広島菜(ひろしまな)とは、アブラナ科に属する野菜で白菜の一種[1]

ヒロシマナ
分類
: 植物界 Plantae
: 被子植物門 Magnoliophyta
: 双子葉植物綱 Magnoliopsida
: アブラナ目 Brassicales
: アブラナ科 Brassicaceae
: アブラナ属 Brassica
: ラパ B. rapa
変種 : ミカワシマナ
var. toona Kitam.
階級なし : ヒロシマナ
subvar.hiroshimana
学名
Brassica rapa L. var. toona Kitam. subvar.hiroshimana Kitam.
和名
ヒロシマナ

通常1株が2~3kgと重量があり、葉は大きく、幅も広い。利用はほぼ全てを広島菜漬として使用される。九州の高菜、信州の野沢菜と共に日本の三大漬け菜の一つとして知られている。堂々たる風格と程良い歯切れ、豊潤な風味から「漬け菜の王様」ともいわれ、主に中国山地から瀬戸内海に流れる太田川流域(広島市安佐南区)の川内地区(アストラムライン中筋駅が近い)などで、品種・系統及び栽培の改良を重ねながら栽培されている。

耐暑性が劣り、低温感応性が敏感であるため、栽培の大部分は秋まき年末どりの露地栽培である。大別して立型と開張型があり、さらにこれらの中で種類がたくさんあり、栽培されている品種・系統は多い。広島菜は内婚弱性が強く、純化が進み過ぎると採種量が激減するため、採種の際にはある程度の種内変異を持たせながらの系統維持を心がけなければならない。

目次

歴史編集

起源についての定説は無いが、慶長年間に安芸国藩主参勤交代の時、同行した観音村(現広島市西区観音町)の住人が江戸から帰る途中に京都本願寺へ参詣し、種子を持ち帰ったのが最初とされる。明治に入り川内村(現広島市安佐南区川内)の木原才次が改良を重ね、現在の広島菜の原型をつくりあげたとされている。他にも説があるが、どの説も京都から伝えられた事は共通しており、「京菜(きょうな)」と呼ばれ、またその形状から「平茎(ひらぐき)」とも呼ばれていた。明治初期に瀬戸内海を経て海路にて京阪地方へ出荷されるようになり関西でも知られるようになった。

「農事調査第四報(広島県農会・明治38年)」によると、明治32年にはすでに広島菜の主産地として、安佐郡川内・三川・緑井村(現広島市安佐南区川内・安古市・緑井)、及び御調郡向島西村(後の尾道市向島町)などを挙げている。現在と異なるのは、向島でかなりの広島菜を生産していたことで、当時は瀬戸内海を航行する船舶の需要、及び京阪地方への船便出荷が盛んであったと推察される。その頃の広島菜漬の生産は栽培農家の漬け込みによって行われ、自ら市場へ出荷販売するか、仲買人を経て販売されていた。専門の漬物製造業者による本格的な広島菜漬の製造販売は大正時代に入ってからで、上田兼一等によって始められたようである。県内業者が全国向けの特産品として名称を統一したのは昭和初期のことであり、名称が一般化したのは、昭和8年に広島市猿楽町(現広島市中区大手町)の広島県産業奨励館(後の原爆ドーム)で命名展示されてからといわれる。[要出典]

概要編集

  • 塩分2%。
  • 広島菜を漬物にした「広島菜漬」は県内のスーパーマーケットや、食料品店で販売されている他、土産として広島駅の売店や広島空港などでも販売されている。
  • 勿論、家庭で漬けている家もある。
  • カキ料理にも合う。
  • フリーズドライ加工された広島菜を用いたお茶漬けの素やふりかけもある。
  • 野沢菜のような少々の辛みがある。酒の肴や飯の友と用途は広い。
  • 2007年12月からセガ(後のセガゲームス)が系列のアミューズメント施設(現在はセガ エンタテインメントがアミューズメント施設を運営)限定で、UFOキャッチャーなどの景品として、戦闘糧食II型(ミリメシ)を投入、そのラインアップ4種の一つに「広島菜ピラフ」が選ばれ話題を呼んだ。

メーカー編集

脚注編集

  1. ^ 広島菜』 - コトバンク、2018年2月17日閲覧。

外部リンク編集