オシムジャパン(Osim Japan)は、サッカー日本代表のうち、イビチャ・オシム監督在任中の代表チームを指す愛称。期間としては2006年7月から2007年11月までを指す。2010年南アフリカ開催予定のワールドカップに向けた体制と見られていた[1] が、オシム自身が健康を害したことによって退任し、岡田武史が急遽後任を務めた。

背景 編集

2006年7月21日のオシム正式就任をもってオシムジャパンが誕生。この時期の日本サッカー界は、直前のドイツワールドカップ グループリーグ敗退を受け意気消沈していた[2]。大会中に、海外でも実績を残した中田英寿が引退を発表するなど、日本サッカー界に閉塞感が漂いつつあったこの時期に、ジェフユナイテッド千葉で強化実績を上げていたオシムの就任は歓迎された。オシムの半生を綴った『オシムの言葉』(木村元彦著)がその年の高校向け課題図書となり注目されるなど、話題性の高いスタートとなった。

戦績 編集

大会 編集

2007年 編集

詳細 編集

年月日 大会名 対戦国 スタジアム 勝敗 得点者
06年8月9日 キリンチャレンジカップ2006   トリニダード・トバゴ 国立霞ヶ丘競技場東京 ○2-0 三都主アレサンドロ2
06年8月16日 AFCアジアカップ2007予選   イエメン 新潟スタジアム新潟 ○2-0 阿部勇樹佐藤寿人
06年9月3日   サウジアラビア アル・ファイサルスタジアムジッダ ●0-1 -
06年9月6日   イエメン アリー・モフセンスタジアム(サナア ○1-0 我那覇和樹
06年10月4日 キリンチャレンジカップ2006   ガーナ 横浜国際総合競技場横浜 ●0-1 -
06年10月11日 AFCアジアカップ2007予選   インド スリー・カンテラーバスタジアム(バンガロール ○3-0 播戸竜二2、中村憲剛
06年11月15日   サウジアラビア 札幌ドーム札幌 ○3-1 田中マルクス闘莉王、我那覇和樹2
07年3月24日 キリンチャレンジカップ2007   ペルー 横浜国際総合競技場横浜 ○2-0 巻誠一郎高原直泰
07年6月1日 キリンカップ2007   モンテネグロ 静岡エコパスタジアム静岡 ○2-0 中澤佑二、高原直泰
07年6月5日   コロンビア 埼玉スタジアム2002さいたま △0-0 -
07年7月9日 AFCアジアカップ2007
グループリーグ
  カタール ミィ・ディン国立競技場ハノイ △1-1 高原直泰
07年7月13日   アラブ首長国連邦 ○3-1 高原直泰2、中村俊輔
07年7月16日   ベトナム ○4-1 巻誠一郎2、遠藤保仁、中村俊輔
07年7月21日 AFCアジアカップ2007
準々決勝
  オーストラリア △1-1
PK4-3)
高原直泰
07年7月25日 AFCアジアカップ2007
準決勝
  サウジアラビア ●2-3 中澤佑二、阿部勇樹
07年7月28日 AFCアジアカップ2007
3位決定戦
  韓国 ジャカ・バリン競技場(パレンバン △0-0
(PK5-6)
-
07年8月22日 キリンチャレンジカップ2007   カメルーン 大分・九州石油ドーム大分 ○2-0 田中マルクス闘莉王、山瀬功治
07年9月7日 3大陸トーナメント   オーストリア ベルターゼースタディオン(クラーゲンフルト △0-0
(PK3-4)
-
07年9月11日   スイス ○4-3 中村俊輔2、巻誠一郎、矢野貴章
07年10月17日 AFCアジア/アフリカ
チャレンジカップ2007
  エジプト 長居スタジアム大阪 ○4-1 大久保嘉人2、前田遼一加地亮
 詳細は、JFA の公式記録[3] を参照のこと

メンバー 編集

GK

DF

MF

FW

脚注 編集

  1. ^ スポーツ報知 (2006年7月12日). “オシム監督“解体”脱海外組偏重…4年で合意18日にも誕生”. 2007年8月15日閲覧。
  2. ^ 2006FIFAワールドカップ オフィシャルサイト (2006年6月23日). “日本の戦いを振り返る”. 2007年8月15日閲覧。
  3. ^ 参考:『日本代表戦一覧 公式記録』、日本サッカー協会

関連項目 編集

外部リンク 編集