サッカーカメルーン代表

カメルーンの男子サッカーナショナルチーム

サッカーカメルーン代表(サッカーカメルーンだいひょう、: Cameroon national football team, : Équipe du Cameroun de football)は、カメルーンサッカー連盟(FECAFOOT)によって構成される、カメルーンサッカーナショナルチームである。愛称は不屈のライオンフランス語: Les Lions Indomptables, 英語: The Indomitable Lions)。

サッカーカメルーン代表
国または地域 カメルーンの旗 カメルーン
協会 カメルーンサッカー連盟
FIFAコード CMR
愛称 Les Lions Indomptables
(The Indomitable Lions)
監督 カメルーンの旗 リゴベール・ソング
最多出場選手 リゴベール・ソング(137試合)
最多得点選手 サミュエル・エトー(56[1]得点)
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
初の国際試合
 ベルギー領コンゴ 3–2 フランス領カメルーン
(ベルギー領コンゴ、1956年9月)
最大差勝利試合
 カメルーン 9–0 チャド 
(DRコンゴ、1965年4月)
最大差敗戦試合
 ノルウェー 6–1 カメルーン 
(オスロ, 1990年10月31日)
 ロシア 6–1 カメルーン 
(パロアルト, 1994年6月28日)
 コスタリカ 5–0 カメルーン 
(サンホセ, 1997年3月9日)
FIFAワールドカップ
出場回数 8回(初出場は1982
最高成績 ベスト8 (1990)
アフリカネイションズカップ
出場回数 21回
最高成績 優勝 (1984, 1988, 2000, 2002, 2017)

歴史 編集

 
FIFAコンフェデレーションズカップ2017の対オーストラリア
1982年ワールドカップ
初出場の大会でグループリーグ2戦を終えた時点でいずれもスコアレスドローだったものの、4チームが2引き分けで並んだため最終戦となるイタリア戦に決勝トーナメント進出がかかっていたが1-1で引き分け、最終戦でペルーに5-1と大勝したポーランドと同じく3引き分けながら2得点を挙げていたイタリアの成績を上回れず、3位でグループリーグ敗退となった。
1990年ワールドカップ
2大会ぶりの出場となったが、開幕戦では前回優勝チームのアルゼンチンと対戦して61分と89分に退場者を出しながらも1-0で勝利、続くルーマニア戦では、当時のカメルーン大統領・ポール・ビヤからの直接の要請を受けて現役復帰したロジェ・ミラが2ゴールを挙げ連勝、3戦目、1988欧州選手権準優勝のソ連戦では0-4と大敗したものの、結局グループB1位で決勝トーナメントに進出した。ベスト16のコロンビア戦は延長にもつれ込むが、再びミラが2得点を挙げ2-1で勝利した。準々決勝では一旦イングランドを相手に2-1でリードしながらもPKをゲーリー・リネカーに決められ2試合連続の延長戦となり、延長で再びリネカーのゴールで2-3で敗れるが、アフリカ勢としては初のベスト8入りを達成しアフリカ史上唯一となる1大会での3勝を記録している(いずれも当時)。なお、「カメルーン旋風」は大会の話題のひとつとして記憶され、ナイジェリアセネガルガーナコートジボワールといった西アフリカ勢を先導する出来事となった。
1994年ワールドカップ
グループリーグ初戦でスウェーデンと2-2で引き分けるも、2戦目のブラジルに0-3で敗れ3戦目のロシア戦では、当時42歳だったミラがワールドカップ最高齢選手によるゴール(2023年現在も最高齢記録)を記録しながらも1-6と大敗を喫し、1分2敗のグループ最下位で大会を終えた。
1998年ワールドカップ
サミュエル・エトーが同大会の全参加選手中最年少となる17歳3か月で代表に選ばれ注目されたが、初戦のオーストリア戦、3戦目のチリ戦にいずれも1-1で引き分けたものの、2戦目のイタリア戦で0-3で敗れたことが響いたため2分1敗で最下位となり、グループリーグ敗退となった。
2002年ワールドカップ
4大会連続の出場となり、日本では1997-1998年シーズンまでガンバ大阪に所属していたパトリック・エムボマが代表に選ばれたという点でも注目されていた。大分県日田郡中津江村(当時:現在の日田市中津江村)をキャンプ地としていたが、到着が遅れたことでカメルーン代表は中津江村とともに日本で一躍有名になった。この時の村民への恩義もあり、日本で試合を行なった際に同じ大分県で2002 FIFAワールドカップの会場でもあった大分市九州石油ドームを使用した。8年後、2010年の南アフリカ大会で日本とカメルーンが対戦した際も、旧中津江村では住民がカメルーンを応援するなど今でも互いに親しい関係にある。グループリーグでは初戦でアイルランドに1-1で引き分け、続くサウジアラビア戦に1-0で勝利し2試合終了時点で1勝1分、得失点差でドイツに次ぐ2位となっていたものの最終戦のドイツ戦に0-2で敗れ、サウジアラビアに3-0で勝利したアイルランドにも逆転され3位となり、3大会ぶりの決勝トーナメント進出を逃した。
2010年ワールドカップ
グループリーグ・E組に入ったカメルーン代表は初戦で日本と対戦したが、前半39分、本田圭佑にゴールを決められ0-1で敗れた。続くデンマークとの対戦では1-2と逆転負けを喫し、これにより1戦を残したままカメルーンのグループリーグ敗退が決定した。最終戦ではオランダと対戦するも1-2で敗れ、ワールドカップ4連敗となり南アフリカを去っていった。
2014年ワールドカップ
開催国のブラジルと同じグループAに入り、同年6月1日に行われた親善試合では優勝候補の一角であるドイツに2-2で引き分けるなどしていたものの[2]同月8日、首都のヤウンデからブラジルに移動する直前になって、選手たちがカメルーンサッカー連盟の提示するボーナスが希望に満たない額であることを理由に飛行機への搭乗を拒否したため[3]、交渉がまとまったため翌9日には出発したが[4]、同月13日の初戦のメキシコ戦ではオリベ・ペラルタからゴールを許し、0-1で敗戦した。続く同月18日のクロアチア戦ではエースのエトーが右膝痛により欠場、さらに先制点を許した後の前半40分にアレクサンドル・ソングがボールに無関係な場所でのマリオ・マンジュキッチに対する肘打ちをしてレッドカードで一発退場となり、10人となった後半に3点を許し0-4で敗れ2連敗を喫してしまい、グループリーグ最終戦のブラジル戦を残したままカメルーンのグループリーグでの敗退が決まった[5]。迎えた3戦目のブラジル戦では17分にネイマール・ダ・シウバ・サントス・ジュニオールから先制ゴールを許すと、さらに26分には今大会チーム初ゴールとなるJ・マティプのゴールで一旦同点に追いついたが34分に再びネイマールのゴールで突き放され、後半にもフレッジフェルナンジーニョにゴールを決められ、1-4で敗戦した[6]。これにより、2大会連続のグループリーグ3連敗を喫したことから2002年大会グループリーグ最終戦ドイツ戦での敗戦から通算してワールドカップ本大会7連敗となった。
2022年ワールドカップ
4月1日にカタール首都ドーハで行われた組み合わせ抽選会でカメルーン代表はブラジル、スイスセルビアと同じグループGに入った。グループリーグ初戦のスイス戦では48分にブレール・エンボロのゴールで失点を喫して0-1で惜敗し、これによりW杯連敗記録が「8」にまで伸びてしまった[7]。第2戦のセルビア戦ではスイス戦でも守護神を務めたアンドレ・オナナリゴベール・ソング監督と対立したため、メンバー外となってしまった。試合でも前半に先制したものの前半終了間際に逆転されるなど一時は2点のリードをされたものの、途中出場したヴァンサン・アブバカルが華麗なループシュートを含む1G1Aの活躍を魅せたことで3-3で引き分けにもつれ込み、 2002年大会から続いた連敗記録を8で止めた[8]。第3戦ではFIFAランキング1位のブラジルと対戦した。終始守り続けたが失点を許すことはなく0-0で迎えた試合終了間際にアブバカルのヘディングシュートが決まり優勝候補の一角でもあるブラジルに勝利した。この勝利でブラジルに勝った初めてのアフリカ勢となった。カメルーンのグループリーグ突破はならなかったものの、有終の美で大会を去っていった[9]

成績 編集

FIFAワールドカップ 編集

開催国 / 年 成績
  1930 不参加
  1934
  1938
  1950
  1954
  1958
  1962
  1966 参加辞退
  1970 予選敗退
  1974
  1978
  1982 1次リーグ敗退 3 0 3 0 1 1
  1986 予選敗退
  1990 ベスト8 5 3 0 2 7 9
  1994 グループリーグ敗退 3 0 1 2 3 11
  1998 3 0 2 1 2 5
   2002 3 1 1 1 2 3
  2006 予選敗退
  2010 グループリーグ敗退 3 0 0 3 2 5
  2014 3 0 0 3 1 9
  2018 予選敗退
  2022 グループリーグ敗退 3 1 1 1 4 4
合計 出場8回 26 5 8 13 22 47

FIFAコンフェデレーションズカップ 編集

アフリカネイションズカップ 編集

出場:21回
優勝:5回
開催国 / 年 成績 開催国 / 年 成績 開催国 / 年 成績
  1957 不参加   1982 グループリーグ敗退   2006 ベスト8
  1959   1984 優勝   2008 準優勝
  1962   1986 準優勝   2010 ベスト8
  1963   1988 優勝    2012 予選敗退
  1965   1990 グループリーグ敗退   2013
  1968 予選敗退   1992 4位   2015 グループリーグ敗退
  1970 グループリーグ敗退   1994 予選敗退   2017 優勝
  1972 3位   1996 グループリーグ敗退   2019 ベスト16
  1974 予選敗退   1998 4位   2021 3位
  1976    2000 優勝   2023 ベスト16
  1978   2002
  1980   2004 ベスト8

オリンピック 編集

歴代監督 編集

歴代選手 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 2003年大会では、カメルーン代表選手のマルク=ヴィヴィアン・フォエが試合中に急死するという出来事があった。

出典 編集

  1. ^ 9 Samuel ETOO”. FIFA.com. 2014年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月1日閲覧。
  2. ^ “優勝候補ドイツ、カメルーンと2ー2でドロー”. Goal.com. (2014年6月2日). http://www.goal.com/jp/match/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84-vs-%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%B3/1630380/report 2014年6月19日閲覧。 
  3. ^ “カメルーン、W杯ボーナス巡りブラジル行きを拒否”. Goal.com. (2014年6月9日). http://www.goal.com/jp/news/5256/2014%E5%B9%B4w%E6%9D%AF/2014/06/09/4869188/%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%B3w%E6%9D%AF%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B9%E5%B7%A1%E3%82%8A%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E8%A1%8C%E3%81%8D%E3%82%92%E6%8B%92%E5%90%A6 2014年6月19日閲覧。 
  4. ^ “カメルーン代表が出発 ボーナス上乗せで交渉まとまる”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2014年6月9日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/06/09/kiji/K20140609008335430.html 2014年6月19日閲覧。 
  5. ^ “クロアチア開眼!!カメルーン愚行自滅で敗退決定”. ゲキサカ (講談社). (2014年6月19日). http://web.gekisaka.jp/news/detail/?141359-141359-fl 2014年6月19日閲覧。 
  6. ^ “ネイマール2発! ブラジル快勝でグループ首位通過”. Goal.com. (2014年6月24日). http://www.goal.com/jp/match/%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%B3-vs-%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB/1220074/report 2014年6月24日閲覧。 
  7. ^ 3大会連続ベスト16狙うスイスが白星発進! カメルーンはW杯8連敗に…”. Goal.com (2022年11月24日). 2022年12月3日閲覧。
  8. ^ 監督と衝突の守護神外しのカメルーン、W杯最多9連敗回避の3-3ドロー…セルビアは2点リードを守り切れず”. Goal.com (2022年11月28日). 2022年12月3日閲覧。
  9. ^ ブラジル、初黒星も首位通過!決勝T最後の切符つかんだのはスイス”. Goal.com (2022年12月3日). 2022年12月3日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集