グループCは、自動車レースに使用するかつて存在したスポーツカーのカテゴリー。それまでの二座席レーシングカーの後継にあたるカテゴリーである。

グループCカー ポルシェ・956

1981年、国際自動車スポーツ連盟 (FISA) によって発表され、それまで1から8の数字によって形成されていたレギュレーション (国際スポーツ法典・付則J項) を改正し、1982年からAからEおよびNという6つのアルファベットへ簡略化されたものの1つである。

規定編集

このグループC規定でもっとも特徴的な部分は、レース距離に応じ総燃料使用量が規制されたことである。この規定によってこのカテゴリのレースには、速さを低燃費高効率で達成することが求められることとなった。

設置当初は排気量は無制限。全長4,800ミリメートル (mm) 以内、全幅2,000 mm以内。ボディはルーフの有無に関わらず左右一対のドアを持ち、実用性のある照明を備えることが要求されていた[1]。後にオープンカーであるならドアを不要としたヒルクライム用のクラスが追加された。

歴史編集

そもそもグループCの前身であるグループ6が成立したのは、1960年代に3,000 ccプロトタイプと5,000 ccスポーツの併存で争われていた国際マニュファクチュアラーズ選手権 (のち国際メーカー選手権) が、ポルシェ・917の出現によって事実上同車のワンメイクレースのようになり、競技として成立しなくなったことにあった。1972年、国際自動車連盟 (FIA) は生産台数制限なしの3,000 ccプロトタイプに限定するグループ6 (1972年から1975年まではグループ5) で競技を行なうことでポルシェ・917を締め出したが、これもポルシェ・936の独走状態になって、ファンの興味を引かなくなりつつあった[2]

またこれと併行するかたちで、1970年代後半にFIAの下部組織だったFISAのミーティング席上、石油ショックの中でレース活動を行う大義名分が欲しいという意見が多く出て、何らかの形で燃費を規定に盛り込む意見が多勢を占め、これにフィアットスクーデリア・フェラーリ以外は前向きな姿勢を見せ、結局1970年代のうちに燃費を規定に盛り込むこと自体は決まり、また排気量やエンジン形式を一切問わない、というところまで間もなく発展した。しかし単純に燃費を制限するとレースが本来持っている迫力を損ない、実験室的イベントになってしまうのではないかという懸念があり、どの程度燃費を制限するのかが大きな問題となった[3]

ポルシェ1981年のル・マン24時間レースポルシェ・936/81を投入した。搭載されていた新型エンジン935/76型は3,000 cc以下のグループ6で争われていた当時のル・マン24時間レースでは不利な2,650 ccだが、予選加圧600馬力以上を発揮し4,825.34キロメートルを走り優勝、この時の燃費1.8 km/LがグループCの燃費規定のガイドラインになった[3]

結局省資源を併せ持った速さを競い合う自動車文明最初のレースとして多くの賛同を受け1982年5月にグループCカー規定に基づくシリーズとして世界耐久選手権 (WEC) がスタートした[2]ル・マン24時間レースもこのシリーズに組み込まれたことから、ル・マン24時間レースの総合優勝もこのグループCカーによって争われることとなった。

コストの増加に伴い、FIAは1983年に新しいグループCジュニアクラスを導入した。これは個人チームと小規模メーカーを対象としており、車の最小重量は700キログラム (kg)、最大燃料容量は55リットルに制限されていた。競合他社は1000キロメートルの距離内で5回の給油停止に制限されていたため、自動車は1000キロメートル (km) あたり330リットル (L) を実質的に許可した。グループCと同様に、エンジンはグループAまたはグループBで公認された自動車を製造している認定メーカーのものである必要があった。Cジュニア車は通常2リットルのNAエンジンを使用すると予想されていたが、実際にはほとんどの車は3.5l BMW M1エンジンまたは新しい3.3l コスワースDFL、メインクラスと同様に、さまざまなソリューションが各メーカーによって採用された。小型軽量のターボを備えたアルバ、オースティンローバーを搭載したティガ、スパイス、エキュリーエコセス、そして後にコスワースを搭載した車は、このクラスで最も競争力のある車の1つだった。これらの車の低コストは、存続期間の短いイギリスのBRDC C2チャンピオンシップなどの全国選手権での使用の概念にもつながった。グループCジュニアは、1984年に正式にグループC2に名前が変更された。

年度によって車両細則は変更を受けている。

1982年
車両最低重量は800 kgで燃料タンク容量は100 L。レース距離によって燃料補給回数にも制限がつけられた。ル・マン24時間レースでは補給回数が25回以下[1]とされたため、スタート時の搭載燃料と合わせ、最大2,600リットルの燃料を使用することができた。1,000 kmレースと6時間レースでは補給回数5回だった[1]
1983年
グループCの小型クラスの「グループCジュニア」が新たに制定。最低車両重量700 kgで燃料タンク容量55 L。総燃料使用量は、グループCより少なく設定されている。その他の規定は、グループCと同じ車両規定である。ル・マン24時間レースでは、補給回数25回以下とされたため、スタート時の搭載燃料と合わせ、最大1,430 Lの燃料を使用することができた。
1984年
「グループCジュニア」の名称が「グループC2」に変更。この変更に伴い昨年までの「グループC」は「グループC1」に名称変更となり最低車両重量が850 kgに変更。C1・C2クラスともに燃料補給回数の規制は撤廃され総燃料使用量のみとなり、燃料を有効に活用できるようになった。
1985年
C1の総燃料使用量が削減され燃費規制が強化。ル・マン24時間レースでは2,600 Lから2,210 Lに変更された。選手権対象がメーカーから参戦チームに変更された。
1986年
シリーズに耐久レースだけでなく短距離レースも加え、シリーズ名称を世界耐久選手権 (WEC) から世界スポーツプロトタイプカー選手権 (WSPC) と改称され、多くの自動車メーカーがワークス参戦し大きな盛り上がりを見せた。ル・マン24時間レースでの総燃料使用量が変更され、C1は2,550 L、C2は1,650 Lとなった。
1988年
リアディフューザーの地上高が280 mmに制限された[4]
1989年
唯一国際ヒルクライムに「グループ6」として残置されていた二座席レーシングカーの代替としてC3が追加された。エンジン排気量1リットル以下で車両最低重量500キログラムのクラスから、2.5リットル以下で640キログラムのクラスまで5クラスに分かれていた。レース距離を480 kmに統一。チームに全戦参加義務が課された。C1の最低重量が900 kgに引き上げられた。ル・マン24時間レースは選手権から外れた。
1990年
C2が廃止された。ル・マン24時間レースは選手権から外れた。
1991年
WSPCがスポーツカー世界選手権 (SWC) と改称され、それとともにレギュレーションが変わり、エンジンが当時のF1と同じ排気量3,500 ccの自然吸気エンジンのみとなった (ただし1991年に限っては、旧規定下で作られたマシンも重量ハンディなどを受けた上で参戦が認められた)。これはのちのFIAの会長となるマックス・モズレーらが「F1とエンジンレギュレーションを共通化することで、グループCに参戦する自動車メーカーがF1にエンジンを供給しやすくなり、双方のカテゴリーの活性化につながる」と目論んだことによる。しかし、この共通化はマシン製作費の高騰を招き、旧WSPCに参戦していた多くの自動車メーカーの撤退を招くこととなった。このためSWCは1992年限りで廃止された。
1993年
C1が廃止され、替わってグループCにグループBのコクピット要素を採り入れたグループGT (後のグループGT1) と、C3よりも低コストのグループCNが導入された。
1999年
最後のグループCであったC3が廃止された。

日本では1983年全日本耐久選手権としてグループCによるシリーズ戦がスタート。後に全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 (JSPC) と改称し、WSPCがSWCに改称した後も旧グループC規定に基づく燃費規制レギュレーションによるレースが行われていたが、バブル景気の崩壊に伴う自動車メーカーの経営状態の悪化などを背景に、SWCと同様に1992年限りでシリーズが終了した。

代表的なグループCカテゴリーのマシン編集

ジャガー編集

ランチア編集

マツダ編集

メルセデス・ベンツ編集

日産編集

プジョー編集

ポルシェ編集

トヨタ編集

 
モータースポーツジャパン2008に展示された童夢85C

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 黒井尚志 1992, p. 33.
  2. ^ a b 学研 2007, p. 52.
  3. ^ a b 学研 2007, p. 18.
  4. ^ 学研 2007, p. 19.

参考文献編集

  • 黒井尚志『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』集英社、1992年。ISBN 4-08-780158-6
  • 『Gr.Cとル・マン』学研、2007年。ISBN 978-4-05-604601-4

関連項目編集