鹿児島県立鹿児島中央高等学校

鹿児島県鹿児島市にある高等学校
鹿児島中央高等学校から転送)

鹿児島県立鹿児島中央高等学校(かごしまけんりつかごしまちゅうおうこうとうがっこう)は、鹿児島県鹿児島市加治屋町にある同県立の高等学校である。通称は「中央」[注釈 1]

鹿児島県立鹿児島中央高等学校
地図北緯31度35分11秒 東経130度32分59秒 / 北緯31.586472度 東経130.549806度 / 31.586472; 130.549806座標: 北緯31度35分11秒 東経130度32分59秒 / 北緯31.586472度 東経130.549806度 / 31.586472; 130.549806
国公私立の別 公立学校
設置者  鹿児島県
学区 鹿児島学区
校訓 自主
好学
敬愛
設立年月日 1963年4月1日
創立記念日 4月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 2学期制
学校コード D146210000039 ウィキデータを編集
高校コード 46103C
所在地 892-0846 ウィキデータを編集
鹿児島県鹿児島市加治屋町10-1
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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鹿児島県立鹿児島中央高等学校の位置(日本内)
鹿児島県立鹿児島中央高等学校
鹿児島中央高等学校
体育館

概要 編集

校章

3方向の矢印を模っており、「ベクトル」と呼ばれている。

校是

「三綱領(さんこうりょう)」と「五条目(ごじょうもく)」から成る。三綱領が他の高校で言う校訓に当たる。

三綱領
  • 自主
  • 好学
  • 敬愛
五条目
  • 志操は高く 品格ある青年学徒たれ
  • 易きにつかず 学道に専心せよ
  • 共励切磋 和して同ずるなかれ
  • 自主自律 責任を完遂せよ
  • 積極敢為 自ら運命を開拓せよ
スクールカラー

瑠璃色。校歌にも歌われており、襟章用の校章、冬の女子制服にも瑠璃色が取り入れられている。

中玉戦(中央・玉龍スポーツ交歓会)

1992年より毎年、鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校との間でスポーツ交歓会「中玉戦」(ちゅうぎょくせん)[注釈 2]が行われている。2008年現在、16種目。

校歌

作詞:椋鳩十(むくはとじゅう)、作曲:迫新一郎(さこしんいちろう)。公式サイトで聞くことができる。歌詞にある『朝日子(あさひこ)』とは、朝日のように昇る子供という意味であり、椋鳩十が贈った言葉である。ギャラリーの名称、校歌の歌詞、学校だよりで使われる。

愛好歌「たいせつ」

作詞:鹿児島中央高校40周年愛好歌制作委員会、作曲:吉俣良、編詩:うまごえ尚子。曲は公式サイトで聞くことができる。

団体訓練

通称「団訓」。月2回(2学期制になる前は週1回)行っており、全校生徒が合図のベルとともに制服から体操着に着替え、3分以内に校庭に集まり、準備体操後、3年1組から順にクラスごとに足並みを揃え、かけ声を出して校内を走る[注釈 3]

沿革 編集

設立の経緯

高校生急増のため、県は高等学校を増設することとなった[2]。県の当初の意向では、鶴丸高校の分校(分教場)として鶴丸の前身の一つである旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校(一中)の跡地(現鶴丸高校敷地)に開校する予定であった[3]が、この問題は各方面に影響を与え、当時の新聞紙面でも取り上げられた[4]。一中・一高女・鶴丸関係者側からは、戦後間もなく学制改革において鶴丸高校が前身の一つの一高女跡地(現鹿児島中央高校敷地)に開校する際、一中の敷地は鶴丸高校のものであることが確認され、それに基づいて授業や部活動などで運動場として使用しているのであり、新設校が一中跡に開校すると運動場を奪われた上に一中の後身という系譜も切れるとして反対があった[5]。さらに二中・二高女・甲南関係者側からは、分校設立により戦後の男女共学路線が崩れ旧一中・旧一高女が復活する恐れがあり[6]、鶴丸高校のマンモス化で県の高校教育に対する悪影響が懸念され[7]進学その他の面で不利になるとして反対があった[8]。こういった経緯から創立当時、鹿児島中央高校は新設校であるにもかかわらず鶴丸が旧一中跡地に校舎新築して移転後の鶴丸の旧校舎を使用することとなった[9][注釈 4]

年表
  • 1963年1月22日 - 鹿児島県立鹿児島中央高等学校の設置決定。
  • 1963年4月1日 - 鹿児島県立鹿児島中央高等学校開校。
鹿児島県立鶴丸高等学校が現在地に移転するまで、鹿児島県立短期大学の敷地内に仮校舎を建て使用。

登録有形文化財(本館・講堂) 編集

建築概要
  • 県内二番目のRC造学校建築で、1935年竣工。
  • 鹿児島県立第一高等女学校校舎として建設された。
  • 1949年まで県立一高女校舎、1964年まで鶴丸高校校舎として使用された。
構造

RC造3階(一部4階)建。建築面積2866 m2。塔屋付。

登録基準
  1. 国土の歴史的景観に寄与しているもの
登録番号

第46-0038号

設計者

岩下松雄 ※本項については以下を参照。

著名な出身者 編集

政治・行政
経済・実業
報道・マスコミ・ジャーナリズム
学術・研究
芸術・クリエーター・建築
芸能
スポーツ
自衛隊

交通アクセス 編集

関連文献 編集

発行年順

  • (1) 『甲南 第12号』 (1964) - 鹿児島県立甲南高等学校編
  • (2) 『甲南 第35号 創立八十周年記念特集号』 (1987) - 鹿児島県立甲南高等学校編
  • (3) 『創立百年』 (1994) - 鹿児島県立鶴丸高等学校百年誌編集委員会編
  • (4) 『創立百周年記念誌 甲南』 (2006) - 鹿児島県立甲南高等学校編
  • (5) 『創立五十周年記念誌 珊瑚樹』 (2014) - 鹿児島県立鹿児島中央高等学校編

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 中央と付く高校は、県内には他に5校(国分中央出水中央薩摩中央鹿屋中央種子島中央)あるが、中央と付く高校がない地域においては基本的に当校を指すことが多い。
  2. ^ なお、鹿児島玉龍高等学校側からは玉中戦(ぎょくちゅうせん)と呼ばれる[1]
  3. ^ 2012年度より、駆け足行進時の掛け声は無くなった。
  4. ^ こうした一連の動きの中で、当時の鶴丸高校長(一中卒)が板挟みの苦悩から急逝し[10]、鶴丸高校で学校葬が執り行われた[11]。一方で甲南高校長は定年前に勇退[12]、郷里に開校した宮崎日大高校校長に就任した[13]

出典 編集

  1. ^ 南日本放送 (2010年4月25日). “Sportsパラダイス/玉中戦!?中玉戦!?”. 2011年5月25日閲覧。
  2. ^ 文献: (1) p6, 28-29行目 / (2) p90, 下段20行目 / (3) p445, 8-10行目
  3. ^ 文献: (1) p6, 30-31行目 / (2) p91, 2-3行目 / (3) p446, 17-18行目
  4. ^ 文献: (3) p446上部に当時の南日本新聞の切り抜きを写真掲載
  5. ^ 文献: (3) p445, 19行目-p446, 15行目
  6. ^ 文献: (3) p446, 19-21行目
  7. ^ 文献: (1) p6, 35-38行目
  8. ^ 文献: (1) p6, 31-33行目 / (2) p90, 4-5行目
  9. ^ 文献: (1) p7, 6-7行目 / (2) p91, 6-7行目
  10. ^ 文献: (2) p91, 7-9行目 / (3) p447, 9-10行目
  11. ^ 文献: (3) p447, 11-12行目
  12. ^ 文献: (1) p7, 17-18行目 / (2) p91, 14-16行目
  13. ^ 文献: (2) p91, 19-21行目 / (4) p212, 2-6行目
  14. ^ DOCOMOMO. “鹿児島県第一高等女学校(現 鹿児島中央高等学校)”. docomomo. 2022年6月8日閲覧。
  15. ^ SSH内定のお知らせ” (2018年3月28日). 2020年4月16日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集