オール・アメリカン・レーサーズ

アメリカ合衆国のレーシングチーム・コンストラクター

オール・アメリカン・レーサーズ: All American Racers)は、アメリカ合衆国のレーシングチーム・コンストラクター。略称はAARダン・ガーニーが設立し、F1チャンプカーを中心にレース活動を行ったほか、1980年代から1990年代前半にはトヨタのセミワークスとして活躍し、インディ500デイトナ24時間セブリング12時間を含む通算78レースに勝利した。

アングロ・アメリカン・レーサーズ
創設者 ダン・ガーニー
参戦年度 1966年 - 1969年
出走回数 25
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 1
通算獲得ポイント 17
表彰台(3位以内)回数 2
ポールポジション 0
ファステストラップ 2
F1デビュー戦 1966年ベルギーGP
初勝利 1967年ベルギーGP
最終勝利 1967年ベルギーGP
最終戦 1969年カナダGP
テンプレートを表示

F1にはアングロ・アメリカン・レーサーズとして1966年から1969年にかけて英国を本拠として参戦、イーグル: Eagle)と名付けた車両で戦った。25レースで延べ34台を出走させ、非選手権を含め2勝を挙げている。

製作した車両には「イーグル」の名前がつくことが多いのが特徴である。

2000年を最後にモータースポーツ活動は休止しているが、R&D業務を行う企業として存在しており、2012年のル・マン24時間レースに参戦したデルタウィングの製作にも携わっている。

歴史 編集

チーム発足 編集

チームは1964年にカリフォルニア州サンタアナにおいてダン・ガーニーが設立。彼がF1のブラバムチームで活動をする合間に、米国内でスポーツカーレースの活動を行うためのチームであった。同年、キャロル・シェルビーは自身のコブラスポーツカーにグッドイヤー社のタイヤを装着していたが、同社がインディアナポリスのレースでライバルのファイアストンに挑む体制を求めていたため、シェルビーはガーニーとグッドイヤー社を引き合わせた。契約は成立し、1966年向けのインディカー開発が始まった。ガーニーは1965年のインディ500を制覇したロータスのデザイナーであったレン・テリーを引き抜き、F1とインディカーの双方に使えるイーグル独自のシャシーを設計した。結果的に、米国内レース向けにはイーグル・T2G フォードとして、またF1向けにはイーグル・T1G クライマックスとして完成した。

F1 編集

 
USACチャンピオンシップ参戦車両のEagle T2G。サスペンションとエンジン規格以外はF1参戦車両のT1Gとほぼ同じ。

F1に出走するため、ガーニーは英国サセックスにアングロ・アメリカン・レーサーズ社を設立した。イーグル・クライマックスは1966年ベルギーGPでデビューし、その3週間後にはフランスGPで5位に入賞し初のポイントを獲得した。1967年にはリッチー・ギンサーがセカンドドライバーとして契約した[1]。また前年のクライマックス・エンジンに代わって、ガーニーのためにオーブリー・ウッズが設計しハリー・ウェスレイクが英国で製造した3リッターのウェスレイクV12エンジンが搭載された。同年6月のベルギーGPでガーニーは初勝利を記録した。これは1921年にジム・マーフィーが記録して以来の「オールアメリカン」の「F1」勝利であった。

イーグル・ウェスレイクは美しい車であると同時に、チタンや新合金を用いた実用的な車でもあった。惜しむらくは、ウェスレイク・エンジンが高出力ながら信頼性に乏しかった点である。エンジンの設計自体はよかったものの、ウェスレイクは英国海軍が第1次世界大戦で用いていた機械の放出品で製造していたのである。この旧式機械は各エンジンごとに部品の交換がきかないほど、出来上がりの寸法にばらつきを生じてしまう代物であったのだ。ガーニーの計画は1968年には予算が底をついていたが、米国ではボビー・アンサーを擁してインディ500の勝利や同年のインディカー選手権を勝ち取るなどうまくいっていたため、彼は米国に戻ってインディカーの計画に集中することにした。

インディカー・CART 編集

インディカーにはF1撤退後も継続して参戦し、1968年・1975年にアンサーのドライブでインディ500を制するなど、1986年に撤退するまで通算51勝を挙げている。また、AARが作成したシャーシのカスタマーチームが、インディ500で3度優勝を飾っている。1996年にはトヨタエンジンを搭載した独自シャシーでCARTに復帰したが、こちらはいいところなく1999年を最後に撤退している。

IMSA 編集

1985年より、トヨタとジョイントしIMSAのGTOクラスにセリカで参戦、1987年に同クラスで日本車初タイトルを獲得した。1989年からはプロトタイプレーシングカーによって争われる最高峰のGTPクラスに参戦を開始。当初は当時全盛期を迎えていた日産・GTP ZX-Tやその後継車である日産・NPT-90ジャガー・XJR-9らの前に苦戦を強いられるが、1991年末に投入したトヨタ・イーグルMkIIIの熟成が進むにつれ実力を発揮。1992年・1993年と連続してシリーズチャンピオンを獲得、デイトナ24時間レースセブリング12時間レースにも勝利する成功を収めた。

なお1990年のル・マン24時間レースにも「イーグル」を名乗る車が出場しているが、これは本チームとは全く関係のない車なので注意が必要である。

F1での全成績 編集

アングロ・アメリカン・レーサーズ 編集

(凡例) (斜体:ファステストラップ)

シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ポイント 順位
1966 イーグル・T1G クライマックス S4
ウェスレイク V12
G MON
 
BEL
 
FRA
 
GBR
 
NED
 
GER
 
ITA
 
USA
 
MEX
 
4 7位
  ダン・ガーニー Ret 5 Ret Ret 7 Ret Ret 5
  フィル・ヒル DNQ
  ボブ・ボードラン DSQ Ret
1967 イーグル・T1G ウェスレイク V12 G RSA
 
MON
 
NED
 
BEL
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
CAN
 
ITA
 
USA
 
MEX
 
13 7位
  ダン・ガーニー Ret Ret Ret 1 Ret Ret Ret 3 Ret Ret Ret
  リッチー・ギンサー DNQ
  ブルース・マクラーレン Ret Ret Ret
  ルドヴィコ・スカルフィオッティ Ret
1968 イーグル・T1G
マクラーレン・M7A
ウェスレイク V12
フォード V8
G RSA
 
ESP
 
MON
 
BEL
 
NED
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
ITA
 
CAN
 
USA
 
MEX
 
0* 12位
  ダン・ガーニー Ret Ret Ret Ret 9 Ret Ret 4 Ret

* 1968年アメリカグランプリではダン・ガーニーが4位に入賞したが、ポイントはマクラーレン・フォードとしてカウントされ、イーグル・ウェスレイクにはカウントされなかった。

ノンワークス・エントリー 編集

(凡例)

チーム シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
1967 カストロール・オイルズ Ltd. イーグル・T1G クライマックス S4 ? RSA
 
MON
 
NED
 
BEL
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
CAN
 
ITA
 
USA
 
MEX
 
  アル・ピーズ NC
1968 カストロール・オイルズ Ltd. イーグル・T1G クライマックス S4 ? RSA
 
ESP
 
MON
 
BEL
 
NED
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
ITA
 
CAN
 
USA
 
MEX
 
  アル・ピーズ DNS
1969 ジョン・マリオン イーグル・T1G クライマックス S4 ? RSA
 
ESP
 
MON
 
NED
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
ITA
 
CAN
 
USA
 
MEX
 
  アル・ピーズ DSQ

脚注 編集

  1. ^ しかし、移籍初戦のモナコGPで予選落ちした後に引退した。(林信次「F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]」(ニューズ出版)P.50)

関連項目 編集

外部リンク 編集