藤本淳吾

日本のサッカー選手

藤本 淳吾(ふじもと じゅんご、1984年3月24日 - )は、神奈川県大和市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元日本代表

藤本 淳吾
名前
愛称 ジュンゴ
カタカナ フジモト ジュンゴ
ラテン文字 FUJIMOTO Jungo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-03-24) 1984年3月24日(40歳)
出身地 神奈川県大和市
身長 173cm
体重 69kg
選手情報
ポジション MF (OH,SH) / FW (WG)
利き足 左足
ユース
筑波大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2010 清水エスパルス 139 (31)
2011-2013 名古屋グランパス 94 (14)
2014-2015 横浜F・マリノス 45 (6)
2016-2019 ガンバ大阪 50 (3)
2019 京都サンガF.C. (loan) 8 (0)
2020-2022 SC相模原 47 (7)
代表歴2
2001  日本 U-17
2007-2012 日本の旗 日本 13 (1)
獲得メダル
男子 サッカー
ユニバーシアード
2005 サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。2021年12月21日現在。
2. 2012年8月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

プロ入り以前 編集

小学生の頃より地元の横浜マリノスプライマリーに入り、そのまま中学1年までマリノスの下部組織に所属。しかし中学2年に上がるときにメンバーに残ることができず[1][2]、横浜栄FCを経て桐光学園高校に進学した。

高校時代は、U-16、U-17日本代表に選出され、2001 FIFA U-17世界選手権に出場。グループリーグ敗退も3戦全てに先発出場した。

しかし、高校サッカー選手権には縁が無く、同じU-17日本代表だった阿部祐大朗のいる桐蔭学園に屈し続け、最後の冬も県大会決勝で敗れている(目立った成績は、高校3年時のインターハイベスト8ぐらいである)。各年代の日本代表には選ばれ続けたものの、チームとしてタイトルには縁遠かったこともあり、高校3年生の時に正式なオファーを貰ったのは当時J2の川崎フロンターレのみ。元サッカー選手の父親で日本鋼管で活躍した藤本貢壽から「現状ではプロに行っても長くプレーできないかもしれない」と言われたこと、また地元のJ1チーム・マリノス以外なら筑波大学進学と決めていたこともあって大学進学を決意[2]

筑波大学でも1年時よりレギュラーを獲得。1年時の第76回関東大学サッカーリーグ戦では2得点1アシスト。2年時の第77回関東大学リーグでは4得点5アシスト。第52回全日本大学サッカー選手権大会決勝では貴重な決勝点(筑波大1-0駒大)を挙げ、2連覇に貢献。大会ベストMFに。3年時の第78回関東大学リーグでは同大学を4年ぶり14回目の優勝に導き、自身も5得点7アシストでアシスト王とベストイレブンに輝いている。さらに4年時の第79回関東大学リーグでも12アシストでアシスト王とベストイレブンに輝く。これらの活躍から、大学在籍4年間を通して大学選抜に選ばれ続けた。筑波での同期には秋葉陽一中野洋司阿部翔平がいる。

日本代表関連では、2005年6月の第33回トゥーロン国際大会参加のU-21日本代表メンバーに選ばれ、また8月のユニバーシアード・イズミル大会では背番号10番を背負い司令塔として日本を3連覇に導き、大会MVPと得点王(6得点)に輝いている。

清水エスパルス時代 編集

2005年、清水エスパルス特別指定選手[3]としてナビスコカップに1試合出場(2005年6月11日の予選リーグ第6節名古屋グランパスエイト戦に先発出場[4])。

目覚しい活躍をみせた大学時には、高校時代とは打って変わって多くのJ1クラブが獲得候補選手リストに掲げ争奪戦を繰り広げたが[2]、その中から藤本は清水エスパルスを選択。2006年に正式加入した[5]。清水を選んだのは、特別指定選手として練習に参加した際、軽いプレーをした藤本に対して長谷川健太監督が「やる気がないなら帰れ」と叱責、このことからお客さん扱いではなく1人の戦力として見てくれていることに喜びを感じ清水でプレーしたいという気持ちがわいたためと語っている。

プロ1年目でその前年に引退したミスター・エスパルスこと澤登正朗の後継者として指名され、ルーキーながら澤登のトレードマークでもあった背番号10を受け継いだ[2]。シーズンの序盤はコンディション作りや怪我に悩まされ安定した活躍ができなかったが、シーズン終盤ポジションを右サイドハーフに移し視野を広げたことでプレーの幅が広がり爆発的な活躍をした。第31節、第32節では2試合でプロ入りして初のハットトリックを含む5得点1アシストを記録するなど、28試合出場8得点4アシストで1シーズン目を終えた。これらの活躍が評価され2006年シーズンのJリーグ新人王(奇しくも初代新人王は澤登)に選ばれ[6]、第39回内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞[7]

2007年のJリーグオールスターサッカーに東西両軍を合わせ最多得票を集めて選出され出場した[8]

2008年7月22日大宮アルディージャ戦で相手タックルにより左足首を負傷。精密検査の結果、左足腓骨骨折および左足首内側靭帯損傷で全治3ヶ月の重症であることが判明、2008年シーズン残り試合の出場は絶望的となった。翌2009年シーズンの第2節で復帰。その影響もあって2009年は1得点にとどまった。

2010年は小野伸二の加入に伴い、4-3-3の右ウイングに転向[9]。自己最多の13得点を挙げ、初のJリーグベストイレブンに選出。

名古屋グランパス時代 編集

2011年より名古屋グランパスに移籍。背番号は8となった。4月12日に行われたACLグループステージ第2節のアル・アイン戦で、フリーキックからグランパスでの公式戦初ゴールを決めた[10]。リーグ戦では9得点を挙げるなど名古屋の優勝争いに貢献し、2年連続でベストイレブンに選出された。

2012年10月20日、Jリーグ第29節サガン鳥栖戦で、Jリーグ通算200試合出場となった。

横浜F・マリノス時代 編集

2013シーズン終了後、名古屋から契約延長オファーを受けるも[11]、2014年1月8日に名古屋からの退団が発表され同日に横浜F・マリノスへの移籍が発表された[12]。背番号は同じくマリノスの下部組織出身にして桐光学園高校の先輩、さらには同じレフティの司令塔として尊敬する中村俊輔の背番号25を受け継いだ[13]。2014年シーズンはレギュラーとしてリーグ戦26試合に出場したが、コンディション不良が続き常に負傷を抱えていたことで満足な結果を残せなかった。

2015年は開幕当初こそ先発出場が多かったが、この年マリノスの監督に就任したエリク・モンバエルツのスピード重視の起用方針により、後半戦の先発出場は4試合に留まり2nd第9節以降のリーグ戦出場はわずか1分と出場機会が激減した[14]

ガンバ大阪時代 編集

2016年、清水時代の監督だった長谷川健太が指揮を執るガンバ大阪から獲得オファーを受け、1月11日にガンバ大阪に完全移籍することが発表された[15][16]。しかしいざ開幕するとベンチ入りも困難になり、J3のU-23チームでプレーすることもあった。

2017年4月21日、第8節の大宮アルディージャ戦で移籍後初のリーグ戦アシストを記録した。5月14日、第11節の北海道コンサドーレ札幌戦で移籍後初得点を決めた。6月25日、第16節の川崎フロンターレ戦で、史上95人目となるJ1リーグ通算300試合出場を達成した[17]。8月5日のヴァンフォーレ甲府戦で右膝前十字靭帯を断裂[18]。翌年3月の練習試合で7ヶ月ぶりに実戦に復帰した[19]

2018年5月12日、第14節の古巣横浜FM戦で60メートルの超ロングシュートを決めた。

2019年7月15日、京都サンガF.C.へ期限付き移籍する事を発表[20]。2020年1月8日、契約満了によりG大阪および京都を退団した[21]

SC相模原時代 編集

2020年8月21日、SC相模原への加入が発表された[22]

2021年3月21日の明治安田生命J2リーグ第4節・大宮戦にて決勝ゴールを決めた。この試合がSC相模原のJ2初勝利となった[23]

2022年11月7日、SC相模原は契約期間の満了と契約を更新しないことを発表した[24]。その後、12月27日に2022年シーズンでの現役引退が発表された[25]

現役引退後 編集

2023年1月12日、マリノスサッカースクールのコーチに就任することが発表された[26]

日本代表 編集

2007年に日本代表候補に初選出され、自身の誕生日である3月24日に行われたペルー戦でフル代表デビューを果たす。

2010年8月、2年10か月ぶりに代表に招集される[27][28]2011年アジアカップ決勝のオーストラリア戦では、決勝トーナメント準決勝の韓国戦で負傷帰国したエース香川に代わり先発メンバーに抜擢されるが、試合の流れを引き込むには至らず、後半途中に交代している[29]

2012年2月24日のキリンチャレンジカップアイスランド戦で代表初得点を挙げた[30]

所属クラブ 編集

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2002 筑波大 15 - - - 1 0 1 0
2005 10 - - 2 1 2 1
2005 清水 35 J1 0 0 1 0 - 1 0
2006 10 28 8 5 0 3 3 36 11
2007 34 7 4 1 3 0 41 8
2008 18 2 6 4 0 0 24 6
2009 27 1 9 0 5 0 41 1
2010 32 13 8 1 4 1 44 15
2011 名古屋 8 33 9 0 0 3 0 36 9
2012 33 2 2 2 4 0 39 4
2013 28 3 2 0 1 0 31 3
2014 横浜FM 25 26 3 2 0 1 2 29 5
2015 19 3 3 0 3 0 25 3
2016 G大阪 13 0 5 0 1 0 19 0
2017 14 1 0 0 2 0 16 1
2018 21 2 6 0 1 0 28 2
2019 2 0 6 0 0 0 8 0
京都 50 J2 8 0 - - 8 0
2020 相模原 4 J3 15 0 - - 15 0
2021 J2 32 7 - 1 0 33 7
2022 10 J3 31 4 - - 31 4
通算 日本 J1 328 54 59 8 31 6 418 68
日本 J2 40 7 - 1 0 41 7
日本 J3 46 4 - - 46 4
日本 - - 3 1 3 1
総通算 414 65 59 8 35 7 508 80
  • 2005年は特別指定選手として出場

その他の公式戦

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 期間通算
出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 期間通算
2016 G大23 25 J3 4 2 4 2
通算 日本 J3 4 2 4 2
総通算 4 2 4 2
  • 2011年
  • 2014年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2016年
    • スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2011 名古屋 8 7 3
2012 5 2
2014 横浜FM 25 4 0
2016 G大阪 4 0
通算 AFC 20 5

指導歴 編集

代表歴 編集

出場大会 編集

  • 2000年 U-16日本代表
  • 2001年 U-17日本代表、U-18日本代表
  • 2005年 ユニバーシアード日本代表、U-21日本代表
  • 2007年 - 2012年 日本代表

試合数 編集

  • 国際Aマッチ 13試合 1得点(2007年 - 2012年)


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2007 4 0
2008 0 0
2009 0 0
2010 2 0
2011 4 0
2012 3 1
通算 13 1

出場 編集

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2007年3月24日  横浜 横浜国際総合競技場   ペルー ○2-0 オシム キリンチャレンジカップ2007
2. 2007年6月1日  袋井 エコパスタジアム   モンテネグロ ○2-0 キリンカップサッカー2007
3. 2007年6月5日  さいたま 埼玉スタジアム2002   コロンビア △0-0
4. 2007年10月17日  大阪 大阪長居スタジアム   エジプト ○4-1 AFCアジア/アフリカチャレンジカップ2007
5. 2010年9月4日  横浜 日産スタジアム   パラグアイ ○1-0 原博実 キリンチャレンジカップ2010
6. 2010年9月7日  大阪 大阪長居スタジアム   グアテマラ ○2-1 原博実
7. 2011年1月9日  ドーハ カタールSCスタジアム   ヨルダン △1-1 ザッケローニ AFCアジアカップ2011
8. 2011年1月29日  ドーハ ハリファインターナショナルスタジアム   オーストラリア ○1-0
9. 2011年10月7日  神戸 ホームズスタジアム神戸   ベトナム ○1-0 キリンチャレンジカップ2011
10. 2011年10月11日  大阪 大阪長居スタジアム   タジキスタン ○8-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
11. 2012年2月24日  大阪 大阪長居スタジアム   アイスランド ○3-1 キリンチャレンジカップ2012
12. 2012年2月29日  豊田 豊田スタジアム   ウズベキスタン ●0-1 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選
13. 2012年8月15日  札幌 札幌ドーム   ベネズエラ △1-1 キリンチャレンジカップ2012

ゴール 編集

# 開催年月日 開催地 スタジアム 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2012年2月24日  大阪 大阪長居スタジアム   アイスランド ○3-1 キリンチャレンジカップ2012

タイトル 編集

クラブ 編集

筑波大学

名古屋グランパス

代表 編集

日本代表

個人 編集

脚注 編集

  1. ^ 清水のカギ握るゴールデンルーキー藤本 - ウェイバックマシン(2006年2月20日アーカイブ分) nikkansports.com (2007年6月8日)
  2. ^ a b c d 白瀬まゆ美 (2007年5月31日). “藤本淳吾 エスパルスの10番は代表で生き残れるか。”. Number Web. 2018年10月12日閲覧。
  3. ^ 藤本淳吾 選手(筑波大)『JFA・Jリーグ特別指定選手』の認定のお知らせ(05.03.02)』(プレスリリース)清水エスパルス、2005年3月2日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000166612018年10月12日閲覧 
  4. ^ 2005 Jリーグ ヤマザキナビスコカップ 予選リーグ 第6節 2005年6月11日(土) 15:00キックオフ @日本平スタジアム”. 清水エスパルス. 2018年10月12日閲覧。
  5. ^ a b c d e 藤本淳吾選手(筑波大学)来季新加入内定のお知らせ(05.11.28)』(プレスリリース)清水エスパルス、2005年11月28日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000268012018年10月12日閲覧 
  6. ^ 元日本代表の藤本淳吾引退会見「40までやるっていったじゃん?」子供に突っこまれ…監督目指す”. 日刊スポーツ (2023年1月12日). 2023年9月29日閲覧。
  7. ^ 2006年度 第39回内閣総理大臣杯『日本プロスポーツ大賞』新人賞 藤本淳吾選手 受賞のお知らせ(06.12.20)』(プレスリリース)清水エスパルス、2006年12月20日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000423872018年10月12日閲覧 
  8. ^ 【2007JOMOオールスターサッカー】出場選手決定!地元 藤本 淳吾 選手(清水)が最高得票を獲得!(07.07.23)』(プレスリリース)Jリーグ、2007年7月23日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000517242018年10月12日閲覧 
  9. ^ 『2010Jリーグ総集編』 日本スポーツ企画出版社、2010年、32-34頁。
  10. ^ “得意のFKで移籍後初ゴールを挙げた藤本淳吾「ゴールを決められてよかった」”. SOCCER KING (ライブドアニュース). (2011年4月12日). https://news.livedoor.com/article/detail/5485597/ 2018年10月12日閲覧。 
  11. ^ 藤本、横浜M移籍へ - ウェイバックマシン(2014年1月7日アーカイブ分) CHUNICHI Web (2013年12月26日)
  12. ^ a b c d 藤本淳吾選手 移籍加入のお知らせ”. 横浜F・マリノス (2014年1月8日). 2014年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月9日閲覧。
  13. ^ “現状の差を感じながらも「俊輔超え」を目指すMF藤本”. ゲキサカ. (2014年1月19日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?127299-131724-fl 2018年10月12日閲覧。 
  14. ^ 藤本は悩んでいた。難しい決断だった。[藤本淳吾、ガンバ大阪へ完全移籍]藤井雅彦 ザ・ヨコハマ・エクスプレス 2016年1月11日
  15. ^ 藤本 淳吾選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ”. ガンバ大阪 (2016年1月11日). 2016年1月11日閲覧。
  16. ^ 藤本淳吾選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ”. 横浜F・マリノス (2016年1月11日). 2016年1月11日閲覧。
  17. ^ 2017明治安田生命J1リーグ 第16節 藤本 淳吾 選手(G大阪)J1通算300試合出場達成”. Jリーグ.jp (2017年6月25日). 2018年7月20日閲覧。
  18. ^ “全治8ヵ月…それでも33歳藤本は諦めない「必ず復活します!!」”. スポニチ Sponichi Annex. (2017年8月10日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2017/08/10/kiji/20170810s00002179153000c.html 2018年10月12日閲覧。 
  19. ^ “【G大阪】元代表MF藤本、練習試合で1得点2アシスト 大けがから7か月ぶり復帰”. スポーツ報知. (2018年3月24日). https://hochi.news/articles/20180324-OHT1T50164.html 2018年10月12日閲覧。 
  20. ^ 藤本淳吾選手 ガンバ大阪より期限付き移籍加入のお知らせ 京都サンガF.C. 2019年7月15日
  21. ^ 藤本 淳吾選手 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)ガンバ大阪、2020年1月8日https://www.gamba-osaka.net/news/index/c/0/no/10692/2020年1月8日閲覧 
  22. ^ 藤本淳吾選手 新加入のお知らせ』(プレスリリース)SC相模原、2020年8月21日https://www.scsagamihara.com/news/post/202008210022020年8月21日閲覧 
  23. ^ “昇格組の相模原、“初得点”に藤本弾で待望のJ2初勝利!! 先発10人変更の大宮を土壇場逆転”. ゲキサカ. (2021年3月21日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?326828-326828-fl 2021年3月21日閲覧。 
  24. ^ 相模原が13選手との契約満了を一斉発表”. ゲキサカ (2022年11月7日). 2022年11月29日閲覧。
  25. ^ 藤本淳吾選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)SC相模原、2022年12月27日https://www.scsagamihara.com/news/post/20221226001002022年12月27日閲覧 
  26. ^ 藤本 淳吾氏スクールコーチ就任のお知らせ”. マリノスサッカースクール (2023年1月12日). 2023年1月12日閲覧。
  27. ^ 西山紘平 (2010年8月27日). “細貝初選出、藤本ら復帰、W杯メンバーは7人が招集されず”. https://web.gekisaka.jp/news/detail/?73006-61973-fl 2018年10月12日閲覧。 
  28. ^ 藤本淳吾選手 岡崎慎司選手 日本代表メンバー選出のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2010年8月27日https://www.s-pulse.co.jp/news/detail/29762018年10月12日閲覧 
  29. ^ 西山紘平 (2011年1月30日). “ほろ苦かった初先発、藤本は持ち味出せず途中交代”. ゲキサカ. https://web.gekisaka.jp/news/detail/?79947-72045-fl 2018年10月12日閲覧。 
  30. ^ 西山紘平 (2012年2月24日). “「ああいうのは好きなので」、藤本が技ありのチップキックで代表初ゴール”. ゲキサカ. https://web.gekisaka.jp/news/detail/?96037-95088-fl 2018年10月12日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集