2、GT-LMマシンはWEC/ル・マンと共通の車両で参戦することが可能になっているため、欧州からの有力チーム・ドライバーの参戦も増加している。またPクラスはデイトナ・プロトタイプが廃止され、従来のLMP2に加えて、LMP2のシャーシをベースにメーカーが改造を施すDPi(デイトナ・プロトタイプ・インターナショナル)規定が2017年に導入され、これにキャデラック日産マツダが参戦。またアキュラも2018年にDPiに参入し、隆盛の兆しを見せている。

2020年に独自のプロトタイプ規定である『LMDh』を発表した。IMSAとFIA・ACOの合意によりLMH(ル・マン・ハイパーカー)/LMDh規定のマシンがル・マン24時間レースデイトナ24時間レースなどに相互参戦することが認められている[16][17]

LMDhで2023年よりIMSAに、ポルシェ[18][19]アキュラ[20]BMW[21]キャデラック[22]が参戦を表明している。

2021年、IMSAは2022年シーズンの同シリーズにGTデイトナPro(GTD Pro)クラスを新たに導入することを発表した。FIA-GT3マシンで争われるこのクラスは、GTEカテゴリーでオールプロが基本となる現行のGTル・マン(GTLM)クラスを置き換えることになった[23]

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ : Sports Car Club of America
  2. ^ : John Bishop
  3. ^ : Peggy Bishop
  4. ^ : William France Sr.
  5. ^ IMSA At 50: Part One, Overview & The 1970s – dailysportscar.com”. www.dailysportscar.com. 2019年6月28日閲覧。
  6. ^ @bobpockrass (2019年10月20日). "@DrewPalmquist IMSA Holdings is a division of NASCAR" (ツイート). Twitterより2019年10月20日閲覧
  7. ^ IMSA blog: Do you want to know about GT racing in the 70s”. Alex62.typepad.com (2006年1月6日). 2011年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月23日閲覧。
  8. ^ 930 to 935: The Turbo Porsches, John Starkey, Renwick & Starkey Ltd. ISBN 0-9665094-1-2
  9. ^ マツダのルマン24時間レース優勝への長き道のり(その2)”. 車評オンライン(三樹書房). 2017年8月24日閲覧。
  10. ^ Prototypes: The History of the Imsa GTP Series
  11. ^ a b Smotherman, Mark (2007年6月24日). “Selected Sports Car Racing History:1997 shakeup in US”. 2008年1月21日閲覧。
  12. ^ ALMSとグランダムが統合。北米スポーツカー統一へ - オートスポーツ・2012年9月6日
  13. ^ 14年から『ユナイテッド・スポーツカー』誕生へ - オートスポーツ・2013年3月15日
  14. ^ USCRのタイトルスポンサーにチュードル決定 - オートスポーツ・2013年9月17日
  15. ^ DTM、グランダムと合意。北米でDTMレース開催へ,オートスポーツWeb,2013年3月27日
  16. ^ IMSAとWECがプロトタイプカーの新カテゴリー、LMDh導入を発表 - motorsport.com 2020年1月25日
  17. ^ IMSA&WEC:“LMDh”規則の詳細発表。ハイブリッドシステム供給メーカーも明らかに - オートスポーツ・2020年9月19日
  18. ^ ポルシェが2023年からLMDhプロトタイプで再びル・マン24時間レースに参戦へ、トヨタに強敵出現!【モータースポーツ】 - Webモーターマガジン・2020年12月17日
  19. ^ チーム・ペンスキーがポルシェ・ワークスとしてWEC&IMSAに参戦。2023年からLMDhで”. autosport web. 2021年5月5日閲覧。
  20. ^ アキュラが2023年からのLMDh参戦を正式に表明/IMSA”. autosport web. 2021年1月27日閲覧。
  21. ^ BMWが最高峰プロトタイプレース復帰を確認。2023年からLMDhプログラム開始へ”. autosport web. 2021年6月11日閲覧。
  22. ^ キャデラックが2023年から『LMDh-V.R』でLMDhカテゴリーに参入。IMSAとル・マンに参戦へ”. autosport web. 2021年8月25日閲覧。
  23. ^ 事実上崩壊のGTLMに代わり、GTD Proクラスが2022年に誕生/IMSA”. autosport web. 2021年1月29日閲覧。

外部リンク編集