西淀川区

大阪市を構成する24区のうちのひとつ

西淀川区(にしよどがわく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つ。

にしよどがわく ウィキデータを編集
西淀川区
野里住吉神社
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
市町村コード 27113-6
面積 14.21km2
総人口 95,969[編集]
推計人口、2023年11月1日)
人口密度 6,754人/km2
隣接自治体
隣接行政区
大阪市福島区此花区淀川区
兵庫県尼崎市
区の花 サザンカ
西淀川区役所
所在地 555-8501
大阪府大阪市西淀川区御幣島一丁目2番10号
北緯34度42分41秒 東経135度27分21.9秒 / 北緯34.71139度 東経135.456083度 / 34.71139; 135.456083座標: 北緯34度42分41秒 東経135度27分21.9秒 / 北緯34.71139度 東経135.456083度 / 34.71139; 135.456083

地図
外部リンク 大阪市西淀川区
西淀川区位置図
ウィキプロジェクト

市内有数の工業地区として発展してきたが、近年は不況により撤退・廃業した工場の広大な跡地が増えたため梅田へのアクセスの良さからマンション建設が進み、住宅地としての整備も進んでいる。人口はここ数年緩やかな増加傾向。西側の中島には中島工業団地がある。

隣接している自治体・行政区 編集

大阪市の行政区
自治体

歴史 編集

淀川が運ぶ土砂が堆積して土地が形成された。古代は難波八十島とも呼ばれ、多くの島に分かれていた。御幣島・姫島などの地名は、この地が島だったことの名残だとされる。古代には現区域付近一帯は住吉大社の領地だったといわれる。

中世までは漁業を主としていたが、江戸時代以降は新田開発が行われ、漁業とともに農業が行われるようになった。明治時代後期以降地域に工場が進出した。昭和初期(1930年代ごろ)から重工業地帯となった。一方で1950年代以降は公害が深刻な社会問題となっている。その後1970年代以降は大工場の撤退が相次ぎ、跡地に住宅開発が行われている。

明治時代の町村制実施により、現:西淀川区の区域には西成郡千船村・稗島村・歌島村・鷺洲村・福村・川北村が発足した。千船村・稗島村・鷺洲村はのちに町制を施行している。

1925年4月1日の大阪市第二次市域拡張により、西成郡鷺洲町・千船町・稗島町・伝法町・歌島村・福村・川北村が大阪市に編入され、西淀川区が新設発足した。区名については、当初の案では「下淀区」、次いで「姫島区」が答申されたが、最終的には西淀川区に決定した。

区役所は旧鷺洲町役場(西淀川区浦江町、現在の福島区海老江6丁目1番付近)に置かれた。また旧千船町役場(西淀川区大和田町、現:大和田5丁目)を転用して区役所出張所とし、おおむね淀川北岸一帯の地域に関する業務を担った。

1941年4月21日に当時の東淀川区三津屋町・十三南之町三丁目の一部を西淀川区へ編入し、当時の西淀川区塚本町の一部を東淀川区とする区域変更を実施した。

1943年4月1日には大阪市の22区への分増区および行政区境界見直しが全市的に実施された。これに伴い、淀川以南の区域、および淀川以北の東海道本線以東の区域を他区に分離することになり、現行の区域となった。他の行政区に移管された地域は以下の通り。

  • 伝法・高見 → 此花区に編入。
  • 鷺洲・海老江 → 従来の此花区東部と併せ、福島区を新設。
  • 大仁(だいに)・浦江(いずれも現在の北区大淀) → 東淀川区のうち淀川南岸の地域とあわせて大淀区を新設(現:北区)。
  • 塚本加島と田川の一部 → 東淀川区に編入(現:淀川区)。

1943年の区の境界変更により、従来の区役所出張所が区役所本庁舎となった。

太平洋戦争の戦局悪化のため、1945年6月12日には区役所を大和田東国民学校(現:大和田小学校)に仮移転・疎開させ、重要書類などを大和田東校の鉄筋コンクリート校舎に移した。その3日後の大阪大空襲により、従来の区役所庁舎は全焼した。

1947年3月に現在地に区役所庁舎(初代)が竣工した。初代庁舎は西成区今宮国民学校・大正区中泉尾国民学校の元校舎などを転用して建設されている。1957年3月には2代目庁舎が完成し、さらに2005年5月には3代目庁舎(現庁舎)が完成している。

1970年代までは大気汚染により、住民は慢性気管支炎や喘息などの公害病に悩まされた。1970年11月までに公害被害者に認定された患者は1055人に達し、西淀川区(当時の人口約11万人)のうち100人に1人は公害病に認定されたことを意味した。この比率は、当時、同じく公害に悩まされていた三重県四日市市神奈川県川崎市を大きく上回る値であった[1]

年表 編集

  • 1530年 - 現区域付近で赤松政祐細川晴元三好元長の連合軍が、細川高国浦上村宗の連合軍と戦う。細川高国が壊滅的な敗北を喫したこの戦いは大物崩れと呼ばれる。
  • 1580年代 - ・大和田の漁民、徳川家康多田神社参詣の際神崎川の渡し船を出す。
  • 1630年 - 佃漁民が江戸に移住。江戸佃島の起こりとなる。
  • 1678年 - 中島大水道を建設。
  • 1889年 - 町村制に基づき、現:西淀川区の区域に千船村・稗島村・歌島村・鷺洲村・福村・川北村が発足。
  • 1905年4月12日 - 阪神本線が開通。稗島駅(現:姫島駅)・大和田駅・佃駅を開設。
  • 1910年 - 新淀川の開削工事が完成。
  • 1919年 - 千船村大和田に十三橋警察署大和田分署(西淀川警察署の前身)を開設。
  • 1921年1月5日 - 阪神本線の大和田駅と佃駅を廃止、両駅を統合する形で千船駅を設置。
  • 1924年1月 - 阪神伝法線(現:阪神なんば線)が開通。
  • 1925年
    • 4月1日 - 西成郡鷺洲町・千船町・稗島町・伝法町・歌島村・福村・川北村が大阪市に編入され西淀川区が発足。区役所を浦江町・出張所を大和田町に置く。
    • 10月1日 - 大和田警察署を開設(1943年西淀川警察署に改称)。
  • 1927年5月 - 阪神国道(現:国道2号)が開通。
  • 1934年9月21日 - 室戸台風により区内各地で住宅倒壊・浸水などの被害。
  • 1936年11月 - 西淀川郵便局が佃町に開局(1950年姫里に移転)。
  • 1940年 - 御幣島町に淀川消防署(1943年西淀川消防署に改称)を開設。
  • 1943年4月1日 - 大阪市の22区への分増区および行政区境界見直しに伴い、淀川以南の区域、および淀川以北の東海道本線以東の区域を他区に分離。大和田町・旧区役所出張所を区役所本庁舎とする。
  • 1945年 - 大阪大空襲により地域被災。西淀川区役所・西淀川保健所など焼失。
  • 1947年3月 - 現在地に西淀川区役所初代庁舎が竣工。
  • 1950年9月3日 - ジェーン台風。区内では死者・行方不明者58人、家屋の全半壊・流失計8786戸、床上浸水6130戸などの被害。
  • 1952年4月 - 大阪市立淀商業高等学校東淀川区十三南之町(現:淀川区新北野)から現在地に移転。
  • 1957年3月 - 西淀川区役所2代目庁舎が竣工。
  • 1958年 - 大阪福島高等学校(現:好文学園女子高等学校)および併設の定時制高校・大阪工業高等学校が福島区上福島から現在地に移転。
  • 1961年9月16日 - 第2室戸台風。大和田・出来島・御幣島などで床上浸水被害。
  • 1969年
    • 2月1日 - 阪神高速11号空港線(のち池田線に改称)が開通。
    • 12月 - 「公害にかかる健康被害の救済に関する特別措置法」に基づく地域指定を受ける。
  • 1970年3月10日 - 第二阪神国道(国道43号)が開通。
  • 1971年7月19日 - 大野川跡に歩行者・自転車専用道路を整備する計画を決定(のちの大野川緑陰道路)。
  • 1972年
  • 1974年 - 大阪工業高等学校を廃止。
  • 1978年
  • 1979年
  • 1995年
  • 1997年3月8日 - JR東西線が開通。御幣島駅開設。
  • 1998年7月6日 - 西淀川公害訴訟第二次〜第四次訴訟の和解が成立。
  • 2005年5月 - 西淀川区役所3代目庁舎(現庁舎)が竣工。西淀川図書館が区役所地下1階に移転。
  • 2019年3月 - 大阪府立西淀川高等学校が閉校。

人口 編集

西淀川区の人口推移
世帯数 人口 人口増減率
(前回比)
1955年(昭和30年) 21,702 93,953
1960年(昭和35年) 28,627 116,728 +24.24%
1965年(昭和40年) 32,119 121,246 +3.87%
1970年(昭和45年) 32,332 110,052 -9.23%
1975年(昭和50年) 30,718 96,586 -12.24%
1980年(昭和55年) 31,214 90,691 -6.10%
1985年(昭和60年) 32,454 92,411 +1.90%
1990年(平成2年) 35,745 95,047 +2.85%
1995年(平成7年) 36,097 91,134 -4.12%
2000年(平成12年) 38,609 92,465 +1.46%
2005年(平成17年) 40,825 95,662 +3.46%
2010年(平成22年) 43,642 97,537 +1.96%

※1995年の国勢調査では、同年1月の阪神・淡路大震災の影響で人口が大幅に減少した。

区内に本社を置く企業 編集

東証プライム上場 編集

その他の企業 編集

支社·営業所·工場を設置している企業 編集

区内が発祥・発展の地の企業 編集

  • 東洋炭素
    1941年、近藤カーボン工業所として竹島に設立、2007年に本社を竹島から梅田に移転した。旧本社は現在「近藤照久記念東洋炭素総合開発センター」となっている。
  • ダイヤゼブラ電機
    1925年福島区大開にて美登里商会を創業し、珪素鋼板の販売およびラジオ用鉄心の製作を開始した。1939年には西淀川区内に美登里製作所を設立し、1940年には美登里製作所から田淵電機への商号変更を実施した。同区内の本社を中心として電子機器用変成器・電源機器、各種部品の製造・販売を続けてきたが、2006年8月に鶴見区に有った開発センターと御幣島にあった本社の機能を統合するため、淀川区宮原に移転した。移転前に入居していた御幣島の本社跡には現在、篠原電機淀川事業所が入居している。
  • オーツカテック
    1901年に個人経営(大塚鉄工所)で各種工作機械及び産業機械の製作を開始し、1946年一般産業機械の製作に転向。1989年に大塚鉄工所からオーツカテックに社名変更。2003年に1960年代から資本参加していた住友重機械工業の子会社・住重ファインテック(現:住友重機械ファインテック)と事業統合し、御幣島の工場機能については倉敷市にある住重ファインテックの本社工場内へ全面移転した。跡地にはパークスクエア・レピア御幣島東公園とエンゼルパークスプリングスが建っている。

交通 編集

鉄道 編集

区役所の最寄駅:御幣島駅

バス 編集

道路 編集

教育 編集

高等学校 編集

中学校 編集

小学校 編集

特別支援学校 編集

医療 編集

病院

施設 編集

地名 編集

新旧の町名対応
現在の町名
1972年〜
(野里・花川・柏里は1973年〜)
旧町名
竹島 竹島町(古くは竹島(竹ノ町)と呼ばれていた)・御幣島東・御幣島中・御幣島西
御幣島 御幣島東・御幣島中・御幣島西・千船東
歌島 御幣島東・野里町・柏里町・野里東・野里西
野里 花川北之町・野里町・野里東・野里西・塚本町
姫島 姫島町(戦前には姫島町内に様々な地名があった。本通北・本通南・中通・辻南通・小開通・大開通など)・姫島浜通・東福町
姫里 姫里町・野里町・姫島町
花川 花川南之町・花川町・野里町
柏里 柏里町・花川北之町・花川南之町
中島 中島町(中島町内に城島という地名があった)・外島町・布屋町
福町 東福町・西福町・姫島町・北西島町・南島町
千舟 千舟東・姫島町
大和田 大和田中・大和田西・大和田東
大野 大和田西・大和田東・大野町・百島町
百島 大野町・百島町・北西島町
佃町(戦前の千船駅周辺が佃とは川で離れている時代は蒲島町と呼ばれていた。昭和15年3月29日、佃町に名称変更)
出来島 出来島町・大和田西・大和田町
西島 西島町・矢倉町・北西島町(古くは酉洲町という地名もあった、一部が出来島町になった時期もあったがその後西島町に吸収され地名消滅)

1943年3月31日までは、現在の此花区高見・伝法地区の全域、現在の福島区海老江・鷺洲地区の全域と大開地区の一部、現在の淀川区加島・塚本地区の全域も西淀川区であった。 西淀川区塚本町は現在の野里1丁目21番地・22番地・28番地・29番地の一部に1973年まで存在した。

住宅 編集

大規模マンション 編集

  • キングマンション新淀川
  • 千船ビューハイツ
  • マイシティおおさか

住宅団地 編集

  • 都市再生機構歌島橋市街地住宅
  • 都市再生機構リバーサイド出来島
  • 都市再生機構サンラフレ出来島(出来島団地を建て替えた住宅団地)
  • 市営歌島住宅
  • 市営歌島北住宅
  • 市営出来島住宅
  • 市営姫島住宅
  • 市営御幣島住宅
かつて存在した住宅団地

出身者 編集

政治 編集

文化・芸術・芸能 編集

スポーツ 編集

西淀川区ゆかりの有名人 編集

  • 沓脱タケ子 - 元参議院議員、元大阪市議(西淀川区選出)。生前は西淀川区に住んでいた。

脚注 編集

  1. ^ 百人に一人が公害病 新たに七十五人が認定『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月10日朝刊 12版 23面

参考文献 編集

  • 大阪都市協会『西淀川区史』1996年。 

関連項目 編集

外部リンク 編集