川端健嗣

日本のアナウンサー

川端 健嗣(かわばた けんじ、1962年(昭和37年)2月21日 - )は、フジテレビ秘書室役員待遇会長秘書チーフで、元同局アナウンサー。 既婚。

かわばた けんじ
川端 健嗣
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 東京都中央区
生年月日 (1962-02-21) 1962年2月21日(62歳)
血液型 AB型
最終学歴 立教大学経済学部経営学科
勤務局 フジテレビ
部署 秘書室
職歴 フジテレビ編成制作局アナウンス室デスク統括担当部長
BSフジ広報局専任局長
フジテレビ秘書室社長秘書役
活動期間 1984年 - 2013年(アナウンサーとして)
ジャンル 報道・情報・バラエティなど
配偶者 既婚
公式サイト フジテレビ
出演番組・活動
出演経歴3時のあなた
なるほど!ザ・ワールド
おはよう!ナイスデイ
FNNスピーク
ニュースJAPAN
人志松本のすべらない話 ザ・ゴールデン
FNS歌謡祭
SMAP×SMAP
BSフジ『大使館の食卓』
BSフジ『原宿ブックカフェ』
BSフジ『アスリートのチカラ』
BSフジ『木梨目線!憲sunのHAWAII』他

来歴・人物 編集

東京都中央区銀座出身。立教小学校立教中学校(現・立教池袋中学校)、立教高等学校(現・立教新座高等学校)、立教大学経済学部経営学科卒業。大学時代、東京六大学の学生が様々な拷問に耐えることを競う番組『ザ・ガマン』(フジテレビ)に出演し、ロタ島オオトカゲと対決したこともある。大学卒業後の1984年、アナウンサーとしてフジテレビに入社。同期入社のアナウンサーに、吉崎典子寺田理恵子三竹映子などがいる。アルペンスキー・ワールドカップ実況を担当するなど、スポーツ中継担当経験もある。

2000年4月から2001年8月までニューヨーク支局特派員としてニューヨークに赴任した。後輩アナウンサーの福原直英にバトンタッチしたが、2007年に同じくニューヨーク支局勤務だった野島卓が帰国し、後任の佐野瑞樹が就任するまでの間代理を務めるなどしていた。そして2012年、同じくニューヨーク支局勤務だった長谷川豊が自身の不祥事発覚に伴い、本社召還措置を受けたため、次の後任が決まるまで(2年後輩の阿部知代)の間、2度目の代理を務めた[1]

フジテレビを代表する番組の司会進行をジャンル問わず先輩アナウンサーから多く引き継いでいることが多く、1994年に、前年に逝去した逸見政孝の後任としてバラエティ番組正月特番『タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ』の司会、2002年春から2006年秋まで、堺正幸の後任として報道番組『FNNスピーク』の平日メインキャスター、1996年 - 2004年まで、露木茂の後任として音楽番組特番『FNS歌謡祭』の総合司会を楠田枝里子とともに9年連続で務めた(ニューヨーク赴任中の2000年も、一時帰国して担当)。2005年以降も2011年まで進行役として引き続き出演した。

ニューヨーク勤務を終え帰国後、2001年12月に9歳年下の女性と結婚。疑惑を払拭するため、同年の『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』のスタジオに駆けつけ、司会の明石家さんまと後輩にあたる八木亜希子に証人になってもらった。

3年後の2004年、盲腸で入院していた病床から『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』に電話出演。偶然にも自動車を当ててしまったが、社員であるため辞退した。

2007年3月2日、兄弟会社であるニッポン放送の『森永卓郎と垣花正の朝はニッポン一番ノリ!』で、垣花正の代役としてパーソナリティを担当した。その年末に『メダマ!?ラジオ』のパーソナリティーとして、ニッポン放送の増田みのりアナと2ヶ月間毎週出演した。さらに2010年10月からの1年半にわたり『開局!フジテレビラジオ』(→ 『ザ・フジテレビラジオ』)にも出演した。ちなみにかつての同僚・近藤サトがパーソナリティーを務めていたTBSラジオラ・ラ・ラ♪日ようび』にゲスト出演した事がある。

アナウンサー時代後半は管理職業務に専念しており、フジ系列アナウンス用語統一部会の委員、新聞用語懇談会の委員なども務めていた。ナレーションの仕事が多いが、『大使館の食卓』(BS)はレギュラーで出演、また『SMAP×SMAPスペシャル』『人志松本のすべらない話 ザ・ゴールデン』などのバラエティーの特番などで顔出しがあった。

2013年6月27日付でBSフジ広報局専任局長に異動となった[2]。ただし、BSフジの番組でも『原宿ブックカフェ』や『Lafesta Mille Miglia』で司会やリポート、また数々の特番でナレーターを務めた。

フジテレビの番組では、BSフジへの異動直後の2013年8月3日・4日に放送された『FNS27時間テレビ 女子力全開2013 乙女の笑顔が明日をつくる!!』において、3日未明(4日早朝)の「さんま・中居の今夜も眠れない」へ特別に出演。「BSフジ広報局専任局長」の肩書で、「スーパーイリュージョン能」(ビートたけし扮する「牛田ノウ」・岡村隆史扮する「小牛田隆史」による能楽コント)の中継リポーターを務めた。また、2014年6月14日に放送された『コサキン・天海の超発掘!ものまねバラエティー マネもの』内のドラマコーナー「クローンセブン」では、ナレーターを担当している。

2017年7月1日付の人事異動で、BSフジ社長からフジテレビ社長に就任する宮内正喜と共にフジテレビに帰任し、秘書室社長秘書役[3]となったが、BSフジ『Lafesta Mille Miglia』の司会、リポートや『木梨目線!憲sunのHAWAII』のナレーターを務めている。2022年2月限りで定年を迎える予定だが、定年後の任期延長は決まっているという[4]

過去の出演番組 編集

フジテレビアナウンサー時代(報道・情報番組)

期間 番組名 役職 備考
1985年4月 1986年3月 FNNモーニングワイド ニュース&スポーツ コーナーキャスター
1988年3月 3時のあなた 木・金曜日サブ司会
1986年3月 FNNスーパータイム 週末スポーツキャスター
1986年4月 1987年3月 FNNモーニングコール 総合司会
1987年4月 1987年9月 アシスタント
1990年4月 1991年3月 FNNニュース・明日の天気
FNN NEWSCOM
キャスター
サブキャスター
いずれも1990年9月まで木・金曜日担当、同年10月から金曜日担当
1991年4月 1994年3月 おはよう!ナイスデイ 総合司会
1994年4月 1995年3月 スポーツWAVE 土曜日進行キャスター
1996年4月 1998年3月 FNNスピーク 土曜日メインキャスター
1997年4月 FNNニュース ザ・ヒューマン 週末メインキャスター
1998年4月 1999年3月 ニュースJAPAN メインキャスター
2000年4月
2012年6月25日
2001年8月
2012年8月21日
めざましテレビ ニューヨークレポーター
2002年4月 2006年9月 FNNスピーク 平日メインキャスター
2010年4月 2012年3月 知りたがり! 『いいものプレミアム』担当
2012年4月 2012年6月 FNNレインボー発・あすの天気 隔週日曜日担当キャスター シフト勤務として担当
2012年4月
2012年8月27日
2012年6月18日
2013年3月
ノンストップ! 月曜日コーナー進行役
2012年6月30日 2012年8月18日 めざましどようび ニューヨークレポーター

フジテレビアナウンサー時代(バラエティ番組・ドラマなど)

BSフジ広報局への異動後 編集

CM 編集

レコード 編集

いずれも、既に廃盤となっている。

  • 『初恋は忘れていない』
文字放送キャンペーンの主題歌として、各局の代表が、もんた隊としてセーラー服と学生服を着て歌った。秋元康作詞・見岳章作曲・編曲。ちなみに、日本テレビの代表は徳光和夫であった(なお、徳光は川端の大学の先輩にあたる)。
  • 『気分は、はじけるピーチ』(1986年)森浩美作詞・網倉一也作曲・中村弘明編曲。 - 長野智子とのデュエット
『FNNモーニングコール』主題歌。
  • 『ちょっと どこ行くの』(1988年) - 吉沢孝明とのデュエット、「ヨッちゃん&ケンちゃん」名義
『なるほど!ザ・ワールド』エンディングテーマ。荒木とよひさ作詞・宇崎竜童作曲・柿沼寛編曲。

脚注 編集

  1. ^ フジ・川端アナ、NY支局へ“中継ぎ”赴任…降格処分の長谷川アナ代役 - スポーツ報知 2012年6月20日閲覧
  2. ^ 文化通信(文化通信社)2013年6月21日号。
  3. ^ 文化通信(文化通信社)2017年6月29日号。
  4. ^ 川端健嗣さん「あの頃のキラキラしたフジを取り戻したい」…フジテレビ元アナウンサー第二の人生(6) - スポーツ報知 2021年5月16日配信
先代
山中秀樹
※「FNNスーパータイム
週末夕方のFNNニュース
男性メインキャスター
FNNニュース555 ザ・ヒューマン
1997年1998年
次代
向坂樹興
※「FNNスーパーニュース