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ココリコは、日本お笑いコンビ吉本興業東京本社(東京吉本)所属。1992年5月に吉本バッタモンクラブのオーディションに合格しデビュー。お笑い第四世代の代表格に数える。

ココリコ
COCORICO
メンバー 遠藤章造
田中直樹
結成年 1992年
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1992年 -
出身 吉本バッタモンクラブ
影響 ダウンタウンとんねるず
出会い 豊中市立豊島小学校
旧コンビ名 ココリコボンバーズ
現在の活動状況 テレビ
芸種 漫才コント
ネタ作成者 田中直樹
現在の代表番組 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!
過去の代表番組 ココリコミラクルタイプ
音リコ!
いきなり!黄金伝説。
同期 メッセンジャー
桂三度
藤井隆
水玉れっぷう隊
海原やすよ・ともこ
TKO
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目次

メンバー編集

来歴・人物編集

豊中市立豊島小学校時代に同級生として2人は出会う。豊中四中時代には共に、準硬式野球部でバッテリーを組んでいた(遠藤が投手で田中が捕手)、その後、遠藤は香川県の高校に野球留学し、田中はハンドボール部で活躍する。

卒業後、遠藤は香川県高松市で事務機器の営業員をしていたが退職。遠藤はお笑い芸人になることを志し、専門学生だった田中を誘い、東京に上京。東京に出ては来たが何の伝手もなかったため今後の道を模索していたところ、テレビで吉本興業のオーディションの告知を見てオーディションに参加。合格し、ココリコボンバーズを結成。このように、ココリコは大阪出身だったが、吉本興業東京本社(東京吉本)からデビューすることとなった。

コンビ名は2人が中学生の部活帰りの時拾ったシステム手帳に書かれていた「喫茶ココリコで待ち合わせ」から。それを落とし主に届けたところ、謝礼として1万円を貰い、縁起のいい名前として付けた[1]。「ボンバーズ」とは当時「ン」がつくコンビ名は売れるというゲン担ぎで付け足した。しかし、後に極楽とんぼ加藤浩次(田中と同じ誕生日)からアドバイスを受け「ボンバーズ」は撤去され現在のコンビ名となった。当初の仕事は『吉本印天然素材』の前説。初舞台は赤坂プレイボックスでのイベントであった。その後、『ガキの使い』の前説を経てレギュラーへ昇格する。

大阪NSC11期生である中川家陣内智則ケンドーコバヤシなどや、11期生とほぼ同期である藤井隆海原やすよ・ともこ水玉れっぷう隊等とはお互い同期と番組でも公言しているが、デビューが1992年5月のため実際には彼らよりほぼ1年先輩であり、厳密には大阪NSC10期出身者(ジャリズムメッセンジャーなど)がほぼ同期にあたる。本人達は同じNSC11期出身のたむらけんじに対しても同期として接している。

現在はルミネtheよしもとにて月一回漫才をしている。2007年4月に開催された吉本興業主催のお笑いイベント「LIVE STAND 07」では初日の大トリを務めた。

2005年頃からピンでの仕事が増え始めている(遠藤『ヒルナンデス!』、田中『ZIP!』など)。

共に、妻とは番組共演をきっかけに結婚に至ったコンビである。ただし、遠藤は2007年12月に千秋と離婚(2015年12月に別の女性と再婚[2])、田中は2017年5月に小日向しえと離婚している。

出演・作品編集

個々の出演は遠藤章造田中直樹の項目を参照。

テレビ番組編集

現在
過去

ラジオ番組編集

CD編集

  • 遠藤章造と田中さん『悲しみの夜明け』(2001年5月23日)
  • Re:Japanの一員としてシングル2枚・アルバム1枚を発売

映画編集

CM編集

受賞歴編集

脚注編集

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  1. ^ 原田康久「ココリコ・田中 直樹たなか なおきさん 気が弱い!? アゴ長い!? 腰低い!!」『読売新聞』2001年(平成13年)12月6日付 zipzap 1面。
  2. ^ ココリコ遠藤、千秋が“円満”離婚 スポーツニッポン 2007年12月30日
  3. ^ “ココリコ「原点回帰」の新バラエティ、特定の人ならできるはずのこと検証”. お笑いナタリー. (2016年9月28日). http://natalie.mu/owarai/news/203403 2016年9月29日閲覧。 

外部リンク編集