走れメロス

日本の短編小説

走れメロス』(はしれメロス)は、太宰治短編小説。処刑されるのを承知の上で友情を守ったメロスが、人の心を信じられない王に信頼することの尊さを悟らせる物語。

目次

概要編集

初出 新潮』1940年5月号
単行本 女の決闘』(河出書房、1940年6月15日)
執筆時期 1940年3月23、24日までに完成(推定)[1]
原稿用紙 26枚

地中海・中東文学の長い系譜の末端に連なる作品である[2]

あらすじ編集

純朴な羊飼い[3]の青年メロス(Moerus[4])は、十六になる妹の結婚のために[5]必要な品々を買い求めにシラクス[6]の町を訪れたが、町の様子がひどく暗く落ち込んでいることを不審に思い、市民に何が起きているのかを問う。そして、その原因である人間不信のために多くの人を処刑している暴君ディオニス王(ディオニュシオス1世)の話を聞き、激怒する。メロスは王の暗殺を決意して王城に侵入するが、あえなく衛兵に捕らえられ、王のもとに引き出された。人間など私欲の塊だ、信じられぬ、と断言する王にメロスは、人を疑うのは恥ずべきだと真っ向から反論する。当然処刑される事になるが、メロスはシラクスで石工をしている親友のセリヌンティウスを人質として王のもとにとどめおくのを条件に、妹の結婚式をとり行なうため3日後の日没までの猶予を願う。王はメロスを信じず、死ぬために再び戻って来るはずはないと考えるが、セリヌンティウスを処刑して人を信じる事の馬鹿らしさを証明してやる、との思惑でそれを許した。

メロスは急いで村に帰り、誰にも真実を言わず妹の結婚式を急ぎ、夫を信じて誠心誠意尽くすように言い含め、式を無事に終えると3日目の朝まだき、王宮に向けて走り出した。難なく夕刻までに到着するつもりが、川の氾濫による橋の流失や山賊の襲来[7]など度重なる不運に出遭う。濁流の川を懸命に泳ぎ切り、山賊を打ち倒して必死に駆けるが、無理を重ねたメロスはそのために心身ともに疲労困憊して倒れ込み、一度は王のもとに戻る事をあきらめかけた。セリヌンティウスを裏切って逃げてやろうかとも思う。しかし近くの岩の隙間から湧き出てきた清水を飲み、疲労回復とともに義務遂行の希望が生まれ、再び走り出す。人間不信の王を見返すために、自分を信じて疑わない友人の命を救うために、そして自分の命を捧げるために。

こうしてメロスは全力で、体力の限界まで達するほどに走り続け、日没直前、今まさにセリヌンティウスが磔にされようとするところに到着し、約束を果たす。セリヌンティウスに、ただ1度だけ裏切ろうとした事を告げて詫び、セリヌンティウスも1度だけメロスを疑った事を告げて詫びた。そして、彼らの真の友情を見た王は改心したのである。

もとになった伝承とその系譜編集

 
デイモンとピシアス、H.A.Guerber The story of Greeks、1896年

作品の最後に「古伝説とシルレルの詩から」と記述され、古代ギリシャの伝承とドイツの「シルレル」、すなわちフリードリヒ・フォン・シラーFriedrich von Schiller)の詩をもとに創作した事が明らかにされている。

『走れメロス』のもとになった伝承は、杉田英明によると古代ギリシャのピタゴラス派の教団員の間の団結の固さを示す逸話として発生したものである。広義の地中海・中東世界で発展し、日本に伝わった。杉田は『葡萄樹の見える回廊』(岩波書店 2002年11月 ISBN 9784000246163)で、伝承の発生と広がり、日本への伝来の経緯を詳細に論じている。[2]

ピタゴラス派は宗教・政治団体の性格を持つ秘密結社を組織しており、構成員は財産を共有して共同生活を行い、強い友愛の絆で結ばれていることで知られていた。杉田が伝承のもっとも初期の一つとして挙げている新プラトン主義者のイアンブリコス(240年頃 - 325年頃)の『ピタゴラス伝』では、ディオニュシオス2世が治めるシチリア島のシュラクサイが舞台となっており、のちにコリントスに追放されたディオニュシオス2世が体験談として哲学者・音楽理論家のアリストクセノス(前4世紀頃)に語ったものであるとされている。ピタゴラス派の教団員ダモン(デイモン)とフィンティアス(ピシアス)の友情の美談(ドイツ語版de:Damon und Phintias、英語版en:Damon and Pythias参照)であり、西洋ではメロスとセリヌンティウスよりこちらの名前が有名である。デイモンとピシアスの名は固い友情で結ばれた親友を意味する慣用句として使われている。[8]

『ピタゴラス伝』に収録された内容は次のとおりである。ピタゴラス派に反感を持つ者たちの事実無根の告発または冗談により、フィンティアスがディオニュシオス2世より、王に対し陰謀をたくらんだ罪で死刑を申し渡される(フィンティアスの反応を見るための芝居である)。フィンティアスは身辺整理のため、その日の残り時間を猶予として願い、ダモンを保証人に指名する。事情を聴いたダモンは保証人を引き受け、このたくらみを行った者たちはお前は結局見捨てられるとダモンを嘲笑する。日が沈みかけた頃フィンティアスは現れ、皆は感動し魅了される。ディオニュシオス2世は「わしも第三の男として友情に加えてほしい」と頼むが、拒否される。フィンティアスやダモンの深い心理描写はなく、最後にフィンティアスが許されたかどうか明らかにされていない。物語というより実際あった事件の報告といった趣で、フィンティアスが走って現れる描写もない。一方、紀元前1世紀の歴史家ディオドロス・スィケロスの『世界史』に残された伝承は、イアンブリコスのものと影響し合うことなく成立したと思われるが、より物語性が強く緊迫した内容で、フィンティアスが刻限ぎりぎりに登場するなど、『走れメロス』に近くなっている。「わしも第三の男として友情に加えてほしい」というセリフは、イアンブリコスのものと共通しており、この言葉は以後シラー、太宰まで伝承されている。ウァレリウス・マクスィムス(1世紀)が『著名言行録』で、ヒュギヌス(2世紀)が『説話集』で、この伝承に文学的装飾を施し後世に大きな影響を与えた。ヒュギヌスは『説話集』「友情で最も固く結ばれた者たち」でフィンティアスとダモンの名をモイロス[9]とセリヌンティオス[10]に変え(モイロスがドイツ語圏でメーロスとなった)、ピタゴラス派の団員という設定を消した。また、3日間という猶予、妹の婚礼、暴風雨による川の氾濫という障害を追加し、処刑方法を具体的に磔刑にした。ヒュギヌスの作品が、シラーが直接典拠にしたものである。[2]

ギリシャ・ローマ世界で広く流布した友情物語は、舞台設定や登場人物を変えながら中東アラブ世界に広まり、9~10世紀にアラビア語で記録されるようになった。杉田は、アラブ世界に流入した経緯や時期は不明であり、ビザンツ文化と共に伝承した可能性もあるが、「アッバース朝最盛期のギリシア文献の翻訳時代に、その担い手であるネストリウス派キリスト教徒の手で移入された可能性の方が大きいかもしれない」と述べている。イスファハーニー『歌謡集』に中東アラブ世界における初期の形が見られ、『千夜一夜物語』でも「ウマル・アル=アッターブと若い牧人との話」(第395-97話)として、イスラム時代を舞台に変奏しつつ展開されている。[2]

中世の地中海・中東世界で発展した伝承は、ヨーロッパに流入し復活した。杉田は、ヨーロッパでの復活は14世紀以降と思われ、ウァレリウス・マクスィムス(1世紀)『著名言行録』がキリスト教の僧侶が説教を行う際の手引きとして活用されたことが大きいと述べている。様々な媒体で伝承は広く流布し、18世紀末の1799年にシラーの「人質」が発表された。[2]

太宰は、小栗孝則(20世紀前半の独文学者)が1937年(昭和12年)7月に訳したシラーのバラード Die Bürgschaftの初版[11]「人質」(『新編シラー詩抄』改造文庫)を参考にした[12] 小栗は訳注にメロスの友人の名がセリヌンティウスであることを記しており、太宰の書く「古伝説」とはこれを指す[13]

日本では太宰以前に、明治初期に幕末を舞台にした翻案(シラーの詩を直接的にか間接的にか参照したと思われるもの)があり、この伝承は青少年の道徳心を育てる目的で学校教育に採用され、広く読まれた。太宰が使った高等小学校1年生の国語の教科書にも「真の知己」のタイトルで収録されており、鈴木三重吉1910年明治43年)11月「デイモンとピシアス」のタイトルで1920年に『赤い鳥』に発表している(青空文庫)。「走れメロス」登場後は、教育で使われるのは同作になり、戦後はほぼずっと中学校の国語の教科書で使われている。[2]

創作の発端編集

懇意にしていた熱海の村上旅館に太宰が入り浸って、いつまでも戻らないので、妻が「きっと良くない生活をしているのでは……」と心配し、太宰の友人である檀一雄に「様子を見て来て欲しい」と依頼した。

往復の交通費と宿代等を持たされ、熱海を訪れた檀を、太宰は大歓迎する。檀を引き止めて連日飲み歩き、とうとう預かってきた金を全て使い切ってしまった。飲み代や宿代も溜まってきたところで太宰は、檀に宿の人質(宿賃のかたに身代わりになって宿にとどまる事)となって待っていてくれと説得し、東京にいる井伏鱒二のところに借金をしに行ってしまう。

数日待ってもいっこうに音沙汰もない太宰にしびれを切らした檀が、宿屋飲み屋に支払いを待ってもらい、井伏のもとに駆けつけると、二人はのん気に将棋を指していた。太宰は今まで散々面倒をかけてきた井伏に、借金の申し出のタイミングがつかめずにいたのであるが、激怒しかけた檀に太宰は「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね。」 と言ったという。

後日、発表された『走れメロス』を読んだ檀は「おそらく私達の熱海行が少なくもその重要な心情の発端になっていはしないかと考えた」と『小説 太宰治』に書き残している。

評価編集

主題の美しさと文体の力強さを評価する肯定的な声が多くある。その一方、教材として学校で使う場合に、徳目を褒め称えることの「白々しさ」を指摘する声、寺山修司の『歩け、メロス』のように、メロスを「無神経な自己中心性・自己陶酔の象徴」と考える否定的な評価もある。[2]

派生作品編集

映像編集

朗読編集

舞台編集

CLIEが製作する朗読演劇シリーズで舞台化された。キービジュアルはしりあがり寿

  • 極上文學 第7弾『走れメロス』(2014年12月、製作:CLIE・企画:MAG.net・制作:Andem)

出演編集

宮﨑秋人大河元気佐藤永典椎名鯛造西村ミツアキ鈴木裕斗村田充萩野崇川下大洋名高達男)

スタッフ編集

パロディ等編集

この作品は、メッセージ性の高さや尺加減のよさなどから、義務教育の国語教科書などで扱われ、知名度が高いため、一話完結系の連載物などでパロディの材料にされる事も多い。

  • ヤッターマン』(第1作)第74話「ハシレメドスの友情だコロン」(1978年5月27日放送、フジテレビ) - ハシレメドス(←メロス)を塩沢兼人が演じている。
  • オバケのQ太郎』(第3作)第184話「走れメロQ」(1985年11月7日放送、テレビ朝日) - 国語の授業で「走れメロス」を取り上げていたのだが、宿題を忘れた正太は立たされていた。正太は「宿題はやってあるが持ってくるのを忘れただけ」と言い、Q太郎はそれを信じ家まで宿題を取りに行く。先生には「時間内に持ってこなければトイレ掃除だ」と言われ、正太はQ太郎がなかなか戻らないため焦りだす。やがてQ太郎が学校に戻り正太と泣きながら抱き合い、「本当は宿題もやっていなかった」とウソをついたことを明かした。それを聞いていた先生も一応は感動するのだが、程なく「でもトイレ掃除はやってもらうぞ」とあっさり言った。
  • ザ・ウルトラマン (漫画)』「鎧を着込んだウルトラマン」というコンセプトのオリジナルキャラクター・メロスの名前の由来になっている。
  • AKB48 teamK 4thの楽曲『メロスの道』はこの作品をモチーフにしている。作詞は秋元康
  • 蒼き流星SPTレイズナー』オープニング主題歌『メロスのように-LONELY WAY-』(歌:AIRMAIL from NAGASAKI)はこの作品をモチーフにしている。作詞はやはり秋元康。
  • 『走れセリヌンティウス』漫画家ながいけんが、このタイトルのパロディ作を「ファンロード」誌上で発表している(後に「チャッピーと愉快な下僕ども」に収録)。原作とは全く逆で、王がメロスを信じつつも苦渋の決断をする善人、メロスは犯罪者で妹の結婚式をでっち上げ、セリヌンティウスを勝手に身代わりにたてて脱走をはかろうとする極悪人で、セリヌンティウスはメロスが戻らない事を最初から確信しており、処刑をまぬがれるために脱走、メロスを捉えて「親友を救うために走る」というシナリオを実行させようとする。劇中の台詞も原作をいちいち反転させた利己的・邪悪なものばかりで、最後の落ちも含めて全編にブラックユーモアが溢れる怪作となっている。
  • 新・必殺仕置人』第32話「阿呆無用」佐渡へ出張仕事に向かう念仏の鉄(と仲間たち)が、寅の会の掟に際して、仲間の一人・巳代松を人質に置いていく。
  • もーれつア太郎』(第1作)第71話「走れニャロメロス」
  • ケロロ軍曹』(6thシーズン)第275話Bパート「ケロロ 走れケロロ であります」
  • 『【新釈】走れメロス』(【新釈】走れメロス 他四篇森見登美彦
  • 『セリヌンティウスの舟』石持浅海
  • 風雲児たち 幕末編』(みなもと太郎) 第2巻にて脱藩した吉田松陰をメロス、その罪をかぶった来原良蔵をセリヌンティウスに喩えたギャグを展開。
  • ついでにとんちんかん』(えんどコイチ)アホその112「走れヌケス!の巻」
  • 団地ともお』第4話Bパート「あの坂をのぼっていくともお」
  • 燃える!お兄さん』第11巻「走れメロス!早見先生の巻」
  • かのこん』第8巻「恋の骨折り損?」で、冒頭が「走れメロス」のパロディ。
  • 2011年2012年放送の大塚食品MATCH」のCMで、メロスをモチーフにしたキャラクターが現代日本の高校生として登場。演じたのは手越祐也[16][17]

その他編集

 
津軽鉄道・津軽21形気動車「走れメロス」
  • 津軽鉄道津軽21形気動車に「走れメロス」と車両の愛称が付けられている。
  • 青森市中央市民センター前に、この作品の一節を刻んだ文学碑「友情の碑」が設置されている。
  • 本作品をモチーフにしたパチスロ機がJPSよりリリースされた。
  • 本作品名を曲名とする楽曲が多数存在するため、それらの作品を集めた『「走れメロス」音楽祭』[18]が太宰ゆかりの弘前市にて開催された。[19][20]

脚注編集

  1. ^ 『太宰治全集 第3巻』筑摩書房、1989年10月25日、423頁。解題(山内祥史)より。
  2. ^ a b c d e f g 杉田英明「第7章<走れメロス>」『葡萄樹の見える回廊:中東・地中海文化と東西交渉』SUGITA Hideaki, The Corridor Looking onto Grapevines: The Middle East/Mediterranean Cultures and the East-West Relations
  3. ^ メロスの職業を牧人とするのは太宰の創作。五之治昌比呂 「『走れメロス』とディオニュシオス伝説」Hashire Meros and Dionysius Legends 西洋古典論集 16, 39-59, 1999-08-31
  4. ^ 西井奨『西洋古典と『走れメロス』(2)』日本西洋古典学会の公式ホームページ
  5. ^ メロスにはすでに両親はなく、妹と二人暮らしで、妹の結婚もメロスが取り仕切る事になっている。
  6. ^ 現在のシラクサ(Siracusa)。イタリア半島の南に位置するシチリア島にある都市。ドイツ語ではSyrakusと綴られる。
  7. ^ メロスは、彼の命が欲しいと言う山賊を王の差し向けた刺客と見做すが、真相は不明。
  8. ^ 五之治昌比呂 「『走れメロス』とディオニュシオス伝説」Hashire Meros and Dionysius Legends 西洋古典論集 16, 39-59, 1999-08-31
  9. ^ 「壁」「市壁」を意味する。
  10. ^ 元々シチリア島南西岸の町セリヌスから派生した形容詞で、その出身者という意味を込めていると思われる。(杉田英明)
  11. ^ 伝承の人物の名はヨーロッパではDamonとPythiasが有名であったため、シラーは初版の後作品名をDamon und PythiasSchiller - Damon und Pythias)に改訂し、主人公名もDamonに改めた。
  12. ^ 「レフェレンス共同データベース」[1]
  13. ^ 五之治昌比呂 「『走れメロス』とディオニュシオス伝説」Hashire Meros and Dionysius Legends 西洋古典論集 16, 39-59, 1999-08-31
  14. ^ 岩波書店 | 太宰治作品集 文芸カセット 日本近代文学シリーズ
  15. ^ 朗読の時間 太宰治 東京書籍株式会社
  16. ^ すべてに一生懸命で憎めないキャラクターの‘高校生メロス’が登場! 手越祐也さんが‘走れメロス’衣装で出演 大塚食品 「マッチ」新CM 6月18日(土)から全国の各放送局にて放映開始、PRTIMES(大塚食品株式会社)、2011年6月17日 16:31。
  17. ^ 手越祐也扮する“高校生メロス”「マッチ」新CM、今度は親友の海水パンツから逃げる!、クランクイン!、2012年05月25日 04:00。
  18. ^ 「走れメロス」音楽祭実行委員会の主催。地元音楽関係者、弘前ペンクラブや弘前読書人倶楽部有志らにより構成。
  19. ^ 25日、弘前市で「走れメロス音楽祭」:東奥日報(2017年6月22日(木))
  20. ^ 走れメロス」音楽で表現:陸奥新報(2017年6月27日(火))

関連項目編集

外部リンク編集